7月 07

梅棹忠夫の「妻無用論」「母という名のきり札」を久しぶりに読み直しました。
女性の自立の問題を考えるためです。

これと併せて、松田道雄著『新しい家庭像を求めて』の読書会も開催しました。

本日は梅棹忠夫の「妻無用論」「母という名のきり札」について私見を述べ、
明日は、松田道雄著『新しい家庭像を求めて』の読書会の報告をします。

■ 目次 ■

1.先見性と一面性  梅棹忠夫の「妻無用論」「母という名のきり札」について
 中井浩一

(1)梅棹忠夫の問題提起
(2)妻という生き方、母という生き方
(3)梅棹の一面性
(4)人類学の意義と限界

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1.先見性と一面性  梅棹忠夫の「妻無用論」「母という名のきり札」について
  中井浩一

(1)梅棹忠夫の問題提起

梅棹忠夫の「妻無用論」「母という名のきり札」(『女と文明』中公叢書に収録)は1959年に発表された。
この1959年は、55年頃から始まった高度経済成長により「主婦」層が急増していた時期だった。
この論考は発表されるやいなや、一大論争を巻き起こす。それは約10年ほど続く大論争の火付け役をになったのだ。
これらは後に「主婦論争」として本にまとめられている(『主婦論争を読む』上野 千鶴子編著、勁草書房1982など)。

梅棹のねらいは、問題提起をすることそれ自体にあったろうから、それは大成功だったことになる。
彼はまさに問題の核心を突いたのだ。そしてそれは、今も解決できないままに残されている。

今回、この2つの論考を読み直し、考えたことをまとめる。

(2)妻という生き方、母という生き方

梅棹は、妻という生き方、母という生き方に問題提起をしている。
夫のみが直接に社会で生産労働を担い収入を得て、
妻は家庭に引きこもり家事労働、子育てを専門とする。
これでいいのだろうか。

近代以降、家事はどんどん産業化、機械化されてきたが、
高度経済成長下で家事の電化によって妻たちの負担は大幅に軽減された。
主婦たちに余暇が生まれ、主婦たちの「生きがい」が問題になる段階になった。
そこで梅棹の問題提起は威力を発揮した。

主婦の多くは余剰エネルギーを育児に振り向け、
過保護や母子一体化が進んでいる。
その結果、自分の人生の目的や計画は持たず、
子どもの人生がそのまま自分の人生であるような生き方に陥ることが多い。

女性が妻や母のポジションに埋没するのではなく、
人間として充実した生き方をするにはどうしたらよいのか。

梅棹の答えはこうだ。
「女自身が、男を媒介としないで、自分自身が直接に何らかの生産活動に参加することだ。
女自身が、男と同じように、ひとつの社会的な職業を持つほかない」。

(3)梅棹の一面性

梅棹による妻や母の問題の指摘は、すべてもっともだ。
だからこそ、大きな衝撃力をもったのだろう。

しかし、この女性の問題は、基本的には男女の社会的な「分業」にともなうものだ。
すべての分業は一面性や、視野の狭さ、ゆがみなどを必然的に生み出す。
それは女性側だけのことではない。
男性側にも大きな欠落を生みだしている。
ところが、梅棹は男性側の問題を語らない。これではあまりにも、一面的ではないだろうか。

男は社会で生産労働を担い、女は家庭で家事労働や子育てを専門とする。
こうした分業は、そもそもなぜ行われたのだろうか。

梅棹は、そうした分業が行われるサラリーマン家庭を江戸時代の武士の系譜の延長に見ているが、
それは現象面での類似でしかない。
この分業システムは武士云々とは無関係に、
近代社会、資本主義社会に必然的なことでしかない。
賃金労働(これがサラリーマン化)が普遍化すれば、世界中のどこでも同じことが起こる。
それは近代化、工業化の必然的な結果でしかない。

分業はその社会の生産力を高めるために行われる。
男女の分業、そして社会的生産の場(会社)と家庭の分業も、そのために行われるものだ。
日本では、この男女の分業システムは、高度経済成長下で完成した。
「専業主婦」の在り方が一般的になったのだ。

男性はほとんど家庭にいない状態になり、家庭の仕事は全部が女性に託されるようになる。
男性は、サラリーマンとして企業に埋没して生きる。「会社人間」「モーレツ社員」「企業戦士」。
家庭を顧みる余裕はなく、親子の時間も夫婦の時間もなくなった。
女性が、妻として母としてしか生きておらず、人間として生きていない、との梅棹の批判は正しいが、
男性もまた「会社人間」としてしか生きておらず、人間として生きていないのではないか。

女性の問題と男性の問題は1つの問題の裏表である。
したがって、この女性たちの問題は、
女性が男性と同じように外で働くこと、男性と同じことをするだけでは解決されない。
「会社人間」「モーレツ社員」「企業戦士」が増えるだけのことだ。

こうした完全分業制は、生産力を飛躍的に高めることに成功したし、生産性が上がる限り続く。
しかし、そこには自己矛盾があり、その成功ゆえに崩壊していく面を持つ。
日本は高度経済成長で豊かになった。家庭には家電製品があふれ、家事の負担は大幅に軽減される。
その時、女性たちには時間的余裕が生まれ、改めて「生きがい」が問題となってくる。

工業化は公害を生み、環境保護が初めて意識される段階が現れる。
高度経済成長も終わりを迎える。
女性と同じことが「モーレツ社員」「企業戦士」たちにも起こる。
彼らも改めて「生きがい」の問題に直面したのだ。
その時、そこに「空虚さ」しか見いだせない人たちが大量に現れた。

梅棹の予言はまさに的中した。
しかし、それは現実の半分だけだ。
男性側の問題がそこには完全に抜け落ちていた。

(4)人類学の意義と限界

改めて、梅棹の先見性と、その一面性を考えたい。

梅棹の先見性はどこから生まれたのか。
梅棹は「社会人類学」や「文化人類学」を仰々しくふりかざしているが、
それはサラリーマンと武士との現象的類似を指摘するレベルのものでしかない。
この専業主婦の問題は、本来は、近代化や資本主義経済の基本的な枠組みからのみ理解できることなのだ。

しかし、経済学や政治学の研究者、社会主義運動の理論家や実践家からは
梅棹のような問題提起が生まれなかったのも事実である。
彼らには主婦や母たちの問題が見えていなかったのだ。

梅棹のように、世界中の民族を比較研究する中で、
家庭や女性や結婚のありかたを比較研究する視点からしか、
女性の問題は見えなかった。
男性社会であり、工業化社会であり、
その中に埋没して生きている限り、それを超える視点は持てないからだろう。
そこに梅棹の先見性があった。

しかし、一方で、近代化や資本主義経済の理解が不足している梅棹には、
男性側の問題の指摘はできなかった。
しかし、それこそが問題の中の問題、核心的問題だったはずだ。

「女自身が、男を媒介としないで、自分自身が直接に何らかの生産活動に参加することだ。
女自身が、男と同じように、ひとつの社会的な職業を持つほかない」

これでは何も問題は解決しない。そのことを、今、私たちは知っている。

                          (2015年7月5日)

7月 06

『資源の循環利用とはなにか』細田 衛士 (著)の読書会の報告

5月24日(日曜日)の読書会では、『資源の循環利用とはなにか──バッズをグッズに変える新しい経済システム』細田 衛士著(岩波書店2015/2/14)を読みました。

環境保護運動は一面的なものになりやすいようです。
「エコおばさん」たちの言動におかしなものを感じることも多いですね。それは物事の現象面しか見ていない視野の狭さ、コストを無視した非現実的な発想、自分の正しさを疑わない独善的な振る舞いなどが、気になるからでしょう。
本書も、ある意味では環境問題を考えた本です。しかし、国内の、そして全世界における産業構造から経済学的に考えています。物事の両面性や、コスト面を含みこんだシビアで現実的な対策を出しています。

工業化社会では、資源(原料)から製品(商品)を生産する過程が中心に考えられてきました(これを本書では「動脈経済」と呼びます)。製品を生産し、それを商品として売るまでだけが意識され、それが消費されて捨てられる過程は無視・軽視されてきたのです。

実は、生産過程ですでに大量の廃棄物が生まれています。それを無視すれば「公害」として跳ね返ってくることは学びました。今では、生産過程や消費過程で発生する大量の廃棄物、その回収と処理、リサイクルが問題になっています(これを本書では「静脈経済」と呼びます)。しかし生産過程(「動脈経済」)と、「静脈経済」を一体のものとしてはとらえられませんでした。本書は、それを一体としてとらえようとするものです(75ページの図を参照してください)。その結果、新たにたくさんの課題が見えてきます。

当日に発表したレジュメと参加者のコメントをもとに、私見を以下にまとめました。

■ 目次 ■

資源の循環利用には、発展的な理解が必要だ 中井浩一

1.本書全体として
(1)経済の大きな転換点についての根本的な考察がある。
(2)欠点は発展的な考えと対策を求めながら、著者自身にその自覚も能力も不足していること  
(3)読者対象
(4)用語に問題が多い
2.全体と2章の構成への代案
3.大きな問題
(1)発展という見方
(2)経済(自由経済=市場経済)と法との関係
(3)日本の環境保護運動の問題 7章
(4)ナショナリズムと先進国と後進国の対立(いわゆる南北問題)をどう考えるか  
(5)人間の心理、感覚、感情の位置づけ
(6)本書の問題は、3・11後の福島の原発事故で端的に示された。
(7)EUの認証制度は重要  

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資源の循環利用には、発展的な理解が必要だ 中井浩一

1.本書全体として

(1)経済の大きな転換点についての根本的な考察がある。

1.経済の大きな転換点

20世紀までの経済と21世紀以降の経済が大きな転換点にあることがわかる。
本書はそれを「資源(原料)」という観点から述べている。

2.「全体」的で「発展」的な見方 根源的な考察がある。

現実の厳しさに押されて、事実上、発展的な見方に追い込まれる
     それがすぐれた成果を生んでいる
     「潜在的な資源を顕在化する」がテーゼ
資源の「始まり」から「終わり」までの全体を1つの円環構造としてとらえる。
     これは「発展」的な見方そのもの。また、そうでなければ、それは不可能。
そうした段階にまで、人類の経済が発展したとも言える。
     「業界の思いを救いあげていく」(225ページ)

3.この考えは単なるモノに限られず、文化まで広げて考えられる

      だから、本書は「地域資源」経営とも結びつく。
「地域資源」経営は、本来はこのレベルに立たないと解決ができないだろう。

4.新たな分野の開拓者として、問題提起が多い

(新たな事実の提示と問題と政策)
      「問い」の重要さ(21ページ)

(2)欠点は発展的な考えと対策を求めながら、
著者自身にその自覚も能力も不足していること

    特に構成と展開のひどさ 読みにくく、わかりにくい。
細田は展開をきちんと考えられていない。
総論と各論、本質と現象、理論と実践、一般論と具体論、本質論と戦術論
の区別が弱く、ぐちゃぐちゃになっている。

特に2章の内部がひどく、全体もひどい
彼自身が、第1部、第2部、第3部の構成を説明しているが(序章の22ページ)、
そのようにはなっていない。
いろいろな章で、前に出てきた話が何度も繰り返されるのは、構成が悪いから。
  

(3)読者対象

細田は専門家を相手に語ることはできても、普通の人を相手にできない
本書の読者対象は、業界と行政ではないか(行政と一緒に研究している人)
市民たち、消費者、主婦たちの役割が書かれていない

(4)用語に問題が多い
 
あいまいだったり、わかりにくかったり、御都合主義だったり
    これは細田というより、学会全体の通弊。
「トレードオフ」とは「矛盾」のこと。そう言えない。
「二重の資源問題」(6ページ)
「希少性」(37ページ) なぜ交換価値でだめなのか
「情報の非対称」(44ページ)
  「インフォーマル」→ヤクザ、ブラック企業

                                           

2.全体と2章の構成への代案

全体を以下の様に展開したら、読みやすく理解しやすいと思う。

(1)動脈経済と静脈経済 (2章)
75ページの図から始める。6ページの図はわかりにくい
この図の上の動脈経済と下の静脈経済の関係を説明(73?75ページ)することからすべてを始める

(2)経済の新たな発展段階と、要請される新たな経済学 (2章)
従来の経済学と政策は動脈経済しか考えていなかった。
現在では静脈経済をも視野に入れて、全体を考えないといけない発展段階になった。
  
   2章の社会主義批判や「格差」への言及部分は不十分だと思う。
工業化の過程で、資本家と賃金労働者の対立が激化すると社会主義が生まれた。
衣食住の基本部分の工業化の段階までは社会主義が有効だった。
しかしそれを越えて、付加価値が重要になった段階で、社会主義は敗北した。

(3)静脈問題の本質 (3章、4章の4)
1.静脈問題の顕在化
1.1先進国で60年代から70年代に、公害や汚染への対策が必須になった
1.2その後、潜在的な資源であることが意識されるようになった。
   2.現在は、グローバル化の流れの中で、
先進国と後進国でこの資源をめぐる葛藤がある。
2.1先進国を後追いする後進国
2.2先進国のリサイクル資源を資源とする後進国

(4)静脈問題の対策の歴史と現状とその課題
日本 (3章の1、7章、8章)
アメリカ (7章、8章)
EU (7章、8章)

(5)日本は今後どうすべきか (8章、9章)

                                           

3.大きな問題

(1)発展という見方 特に6章の3

1.an sich をfeur sich にしていくのが資源経営(78ページ)
     これだけでは不十分
2.「始まり」から「終わり」までを見通した経営を、強く打ち出すべき
全体が循環する ヘーゲルの円環運動 「発展」。ヘーゲルの「総体性」
「終わり」の自覚はある。 「最終処分場」(6章193)に言及している
「成熟化」(8章)とは発展のこと
マテリアルリース 272ページ、EU「資源効率性」273ページは重要
3.全体の関係性がオープンで透明になっていることが重要
「公開」と「説明責任」が必要なのだ
4.「縦割り」行政の弊害 (202,3ページ、125ページ)
行政はもちろんだが、業界団体も同じ。

(2)経済(自由経済=市場経済)と法との関係

1.ヘーゲルの『法の哲学』のような理解が重要
     事実どうなっているか、その中の理念の運動を見抜いていく。
2.「自由か規制か」が問題なのではない
     ここを細田は、よく押さえていると思う。
細田の言いたいことをまとめると以下になるだろう。
     市場が失敗するから、市場が機能するために調整機能(市場に対する制限)を市場自身が求めており、それが可能なのは「政府」しかない。
 
目的(課題)とその手段(解決策)(104ページ)が問題なだけ
「規制緩和」のあいまいさ(127ページ)
「強化」だけではだめ(104ページ)
アメとムチ(促進策と規制策)(141ページ)
3.「誰が」全体を管理するのか 274,276ページ
     国家か、行政か? 
ソフトローが重要 業界団体、市民たちの参加が必須
4.小型家電のケースは面白い
     ヨーロッパの「認証」制度の意味

(3)日本の環境保護運動の問題 7章
1.問題
1.1市場、経済合理性の無視 資本主義の威力の無視
1.2潔癖症、完璧主義、自他の区別なし、日本人の「きまじめ」 
正義が暴力になる
一部の「正義面したエコおばさんたち」のバカさ加減を的確に突いている
2.この2つが「原発」への日本の対応の失敗になった
3.「学習」が組み込まれない運動は堕落する
運動の中心には、常に学習があるべき
4.ビジネスを目指すべき 「ソーシャルビジネス」という名の甘えもあるのでは
5.EUとアメリカと日本の違いは何に由来するのか 8章
唯物史観からどう理解したらよいのか

(4)ナショナリズムと先進国と後進国の対立(いわゆる南北問題)をどう考えるか
   みなが豊かな生活をおくれるようになることを、大きな方向性として考えるべき。
本当の問題は先進国のデフレ 先進国で成長そのものができなくなったこと

(5)人間の心理、感覚、感情の位置づけ
「きたない」のは嫌だ、見たくない、は生理的な反応(117ページでは言及)。
このことをどうとらえるか。

(6)本書の問題は、3・11後の福島の原発事故で端的に示された。
本書は、具体例としてこの問題に触れるべきでは?

(7)EUの認証制度は重要
    基本的には市場にまかせつつ、国民の自発的で自覚的な選択をうながすことで、
問題を解決しようとする。

10月 08

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ (その5) 中井 浩一

■ 目次 ■

第3節 高度経済成長と今西の仲間たち
4.大衆社会の到来
5.時代の代弁者たち
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第3節 高度経済成長と今西の仲間たち

4.大衆社会の到来

 しかし、桑原や梅棹らを含めた今西たちのグループが、
大学や学会全体の中で主流になったわけではない。
ただ、高度経済成長下の大衆から圧倒的に支持された。
アカデミズムからは煙たがれたが、財界人や政治家たちからも強く支持された。
こうした現象をどう考えたらよいのだろうか。

それは大衆文化の勃興、大衆消費社会の到来を意味する。
高度経済成長下で小金持ちとなった「中流」社会の大衆は、
文化的にも高いレベルでの「面白い」読み物を求めるようになった。

すべてが商品として現れる時代、衣食住レベルだけではなく、
文化的生活のレベルまで、上級の知識や学問までが商品化される時代に
入ったのだ。

そこでは小難しい理屈を振り回し、「専門用語」でしか
語れない文化人は不要だ。市井の言葉で、総合的な視点でものを言える
研究者が求められるようになった。
他人の言葉ではなく、オリジナルな自前の言葉で語れる研究者が。

桑原や梅棹らは、その流れを確実に読んでいた。そしてその流れに乗って、
それを拡充しようとしたのが彼らだ。「文化」が商品になり、
それが売れる時代が来る。それが彼らに分かったのはなぜか。
それをわかる感覚が、彼ら京都の文化人にはあるからだろう。
彼らの先祖は町衆であり、武士階級出身の文化人とは違い、
時代を見抜く目と商才があるのだ。「商才」をバカにすることなく、
そこに文化的能力を正当に評価できるのだ。
それが彼らの学問を他と違うものにしている。

5.時代の代弁者たち

 なぜ彼らに対して、大衆や財界や政界の一部からの熱い支持があったのか。
それは彼らが時代の代弁者、伴走者だったからだ。彼らの学問には、
敗戦後の復興をささえた大衆への励まし、勇気づけがあったのだ。
自信を失った彼らに日本人の誇りを回復させ、もう一度復興に向けて
立ち上がる勇気や覚悟を促すような力があった。

 敗戦は明治維新後に匹敵する日本の危機だった。敗戦ですべての権威が崩壊し、
空虚さが覆い尽くした。アメリカ占領軍の近代化方針は、日本に外から
押しつけられたもので、国民の内発的で自発的なものではない。
明治の夏目漱石が直面した危機的精神状況がそこにあった。

その時、いくつかの光を放ったグループがあったが、その1つが今西たち
だったのだろう。彼らは、近代文明と伝統の両面をかかえもっていた。
彼らには、日本人の誇り、日本人の原点 京都文化の誇りがあった。
失われた濃密な師弟関係 友情関係と師弟関係があった。

そして彼らはまさに日本の高度経済成長を代弁したのではないか。
彼らの中で、高度経済成長そのものに言及した人はいない。
直接にそれに関わった人もいない。しかし、事実上、また結果的に、
日本の戦後の方針や高度経済成長を擁護し、支援してきた。

今西の「棲み分け理論」は、日本が敗戦後に軍備をアメリカに任せ、
ひたすら経済活動にまい進したことを擁護するだろう。
結果的にこの「棲み分け」が大成功だった。

梅棹忠夫の「文明の生態史観」はヨーロッパと日本の文明としての
同一性を強調し、日本の戦後の復興を当然のこととした。そして
自らその企画に参加した万博は、戦後、高度経済成長を成し遂げ
アメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つ
イベントとして開催された。

彼らは時代が求めるものを提供し、その見返りを得た。そう言えるだろう。
しかし彼らにできなかったことも、今日では明らかである。
彼らは時代の代弁者、伴走者であり、さらには時代をリードしたが、
時代を根底から批判し、それを越える観点を出すことはできなかった。
それは彼らの学問が、絶対的レベルでは低いものだったからではないか。

今西の理論的な不十分さは、彼らのグループ全体において言えることである。
共同討議や共同研究には明確な限界がある。そのレベルは討議のメンバー中の
最高者のレベルに規定され、それを超えることはできないということだ。

今西の「棲み分け理論」のように、日本は軍備をアメリカに任せ、
ひたすら経済活動にまい進した。しかしその成果が出た今、
そのつけが回ってきている。
中国や韓国との歴史認識問題の解決が見いだせない。

梅棹が関わった日本万国博覧会のテーマは「人類の進歩と調和」だった。
しかし「進歩」は必ず対立・矛盾を激化する。それを解決するのは
「調和」ではない。梅棹は『世界の歴史』河出書房版の最終巻『人類の未来』も、
ついに完成させることができずに終わる。
これは根本的に、梅棹が「発展とは何か」に回答を出せなかったということだ。

こうした彼らの未解決に終わったすべては、今を生きる私たちの課題である。
私たちはそれを引き受けて、その先に行かなければならない。

                          2014年7月2日

10月 07

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ (その4) 中井 浩一

■ 目次 ■

第3節 高度経済成長と今西の仲間たち
1.逆転
2.桑原武夫の功績
3.文明論の大家・梅棹忠夫
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第3節 高度経済成長と今西の仲間たち

1.逆転

 第2節では、今西理論の根源性とその限界の両面を見た。
私は今西の限界も指摘するが、それは絶対的基準から言うのであって、
今西が当時の世界基準において屹立した生物学者であったことは間違いがなく、
今回、本書を読むことで、その巨大さ、重厚さから学ぶものが多かった。

それにしても驚くのは、当時の日本で、ここまでの巨人がいたことだ。
そうした突出した研究者は、当時の学界にあっては孤立し異端的な
位置にいた。傍系とされ、無視されていたのだろう。

しかし敗戦後、逆転が起こる。すべてが灰燼に帰した中からの
日本社会の復興と高度経済成長の中で、傍流だった今西や今西グループは
脚光を浴びる。今西および彼の門下生たちは、戦後の日本の学術調査や
研究はもちろんのこと、さらに広くマスコミやジャーナリズムの分野でも
大活躍をした。今西は岐阜大の学長になり、1979年には文化勲章を受賞している。

こうした逆転を端的に示すのが、『生物の世界』だ。
その最初の刊行から30年後に講談社文庫として刊行されたのが
1972年。そして今もそのまま文庫で入手できる。
私が読書会のために購入した文庫本の奥付には
2010年12月1日印刷で第26刷とある。
こうした学術的な内容の本で、これほどのロングセラーは
他に存在しないのではないか。
いったい何があったのだろうか。

2.桑原武夫の功績

 もちろん、今西の学問の巨大さ、根源性、その真っ当さがあった。
それは大前提である。しかし、それゆえに異端で傍系とされていたのでは
なかったか。それが中央に躍り出たのはなぜだったのか。

それには、戦後の時代の大きな転換と、その流れを的確にとらえて
それをリードした人間が、今西グループにいたということが大きかった
のではないか。

その役割を果たしたのは、桑原武夫と梅棹忠夫である。

桑原武夫(1904年?1988年)は戦後、京都を中心とする学者たちの
中心的存在として、戦後のさまざまな社会問題や文化的問題への
発言で、主導的な役割を担った。

桑原は今西の親友であり、ともに京都の山岳会を作り上げた盟友
でもある。その登山の方面では、戦後の1958年に京都大学学士山岳会の
隊長として、パキスタンのチョゴリザへの登頂を成功に導いている。

 学者としては、共同研究という画期的なシステムの開発し、
実現したことが大きい。京大人文科学研究所(人文研)の所長として、
さまざまの分野の研究者を組織することにより、総合的な広がりを
持った研究を実行し、多くの実績を残した。その中に、
『フランス百科全書の研究』『ルソー研究』(1951年、毎日出版文化賞)
などがある。

 これは従来のアカデミズムの方法を打破する画期的なもので、
文系も理系もすべてを総合して学際的な学問をめざすものとなっている。
この共同研究の方法は明らかに、今西グループの登山や探検の活動方式
から必然的に出てくるものだろう。

桑原のすごさは、この共同研究者に多様な分野から、その所属に
関わりなく逸材を招集したことだ。梅棹忠夫、梅原猛、上山春平、
鶴見俊輔、多田道太郎らがそうだが、こうして、人文研では
多様な分野の多重的なネットワークの構築に成功した。
そしてそのネットワークから、新たな試みが多数生まれていった。
たとえば、鶴見が作り上げた『思想の科学』という雑誌の同人には
梅棹忠夫らも参加している。

桑原の凄さは、こうした人文研のメンバーに今西までを取り込んで
いたことだ。無給講師だった今西は、1950年に人文研に
有給の講師として移動。65年の定年まで在籍。今西は研究所に
社会人類学の部門を創設し、梅棹忠夫、岩田慶治、中尾佐助、
上山春平、佐々木高明、谷泰、米山俊直らと共同研究を行なった。
伊谷純一郎、吉良竜夫らも時々参加したらしい。

桑原は学問の世界だけではなく、ジャーナリズムの方面でも
近代化をめぐる根本的問題提起を次々に行い、大論争を巻き起こして
いく。「第二芸術論」が典型だが、日本の前近代的なあり方を
独自の視点から批判するものが多く、そこでは、思想だけではなく
感性的な領域をも視野に入れていた。桑原は近代主義者だが、
同時に伝統主義者でもあり、共同研究や共同討議方式を可能に
したのは、京都の知的サロンの伝統だったはずだ。

また彼は出版ブームの火付け役でもある。岩波書店、中央公論社等の
出版社との連携も強く、『文学入門』、『日本の名著』など、
新書のベストセラーを生み出している。

3.文明論の大家・梅棹忠夫

 この桑原が開拓した方面をさらに発展させたのが梅棹忠夫
(1920年?2010年)だ。彼は、探検のチームメンバーとして
今西に徹底的にしごかれて育った研究者だ。今西と同じく
生態学が出発点であったが、動物社会学を経て民族学(文化人類学)、
比較文明論に研究の中心を移す。日本における文化人類学の
パイオニアであり、情報社会論や未来学などの梅棹文明学とも
称されるユニークな文明論を展開し、多方面に多くの影響を与えた。

今西のような巨人には多様な側面があり、それを多数の弟子筋が、
それぞれに分業的に引き継いでいくのだが、今西の根源性や射程の
広がりを受け継いだのは梅棹である。今西の研究が人類の誕生から
現代までを射程に入れているのに対して、梅棹はさらに現代から
未来までを視野に論理を展開しようとした。

梅棹は同時に、桑原の弟子でもあり、論争的な著作を数多く発表し、
それが時代に大きな影響を与えた。鶴見俊輔らと『思想の科学』の
同人としても活躍し、生活の中の思想を展開した。
1957年「女と文明」を書いて「妻無用論」を唱えた。
これが「主婦論争」の始まりとなった。

また共同討議方式の応用では、1961年から10年ほど、
新聞紙面上で日本社会の文化や歴史上で多数の問題提起を重ねた。
それらは『日本人の知恵』『新・国学談』『日本史のしくみ』など
として出版されてよく読まれた。

今西との調査隊で行ったモンゴルの遊牧民と家畜群の研究を基盤に、
生物地理学的な歴史観を示したのが『文明の生態史観』
(1957年に雑誌に発表。1967年に本としての刊行)。
西欧と日本が同じ生態系に属し、そこに日本が近代文明の
担い手になる使命があることを論じたもので、大きな反響を呼び
論争を巻き起こした。

1963年には『情報産業論』を発表。未来の「情報化社会」の在り方
からその課題まで、文明論的な観点から大きな見取り図を示した。
そもそも「情報産業」という言葉の名付け親は梅棹である。

また、フィールドワークや京大人文研での共同研究の過程で
開発された具体的方法論をまとめた『知的生産の技術』
(岩波新書 1969年)は爆発的に売れ、長くベストセラーとなった。

梅棹のすごさは、文明論的にみた時代の発展と現代の意味を、
自らの社会的活動で実際に生きてみせた点だろう。

こうした桑原や梅棹らの活躍の背後には、1960年代から
70年代にかけての全世界の大転換があった。
日本に「反乱」「反抗」の嵐が吹き荒れた時代だ。
学問が根源的に問い直されることになり、
従来の狭いアカデミズムを越えた学問が求められた。

生き方と1つになった学問、縦割りの「タコつぼ」ではない
総合的な学問、西欧の物まねではないオリジナルな学問、
わかりやすい言葉で語られる学問、そうした普遍的な魅力を持つ学問。

それが求められた時、今西らが脚光を浴びたのは当然だったろう。
今西たちは従来のダメな学問への代案として、大衆や学生らに
熱く支持された。私もその熱狂的な支持者の群れの中にいた。

そうした流れの中で、今西への評価の高まりと
『生物の世界』の復刻出版もあったのだ。

当時は文庫や新書だけではなく、シリーズ物のブームがあった。
『世界の歴史』『日本の歴史』『世界の文学』『日本の文学』
『世界の思想』『日本の思想』といったタイトルのものだ。
そして、そうした1つ、『世界の歴史』河出書房版25巻が、
桑原たち京大の人文研メンバーを中心として企画された。

その第1巻は今西担当の『人類の誕生』、
24巻『今日の世界』が桑原担当(「戦後の世界」というタイトルに変更)、
ラストの25巻が梅棹担当でなんと『人類の未来』。

シリーズは1968年に今西担当の『人類の誕生』からスタートしたが、
これがベストセラーとなり、今西は一躍時の人となる。

72年には30年ぶりに『生物の世界』の文庫版での復刻出版、
74年からは『今西錦司全集』の刊行も開始される。

こうした転換期の時代の流れに乗った彼らの頂点は、
1970年に大阪で開催された日本万国博覧会の開催と、
その後の国立民族学博物館を設立だった。
万博開催に当たっては、当時の若手の研究者、芸術家、
建築家たちが多数その企画段階から参加した。
そのグループの中心の一人が梅棹忠夫である。

梅棹は世界の民族の展示を担当し、それらの収集品を元にして、
1974年万博の跡地に国立民族学博物館を設立することに成功する。
初代館長は梅棹。今西が先鞭をつけ、梅棹が進めてきた民族学と
文化人類学と文明論や未来論の研究と展示の殿堂がここに完成する。
これが彼らの頂点だったのではないだろうか。

10月 06

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ (その3)   中井 浩一

■ 目次 ■

第2節 『生物の世界』から学ぶ
4.「支配階級」の交代
5.人類の誕生
6.相対主義への転落
7.仲間や師弟関係の問題

なお本稿での『生物の世界』からの引用は「 」で示し、
講談社文庫判のページ数を示した。
そこで強調したい個所には〈 〉をつけ、
中井が補った箇所は、〔 〕で示した。

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第2節 『生物の世界』から学ぶ
 
4.「支配階級」の交代

 さて、地球規模にまで生物の社会が拡大し、その世界が
一応完結した段階を見たならば、そこには支配と被支配の
複雑な構造ができあがっている。そしてすべての頂点に君臨する
生物が存在する。しかし、そこにも交代がある。
「1つの全体社会は、その発展の頂点に達したならば、
それはおそかれ早かれ自己解体を起し、その崩壊によって
今度は新たに別な特徴を持った全体社会が発展しはじめる」
(135ページ)。

この「発展の頂点における自己解体」といった考え方は
ヘーゲルやマルクスを思わせる。今西が使用する用語には、
経済学やマルクス主義の用語が多い。「分業」「階級」などの用語が
中心的な解明の箇所で使われる。生物の進化の過程、その
トップの交代も「支配階級」の交代として説明される。

例えば、恐竜の滅亡後の哺乳類の台頭について、
今西は次のように問いを立てる。
「この一躍時代の寵児となった哺乳類、このような偉大な
創造性を発揮した哺乳類というものは、そもそもどこから
現われてきたのであったか。爬虫類の時代には彼らは
どんな社会の隅に潜んでいたのであるか。そして
どうして他の動物ではなくて彼らが爬虫類を継ぐべき
支配階級となり得たのであるか」(140ページ)。

今西の回答はこうだ。
「哺乳類の時代を建設して行った哺乳類の先祖というものは、
どこから出て来たものでもない、実は爬虫類の時代に
すでにその爬虫類の社会自身のうちに〈胚胎されていた〉
ものと考えざるを得ないのである。つまり爬虫類の社会が
変革を経て哺乳類の社会へ変ったと見るから、そこに
〈断絶されたものがある〉ようにも思えるが、この変革を
通して爬虫類が哺乳類に変態したと見れば、それは
〈つづいている〉のである」(142ページ)。

この「胚胎」という用語や「発展の頂点における自己解体」と
いった語句が、いかにもヘーゲル的な内在的な発展観を想起させる。
生物の主体性を重んじる今西は、恐竜滅亡にも環境の側の問題よりも、
生物の側の理由を根本とする。それが「断続」と「継続」の
関係の説明にもなる。

「〔恐竜滅亡の〕原因はむしろ生物の側にあり、その全体社会の
自己完結性に内在していたものと見なさなければならない」。
この「自己完結性」に、今西は「生物の社会の平衡」や
「全体社会としての全体性」の根拠を見ようとする。

5.人類の誕生

 次いで哺乳類の台頭から人類の支配が説明される。

「中生代以後の歴史は要するに支配階級としての脊椎動物共同体の
興亡史でもあり、またその発達史でもある。人間は哺乳類共同体の
中から起り、哺乳類に代って一応は生物の社会の支配階級を占めた
ものであるといえる。それから後の歴史が正しく人間の歴史であろう」
(146ページ)。

そして「人間の次に世界を支配するものは何だろうか」と
問いを立て、次のように答える。
「恐らく人間の支配はまだまだつづくことだろうが、人間の発展にも
限度があると考えられてよいと思う。しかし心配しなくても今の人間に
代って立つべきものは ─もはや人間と呼ばれるべきもので
ないかも知れぬが─ 今の人間の中に〈胚胎〉されていなければならぬ。
〈今の人間の中から〉つくり出されねばならぬ。それが進化史の
教えるところである」(147ページ)。

先にも出てきた「胚胎」という用語が繰り返されているが、
ここに今西とヘーゲルの非常に近い関係がある。しかし
人間が登場する時点で、その違いも決定的になってくる。

今西は人間の次を今の人間に内在化されているとしか言えない。
進化の過程の最終ゴール、終局を示さない。生物進化の原因を、
「主体性」や「分業」の原理や「階級支配」の交代で説明しながら、
それによって究極的には何が達成できるのかを示せない。
端的に言って、人間とそれ以前の生物の違いが明示されず、
人間が生まれたことの意味を示せないのだ。

今西は生物の「自己完結性」を強調する。それは
「任意に他の階級と抗争を起し、他の階級を打ち敗かして
これに代ることのできぬ限定的な保守的な社会」(137ページ)
である。だから、恐竜の死滅の説明にしても
「もっとも可能性の少ないのは、次いで勃興するべき哺乳類との
生存競争の結果、爬虫類が知能的に破れたと考える説」だとし、
「生物の社会における階級としての同位複合社会は、
お互いの間を断絶によって結ばれた関係」だと説明する。

それほどに生物の「自己完結性」は強固なものなのだが、
その中で人間だけが外部に対しても、その内部でも
「任意に他の階級と抗争を起し、他の階級を打ち敗かして
これに代ること」ができるのだ。人間の特異性、異常性は
空前絶後である。
しかし、今西は人間と他の生物との違いの本質を示せない。

ヘーゲルはその違いを、自己意識の有無に見る。
自己意識とは自我であり、内的2分による思考を持つことになり、
それは自己内の葛藤、社会内部の闘争を必然にした。
これが他の生物との決定的な違いである。

また、人間が生まれたことの意味を、ヘーゲルならこう言うだろう。
「自然の真理が人間だ。この地球は自らの真実を実現するために、
その真実を認識し実践する可能性を持った人間を生んだのだ。
人間が生まれたのは必然だった。私たち人間の使命は
『地球の真理の実現』にある」。

地球の進化、発展は、次のような過程を経てきた。
地球(物)→生命。生命内でも、単細胞→植物→動物。
動物内では、魚類→両生類→爬虫類→哺乳類。
哺乳類内では、サル→霊長類→人間といった過程である。

この過程の中に、個々の偶然的な要素があったとしても、
基本的には人間が生まれるまでの過程は必然的な過程だった。
進化の過程は、最終的には人間を生むことで第1段階を終了する。

次の過程は、人間によるこの過程の意味の認識と、
その意味を実現する過程に移る。

人間が生まれたことは、第1段階のゴールであり、
それまでの進化の個々の過程とは決定的に違う。
霊長類から人間の発生は、一歩の違いだが、絶対的な違いである。

6.相対主義への転落

 こうしたことが今西にはわからない。それは今西や彼の弟子たちが、
霊長類の研究から人間社会を解明しようとしたことによく現れている。
今西たちは、チンパンジーなどの霊長類の社会から人間社会を考える。
また狩猟採集社会や遊牧民たちの社会の研究から現代人の社会構造を考える。
それは原理的に不可能だ。そのことがわからない。

マルクスが「人間の解剖はサルの解剖のための鍵である」と
述べたことは有名だが、今西たちは
「サルの解剖は人間の解剖のための鍵である」と言うのだ。
それはどこまで正しいのか。

一般に言って、発達した動物や社会は、未発展の段階の
動物や社会を考えるための大きな手がかりになる。
未発達の段階にあっては、その様々な要素のうちの
どれが将来につながる芽なのかは分からない。
しかし、発展した段階を知ってから過去を振り返るならば、
未発達の段階のどの要素が将来につながるものだったのかが明らかになる。

では、その逆はどうか。
ヒントにはなっても、解明にはつながらないだろう。
未来は過去の単純な延長上には存在しないからだ。
社会の発展は過去のそのままの延長ではなく、
必ず「否定」(今西の「断絶」)がつきもので、
しかもこの否定にこそ新たな展開、つまり真の発展の芽がある。

しかも「否定」(「断絶」)されうる点はたくさんあり、
そのどれが発展へとつながるものかは過去の時点だけでは
予測が難しい。

発展を考えるには、それが発展の芽かどうかを判断する客観的な
基準が必要である。しかし、今西はそれに明確には答えられない。
それは今西の発展観には曖昧な点があり、不徹底であることを意味する。

ヘーゲルの発展観は、「移行(違い=否定)の運動が、
本質に反省する運動になっているときに、それを発展という」
というものだ。
「本質」への深化が実現しているかどうかが決め手になる。
では本質とは何か。地球の真理とは何か。
それが研究されねばならない。
一元論も絶対的なものなら究極目的(地球の真理)を示さねばならない。
そうでないと、相対的な目的しか示せず、相対主義に転落する。
それは本来の一元論ではない。

今西は、相対主義に落ち込んでいるのではないか。
今西の考えでは「生物の多様性」「生態系の安定性(平衡性)」
「多種類の生物がこの地球上に繁栄する」といった曖昧な基準が
ゴールになりかねない。それは現代のエコロジー運動、
環境保護運動などに共通する弱点ではないか。

では、今西のダーウィンの進化論批判をどう評価するべきか。

「ダーウィンの進化論」を本書で取り上げている限りのものと
するならば、それへの反論としては、これで十分に有効だと思う。
それは機械論に対する目的論の優位性ということだ。
今西の優れた点は、地球の一元的な発展の立場に立ち、
それを基礎に置く目的論に立っていることだ。そこから見た時に、
機械論的な説明の欠陥は明確に見えてくる。

しかし今西にはダーウィンの進化論(自然淘汰説)の正しい面が
見えていないように思う。それはこの世界内や生物の世界内部の
対立や矛盾こそを進化を促す中心的な要因としてとらえている点であろう。

7.仲間や師弟関係の問題

 以上の今西の理解の不十分さは、その学問内容だけではなく、
研究集団のありかたの問題を論理的にとらえられないことにも出ている。
研究組織論や師弟関係論がないということだ。

人間社会に絶対的な矛盾と闘争があることを自覚すれば、
それはチームや師弟関係の中にも当然現れることになる。
そこにも下剋上の問題がある。弟子は師を追い抜くことで自立するが、
この過程で様々な葛藤が起こる。

世間でよくおこっている研究不正もここに根を持つ。
弟子の業績を奪うような教授の問題も、その逆もある。
その問題が今西にも起こっている。
例えば、梅棹忠夫の業績を今西が自分の物として
発表したことがあったようだ(梅棹自身がその不満を
述べていたが、今その出典が見つからない)。

なお、『生物の世界』(講談社文庫)で上山春平が執筆した
解説についても一言。
上山は京大人文研で今西の同僚で共同研究の仲間だったらしい
(第3節の「2.桑原武夫の功績」で触れる)。
しかし『生物の世界』での解説は、今西との正面からの対決を避け、
自分の専門の哲学的認識論の枠内でのみ発言している。
『生物の世界』の中で、認識論や世界観が描かれている
1章についてだけ詳しく解説して、その核心である4章(生物の世界の構造)、
5章(生物の進化)については賛否を言わず、当たり障りない範囲の
触れ方しかしていない。
これは今西の「棲み分け」理論の応用とも言えよう。
哲学にはコメントするが、生物学にはコメントしないという
棲み分けをしているからだ。

これは、上山が今西の賛美者としての役割に徹したともとれるが、
その批判者としての役割を放棄したことを意味する。
文庫の「解説」は初心者にわかりやすく説明する場で、
思想的対決をする場ではないと弁明するかもしれないが、
それは「逃げ」でしかない。

上山は、今西が西欧の物まねではない「自前の理論」を
作ったことを評価し、それを学んでほしいと解説で説教している。
それならば、今西の受け売りをするのではなく、今西を
きちんと批判することで、自らその範を示すべきだった。
それでこそ、本物の解説になっただろう。
こうした姿勢は、今西生前の全集の上山による解説
(5巻、10巻)でも同じだ。
それは自立した研究者のすることではないだろう。

しかし、こうした上山を批判せず、自らの取り巻きの一人として
置いておくのが、今西のやり方なのだ。
(今西死後の全集増補版の12巻の上山の解説には、
今西への厳しい言葉もあるが、「死後」であることに注意)