8月 25

中井ゼミのゼミ生、塚田毬子さんの卒業論文「三性説の研究」の取り組みを、
本人自身が振り返った文章「22才の原点」を掲載します。

■ 目次 ■
1.22才の原点 塚田毬子
 0 はじめに
 1 卒論専念の経緯
 2 4カ月の取り組み方
 3 完成した論文に対する反省
 4 この4カ月の自分に対する反省

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◇◆ 1.22才の原点 塚田毬子 ◆◇

0 はじめに

 卒論を提出した。卒業年次であるから卒業論文を提出するのは当たり前だが、その取り組みを本気でやることに決め、
夏から4カ月卒論に専念していた。結果として、卒論に真剣に取り組んで本当に良かったと思う。どうしてそう思うか、
卒論専念の経緯、4カ月の取り組み方、実際に完成した論文への反省、この4カ月の自分に対する反省の4つを以下に述べる。

1 卒論専念の経緯

 私は去年のあたまから夏前までは大学を留年するつもりでいて、卒論は一年先延ばしになっていた。
それが、一年間の演劇のインターンが決まり、大学に籍を置いておく意味が無くなったので、急遽卒論を書かなければ
ならない状況になった。準備期間は4カ月しかなく、私はとっくに専門の仏教に対してときめきを失っていたので、
卒論はテキトーに終わらせ、インターンの準備として演劇の勉強を始めようと思っていた。しかし中井さんから、
「卒論の手を抜いてはいけない、本気で取り組んで学生生活の区切りをつけるべき」と提案され、それに納得し
提案を受け入れた。私はこれまで本気で何かに取り組んだことが無いので、本気で自分がどこまでできるかやってみよう
と思った。演劇から距離を置いて、周囲の人にも卒論に専念すると宣言し、引きこもった。今の自分はどこまで考える
ことができるようになったかを、自分にも他人にも分かるように書きたかった。そして、卒論をやることは演劇と関係の
ないことではなく、私自身の中で演劇とつながることだと考えた。

2 4カ月の取り組み方

 仏教の広い分野の中で、新たに面白そうなテーマを探して書くというのは時間的に厳しいので、4年間で申し訳程度に触れ、
面白そうだった唯識を取り上げることに決めた。しかし、一つ経典を選んで原典から読むのは語学力の面で困難なので、
中井ゼミで勉強し始めたカントの哲学と唯識が似ているように感じることもあり、両者を比較して何か書けないかと思った。
仏教と西洋哲学を比較研究している玉城康四郎の論文を見つけ、秋口まではそれを細かく読み、引っかかるところを出して
いく作業をしていたが、唯識とカント両者の共通点や相違点を挙げているだけであまり面白いと思えず、中井さんから
方向転換の提案もあり、玉城を棄ててアサンガの『摂大乗論』を日本語で読み込み始めた。『摂大乗論』に絞った理由は、
玉城にときめかずつまらなくなった時期に、指導教官との面談の中で面白いと私に引っかかったのがそれだったからだ。
三年次の期末レポートで部分的に取り上げた経典だったこともあり、自分に面白いことが『摂大乗論』にはあるのかも
しれないという縋る思いで、一つしっかり読んでみることにした。

 日本語訳で『摂大乗論』を読み進める中で、初めは、三性説が書かれた第二章は面白いが、アーラヤ識が書かれた
第一章についてはほとんど何も思うことが無かった。その後の『摂大乗論』を取り上げた中井ゼミの読書会で、
中井さんが「『摂大乗論』の核心は三性説でアーラヤ識はその道具立て。これが面白いと思う方がおかしい。」と言って
いて少し安心したが、それでも二本柱であるうちの三性説は「わかる」のにアーラヤ識には何も感じないのはおかしいと
思いつつ、でも読む気にもなれず、三性説が指す「関係」ということを自分の都合のいいようにこねくり回して勝手に
考えていた。考えはめぐるが前進しているような感じはなく、何をやっているのかわからないというような状態が続いた。
(自分が何をやっているのかわからない状態は卒論作業の大半で、年が明けてからもぼやぼやしていたが。)
 12月ごろ、大学で取っていた『唯識三十頌』を講読する授業で、『三十頌』の『摂大乗論』から発展し展開された箇所を
取り上げた回に出席して、アーラヤ識に対する理解が深まった。『摂大乗論』の時点でのアーラヤ識は、まだまだ
プリミティブで荒削りで、アーラヤ識の性格を定立しようというよりも、その存在論証に重きが置かれているのが
つまらない原因だとわかった。授業で聞いたアーラヤ識は、ヘーゲルに似ているような気がした。種子は同じものであり
ながら絶えず変化を続けている。そこで、前進は背進ということまで言えるのがヘーゲルなのだと思った。

 アーラヤ識は面白いということが分かり理解が進展したものの、中井さんとの面談ではそれを言葉にして説明する
ことができず、理解の浅さを痛感した。中井さんから、その場で言葉で説明するように毎回言われたが、言っている
ことが言ったそばから崩れているのが自分でもわかり、もどかしかった。この、説明を求められるが全くできない状態は
直前まで続き、さすがに後が無くなって焦り始めたのが提出の一週間前である。そこで、今までこねくり回して考えて
いたことを整理するように中井さんに言われ、なぜ自分はこの卒論を書くのか、自分にとって中井ゼミに参加してからの
この一年の変化は何だったのか、今までやってきたことを猛スピードで振り返り、とにかく自分自身のことを書こうと
思い直した。それまでは『摂大乗論』に寄せて「関係」について勝手に考えていたが、それはもはや『摂大乗論』を
必要としない妄想になってしまっていた。自分で考えるのが楽しいだけで机上の空論にすぎず、説教臭くもなっていた。
それを、徹底的に自分の個人的な経験を『摂大乗論』の理論で説明することに決めた。このやり方でなければ、
中身のない説教臭い妄想論文が完成していたと思う。最後の一週間で必死になってやり、なんとか形になった。

3 完成した論文に対する反省

 初めの段階での卒論のアウトラインはひどいもので、問いは絞れないし広がりもなかった。提出6日前に、卒論に対する
姿勢を思い出すため前提となる序論を猛烈に書き、そこから何度も校正をくり返したので序論は一番読みやすく
書けていると思う。中井ゼミでやって来たこと、自分の悪の問題やそのあとに読んだヘッセの『デミアン』、
マルクスの「経済学批判の序言」を下敷きにした。

序論で自分の問いを確認し自分自身を貫くと腹を決め、本論は自分自身を具体例にして書き進めた。論証は全体的に
お粗末だが、pp17-21の「ことば」について書いた部分はよく考えられた方だと思う。まだまだ理解が浅いが、
これが今後の芽になるのではないか。しかし論証は反省点ばかりで、二分依他が核心だと宣言したわりには
二分依他についてはさらっと言及してあっさり終わること、無住涅槃の議論の薄さ、言語表現のいい加減さ
(根拠が不明なのに容易に断言する)、文章の口当たりの悪さなどなど、出来がいいとは言えない。
しかし真剣にやったのは事実である。

結論は、序論に比べてあいまいで薄すぎると3日前に中井さんに言われたが、直前の直前にひらめきがあって、
なかなかいいことが思いつき、ハッキリしたことが書けたと思う。牧野さんの「価値判断は主体的か」を読んだ
ことがヒントになった。5月の集中ゼミで初めて読んだときよりも、確実に理解が深まっているのを感じた。
文章の展開の仕方が美しくないが、美しくするような余裕はなかった。

 読み返して、論文としては論理展開の無理やり感など稚拙さが目につく。しかし、序論と結論では切実なことが
書けていると思う。書き上げて、何でこれが書けたのだろうという不思議な気持ちと、でも書いてあることに実感を
もてる気持ちがあり、今までにない経験だった。行き詰ると中井さんと面談し、立て直し、行き詰り、面談し、立て直し、
ということの連続だった。中井さんと話して取ったメモを一番よく見直し、論理が一本貫けるように気を付けながら、
少し手を伸ばすとすぐにぶれるので再三確認した。長い間「関係」の話をこねくりまわしていたのに、見方を変えて
自分の経験を書くようにした途端に「関係」がどこかにすっ飛んで論文中に一言も出てこなくなったのは笑えた。
中井さんにも言われたが、まだまだ今の自分には「関係」が無いから消えてしまったのだと思った。

卒論が終って、中井さんの力を借りれば自分はこのくらい頑張れるのかという気持ちと、燃え尽きるほどの全力は
まだまだ出せていないという気持ちがある。年が明けても自分が何をやっているのかわからず、最後の一週間でつめて、
文章にして、直して、とギリギリにギリギリの状態で、「もう卒業できない」と何度か思ったが、最終的には
なかなか面白く書けたと思う。論文としては稚拙だが、端から研究論文を書くつもりではなく、自分の問題意識から
起こる作品を書くような気持で取り組み、今回の目的は果たせた。その点では達成感がある。

4 この4カ月の自分に対する反省

 卒論期間は最後の最後まで、自分の詰めの甘さを思い知らされ続けた。私は「ウサギと亀」のウサギである。
小さい頃からずっと母に言われて来たのを、久しぶりに思い出し痛感した。直観でパッと閃いて、びゅんと進む
ことができると、そこでいったん休憩してしまう。ここまで行けたからと見通しが立つと油断し、すぐに休憩する。
そして休憩している間に閃きは薄れ、三歩進んで二歩下がるような効率で取り組むことになってしまう。
再開する時には閃いた時と同じスピードでは進めない。提出の一週間前、構成を考えている段階でまだ二万字の
一文字も書けていない時は、すべてがパーになる恐怖でここ数年で一番焦り追われるようにやっていたのが、
少し書けて先が見えてくるとすぐ焦りがなくなる自分に唖然とした。最後の一週間でも中だるみするとはなんて
やつだと思った。この中だるみがなくずっとエンジンがかかったままで取り組めたら、もっと良くなったと思う。
でも、これが自分の性格だ。それが以前よりはっきり自覚されたことは良かった。

最後の一週間、何回も自分の文章を反復していると、言葉の意味に脳が反応しなくなってただ字面を追うだけに
なったり、校正すら苦痛で読みたくなくなったりした。集中力が完全に切れて、余裕がないのに卒論が終わる
前から反省文を書いていた。やっている最中から反省点はたくさんあって、こういうところがダメで、ここを直したら
もっとよくなるとはわかっているのだが、これ以上できないという限界を感じた。中井さんに序論がよくなったと
言われたとき、直感的にこれよりもっとよくなるということだと思ったが、やっていく中で今の自分にはここまでしか
出来ないと思った。今の自分はここまでやることができ、この先もっとよくなれることもわかるが、
今はこれ以上できない。できないよりもやりたくないに近いかもしれない。頑張るということは限界を振り切ることだ
と思う。この程度でいいや、とは思わないが、今回はこれで勘弁してくださいという気持ちになった。

文章は今の自分の力がもろにすべて出て、恐ろしい。完成して大学に提出しに行く間、卒論が終わった解放感はなく、
これから先は全部この続きなのだと思った。そう思えるものが書けただけで、今回は大きな成果だと思う。
本気でやると言って、今の自分はどのくらいの本気が出せるのか、どのくらい頑張れて、どれほどのものが書けるのかが
わかった。ゼミのノートを見返していて、中井さんの話の中で出てきた、ニーチェの「血で書かれたものだけを評価する」
という言葉がメモしてあるのを見つけ、わたしの論文は血で書かれているだろうかと思いながら自分を鼓舞して取り組んだ。
血はまだまだでも、汗は滲んでいると自己評価したい。

1月21日にインターン先の地点という劇団の「ロミオとジュリエット」の上演を中井さんと見た。開演前に中井さんに
「ロミジュリの戯曲を読んだが、私の卒論の延長のような、名前とか言葉の話だと思った」と言ったら、
「卒論のあとでは、この先何を見てもそう思う」と言われた。何を見ても一つの問いに回収されていく、
それがその人の立場なのではないかと思う。今回卒論を書いて、立場の根が作れたと思う。
タイトルが「ロミオとジュリエット」だというだけで私にはグッとくるものがある。表象の世界と、真如の世界。
私たちが生きているのは表象の世界だが、この世界を離れたどこかに真如の世界があるのではなくて、二つは一つの
世界の側面なのだ。だから、表象の世界からも真如の世界が見え隠れする。人間の相互理解が不完全で、理解の限界に
気が付く以上、完全な理解というものがあって、それは真如の世界に存する。人間の認識は正しい、世界の表象も正しい、
というのではなく、人間の認識なんて常に誤解ばかりでどうしようもない、分別し執着しているだけだという方が
私には実感をもって感じられる。だからロミオとジュリエットの二人も、二人のロマンスも、分別された執着でしかない。
しかし、分別することによって、互いは見出される。それこそが現実世界のすべてのきっかけで、その中に汚染も
清浄もすべてがあるのだと思う。喜びも苦しみも何もかも一切が表象となったから見出された、そのことを思うと
生きているという感じがする。

何はともあれ、卒論を書いて本当に良かった。卒論を本気でやることは、自分でやりたくて始めたことではなく、
中井さんという外からの提案であったので、自分が突き動かされるような感覚に乏しかったり、何をやっているのか
分からなくなったりした。しかし、提出した今、自分の問題意識が以前より確実に深まったのを感じるし、
『摂大乗論』を選んだことは正解だったと思う。卒論を雑にやって演劇の勉強をするのは、ただ教科書的な知識を
増やすだけになっていたのではないだろうか。問題意識がより深まった今、演劇について考えるのとは身になる
ものが全く異なるだろう。卒論は今後の指針にして、いつでもそこに戻って来、より自己理解を深め、反省する
ものにしていきたい。これから先の原点となるものが作れたのではないかと思っている。

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