10月 16

10月11日から14日まで、福島県の、被災時の状況、復興への取り組みを取材しました。

高校現場、県教育委員会、福島大学を取材しました。

成果は、雑誌や本で発表する予定です。

10月 15

今後のゼミの日程が変更されました。

秋の読書会のテーマとテキストの一部が決まりました。

どうぞおいでください。

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◇◆ 1.今後のゼミの日程 ◆◇

今後の日程は以下です。

 10月29日(土曜日) 読書会

 11月12日(土曜日)  文ゼミ
    26日(土曜日)  読書会

 12月10日(土曜日)  文ゼミ
    22日(木曜日)  読書会

 12月末(28日以降)に成績発表と忘年会を予定

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◇◆ 2.読書会のテーマとテキスト ◆◇

(1)読書会のテーマ

読書会のテーマを、東日本大震災で提起された問題とします。

(2)テキスト

1.10月29日は(土曜日)

医療現場から見た震災の姿です。
医療とは何か、人間が生きるとはどういうことか、
そうした根源的な問いと答えが、ここにあります。

海堂 尊 (監修)『救命―東日本大震災、医師たちの奮闘』新潮社 (2011/08)

2.11月26日(土曜日)

福島県の原発問題を考えます。
福島県は、宮城県、岩手県と比較して、震災後の復興がきわめて困難で、その心の傷は一層深いものがあります。
それは、原発事故による放射能汚染がすすんでしまったことから生じています。
そこから見えてきた問題を考えます。

福島になぜ、東京電力(自分たちの東北電力ではない)の原発がこれだけ集中したのか。
それを地方行政、地方財政の視点から解き明かしている清水氏の本と
実際に福島県の知事として、東電、国(経済産業省)と闘った佐藤前知事の告発本を
読みます。

その1
清水 修二 (著)『原発になお地域の未来を託せるか―福島原発事故 利益誘導システムの破綻と地域再生への道』自治体研究社

その2
佐藤栄佐久 著 『福島原発の真実』 (平凡社新書)

12月は未定です。

10月 05

島田紳助が暴力団との交際が発覚して芸能界を引退した。
紳助の某番組での発言に怒った右翼団体から街宣活動をかけられ、それに困り果てて、知人を介して暴力団の幹部に解決を依頼したのが関係の始まりだという。

島田紳助と同じく、暴力団との交際が噂されているのがビートたけしだった。そのたけし本人が、その詳細を語った(「週間文春」2011年9月29日号)。

たけしも、街宣活動をしばしば受けたらしいが、その対応が違っていたようだ。そして、その違いが、伸助は引退し、たけしは今もトップの地位にいる結果になっている。

たけしはフライデー事件で逮捕され、懲役6カ月・執行猶予2年の判決を受けて謹慎し、半年後に復帰した。その際に、日本青年社に「復帰が早すぎる」と街宣をかけられた。たけしは、事務所が何もしてくれないから「自分で話をつける」と決め、住吉会の当時の会長の堀正夫のもとに行き、謝罪した。住吉会のトップに会ったのは、その幹部に日本青年社の結成者がいたからだ。堀に、その幹部と日本青年社の会長のところに行くように言われ、たけしは謝罪に行った。2人には、芸能界を辞めることを申し出たが、当時の事務所を辞めることで、話がついた。以降も、そうしたことが何回かあったようだ。

紳助とたけしのこの違いについて、「伸助は『芸』がなかった」とたけしは言う。しかしこれは「芸」のある、なしと言うよりも、生き方そのものの違いだろう。

そういえば、そもそものフライデー事件の際にも、たけしは講談社のフライデー編集部に乗り込んで、直接に話を付けようとした。

講談社では暴力を振るい、他方では暴力団の圧力に屈服しているように見える。いずれにしても、暴力への親密度がそこにはある。
紳助にもそうした面がある。吉本興業の女性マネージャーに暴力をふるって謹慎していたことがある。

しかし、そうした共通性の一方で、誰にも頼ることなく、自分一人で問題を解決しようとするたけしと、紳助のそれとは大きく異なる。

こうしたたけしのスタンスと覚悟が、彼がここまでやってこられた最大の力なのではないだろうか。

今回のことで、暴力団と芸能界との関係がいろいろに言われているが、今回の事件の核心は1つだと思う。自分の言論に対して、右翼団体などからの街宣活動を受けたときには、どうしたらよいのか。これは広く考えれば、言論の自由はどう守られるか、自分の言論をどう守るか、と定式化できる。つまり、憲法の保障する「言論の自由」の問題なのだ。

そうとらえれば、これは私たち一人一人の問題なのだということがわかる。自分の言論の後に、私たちはどれだけの覚悟を持っているだろうか。

なお、今回の事件の報道や言論で、私のような視点はほとんど出ていない。この状況はとても危険なのではないか。