3月 19

親子関係はいかにあるべきか

これまでは高校生を主な対象として親子関係を考えることが多かった。
高校生にとって、進学・進路の選択は重要だ。それは高校生が自分の人生を自分で選択すること。
つまり親の影響力から自立するための大きな1歩になる。
同時にそれは、親(特に母親)にとっては子離れという大きな課題であり、それは親の自立の問題なのである。

しかし、私の父が2年前に亡くなり、母が一人で暮らすことになった。
その母をどう支えるかが一人息子である私の責務になっている。

また、中井ゼミで師弟契約をするメンバーの年齢も20代から50代までと幅広くなっており、
親の立場から成人後の子どもへの関わり方が問題になったり、高齢の親の介護や遺産相続の問題に
直面したりするメンバーも出てくる。こうしたことを考えながら、親子関係のそれぞれの年代での課題、
つまりその全体像がはっきりと見えてきた。

それをここでまとめておきたい。

■ 目次 ■

親子関係はいかにあるべきか    親子関係の3段階の原理・原則  
                                中井浩一

0.親子関係の特殊性
1.第1段階  親>子どもの段階
 (1)親子関係が親>子どもの段階
 (2)子どもの本質は未来の社会の働き手
 (3)子どもの自立と親の自立(子離れ)の問題
 (4)子どもの進路、進学の選択
 (5)緊急避難
2.第2段階  親=子どもの段階
 (1)親子関係が親=子どもの段階
 (2)社会人としての関係、結婚後の関係
 (3)子どもの自立が真に問われる
 (4)親子のつきあい方は両者の合意に基づく
3.第3段階  親<子どもの段階  (1)親子関係が親<子どもの段階  (2)老人の尊厳、自立・主体性をどう保障するか  (3)老後の問題の前に、定年後の人生という問題がある  (4)死に方、看取り方  (5)どのような社会を目指すのか ============================== 親子関係はいかにあるべきか    親子関係の3段階の原理・原則                                  中井浩一 0.親子関係の特殊性 最初に確認しておきたいことは、 親子関係は特殊な関係であり、もっと一般的な他者や世間とのつきあい方が、 ここではより厳しく、より深く問われるということだ。  親子の「つきあい」方は、親子関係以前に、その人の他者一般、世間との関わり方の原則とその能力の現れである。 他者一般ときちんとした関係を築けない人は、親子関係では一層、難しくなる。 なぜなら親子関係は血縁関係であり、その特殊性は、相手を選択できないことだからだ。 他者一般では、付き合う相手も、つき合い方も選択できる。それゆえに自分の価値観や原則を貫徹しやすい。 ところが、親子関係となるとその選択ができないのだ。 つまり、親子関係をきちんとした原則で律するには、そもそも他者一般と対等な大人同士の関係を 築けるかどうかが問われるのだ。 そこでは意見の違いをどう解決してきたか。どう解決しているか。 相互の関係の問題をどうとらえ、どう解決してきたのか。 他者一般と対等な大人同士の関係を築ける人が初めて、親子関係でもきちんとした関係を築ける。 以上を前提に、 親子関係のあるべき姿を、以下の3段階で考えたい。   1.第1段階  親>子どもの段階

(1)親子関係が親>子どもの段階
夫婦関係が作られ、そこから子どもが生まれる。
親は子どもを育て、教育する権利と義務を持つ。
子どもは両親の保護下にあり、それがなければ死ぬ。
法律でも親の教育権、子どもの法的権利の代行を求めている。
親>子どもの関係
子どもは親の支配下にある。
衣食住だけではなく、生き方、物の見方、価値観においてもそう。

(2)子どもの本質は未来の社会の働き手
子どもの尊厳性の根源は、未来の社会の働き手ということから生まれる。

子どもは夫婦の、両親の所有物ではなく、
子どもは神(社会)からの授かりものであり、社会の働き手として育て、教育し、社会へと返すものである。
(この考えは堺利彦が明示している)

(3)子どもの自立と親の自立(子離れ)の問題
子どもの自立とは、未来の社会の立派な働き手になることだが、
そのためには、子どもが自分自身の夢とテーマを持ち、それを生きる覚悟と能力を持つことが必要である。

そのためには、子どもが親から自立する過程が必要で、それを保障しなければならない。

それが難しい。
子どもの側では、親から承認されたいという強い欲求があるからだ。
この承認欲求がどれほど強いものかを、深く理解する必要がある。
兄弟姉妹で、親からの承認欲求をめぐる争いと、その後遺症の大きさを理解しなければならない。
この両親や世間からの承認欲求は、成長への動機にもなるが、阻害の動機にもなる。
この真の克服は、両親や世間の価値観とは独立した自分のテーマと思想を確立することになる。

また、子どもの自立が難しいのには、親の側にも大きな問題がある。親もまた自立(子離れ)できないでいる
ことが多いからだ。

親は子どもへ過干渉、過保護になりやすい。
しかし、放任や放置は違う。親自身の考えをきちんと説明し、子どもの言動で批判するべきは批判する。
問題提起をするべきだ。
おしつけと、適切な意見や批判提言の違い。距離の取り方

母親が子育て、教育を自分の仕事、役割としている場合、子離れは難しい。失業になるから。
母親は子どもと一体の関係になりやすい。
親子の間の共依存関係になりやすい。
母親と息子の関係よりも、母親と娘の関係の方が難しい。同性ゆえに、距離が取りにくい。

父親は社会での仕事があり、仕事の目標やテーマを持つことが普通であり、
子育てを仕事としていないので、子離れはしやすい。
両親の子離れの過程での父親の役割は、母子の一体関係を壊し、母親と子供の両者が自立していくことを支えること

(4)子どもの進路、進学の選択
子どもが自立する過程では、経済的援助を含めて、親からのさまざまな支援が必要になる。
そこでは親が、子どもの進路、進学で、親の意向による方向付けをしようとしがちだ。

しかし、自立とは、親の価値観や思想からの自立をも含む。
それなしで、子どもが未来の社会の立派な働き手になることはできない。
未来には未来のための新たな価値観、新たな目的、新たな思想が必要なのだ。

親が子どもを支援するのは、親の価値観に従わせるためではない。
子どもが未来の社会の立派な働き手になるためである。それによって人類と社会に貢献するためである。

子どもは、そのことを忘れてはならない。自らは親や社会のお陰で成長できた。
そのお礼とは、第1に、未来の社会の立派な働き手となり、人類や社会に貢献することで果たすべきだ。
そして、いつかは自らの子どもたちを生み育てる。それが次の未来への働き手となるように。

(5)緊急避難
児童虐待などの暴力や養育のネグレクトなど親の側の問題が大きい場合、
社会が子どもを親から引き離し、守らなければならない。

子どもには何ができるだろうか。
残念だが、子どもは親を変えることはできない。
子どもは自分自身を守るために、児童相談所などの公的施設に助けを求めることはできる。
場合によっては、緊急避難的には家出をし、一方的に親子関係を切り捨てることもできる。
一般的には社会人となり、経済的に自立すれば、親から独立できる。

2.第2段階  親=子どもの段階

(1)親子関係が親=子どもの段階
子どもが就職し、社会人になれば、経済的に自立し、それは対等な大人同士の関係になることを意味する。

(2)社会人としての関係、結婚後の関係
対等な大人同士の関係にも2つの段階がある。

一、独立した社会人としての対等とは、親子の個人としての対等関係である。

二、それが結婚をすることで、夫婦としても対等な関係になる。
男女の夫婦関係は、根底に性関係があり、それは閉じた関係であり、他者がそこには踏み込めない領域を持つ。
親といえども、子どもの夫婦間のプライバシーには踏み込めない。
子どもも、両親の夫婦間のプライバシーには立ち入れない。
親子がそうした領域をともに持ち、それが自覚されることは、真に対等の関係をうながす。

結婚式は、親子の親子としての最終局面、それ以降は対等な大人同士の関係になるということだ。

本来は個人(社会人としての子ども)としての関係でも、性的な領域、信仰や信念、思想などで、
踏み込んではいけない領域、距離を置くべき領域はあるのだが、無視されやすい。
それが、結婚によって自覚されるという側面がある。

※注釈
師弟関係は特別。弟子の夫婦関係にも踏み込むことができる

(3)子どもの自立が真に問われる
親子が対等になった時点で、子どもの「自立」が真に問題になる。
なぜなら、すでに子どもは、生き方、物の見方、価値観において、無自覚ではあるが、
両親の圧倒的な影響を受けているからだ。
自立するためには、親の価値観や思想を相対化し、それに対置する形で、子どもは子ども自身の生き方、
物の見方、価値観を、自覚的に作っていく必要がある。
※ここで、テーマと先生がどうしても必要になる。

(4)親子のつきあい方は両者の合意に基づく
親子は、人生の節目節目で意見交換ができればよい。
大学進学、就職、結婚、離婚、定年、遺言

その結果、親子の価値観の違いがはっきりと現れる場合もある。
政治的なこと以外に、生活上の礼儀や習慣でも、違うことが起こる。
結婚観、人間観、社会観、つまり思想一般においても

価値観が違っても、それを認め合ってつきあうことは可能。
しかし、そのためには、その違いを表明し、それを受け入れ合う話し合いの過程が必要。

それが不可能なら、親子関係を終わりにする(絶縁、絶交)ことも可能。親子は対等なのだから。

つきあうなら、どうつきあうかは、対等な関係として決まる。一方の要求だけではだめで、
両者の合意があった範囲のつきあいかたになる。
場合によってはルールを提示し、その合意を確認し合うことも必要。

「どうつきあうか」といっても、「つきあう」限りは、そこから生ずる義務・責務がある。
どういうつきあいかたをするかは、最低限の責務の上にある。
「つきあう」こと自体が無理ならば、絶交するしかない。

3.第3段階  親<子どもの段階 (1)親子関係が親<子どもの段階 親の体力や知力が衰え、自立が不可能になり、介助や介護が必要になる段階 力関係が逆転する。 親<子ども (2)老人の尊厳、自立・主体性をどう保障するか 老人の尊厳性の根源とは、これまでの社会の担い手であり、働き手であったことである。 老後の介護は、その子どもたち家族だけではなく、第1に社会全体がになう必要がある。 (3)老後の問題の前に、定年後の人生という問題がある 人生の目標を失う。 新たな目標が必要。 前半生での目標は達成した。 子育て、子どもの自立 これが父親の場合も深刻だが、母親の場合はもっと深刻になりやすい。 これは本来は、親の自己責任。 子どものできることは少ないが、アドバイスは可能。 (4)死に方、看取り方 人の生涯の最後の段階の過ごし方、最終段階では何のために生きるのか それを静かに深く考えていく必要がある。 介護が必要な老人とどう関係するか、どう支えるか。   死の迎え方、死までの見送り方 (5)どのような社会を目指すのか 大家族制度は崩壊し、2世代家族(核家族)が中心になったが、3世代家族の見直しもありうる。 大家族制度が復活することはない。墓制度の崩壊 血縁関係にこだわらない集団生活もアリだ。 新たな社会の構想力、思想こそが必要だ。      2016年10月4日初稿、2017年3月10日改訂 

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