5月 20

『「聞き書き」の力』(大修館書店)の序章「なぜ今、『聞き書き』なのか」 その2

■ 目次 ■

『「聞き書き」の力』
序章 なぜ今、「聞き書き」なのか  中井浩一

第1節 「聞き書き」とは何か
第2節 教育手法としての聞き書き 
 以上 19日

第3節 若者たちの課題とその解決策
第4節 新学習指導要領が私たちに問いかける問題
 以上 20日

第5節 「国語科」とは何か 
 以上 21日

第6節 PISA型学力
第7節 「温故知新」? 教育改革と「聞き書き」
 以上 22日

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序章 なぜ今、「聞き書き」なのか

第3節 若者たちの課題とその解決策

今の高校生に広く見られる問題とは、将来像がなく、進路・進学意識があいまいなことだろう。それは人生の目標や方針がないことを意味する。それはまた、親からの精神的な「自立」が進んでいないことを意味する。「自分」が確立されていないのだ。それゆえに彼らは自信がなく、他人に評価されていないと不安になる。
それは、彼らの人間関係のありかたによく出ている。現代の高校生はメル友などは多くいても、その内面はきわめて孤独である。友人、親や教師たちとの関係は表面的で、激しい対立や深い相互理解の経験は少ない。

こうした原因としては、?「豊かな社会」が実現し、社会自体が目標を見失っていること。?体験の貧弱さ、現実社会の問題の見えにくさ、親子の一体化などが挙げられよう。
そこで、根本的な対策が問われるのだが、高校生一人一人が問題意識を持ち、自分固有の「問い」、テーマを育てることが対策の核心ではないだろうか。それが大学で学ぶことや社会で働くことを方向付けていく。高校時代だけでそれを確立することは不可能だが、将来大きな大木に育つための「芽」だけは作りたい。そしてこうして生まれた問題意識やテーマこそがその人の「自分」であり、「個性」なのだと私は考える。
これを、私は「自分づくり」と呼びたい。今、世間では「自分探し」なる言葉がはやっているが、「自分」は「探し」て見つかるようなものではあるまい。
  
では、そのためにはどうしたらよいのか。?個人的な体験を掘り起こし、個人的な体験の意味を考えさせること。?現実社会(自然も)の問題にぶつからせ、その問題の本質を考えさせること。?その社会的問題と、自分の生き方を関係させて考えさせること。
以前は?だけでも自分のテーマを見いだすことができたが、現在はそれは難しい。だから現実や社会の現場に連れ出し、そこで現実と格闘している人々と「出会う」経験をさせることが必須になっている。自分には問題意識がなくても、相手の問題意識を受け止めることで、自分の問題意識を作っていくことができる。また、他者と「出会う」ことで、自分自身やこれまでの人間関係のあり方を見直すことにもなっていく。他者を理解することと自分を理解することは相互関係だからだ。ここに聞き書きが果たす大きな役割がありそうだと、読者の方々も理解していただけるだろう。

こうした背景を考えるとき、今回の学習指導要領の大きな変化の意味が理解されるだろう。それは、もちろん現在の教育課題の大きさ、深刻さ、緊迫度に対応するものだろう。そして、こうした課題に取り組んでいる方々にとって、今回の学習指導要領は「追い風」であることがわかるだろう。

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第4節 新学習指導要領が私たちに問いかける問題

新たな学習指導要領には画期的な点がある。?全教科での言語活動を求め、?その中心に国語科を位置付け、?高校生の体験、現場調査(フィールドワーク)を重視したことだ。
その中心的活動の一つとして「関係者にインタビューしたりして調べた内容を整理」(これが「聞き書き」である)することが強調され、社会科や理科、保健体育などのすべての教科でそうした活動が求められた。またその中心的役割を国語科が担うことが求められ、新しい国語科の教科書では聞き書き・インタビューが教材として取り上げられている。

これを正面から受け止めるならば、その衝撃力は、前回「総合学習」が入った以上のものになるはずだ。なぜなら、この本当の意味は?全教科に、体験学習や現場調査(フィールドワーク)の指導を求め、?全教科に、教科学習と現場学習の統一的指導が求められ、?全教科が同じ課題を共有することで従来の教科の壁を壊した横の連携を求め、?「国語科」がそれを指導することを求めることで、国語科とは何か、他教科と何が違うのかを初めて真っ正面から問題にした、ことだからだ。
これらは高校生の進路・進学意識を高めるためのキャリア教育とも連動できる。そのためには学校全体での取り組みが必要になり、従来の縦の壁を壊すことを促す。
これは、現状を何とか変えて、より良い教育を実行しようとしている管理職や一般の先生方には、大きなチャンスであろう。

しかし、同時にまた、課題も大きい。「関係者にインタビューしたりして調べた内容を整理」することの意味や可能性は、的確にかつ深く理解されなければならない。また、インタビューの内容をまとめる書き方は、その可能性を実現できるようなものでなければならない。そうでなければ、それは高校生の考え方、生き方に深く働きかけることはできないだろう。そして、それは結局は「遊び」になってしまい、大きな学習効果をもたらさないだろう。「総合学習」の導入時と同じだ。

たとえば、レポートの書き方1つ取っても、問題があるのではないか。
従来からすでに一部の教師たちによって、体験学習や現場調査(フィールドワーク)は行われ、すぐれたレポートは書かれてきたし、国語科の一部の教師たちによって聞き書きも指導されてきた。しかし、それらはバラバラに、相互に無関係に行われてきたのではないか。理科や社会のレポートと国語科の表現とはどう関係しているのか、関係すべきなのか。これに明確に答えられる人がいるのだろうか。
ある国語科の先生は祖父母の戦争体験の聞き書きを、叙事詩の形式で書かせた。「調査結果をレポートすることが目的ならば、調査の方法や、調査内容の客観性・資料的価値といったことが重要になる。それでは社会科になってしまう。ところが、詩という文学の形式ならば、その人がこう語ったということがあればいい、事実でなくとも思いが表現されていればいい。さらに、生徒の主観的な思いを書き込むことも許される」。つまり、事実や客観性重視が社会科、「思い」や生徒の主体性重視が国語科だ、というのだ。読者のみなさんはどう考えるだろうか。 

私は、こうした棲み分け、分業制は間違いであると考えている。従来の理科や社会科の指導してきたレポートには不十分な点があり、国語科の聞き書きは文学的傾向に大きな偏りを持つ。両者は総合されるべきだし、そうした指導こそが求められるのだ。しかしそうした全体を見渡した指導はどの教科に可能で、誰ができるのだろうか。
「国語科が中心的な役割を果たす」というが、そうしたことが現在の国語科の教師たちに可能とは思えない。今は、それを学校全体で担っていくしかないだろう。それができる人はどの教科であろうが関係なく、それに取り組み、それを学校全体で支援していくことが必要だ。

本書ではいくつかの核心的な論点を取り上げて、その具体的な解決策を提示したいと思う。まずは小手調べから。
そもそも国語科とは何を教育する教科なのか。他教科とは何が違うのか。次節では私見を率直に述べることにする。世間の常識とはかなりちがうので反発される方もいると思う。しかし、1つの問題提起と受け止めていただき、読者の皆様には、ぜひご自身の「答え」を出していただきたい。

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