12月 05

アダム・スミス著『国富論』から学ぶ (その5)  中井 浩一

■ 目次 ■

第6節 国家の発生から近代国家が生まれるまで
(1)狩猟採取→牧畜→農業
(2)国家の発生
(3)産業構造の発展と王権の拡大
(4)近代国家の成立

なお本稿での『国富論』の該当個所や引用は中公文庫版による。
1巻の15ページなら【1?15】と表記した。

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第6節 国家の発生から近代国家が生まれるまで

 『国富論』の後半は重商主義批判がテーマだ。
その中心は海外の植民地問題であり、アメリカの独立問題だ。
ここから資本主義社会一般の問題ではなく、国家間の対立が前面に出ることになる。
ここでは、スミスが自分の依拠する重農主義を十分に消化(止揚)できないでいたために、混乱も多い。

 第3篇は、重農主義が正しく、重商主義が間違っていることを歴史的に示そうとしたものだ。
スミスは「資本主義の発展の、自然な経路と不自然な経路」と称し、
つまり農業生産力の増大からはじまる国内市場=農工分化の展開と、
外国貿易とそのための工業とが農業の発展に先行するばあいとを、対比させる。
そして一方では、自然な経路にしたがった北アメリカの経済的発展の急速さを強調し、
他方では、ヨーロッパの不自然な経済政策が経済的発展を阻止したことを指摘する。

これは重農主義に引きずられたバカげた主張だ。
発展段階の違うアメリカと西欧を比較するのが、そもそもおかしい。
アメリカは極めて特殊で、今まさに農業が本格的に始まった世界だ。
古い歴史の中で、今の段階を迎えている西欧と比較することには意味がないだろう。

 また第5篇も、国家の財政論であるにはちがいがないが、
第4篇の重商主義の破綻の説明の補強の意味があった。
そのために、正面から近代国家の本質を問う形になっていない。
そのために、第5篇は非常に欠落が多いものになっている。

近代国家を正面から論じたヘーゲルの『法の哲学』と比較すると、何が欠けているかがよくわかる。
立法、行政、司法の内、きちんと論じているのは司法だけなのだ。
行政組織、官僚組織の問題についてはゼロに近い(【3?60ページ以降、63ページ以降】に少し触れている)。
ヘーゲルは行政組織の問題をしっかりとらえている。

スミスは、近代国家そのものを問わなかったために、近代国家と支配階級の関連を問うこともできなかった。

スミスは本来は、『国富論』後半で「近代の国家とは何か」を正面から論ずるべきだったのだ。
西欧の歴史から、原初的な国家の発生、さらに近代国家が生まれるまでを産業構造の変化と関連付けて
説明すればよかった。そうすれば、その中に、重商主義、重農主義、スミス自身の理論の生まれた必然性を
説明できたはずだ。それができれば、第4篇ではよりわかりやすい説明ができたろう。

しかしである。
しかし、それにも関わらず、後半で、スミスは事実上は近代国家の成立過程を問題にしているのだ。
それがスミスの大きさだ。

第3編の論旨はバカげているものの、その内容は大いに面白かった。
自由都市が生まれた過程、王権の確立との関係、農業社会から商業、工業の社会への変遷など、
考えるべきことが多い。この第3篇や第5篇の一部に、近代国家の成立を解き明かすための材料は
豊富に用意されている。それをもとに、整理し直してみたい。

近代国家の成立をテーマにすれば、本来の展開は次のようになるだろう。

(1)狩猟採取→牧畜→農業
  これはあらゆる箇所で触れられている
(2)国家の発生
  国家は「牧畜」の段階で富者を守るために生まれる
   5編1章の1節、2節
(3)産業構造の発展と王権の拡大
  農業→商工業→マニュフアクチャー(大工業への発展の芽)
   3編の都市と農村
(4)近代国家の成立
  これが明確に示されている箇所はない

ここで(2)と(3)に該当する内容から、学ぶべきことを整理しておく。

(2)国家の発生
農業段階ではなく、牧畜の段階で貧富の格差が拡大し、富者を守るために国家が生れた。
私は農業段階で国家が発生したと思っていた(そうした教育を受けた記憶がある)ので、
牧畜段階の高い評価に驚いた。アフリカ(現地人が牧畜段階)の植民地がアメリカの植民地
(現地人が狩猟採取段階)のように、簡単に西欧の支配に屈服しなかった理由として、
スミスが挙げていたのは、この観点だった。

国家の発生を、富者を守るためとするのはいい。しかし、では、なぜ富者を守るための国家が、
より多数の貧者を支配できたのだろうか。スミスは、富者を守れば小さな富者も守られるからだと言う。
「長いものにはまかれろ」の論理だ。ここは肝心な個所なので引用する。

 「富者は、いわゆるものごとの秩序というものを維持することに、必然的に関心をもつ。
それだけが、かれら自身の有利な立場を安全にたもってくれるからである。
少し富をもっている人々は団結して、たくさん富をもっている人々の財産所有を守る。
それは、たくさん富をもっている人々が団結して、少し富をもっている人々の財産所有を
守ってくれるようにするためである。
わずかの羊や牛しか飼っていない者はみな、自分たちの家畜の群れが安全なのは
多くの羊や牛を飼っている者の牛や羊の群れが安全だからであり、かれらの小さな権威が維持できるのは
多くの羊や牛を飼っている者のもっと大きな植皮が維持されているからであり、そして、
かれらよりも目下の者たちを自分たちに服従させておいてくれる権力を多くの羊や牛を飼っている者が
もっているのは、かれらが多くの羊や牛を飼っている者に服従していればこそだ、と感ずる。
かれらは一種の小貴族をなすのであり、
この小貴族は、かれらの小主権者たる多くの羊や牛を飼っている者の財産を守り、
その権威を支持することによって、小主権者もかれらの財産を守り、
かれらの権威を支持してくれるようにしたほうが得だ、と感ずる。
政府は、財産の安全のために設けられるかぎりでは、そのじつ、貧者にたいして富者を防衛するため、
あるいはいくらかの財産をもつ人々を、まったくの素寒貧にたいして防衛するために設けられるのである」
【3?39,40】。

マルクスが国家の死滅を目標にした理由がこれでわかるだろう。
しかし、マルクスがしっかり見ていなかったこともあるのではないか。
それは富者を守ることの社会全体にとっての意義である。
彼らこそは、社会の生産力を高め、全体の富のレベルをあげていた人々なのではないか。
らを守ることこそが、社会全体にとって正しい選択だったのではないか。
こうした観点をなくすと、貧しさの平等になり下がる。

(3)産業構造の発展と王権の拡大

[1] 領主(大土地所有者=農業経営者)の支配
領主の巨大で凶暴な力の前で、商工業者は「貧乏で卑賎」とされていた【2?34】

[2] 農業の真理が商工業
商工業者が力を持ち始める
・農業の生産力を直接に高めるのが職人【2?7】
 鍛冶屋、大工、車大工、鋤製造、石工、れんが積み、なめし皮、靴、仕立屋など
・農業のために市場拡大をするのが商人

 スミスは都市が農村にあたえる影響の中でもっとも重要なものとして以下をあげる。

「従来ほとんどつねに隣人とは戦闘状態にあり、領主にたいしては奴隷的従属状態におかれて
暮していた農村住民のあいだに、商業と製造業は徐々に秩序と善政をもたらした。」【2?53】。
また商工業者が農民に比較して理解力が上で、いかにずるがしこいかを説明する【1?405】。

これらの意味は、農業の真理が商工業だということではないだろうか。

[3] 王は、他の領主を抑えるために、都市や商工業者と結びつく。
 王は他の領主たちを押さえられなかった。
 封建制は無秩序から秩序への進展である【2?58】。これは王権が領主を抑えるためのものだったが、
機能しなかった。王も領主も、大土地所有者、つまり農業の人間であるから、王が他を圧倒するには、
商工業者の力が必要だったということだろう【2?38~40】。

逆に言えば、領主の中で、商工業と結ぶことができた領主だけが王になれた。 
ここでも、農業の真理が商工業だということが示されているのではないか。

[4] 都市が発展する
ルネサンスを生んだイタリアの自由都市などの発展【2?44】
 彼らの自由とは領主権力に対する自由であり、他に対してはギルドという閉鎖集団を作ることで、
むしろ自由の抑圧をした。この2面性を見ているのがスミス。
重商主義は彼らから生まれたものだと、スミスはとらえていたようだ。

[5] 都市の2つの起源【2?45~49。49ページの注】
一方に自由都市。これは遠隔地貿易と遠隔地貿易のための手工業が栄える。
それに対して、もう1つの都市の系譜をスミスが挙げている。それは内陸にある農村工業町だ。
スミスはこちらに、資本家の芽を見ているようだ。

私はこうした知識がなかったので、驚いた。スミスが指摘した「内陸にある農村工業町」という視点は
その後の経済学の中でどのように展開されたのだろうか。

[6] 近代国家の成立
王権は遠隔地貿易で栄える都市と結びつくことで、自分の勢力を高めようとした。
これが近代国家の成立になる。ここから重商主義が生まれる。

[7] 都市の自由が農村にも及ぶ
 農村にヨーマンという階層が生まれる【2?24】
当然ながら、ヨーマンは、商工業者より低くみなされていた【2?30】

この意味が重要だ。農村から生まれた都市、そこの自由や資本主義が、今度は逆に農業にまで及ぶ段階になった。
この逆移入から農業の意義の見直しが起こったのが重農主義ではないか。

[8] 近代国家と植民地政策と資本主義
王権と自由都市の商工業者が結び付き、遠隔地貿易に専念できる体制を作った
(このギルド的な思想の表現が重商主義)。これに対して、新興資本家たちの立場を代表して
「自由貿易主義」を打ち出したのがスミス。

 以上が、産業構造と王権の伸長と経済思想の関係である。
これらの材料はスミス自身の記述から持ってきたが、スミス自身はこうは理解していなかったようだ。

 スミスは重農主義から学ぼうとしたが、十分には消化できなかった。労働が富の源泉だという理解
(労働価値説)では一致し、再生産のための資本蓄積を視野に入れている点を学ぼうとした。ここまでは良い。

 問題は農業労働だけが生産的労働とする考えを、スミス自身の思想体系の中にどう位置づけるかだった。
商工業と農業の関係をどう考えるかだ。スミスにはこれがわからなかった。

農業の真理が商工業であり、その真理が大工業、さらにその真理が情報産業だと思う。
下位の産業は上位の産業に止揚される。しかし下位が根源であり、生きる上での基盤である。
「根源」とは、そこから始まるが、発展して最高点まで到達できなければならない。

こうした捉え方ができなかったために、スミスは第3篇での都市と農村についての理解で混乱した。
スミスは農業生産力の増大からはじまる国内市場=農工分化の展開が正しく、
外国貿易とそのための工業とが農業の発展に先行するのは間違いだとしている。
これは重農主義に引きずられたバカげた主張だ。発展段階の違うアメリカと西欧を比較するのが、
そもそもおかしいのだ。

また第2篇で資本投下の有効性を、農業、工業、商業(貿易の)の順としているのも、同じ間違いである。
商工業の発展によって成立した資本主義が、逆に農業を変えていく側面を見ていないのだ。
農村から生まれた都市、その自由や資本主義が、今度は逆に農業にまで及ぶ段階になった。
この逆転を見抜けなかったので、スミスは混乱したのではないか。

こうして生まれた近代国家を描いた第5篇では、有名な「国家の義務教育制度」も論じられているが、
それについては第5節の(1)で述べた。

12月 04

アダム・スミス著『国富論』から学ぶ (その4)  中井 浩一

■ 目次 ■

第4節 『国富論』の篇別構成
第5節 スミスの経済理論
(1)分業と交換
(2)「人間分子の関係、網目の法則」
(3)欲望の全肯定

なお本稿での『国富論』の該当個所や引用は中公文庫版による。
1巻の15ページなら【1?15】と表記した。

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第4節 『国富論』の篇別構成

 『国富論』の篇別構成を考える。
 『国富論』は5つの篇からなる。それは経済学の理論、歴史、政策からなり、
それらが統一的に書かれているとする理解が、ほぼ伝統となっているらしい。
経済理論とは第1篇と第2編であり、第1篇が、資本主義社会のいわば静態的把握、
第2篇がその動態的(再生産論的)把握。第3篇は経済史。経済政策論が第4篇と第5篇で、
第4篇が海外との関係に関する経済政策(あるいは経済学史的な政策批判)、第5篇が国家の財政政策。

        ┏ 静態的把握 第1篇
┏ 経済理論 ┫           
┃      ┗ 動態的把握 第2篇

┣ 経済学史 第3篇

┃     ┏ 海外での経済政策 第4篇   
┗ 経済政策 ┫                    
       ┗ 国家の財政政策 第5篇

 確かに、こうした説明はわかりやすいし、それなりの根拠もある。
しかし、こうした理解は表面的であり、スミスとの主体的闘いをしていない人のとらえかただ。
これではスミスのすぐれた点から学び、それを発展させられないだろう。

 前半の第1篇と第2編は資本主義社会の一般的な説明だが、
後半の第3篇から第5篇までは重商主義批判なのだと思う。

 第1篇と第2編が、資本主義社会の原理的解明にあてられているのは間違いない。
問題は2つの関係である。
第1篇が、資本主義社会のいわば静態的把握、第2篇がその動態的(再生産論的)把握と言えば、
一応の説明にはなるが、それは表面的なとらえ方でしかない。
なぜなら、この2つは十分に結びついてはおらず、ズレや矛盾やほころびが目立つからだ。

 読んだ印象では、第1篇は面白く、平易で、すばらしかった。第2編は、急に難しくなり、わかりにくくなる。
第1篇は、スミスの長い間考えてきた自論であり、スミスが十分につかみきっていた内容だが、
第2編は重農主義(ケネーら)から学んで、自分の不十分な点を補おうとしているものだ。

 私は関口存男の冠詞論を思い出した。彼は「不定冠詞」論ではのびのびと面白おかしく書いているのが、
「定冠詞」論では、息苦しく、ぎくしゃくしている。
それは定冠詞こそムズカシク、そこでこそ彼が闘っていた。
スミスにとって『国富論』を書いた時点では第1篇はよく理解できていた部分で、
第2篇ではまさに悪戦苦闘していたのだろう。

 スミスが実際に闘っていたのは、当時の重商主義だった。
それと闘う上で、自分自身の理論を補強するものとして重農主義をとらえていたが、
それを十分に消化するには至らなかったのだ。
スミスは、自説と重商主義と重農主義の3者の関係を、十分には整理できないままで終わっている。

 それが後半の第3篇から第5篇までの叙述にも影響している。この3つの篇の展開はわかりにくい。
スミスとしては、第1篇と第2篇で、資本主義社会の一般法則を説明したので、
次には彼の重商主義との闘いの現場に、読者を招待しようとしたのだと思う。それが第4篇である。
その中心がアメリカの独立運動への対応で、それが当時のイギリスにとっての最大の問題だった。
その危機は重商主義的な政策のためにもたらされたものだったから、
その徹底的な批判をし、それにスミスの代案を対置している。

 しかしスミスはいきなり重商主義批判を展開しない。
その前に、重商主義と重農主義(スミスの側)を、西欧社会での都市と農村との葛藤の歴史からとらえようとする。
それを第4篇への序章としてその前に置いたのが第3篇だ。
したがって第4篇では重農主義への言及はほとんどなく、もうしわけ程度に最終章に出すだけだ
(第2篇が重農主義に依拠したものだから第4篇では重農主義への言及が少ない、という中公文庫版の説明は表面的だ)。
第5篇は国家財政の問題を説明しているが、その観点こそが、スミスのアメリカ独立容認論の根拠だから、
第4篇の背景説明でもある。

 以上がこの5つの篇の関係である。つまり、大きく言えば、前半は資本主義社会の一般的説明で、
後半が重商主義批判なのだ。ただしそれを西欧社会の発展の総括として行おうとしている。
ここにスミスの大きさがある。

第5節 スミスの経済理論

 資本主義経済についてのスミスの一般理論は第1篇と第2篇に書かれている。

 第1篇はスミスの経済理論の核心だ。スミスにとって富とは生活必需品(消費財)であり、
富をもたらすのは労働である(労働価値説)。第1篇は、前半で生産の面を取り上げ、後半で分配の面を展開する。

 前半では、富を増やすには労働生産性を高めることが核心であり、そのためには交換と分業が増大する必要があり、
そのためには公正な市場原理が貫徹される必要があることが示される(1章から3章)。
つぎに貨幣論(4章)で商品の交換過程(利潤の実現過程)における貨幣の役割が説かれ、
労働価値論(5章から7章)で、商品の価値を決定するのが労働量で、それが労働時間で測れるとする。

 後半の8章以下では労働生産物の分配の面を展開し、
賃金労働者、資本家、大地主という当時の社会の3大階級への分配の姿が、
それぞれ賃金、利潤、地代の順に描かれる。

 第2篇では、資本主義社会の拡大再生産が可能になるには、生産的労働の比率が増大しなければならず、
そのためにはそれを雇用する資本の蓄積がおこなわれなければならないと主張する。
そしてその蓄積のために生産的労働と不生産的労働の区別をし、前者が蓄積を生むとする。
そして、資本投下の有効性を、農業、工業、商業(貿易の)の順とする。

 この順番には重農主義に引きずられたスミスの弱さが出ている(本稿の第6節で説明する)。
 
 この第1篇は、後にマルクスによって『資本論』第1巻で展開された内容だ。
私は第1篇を読んで、マルクスにとっての基本的な枠組みがすべて出ているのに驚いた。

 価値の2面性、つまり交換価値と使用価値の矛盾(4章。【1?51】)、
労働価値説(5章。【1?53?58】)、最低賃金は労働者とその家族の生活維持費(8章。【1?116】)。

 すべての商品の中で、労働力という商品だけが、使用価値と交換価値が一致しない。
この矛盾をマルクスがどう解決したかは第7節で述べる。

 第2篇は後に、『資本論』の第2巻、第3巻になる部分だ。
第2篇の1つの論点は、生産的労働と不生産的労働の対立(3章。【1?516?518】)だが、
これについては、マルクスが『剰余価値学説史』の4章で問題にしている。これも第7節で取り上げる。

(1)分業と交換

 スミスは労働生産性を高めるために交換と分業の増大の必要を説く。
ここに、全体を構造的立体的に把握するというスミスの能力が、いかんなく発揮されている。

 スミスの「分業」という考えは、工場内の分業だけではなく、社会的な分業までを考えており、
それは国際貿易の国際分業論までを含む。
分業は人々が分かれていくことだが、その分業が可能になるのは、
他方で、交換によって全世界が1つに結びついているからだ。この両面の深いつながりをスミスは理解している。

 「たとえば、農村の日雇労働者が着ている毛織物の上衣は、見た目には粗末であっても、
非常に多数の職人の結合労働の生産物なのである。この質素な生産物でさえ、それを完成するためには、
牧羊者、羊毛の選別工、梳毛工または擦毛工、染色工、あら梳き工、紡績工、織布工、縮絨工、仕上工、
その他多くの人たちがすべて、そのさまざまな技術を結合しなければならない。そればかりか、
これらの職人のうちのある者から、しばしばその国の非常に遠隔な地方に住んでいる他の職人たちのところへ
原料を輸送するのに、いったいどれほど多くの商人と運送人が従事しなければならなかったことであろうか!
染色工が使ったさまざまな薬剤(それは、しばしば世界の果ての地方からやってくるが)を寄せ集めるために、
どれだけ多くの商業と航海業が、またどれほど多くの造船工、水夫、製帆工、ロープ製造人が
その仕事に従事しなければならなかったことであろうか!」【1?21】。

 また分業は社会的生産力を高めるだけではなく、個人の能力向上をうながすこと。
この両者は1つであることも、把握している。

 「〔分業によって〕人はだれでも特定の職業に専念するように促される。
またその特定の業務にたいしてもっている才能や天分がなんであれ、
それを育成し完成させるように力づけられるのである。人それぞれの生れつきの才能の違いは、
われわれが気づいているよりも、実際はずっと小さい。天分の差異は、多くの場合、
分業の原因だというよりもむしろその結果なのである」【1?28】。

 分業の効用を説く一方で、分業の弊害、マイナス面についても強調しているのがスミスらしい。
分業による単純労働(賃金労働)が労働者(賃金労働者)を必ず堕落させるというのだ。

 「分業の発達とともに、労働で生活する人々の圧倒的部分、つまり国民大衆〔つまり、賃金労働者〕
のつく仕事は、少数の、しばしば一つか二つの〈ごく単純な作業〉に限定されてしまうようになる」。
すると「さまざまの困難を取り除く手だてを見つけようと、努めて理解力を働かせたり工夫を凝らしたり
する機会がない」。「こういうわけで、かれは自然にこうした努力をする習慣を失い、たいていは
神の創り給うた人間として〈なり下れるかぎり愚かになり、無知になる〉」。「淀んだようなかれの生活は
十年一日のごとく単調だから、自然に〈勇敢な精神〉も朽ちてしまい、そこで、不規則不安定で
〈冒険的な兵士の生活〉を嫌悪の眼で見るようになる。単調な生活は、かれの肉体的な活力さえも腐らせてしまい、
それまで仕込まれてきた仕事以外は、どんな仕事につこうと、元気よく辛抱づよく自分の力を振るうことが
できなくなってしまう。」【3?143,144】

 スミスは分業の問題として、賃労働者のことを「愚かで無知」になるといいながら、資本家は問題ないとする。

 「ある程度の地位や財産のある人たちが生涯の大部分を過ごす職業〔つまり資本家〕も、
庶民の職業のように単純で千篇一律のものではない。そのほとんどどれもが、極度に複雑で、
手よりは頭を使うといったものである。だから、こういう職業についている人々の理解力が、
〈使い方が足りないために呆けてくるなどということは、まずありえない〉」【3?146】。

 資本主義社会の生産力を支えるのは国民大衆であり、労働者としての彼らにとっての最低限の前提は
「読み書きそろばん」の能力である。スミスが国家による義務教育を推奨していることは有名だ。
それは貧民層には教育を受ける余裕がないことを考えてのものだ。
しかし、スミスは子ども時代の教育だけを考えているのではない。
その先の労働者としての生き方や教育が念頭にあるのだ。
スミスが問題にしているのは、最低限の「読み書きそろばん」の能力よりも、
「勇敢な精神」「冒険的な兵士」の能力、闘争心や野心や覇気だからだ。
したがって、スミスはそれが失われることを一番心配している。それが資本主義社会のエートスだからであろう。
その対極のあり方を、スミスは端的に「臆病」と呼ぶ。

 「臆病者、つまり自分の身を護ることも、仕返しすることもできないものは、明らかに、
人間としての特性の一番肝心な一面を欠いている」。「臆病にかならずふくまれている、
この種の精神的な不具、畸形、卑劣が国民大衆のあいだに拡がってゆくのを防ぐことは、
やはり政府のもっとも真剣な配慮に値しよう」【3?152】。

 しかし、スミスの視野からは資本家たちの堕落の可能性が全く抜け落ちていることがわかる。
スミスの時代にはまだ資本主義が未発達で、賃金労働者と資本家の対立はまだ顕在化していなかった。
資本主義が大きく発展すると、賃金労働者の搾取(剰余価値の収奪)の上にあぐらをかいて資本家自身も
「臆病」になっていく。それを告発するためには、もう一人の巨人マルクスを必要とした。マルクスは、
分業の弊害は賃金労働者にだけではなく、まさに資本家において現れることを示した。
そして、それゆえにマルクスは社会全体における「分業の止揚」を目標として掲げ、
賃金労働者階級の立場が資本家階級を止揚すると主張したのだった。

(2)「人間分子の関係、網目の法則」

 『国富論』で、分業と交換の関係の例に取り上げられた「毛織物の上着」。
これを読んで、私は『君たちはどう生きるか』の「人間分子の関係、網目の法則」の箇所を思い出す。

 『君たちはどう生きるか』は吉野源三郎が戦時中の中学生に向けて書いた不朽の名作。
タイトルから分かるように、これは人生読本だが、単なる道徳や倫理の本ではない。
倫理(人間の当為)を社会科学(対象の本質)と結び付けて説明する。
さらに社会科学や自然科学を少年たちの日常生活の中から説明していく。
この点で、この本は青少年が読むテキストとして模範的であり、
私も10年以上にわたって、鶏鳴学園のテキストとして使用してきた。
ちなみに、倫理と社会科学と結び付けるというのは、
存在のあり方(本質)が当為を決めるという立場であり、スミスと同じだ。

 この『君たちはどう生きるか』の3章では、主人公のコペル君がおじさんに大発見
「人間分子の関係、網目の法則」を報告する。コペル君は自分が赤ん坊のころに飲んでいた粉ミルクが
自分の手に入るまでの過程を思い浮かべて、そこにオーストラリアの「牧場や、牛や、土人や、
粉ミルクの大工場や、港や、汽船や、そのほか、あとからあとから、いろんなもの」を見出した。

 コペル君は粉ミルクが日本に来るまで、粉ミルクが日本に来てからの過程で
「数え切れないほど大勢の人とつながっている」ことを自覚し、おじさんに報告する。
「僕の考えでは、人間分子は、みんな、見たことも会ったこともない大勢の人と、知らないうちに、
網のようにつながっているのだと思います。それで、僕は、これを『人間分子の関係、網目の法則』
ということにしました」(岩波文庫版85ページから88ページ。以下同じ)。

 おじさんは、その大発見が実はすでに社会科学で研究されていることを説明する。
「ごくごく未開の時代から、人間はお互いに協同して働いたり、分業で手分けをして働いたり、
絶えずこの働きをつづけて来た。こればかりは、よすわけにいかないからね。ところで、
人間同志のこういう関係を、学者は〈生産関係〉と呼んでいるんだ」(90ページ)。
そしてこの生産関係の歴史的推移を説明することで、唯物史観の立場からの簡単な人類史を描いて見せる。

 「これはまさしく『資本論入門』ではないか」。文庫の解説で丸山真男はこう感嘆している。

 「資本論の入門書は、どんなによくできていても、資本論の入門書であるかぎりにおいて
どうしても資本論の構成をいわば不動の前提として、それをできるだけ平易な表現に書き直す
ことに落ち着きます。つま。資本論からの演繹です。ところが、『君たちは……』の場合は、
ちょうどその逆で、あくまでコペル君のごく身近にころがっている、ありふれた事物の観察と
その経験から出発し、『ありふれた』ように見えることが、いかにありふれた見聞の次元に属さない、
複雑な社会関係とその法則の具象化であるか、ということを1段1段と十四歳の少年に得心させてゆくわけです。
一個の商品のなかに、全生産関係がいわば『封じこめられ』ている、という命題からはじまる
資本論の著名な書き出しも、実質的には同じことを言おうとしております。
れどもとっくにおなじみの『知識』になっているつもりでいた、この書き出しを、こういう仕方で
かみくだいて叙べられると、私は、自分のこれまでの理解がいかに『書物的』であり、したがって、
もののじかの観察を通さないコトバのうえの知識にすぎなかったかを、
いまさらのように思い知らされました」(313ページ)。

 丸山は吉野の方法の核心を的確に分析し、解説している。しかし、『国富論』を読んだ我々は知っている。
このコペル君の大発見は、『国富論』中の「毛織物の上着」の例【1?21,22】のパクリであること。
したがって、「人間分子の関係、網目の法則」は何よりもまず『国富論入門』なのであり、
そしてそれゆえにまた『資本論入門』にもなっているのだということを。

 さて、吉野のすごさを認める点で、私は人後に落ちるものではない。
しかし、吉野の欠点を見逃すわけにはいかない。

 倫理と社会科学とを結び付けること、つまり存在のあり方(本質)が当為を決めるという立場である点で、
吉野とスミスと同じだ。スミスは倫理学の教師からその経歴を始めているぐらいだ。この両者の立場は
「存在が意識を規定する」という唯物弁証法のものである。しかし2人の違いの大きさも明らかだ。

 おじさんは「今日、世界の遠い国と国の住民同志が、どんなに深い関係になっているか」(93ページ)
という事実から、当為を引き出す。「人間は、人間同志、地球を包んでしまうような網目をつくりあげた
とはいえ、そのつながりは、まだまだ〈本当に人間らしい関係〉になっているとはいえない。だから、
これほど人類が進歩しながら、人間同志の〈争い〉が、いまだに絶えないんだ」(97ページ)。
そしてその「本当に人間らしい関係」とは親子の愛情のような無私なものだと説明する。

 つまり人と人との深い結びつきが存在するという事実から、「本当に人間らしい関係」
=親子の愛情のような無私なものという当為を導き出すのが吉野だ。

 これに対して、同じような事実からスタートしながら、スミスは欲望の全肯定に至る。
その観点から世界の発展を見ているスミスと比較すると、吉野は実に静的である。
また、吉野が理想社会を家庭に喩えることも一面的だ。ヘーゲルは『法の哲学』で、
家族から市民社会を導出し、さらにその矛盾対立から国家を導出した。
その動的な把握との違いは明らかだろう。家庭の問題は家庭レベルでは解決できない。

(3)欲望の全肯定

 スミスは人間の欲望を全面的に肯定したが、その真意は何か。
その主張を「自由主義」「自由放任主義」と呼ぶことは適切だろうか。

 『国富論』には、欲望と野望に燃えるビビッドな人間たちがうごめいている。
その彼らをスミスはまず肯定することから始める。スミスは欲望の全肯定の立場である。
これは彼の経済理論、つまり交換と分業に発展の原動力を見る立場からの必然的な帰結である。

 「文明社会では、人間はいつも多くの人たちの協力と援助を必要としている」
「だが、その助けを仲間の博愛心にのみ期待してみても無駄である。むしろそれよりも、
もしかれが、自分に有利となるように仲間の自愛心を刺激することができ、
そしてかれが仲間に求めていることを仲間がかれのためにすることが、仲間白身の利益にもなるのだ
ということを、仲問に示すことができるなら、そのほうがずっと目的を達しやすい」。
つまり「私の欲しいものをください、そうすればあなたの望むこれをあげましょう」と
提案すればよいのだ(【1?25,26】。

 人間の欲望を肯定できるのは、それが他者の欲望に応えること、
つまり社会的ニーズに対応して交換できることを絶対条件とするからだ。この仕組みがあるからこそ、
社会全体がコントロールされるとスミスは見ている。ここにあるのは経済上の原則である。
しかし、それだけではない。私たちが感ずるのは、スミスの人間への深い信頼感である。
スミスは人間を絶対的に信頼している。
だから「当事者の分別に任せるべき」【1?565】と言うし、
第4篇で「見えざる手」が出てくる【2?120】。
これはヘーゲルでは「理性の狡知」にあたるだろう。

 このスミスの立場は「楽天主義」「能天気」なものではない。
スミスの静かで冷静でリアルな全体的観察の凄み、その上での人間への絶対的信頼であることが、
説得力を生んでいる。スミスは「経済通」である前に、何よりも「人間通」なのだ。

 しかし、このスミスの考えを「自由主義」「自由放任」(この言葉は一度出てくるだけである。
【2?200】)主義といった言葉でどこまで正確に表現できているかは問題である。
むしろこの用語で混乱が起きているのではないか。
これは重商主義に対してスミスの考えを対置した際の標語に過ぎない。
それを文字通りに取るのは間違いである。

 スミスは欲望の全肯定の立場で、人間への絶対的信頼の立場でもある。
しかし、それはありのままの人間の肯定でもなく、現象しているままの欲望の肯定でもない。
それは「自由放任」ではない。
スミスが国民大衆に要請する、労働の義務や「勤勉」「節約」は、いわゆる「自由」ではあるまい。
もし本当に自由放任でいいならば、そもそも彼は『国富論』を書く必要はなかった。
スミスは勃興する資本家の立場を守り、それを妨げている連中を〈規制〉するために、『国富論』を書いたのだ。

 例えば、スミスは明確に消費者の側に立ち、生産者の利益を〈規制〉しようとする。
「消費こそはいっさいの生産にとっての唯一の目標であり、かつ目的なのである。
したがって、生産者の利益は、それが消費者の利益を促進するのに必要なかぎりにおいて
配慮されるべきものである。」【2?464】。

 では「欲望の肯定」というスミスの真意は何か。
彼は、欲望の概念を展開し、それが正義と公正に到達する全過程を示そうとしたのだと思う。
つまり人間の概念を展開しようとしたのだが、「欲望」にその芽を見たのだ。
欲望の意味、その本質を全面展開すると、真の利益に到達する。

 しかし、スミスにはヘーゲルのような発展の理解がないから、答えを出せない。
重商主義の「統制(規制)」に対して「自由」を対置するだけなら悟性的だ。
ヘーゲルなら、重商主義を展開して、それが自らの限界を露呈して滅んで行き、
その結果、スミスの求める社会が現れると書くだろう。

 ちなみに、現代でも「統制(規制)」に対して「自由=規制緩和」を対置するバカたちがいるが、
こうしたバカのどこがどうバカなのかをはっきりととらえることが重要だ。

 自由と規制は本来は一体で切り離せない。
敵対する勢力があれば、他方の自由は他方の規制である。
問題は規制か自由かではなく、どの階級に対する規制と、どの階級にとっての自由かなのだ。
つまり、「規制緩和」を言うならば、どの階級と闘い、どの階級の味方をしようとしているのかを、
その理由(これが眼目!)と共に明示すべきだ。
それをきちんと説明しないで、抽象的なお題目を振りかざす連中は、「道徳」に堕したバカか、
真意を隠して目的を達成しようとする詐欺師である。

12月 03

アダム・スミス著『国富論』から学ぶ (その3) 中井 浩一

■ 目次 ■

第3節 アダム・スミスとその時代
3.スミスの能力
(4)発展的にとらえる
(5)時局問題への対応
(6)平易なわかりやすさ

なお本稿での『国富論』の該当個所や引用は中公文庫版による。
1巻の15ページなら【1?15】と表記した。
引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけ、中井が補った箇所は〔 〕で示した。

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第3節 アダム・スミスとその時代

3.スミスの能力

(4)発展的にとらえる 唯物史観

スミスはスコットランド学派から歴史的な発展段階という観点を学んでいる。
以前は2段階(未開の段階と近代と)だったが、3段階(狩猟採取→牧畜→農業)で考えることで、
より正確な理解が可能になる。それは経済的な発展段階であり、唯物史観に近い捉え方である。

私がかなわないな?と思ったのは、ヨーロッパ人が北アメリカを簡単に支配でき、アフリカは
できなかった理由の提示だ。スミスはアメリカのインデアンは狩猟採取段階だから抵抗力が弱く、
アフリカの原住民は牧畜段階だから抵抗力があった【2?420】と説明する。何という冷酷で、
リアルな見方だろう。

また『国富論』では、中国がアジア的停滞の例として繰り返し示される。
こうした観点はそのままマルクスに引き継がれていることが分かる。

(5)時局問題への対応

スミスの力のほどを検証するには、当時の時局的な問題への対応を考えるのがよい。
その当否の結果は我々にはわかっているからだ。
イギリスにとって当時の最大の危機とは、植民地北アメリカで起きていた独立運動だった。
そこでスミスは驚くような提案をする。
「大ブリテンは、その植民地にたいするいっさいの権力を自発的に放棄すべき」【2?387】。
スミスはアメリカの独立運動を支持したが、それはイギリス経済を破綻から救うためだった。

スミスはイギリスの財政を守る視点から、アメリカの独立を認めることを主張するのだが、
その際に未来の(私たちには現在の)アメリカとイギリスの関係を予告している。

まず、アメリカのGDP成長率の高さからアメリカがイギリスを抜いて世界を支配する国家になることを予測する。
「この帝国〔アメリカ〕こそは、かつて世界に存在したいかなる帝国よりも偉大で強力なものになるだろうと、
ひそかに思っているのだが、事実そうなる可能性はきわめて大きいのだ」【2?397】。

その予測の上に、イギリスがアメリカの下に就き、アメリカの同盟国になることを希望的未来として予測している
【2?388、389、397】。そのために、アメリカと決定的に対立しないことがイギリスにとって有利だと
主張するのだ。これらの予測が的中したことを私たちは知っている。その先見性、未来予測の正確さには舌を巻く。
当時こうした予測ができた人がどれだけいたのだろうか。

スミスは現実を無視した理想主義者ではない。リアルに考えるがゆえに、理想的な結論になることが面白い。
また、スミスは植民地を手放すことが、国民にとってどれほど辛いことかがわからない朴念仁ではない。
それが「国民の誇りを傷つける」ことを十分に理解し、その辛さを自分のこととして噛みしめる。
その上で、スミスはそうした想いと切り離して経済上の問題を考え、そこから国民を説得しようとする。

以下を読んでみてほしい。
スミスの熱い思いと、そのリアルで冷酷な認識と、光り輝く理想主義が渾然一体となったすばらしい叙述だ。

「〔自分がしたような提案は〕いまだかつて、世界のいずれの国民も採用したことがなく、
また、将来もけっして採用されることはないであろう」。「なぜなら、こうした領土を放棄することは、
国民の利益には、しばしば合致することはあるとしても、他面、つねに〈国民の誇りを傷つける〉」。
さらに、植民地によって利益を得ている国内の一部の階級、つまり商人階級は強固に反対するからである。
しかし、「もしこの種の提案が採用されるとするなら、
大ブリテンは、植民地における軍事費の平時編成の負担から直ちに全面的に解放されるばかりでなく、
母国と植民地とのあいだの自由貿易を有効に保証するような通商条約を締結することができるだろう。
こうして生ずる自由貿易は、現在の独占貿易に比べるなら、〈商人階級にとっては不利〉になるかもしれないが、
〈国民大衆にとっては、はるかに有利〉なものなのである」。【以上は2?387,8】

もちろん、国民大衆の中に資本家が現れていたのだし、
国内の消費者の利益になることがそのまま資本家階級にとっての利益であることをスミスはわかっている。
  
(6)平易なわかりやすさ

スミスの叙述のわかりやすさも尋常ではない。
もちろんエッセイのような文体が影響するが、それだけではない。やはり内容がきわめてわかりやすいのだ。
表面的なわかりやすさではない。根源からとらえているがゆえに、それはシンプルになる。

それには『国富論』が誰を読者として意識していたかが大きく関係する。同時代のエリートたち、学者や文化人、
政治家たちだけではない。小さな工場を経営する街のオッチャン達が読者なのだ。スミスは彼らに直接に呼びかけている。
「あなた方の息子さんを靴屋の徒弟に出すとしよう」【1?175】。これには驚いた。

人類の古典となった本が、街のおっちゃんたち相手に書かれていたことの意味は大きい。
『国富論』は、当時の社会で教科書として機能したのだろう。
町工場のオッチャン達が個々バラバラに無自覚に行なっていたことを、全体としてまとめて整理して示した。
それによって彼らは自己相対化をし、自分のすべきことを理解し、急速に成長できたのではないか。

以上、スミスの能力の高さを説明してきたが、ではそのスミスの限界は何で、その限界はどこに現れているだろうか。

限界とは、その能力の低さだ。相対的には圧倒的に高いのだが、絶対的には低い。
特に、発展を理性的にとらえる力が弱い。

スミスの理解力はしばしば悟性段階にとどまり、ヘーゲルやマルクスのレベルの把握力はない。
つまり止揚という理解がないため、普遍と特殊の関係の理解が一面的なのだ。
ただし、これは否定面から述べたのであって、逆に言えば、
スミスが切り開いた地平をその先に歩いたのがヘーゲルであり、さらにマルクスだというだけのことでもある。

スミスの思考力の弱さがはっきりと現れているのは、理論の展開方法、
つまり『国富論』の篇別構成や篇内部の展開にあらわれている。

それは資本社会に一般的な問題と、国家間の対立に現象している問題との区別が明確にできていないことも関係する。
それは前提の押さえの弱さでもある。

スミスの『国富論』は、近代国家を大前提とする。ところがそれが明示されない。
そのために、スミス自身が混乱している個所も多い。
「近代国家とは何か」を一度も正面から問わないでいたのは大きな問題だ。

重農主義の扱い方にも問題がある。
スミスは重商主義と闘うために、自説の不備を重農主義で補おうとしたのだが、
重農主義を十分には消化できず、自説との間にズレや矛盾やほころびが目立つ。

12月 02

アダム・スミス著『国富論』から学ぶ (その2) 中井 浩一

■ 目次 ■

第3節 アダム・スミスとその時代
1.スミスの課題
2.スミスの人生
3.スミスの能力
(1)全体を見る
(2)ダイナミズム 運動を運動として
(3)「存在が意識を規定する」 唯物弁証法

なお本稿での『国富論』の該当個所や引用は中公文庫版による。
1巻の15ページなら【1?15】と表記した。
引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけた。

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第3節 アダム・スミスとその時代

1.スミスの課題

彼は近代が近代として成立しようとしている時期の思想家で、
近代とは何かを示すことが役割だった。
近代社会とは何か、近代国家とは何か。資本主義社会とは何か。
その全体像を論じた初めての試みが『国富論』である。

近代という固定的で安定した時代があったのではない。
逆に、近代こそ、つねに運動し、運動し続けることでしか存在できない時代であり、
それが始まっていたのである。

スミスの時代は大きな転機の時代であり、危機の時代だった。
国内では産業革命が始まり旧来の手工業者が没落した。
新たに勃興した資本家階級を中心に選挙法改正運動が起こっていた。
イギリスは海外ではスペインやオランダとの戦いを制し、
植民地支配を全世界に拡大し世界を支配していたが、それはイギリスの経済に大きな負担となり
国家財政は破たんに直面していた。
しかもアメリカの独立戦争がはじまり、その対応を間違えればイギリスも過去の栄光に生きる国になってしまう。

その国家的な危機を前にして、従来の重商主義的な政策は決定的に破綻していると考えたのがスミスだった。

「富とは何か」が改めて問われたが、重商主義は、富を金銀や貨幣とし、
貿易差額によってそれらを蓄積することを目的とした。
「国際競争力」のために、国内の一部の独占商人と他の規制、外国産業の排除と保護貿易。
巨大な海軍力で植民地を拡大し、原料の確保と自国産業の独占市場を確保しようとする(大きな政府)。
こうしてできあがった国家による独占的な統制経済の体系が重商主義である。

これに対して、スミスにとっての富とは生活必需品(消費財)であり、
富をもたらすのは労働である(労働価値説)。
この考えは、『国富論』の冒頭で高らかに宣言されている。

「国民の年々の労働は、その国民が年々消費する生活の必需品と便益品のすべてを
本来的に供給する源であって、この必需品と便益品は、つねに、労働の直接の生産物
であるか、またはその生産物によって他の国民から購入したものである」。【1?1】

そうであれば、富を増やすには労働生産性を高めることが核心であり、
そのためには交換と分業を増大する必要があり、そのためには公正な市場原理が貫徹される必要がある。
しかし重商主義の統制はそれを阻害し、経済力の発展を困難にする。
海外市場ではなく、国内市場こそが優先されるべきだ。
したがってスミスにとって必要なのは「夜警国家」(小さな政府)である。

このスミスの考えを「自由主義」「自由放任主義」と名付けたのは後世の人たちのようだ。

2.スミスの人生

スミスは1723年にスコットランド東海岸の小さな港町カコーディに税関吏の次男として生まれた。
そこでの産業の中心は北海貿易で、付近にはいくつか工場もあった。
その後、植民地貿易で栄えていたグラスゴーのグラスゴー大学に入学。
宗教から距離を置いた自由な学風の大学だった。

大学卒業後、イングランドのオクスフォード大学で学んだが、
当時のオクスフォード大学は政治的反動と学問的沈滞の渦中にあったそうだ。
スミスはグラスゴー大学で教えることになる。そこでヒュームとの親交が始まる。
スミスは道徳哲学を担当し『道徳情操論』を刊行しブレイク。その後、経済学の研究に専念。
スミスはしばらくフランスに滞在し、重農主義に学ぶ。ケネーの経済表、経済の循環、再生産の構想など。
そして帰国。10年の研鑽を経て『国富論』を完成。1776年のことだ。

当時の世界的思想家であるスミスとヒュームが、イングランドではなくスコットランド出身である
ことには意味があるだろう。スコットランドとイングランドの両国は1707年に1つの国家に統合されたが、
両国の関係には対立・矛盾があった。
スコットランド内部にも、保守層と植民地貿易で繁栄する新興層の対立があった。
スミスはそうした中で、観察眼を養っていたのだろう。
こうした背景に今も大きな変化がないことは、2014年9月のスコットランドの独立騒動からも明らかになった。

3.スミスの能力

『国富論』を読むと、圧倒的な面白さを感ずるが、それを能力として捉えると、以下のことが挙げられるだろう。
(1)全体を見る
(2)ダイナミズム 運動を運動として
(3)「存在が意識を規定する」 唯物弁証法
(4)発展的にとらえる
(5)時局問題への対応
(6)平易なわかりやすさ

(1)全体を見る

スミスに感心するのは、その全体を見る力である。彼は全体を全体として示すことができる。
だからこそ、スミスは「公平」「公正」な視点を持つことができた。
他の人にそれができないのは、さまざまな価値観や偏見にしばられて全体が見えなくなっているからだ。

彼が経済の根本に据えた「労働」を考えるとわかりやすい。
それをスミスは直視するが、それは以前はできない事だった。奴隷制社会に生きたアリストテレスには、
労働一般は見えなかった。彼に見えたのは「精神労働」だけで、奴隷と肉体労働は視野の外にあった。

スミスにはそうしたことがない。それどころか、社会の下層の人々、たとえば死刑執行人や動物解体業者
【1?167】をも視野に入れている。
だからこそ工場内の賃金労働者の労働を国家の富の源泉ととらえることができた。

スミスは、冨が社会の最下層にまで行きわたることの是非を正面から問う【1?133】。
当時のエリートたちの多くは、心に思っても口にはしない。そうしたタブーがスミスにはない。
それほどに、彼は全体的で公平な視点を持っている。

(2)思考のダイナミズム 運動を運動として

 重商主義は、結局は貿易差額を富の源泉とするのだから、足し算引き算の世界で、静的な世界だ。
これをとらえるには悟性段階で十分だ。
しかし、資本を運動させ拡大再生産をし続けないといけない資本主義をとらえるには、
運動を運動として、「力」の現れとして動的にとらえることが必要になる。

当時の勃興する資本家たちを代表するスミスには、そうしたダイナミックな思考力がある。
彼は、矛盾した2面をおさえながら、考察できる。
相反する2要素を組み合わせて、価格決定の仕組みを説明できる【1?145】。
関係を「力」や「支配力」とその現れを通してとらえることができる。【1?54】。

全体の中に様々な要素があれば、全体を「規制」するものは何かを問わねばならない【1?70】。
これは、社会のすべてを構造的に、上下関係でとらえることになっていく。
それは根源にさかのぼることでもあり、マルクスの言う「下降法」を徹底することになる。

スミスは経済活動の根源を明らかにする。
交換と分業が生産力を高める以上、その根本を動かすのは人間の欲望である。
スミスは欲望を全肯定する。すべてをそこから導出しようとするのだ。

(3)「存在が意識を規定する」 唯物弁証法

スミスは物事の表面的な現象に騙されることが少ない。事実を事実として示すことができる。
普通は、「常識」という名の「偏見」や、「道徳」という名の「習俗」や、自分の欲望から
事実は見えにくくなる。しかし、彼はキレイごとや建前ではなく、事実を見ることができる。
だから楽々と核心を突き、平易にそれを表現する。

それができたのは、経済活動がすべての基礎であり、そこから社会や政治や文化現象の真実を
説明できることを、スミスが知っていたからだ。それは唯物史観に通じている。
スミスは『道徳情操論』をまとめているが、彼の主張や論旨には、およそ「道徳的」なところが
ないことに驚く。スミスにとって「道徳」とは社会の現実の関係の反映でしかなく、
それは社会をリアルに見ることで認識できるとかんがえていたのだろう。

たとえば、奴隷制度の是非も、スミスにとっては経済問題に過ぎない。
スミスは、使用人が奴隷と自由人で、どちらがコストパフオーマンスが良いかという問いを正面から
立てる【1?136,7】。もちろん自由人の方が、自分を大切にするので結局は安上がりなのだ。

また、スミスは人間の価値観や意識や無意識までを経済から説明する。例えば、貧困と出産率【1?134】、
就職先としての海軍と陸軍との違い【1?181,182】など。

スミスは自らの社会が、その経済関係から、3大階級(賃金労働者、資本家、大地主)にわかれている
ことを見ていたが、その階級の大枠や、その細部の違いが、人々の思考や価値観や生活意識の違いとなって
現れることを的確に見抜いている。いたるところにそうした指摘があるが、例えば、文明社会の道徳を
スミスは2つに分ける。庶民の厳格主義と上流階級の自由主義だ【3?166,7】。鋭い指摘だと思う。

1つの政策は特定の階級と結びつく。
重商主義もスミスの自由主義も、それぞれが依拠する階級の利益を代弁している。そのことにスミスは自覚的だ。
たとえば「穀物貿易法」が誰の利益になっているのかを、スミスは推理小説のような鮮やかさで暴露する【2?130】。

近代の原理は自由と平等であるが、スミスにとってはこれも経済の反映なのだ。
近代社会では労働はすべての人間の本質、人間の根本規定として現れた。
スミスはそこから人間の平等の原理や、私的所有、職業選択の自由、移住の自由などをとらえていた。
逆ではない。
スミスははっきり言わないが、近代の人間観とは資本家階級を代表するものであり、彼らの利益と結びついている。
それが一般化されたということは、資本家階級が支配階級になったということだ。
こうした点を見抜き、決して道徳や倫理や「人間の本質」などの美名のもとにごまかすことをしないのが、
スミスでありマルクスだ。

人間の意識や価値観を経済が規定するという考えは確かに唯物論である。
ただし、機械的に経済が意識を決めるととらえているのではない。
意識という独立した機能を媒介にして反映するのだ。
それは「存在が、意識を媒介にして、意識を規定する」という唯物弁証法の立場である。

「存在が意識を規定する」ことについてのスミスの理解は深い。
例えば、東インド会社の酷さを告発しつつも、それを次のように擁護もする。

「私は東インド会社の使用人たち一般の人格になんらか忌わしい避難をあびせるつもりは毛頭ないし、
まして特定の人物について、その人柄を問題にしようとしているのではない。私がむしろ非難したいのは、
その植民地統治の〈制度〉なのであり、使用人たちがおかれているその〈地位〉であって、
そこで行動した人々の人柄ではない。かれらは、〈自分たちの地位がおのずからに促すままに行動しただけのこと〉
であり、声を大にしてかれらを非難した人々といえども、いったんその地位におかれれば、
いまの使用人よりも好ましく行動はしなかったであろう」【2?432】。

12月 01

昨年の秋から今年の春まで、アダム・スミス著『国富論』とその関連の書物を読んだ。
そのための読書会は5回行った。準備として高島善哉著『アダム・スミス』(岩波新書)を読み、
『国富論』は3回かけて通読した。そして最後にまとめとして、マルクス著『剰余価値学説史』から
アダム・スミス論(第3章と第4章)を読んだ。学ぶことが多かった。それをまとめる。
 なお、『国富論』のテキストには中公文庫版を使用した。訳注に共同研究の成果が出ており、
岩波文庫版と比べると、用語や訳語、スミスの叙述への批判や疑問が率直に表明されている点を評価したからだ。
『国富論』の該当個所や引用は中公文庫版による。全部で3巻からなるが、1巻、2巻、3巻をそれぞれ
【1】、【2】、【3】とし、1巻の15ページなら【1?15】と表記した。
 マルクスの『剰余価値学説史』については国民文庫版を使用した。スミスの『国富論』と区別できるように、
1巻、2巻をそれぞれ《1》、《2》とし、1巻の15ページなら《1?15》と表記した。
 引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけ、中井が補った箇所は〔 〕で示した。

■ 全体の目次 ■

アダム・スミス著『国富論』から学ぶ  中井浩一 (2014年11月7日)

第1節 圧倒的な面白さ
第2節 近代の総体をとらえる
→ ここまで本日、12月1日に掲載

第3節 アダム・スミスとその時代
1.スミスの課題
2.スミスの人生
3.スミスの能力
(1)全体を見る
(2)ダイナミズム 運動を運動として
(3)「存在が意識を規定する」 唯物弁証法
→ ここまで12月2日に掲載
(4)発展的にとらえる
(5)時局問題への対応
(6)平易なわかりやすさ
→ ここまで12月3日に掲載

第4節 『国富論』の篇別構成
第5節 スミスの経済理論
(1)分業と交換
(2)「人間分子の関係、網目の法則」
(3)欲望の全肯定
→ ここまで12月4日に掲載

第6節 国家の発生から近代国家が生まれるまで
(1)狩猟採取→牧畜→農業
(2)国家の発生
(3)産業構造の発展と王権の拡大
(4)近代国家の成立
→ ここまで12月5日に掲載

第7節 歴史と先人から学ぶこと
1.「労働商品」という矛盾
2.不生産的労働と生産的労働
3.矛盾から逃げない人
4.歴史から学ぶ 過去の遺産を継承発展させる
5.工業化の時代という限界
6.「学者バカ」マルクス
→ ここまで12月6日に掲載

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■ 本日分の目次 ■

アダム・スミス著『国富論』から学ぶ (その1)  中井 浩一

第1節 圧倒的な面白さ
第2節 近代の総体をとらえる

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アダム・スミス著『国富論』から学ぶ 
  中井 浩一  

第1節 圧倒的な面白さ

 そもそも、『国富論』を読む目的は何だったか。
それはマルクスにとっての前提が何だったかを確認することだった。
マルクスの『経済学批判』や『資本論』を読みながら、マルクスが批判しながらも依拠している
アダム・スミス著『国富論』を読まないと先に行けない思いに駆られた。

 それは以前からそうだったのだが、長大な『国富論』に怖気づいていた。
一方で、マルクスを読んでわかった気になっていて、読む必要がないとも思ったし、
また読んでもつまらなそうな感じがしていたのも事実だ。

 しかし、マルクスを深く理解するには、スミスとマルクスのどこがどう違うのか、
スミスとの関係はどうなっており、マルクスの独自性はどこにあるのか、それらを知ることが必要に思えた。

 そこで恐る恐る読んでみた。つまらなければ、また読む意味がないと思えば、
『国富論』の読書会は1回で終わりにするつもりだった。

 ところが面白い。断然面白い。圧倒的に面白い。経済学書がこんなに面白いとは思わなかった。
これまで読んだ経済学書中で、文句なく一番面白かった。

 それは欲望と野望に燃えるビビッドな人間たちがうごめいているからだ。彼らは出世や金儲けに奔走し、汲々としている。
それに対して、スミスは道徳やお説教を垂れることはしない。辛辣だがリアルな認識を示して見せるだけだ。

 欲ボケの人間たちは、笑い、怒り、悲しみ、唸りながら、最後はスミスの示す真実を「かなわないなあ!」と受け入れるしかない。
私たちはここでリアルな物の見方や考え方を学んでいるのだ。
それは難しく言えば、マルクスの唯物弁証法、唯物史観とよく似たものだ。

 しかも、それはまるでエッセイを読むような読みやすさなのだ。
専門家相手の論文調ではなく、しちめんどくさい数値や統計などもほとんど出てこない(付論とかにあるだけ)。
あきらかに読者として想定されているのは、エリートだけではなく、中産階級の大衆たち(後に資本家に成長する人たち)である。

 欲ボケの人間の真実を、これほどのわかりやすさで、まるでエッセイのように書き流してみせるスミスには驚嘆する。
これに比べると、マルクスは大衆にはとても読めたものではない。
だからエンゲルスによる通俗化の作業(たとえば『空想から科学』のパンフレット作成)が必須になった。

 さて、当初の問いだった、マルクスとの関係だが、
マルクスにあった重要な観点のほとんどすべてが、すでにスミスにあることを確認できた。
マルクスのオリジナルは唯一、「剰余価値」の発見だけではないか。
それは大きな一歩ではあるが、一歩でしかない。スミスの巨大さは、マルクスをほとんど飲み込むほどのものだった。
その確かな巨大さの上に、マルクスの世界は構築されている。

 スミスは大きな人だな?!というのが読後感だ。そこから説明してみたいと思う。

第2節 近代の総体をとらえる

 スミスは経済学の創始者である。経済学はそれまでの政治学の一分野から分離・独立したのだ。
そうした1つの学問の創始者、時代を画する思想の創始者、そうした人には大きく豊かなものがあるに決まっている。
アリストテレスしかり、ヘーゲルしかり、マルクスしかり、関口存男しかりだ。
そうした大きさ、豊かさを実感しておくことは必要だ。それで初めて「小ささ」「貧弱さ」を理解できるからだ。

 しかし、スミスの大きさは単なる創始者としてのものだけではない。
その「大きさ」は何よりも、スミスが向き合っている近代社会そのものの大きさから生まれている。
スミスの凄みとは、近代社会をその根底でとらえている点であり、彼の大きさとは、その近代の大きさそのものだ。

 近代は、西欧世界が海外に進出し、その植民地を世界中に拡大して世界が一つになるまでになった時に始まる。
それが可能だった原因は、その経済力にあり、それは全世界を支配できるほどに巨大化していた。
人間の欲望をかぎりなく拡大していけた時代であり、
経済力が政治から文化までのすべての分野を動かす原動力になった初めての時代である。
しかし、一方では対立や闘争が全世界規模に拡大した時代でもある。
国内と海外が常に1つになって運動し、たえざる動揺と混乱の危機の時代でもあった。

 だからこそ、経済学の政治学からの独立が求められ、
経済中心の物の見方、しかも対立・矛盾を直視したダイナミックな見方(唯物弁証法)が生まれたのだ。
世界が一つになり、他文明との衝突を経験すれば、全体の意識と全体から見た自己相対化が始まる。
世界を支配するまでに巨大化した自己自身の意味を、歴史的に、発展的に考える発想(唯物史観)が生まれる。
その全体的な見方の上に、スミスは近代をとらえようとした。
それは近代という時代が、自らを全体的な世界として示し始め、人間の欲望が人間を突き動かし、
世界を経済が根底から動かすものになったということだ。