5月 27

6月以降の中井ゼミの日程

月の前半は、文章ゼミ+「現実と闘う時間」を行い、
月の後半では、読書会を行う予定です。
いずれも日曜日で、午後2時開始予定です。
オンラインでの実施予定

「現実と闘う時間」は、参加者の現状報告と意見交換を行うものです。

参加希望者は今からスケジュールに入れておいてください。また、早めに申し込みをしてください。
ただし、参加には条件があります。

参加費は1回2000円です。

5月
9日
23日

6月
6日
20日

7月
4日
18日

8月
8日 
22日

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春から、ヘーゲル哲学の原書購読を再開しました。

『法の哲学』を読んでいます。

原則として毎週月曜日の晩にオンラインで行っています。

参加希望者は早めに申し込みをしてください。

ただし、参加には条件があります。

参加費は1回2000円です。

3月 24

4月以降の中井ゼミの日程、4月の読書会のテキストが決まりました。

月の前半は、文章ゼミ+「現実と闘う時間」を行い、
月の後半では、読書会を行う予定です。
いずれも日曜日で、午後2時開始予定です。
オンラインでの実施予定

「現実と闘う時間」は、参加者の現状報告と意見交換を行うものです。

参加希望者は今からスケジュールに入れておいてください。また、早めに申し込みをしてください。
ただし、参加には条件があります。

参加費は1回2000円です。

4月
11日
25日

5月
9日
23日

6月
6日
20日

7月
4日
18日

8月
集中ゼミを予定

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4月25日の読書会のテキスト

マルクスの『共産党宣言』(岩波文庫)を読みます。

あまりにも有名なテキストですが、マルクスの優れた点だけではなく、その課題や問題点もしっかりと考えたいと思います。
参考のために、牧野紀之の「『共産党宣言』を読み直す」も読みます。

牧野のテキストは参加者にはお渡しします。

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4月から、ヘーゲル哲学の原書購読を再開する予定です。

『法の哲学』の序文を読みます。

原則として毎週月曜日の晩にオンラインで行う予定です。

参加希望者は早めに申し込みをしてください。

ただし、参加には条件があります。

参加費は1回2000円です。

12月 24

来年のゼミの日程で、1月の読書会の1月25日を1週間後の2月1日に変更しました。

また、1月と2月の読書会のテキスト『国富論』と範囲が決まりました。

再度、スケジュールを以下に提示しておきます。

参加希望者は早めに(読書会は1週間前まで、文章ゼミは2週間前まで)連絡ください。参加には条件があります。

参加費は1回3000円です。ただし文章ゼミは1回2000円。

◎来年2014年の1月以降の予定

1.日程

1月11日 文章ゼミ
2月1日 読書会
2月8日 文章ゼミ
2月22日 読書会
3月8日 文章ゼミ
3月22日 読書会

2.読書会テキストについて
(1)1月
『国富論』?の第2編と
『国富論』?の第4編

(2)2月
『国富論』?の第3編と
『国富論』?の第5編2014年1月の読書会

 古典派経済学の創始者アダム・スミスの『国富論』を読みます。
 スミスはマルクス『資本論』の前提の労働価値説の創始者でもあります。

 新たに経済学が生まれてきた時代背景を知り、その時代の経済問題と
 雄々しく闘ったスミスの戦いぶりを、読んで考えてみたいと思います。

 岩波文庫版ではなく、中公文庫版で読みます。
 「要約的小見出し」だけを読んでも一応読めること、その注釈が「使える」点がすぐれているからです。共同研究が背景にあるのでしょう。

今月12月の読書会で『国富論』の第1篇を通読しましたが、その大きさと面白さに驚きました。

 第2編は重要です。
スミスの「資本論」です。

第3編は、都市と農村の関係がテーマです。
都市がどのように領主や王権から自立し、農村を簒奪したか。

第4編は、経済学の主要な主張の歴史です。重商主義と重農主義が比較検討され、スミス自身の考えが示されます。

第5編は、国家の役割、国家と国民との関係がテーマです。
スミスの国家観が明らかになります。

第3編から第5編は、まず「要約的小見出し」だけを読み、
その中で重要と思う個所、面白いと思う個所だけを
読めばよいと思います。

◎毎週月曜日のゼミ
1月13日から開始します。

(1)日本語文献の読書会 午後5時より
  関口存男の冠詞論を読んできましたが、
いよいよ3巻目『無冠詞論』も終わりに近づきました。ラスト2章を読みます。
  その後、関口『ドイツ語講話』を読みます。

(2)ドイツ語原書講読 午後7時より
  昨年後半はマルクスの「労働過程論」から
ヘーゲルの「目的論」(『小論理学』204節から212節)を読みました。
それらを受けて、ヘーゲルの「目的論」(『大論理学』)を読みます。
ヘーゲル論理学の山場の一つです。
ズールカンプ社版全集第6巻を使用します。

6月 02

「自己否定」から発展が始まる(その3)
(ベン・シャーン著「ある絵の伝記」の読書会の記録)  記録者 小堀陽子

 ■ 目次 ■

2.読書会
(3)テキストの検討
 <1>「ある絵の伝記」
     検討3

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〈自分と異なる方法について〉
 ・62p後ろから3行目
 ≪クライヴ・ベルの理論のように、純粋形式のためにのみ描く画家は、
  芸術における最終的に可能な表現としての形式に確信を抱いている
  のであろう。≫

 → これは抽象絵画のこと。形と色だけが全てでそれが思想だと。
  勿論それも思想で、あるメッセージを持っている。

  作品にはその時代の何か、その人間の深さ、馬鹿さ加減、
  全てが丸見えになる。

  僕は抽象絵画でも関心が持てないものと、すごいと思うものが
  ある。ベン・シャーンの中にすごいと思う作品も、つまらないと
  思うものもある。

 ・62p後ろから2行目
 ≪フロイトの理論のように療法として芸術を見る人々は
  自分のしていることに自信があるだろう。
  いろいろな材料を巧みに扱うだけの画家たちも同様だろう。

  しかし、かかる芸術は内面的な経験をも、外部的な経験をも
  含むことができないのではないか。≫

 → 内面的な経験も外部的な経験も、作者と客観世界を
  引き離してしまうだけで表現できない。
  彼は両者を統一しなければならないと思っている。

 〈自分の方法 ─ 普遍性を描く〉
 ・63p5行目
 ≪私にとっては、主観と客観は共に極めて重要なものであって、
  前に述べたイメージとアイデアの問題のひとつの面に
  外ならない。

  取るべき手段はこの両者を芸術から抹消し去ることではなく、
  むしろ両者を統合して、一個の感銘を与えるもの、

  ─すなわち「意味」がその不可欠な要素になっている
  ひとつの視覚「映像」たらしめることである。≫

 → 統一することはこの人の核心。具体的には次の段落の最後
  「世界的な性質をもつシンボル」だと。65p「普遍性を描く」。

  しかし「概括」とか「抽象化」によって描くのではない。
  絵は具体的なものしか描けない。絵に表れるのは全部個別。
  そのことを一見否定したかのようなのが抽象絵画。

  66pは、個別しか表現できない絵で普遍的なものを描くことは
  いかにして可能か、という問い。

  65p最後にデ・キリコの絵とマサッチオの絵という2つの例を
  出している。自分が持っている問いについて、二人が
  一応答えを出している。

  66p「感情の極限から」生まれて「偉大な普遍性」に到達している。
  それはどういうことか。

 ・66p4行目
 ≪私が第二次大戦の末期頃に描いた作品、例えば「解放」とか、
 「赤い階段」とか─は、様式の上では、以前の作品とはっきり
  区別できるようなものではなかったが、一層個人的なものになり、
  一層内面的なものになっていたことは確かである。≫
 
 → 「解放」(図録69p,197)は第二次大戦末期にフランスが
  ドイツから解放されたニュースを聞いて描かれた。

  普通は解放を明るく描く。シャーンの「解放」では子供が
  死んだような顔をしている。

  これは、ある感情の深さから始まって普遍性に到達するということ
  を試み、苦しさの中でこの段階での結論として出されたもの。
  写実であるが写実を超えた作品。

 ・66p7行目
 ≪かつて秘隠的で難解だと思われた象徴主義が、今は
  戦争がわれわれに感じさせた「空虚」と「空費」の感じと、
  戦時下に生きんとする人間の力の弱さを表現しうる
  唯一の手段となった。≫

 → 普通は解放された時、良かった、明るいと捉える。
  一方シャーンは解放された時にその戦争の空虚さが露出する、
  という捉え方。
  これが戦争を経験した人たちにとっての最も深い受けとめ方
  である、ということ。

  先日、野見山暁治の抽象画を見てきて良いと思った。

  野見山が、戦争を20代で経験して引き揚げてきて、
  これから自分がどういう絵を描くかと悩んでいた時に、
  シャーンの「解放」は衝撃的だったと言っていた。

  「衝撃的」とは、自分の心の中がそのまま描かれている
  という意味。

  戦争に負けた日本人の心の中と戦争に勝った側の心の中が
  実は全く同じだと。

  これが、個人的なもの、または感情の極限が普遍化される
  ということだと思う。

  野見山は自分の作品についてベン・シャーンのように
  言葉にならない。けれどそれは彼の絵がダメだということ
  にはならない。
  言葉にできる人が本当にいい絵を描いているとも限らない。

  ベン・シャーンの場合は両立している。
  野見山の場合は言葉での表現はできないが問題はない。
  けれどもう少し言葉にしてほしい。

  ただ、野見山が「解放」という絵に自分が何を感じたかを
  言っている言葉は僕の中にとても響いてきたし、
  この絵がどういう絵なのかということがわかる説明だった。

 ・66p8行目
 ≪当時私は作品の形成だけが問題だった。つまり強く感じられた
  感情を、絵具を塗った平面の視覚像に形成することが、
  目標だった。≫

 → 油絵は構図及び表情だけではダメ。シャーンの絵は、
  背景の色使いがすごい。

  絵は二次元の世界だから、その中にどういう像を作っていくか
  ということがプロの画家の力量。

 ・66p12行目
 ≪私自身の見解では、これらの作品は成功だった。

  当時はっきりと知った事は、情感ある視覚像はわれわれの
  感情を動かす外界の事件そのものの映像である必要はなく、

  むしろ多くの事件の内面的な痕跡から組立てられる
  ということだった。≫

 → 例えば「解放」は実際のリアルな場面ではなくイメージを
  描いた作品。

  67p2行目「このようないろんなイメージこそ」を「形成」
  するのだと言っている。

 ・68、69p
 → 絵で表現するということはどういうことか。
  68p最後。それは色であり形であり、その触感、背景の肌触り、感覚。
  そこにまで落としこんでいく力がなければ画家ではない。

 〈人間の価値〉
 ・69p後ろから7行目
 ≪私は以前に私をひどく苦しめたアイデアとイメージとの間の
  長期戦のことを述べた。
  私はこの紛争をアイデアすなわち思想を放棄することにより
  調停することはできなかった。

  かかる解決は絵画を単純化するかもしれないが、同時に
  絵画というものを勇気ある、知性的な、大人の実践の闘技場から
  退場させてしまうことになるからだ。

  私にとっては、もし思想が作品から現示すべきでないとしたら、
  絵画にあまり存在理由を認めない。
  人間が思想をもつ力があるという点、そしてその思想そのものが
  価値があるという点にこそ、人間の価値があると
  私は考えているからである。≫

 → こういうことを言える思想家がいるだろうか。

  「知性的な実践の大人の闘技場から退場させてしまう」という
  ところにぐっとくる。
  要するに彼からすると、そいつらの絵は子供っぽい。
  大人がやる闘いは違うと言っている。

  これは本当に成熟した人の言葉を聴いている感じがする。
  成熟は今の社会では難しい。全共闘世代、吉田拓郎や井上陽水は
  60になっても子供みたいな顔をしている。

 〈晩年の作品─「マルテの手記」を題材に〉
 ・71p後ろから5行目
 ≪リルケはマルテの手記のなかで書いている。

 「一行の詩のためには、あまたの都市や、人間や、事物を
  みなければならぬ。─ 中略 ─ 詩人はまた死にゆく人の傍に
  いたことがなければならないし、開いた窓がかたこと鳴る部屋での
  通夜もしたことがなければならない。≫

 → この「詩」という言葉のところに自分のテーマを入れれば
  全ての人に当てはまる。

  あらゆるものを見てあらゆるものを聞いてあらゆるものを感じて、
  それが大前提だと言っている。しかしそれだけでは足りない。

 ・72p7行目
 ≪しかも、こういう記憶をもっていることで充分ではない。
  追憶が多かったら、これを忘れることができなければならない。
  そしてそういう追憶が再び帰ってくるまで待つ大きな忍耐力を
  もたなければならない。

  追憶はいまだほんとうの追憶になっていないからだ。

  追憶がわれらの身体のなかの血となり、眼差しとなり、
  表情となり、名前のない、われら自身と区別のつかないものに
  なるまでは…。

  そして、その時に、いとも稀なる時刻に、
  ひとつの詩の最初の言葉が、それら追憶のまんなかに浮き上り、
  追憶そのものから進み出て来るのだ」と。≫

 → リルケがリルケであるところはこの後半にある。

  忘れた追憶が再び帰ってくるまで、そこに最も忍耐力が必要。
  そこで人間は成熟する。これはヘーゲルそのもの。

  僕たちは強い経験をした時にその記憶は強烈な故に消える。
  普通はそのまま消えて終りだが、頑張った人にだけ浮かび上がって
  くる時はある。リルケは詩人だからそれが詩になる時だと言う。

  最後にこれを持ってきたベン・シャーンはまさに自分は
  これをやってきたと言っている。

  ベン・シャーンはこの一節に対しての思い入れが強く、
  マルテの手記の今の部分について最晩年に描いている。
  これを自分が最初にそこからスタートした石版画でやっている。
  ここにも意味がある。

1月 05

愛犬を看取る

 私の愛犬が死にました。名前はモモ、雑種のメスで12歳でした。生まれてまもない子犬を1匹もらってきたのです。白地で、背中に茶色の島模様が3つあり、とてもかわいかったのを覚えています。中型犬になりましたが、洋犬(おそらくグレーハウンド系)と和犬の雑種のようで、胸は外側に大きなカーブを描き、お腹がキュッとくびれ、鼻は長く、瞳が青色なのがきれいでした。一方、背中に乗っかる太めのしっぽはクルッとまるまり和犬であることを示しています。人懐っこく、散歩に連れて行くと、犬好きな人を見つけては甘えるのが上手で愛嬌がありました。妻の背中におぶさるのが好きで、周囲の人が驚いていました。

 この12年間は、犬とともに生きることの幸せをかみしめる日々でした。私は犬を観察しては、動物と人間の違いを考え続けました。自己意識の有無の意味、それ以外では、動物と人間にはほとんど違いがないこと。犬は自己意識がなくバカですが、それゆえに、私たち人間にとっての癒しの対象であること。

 犬の散歩で近くの公園を毎日散歩するようになり、犬を連れた方々と友達になりました。こうした「犬仲間」という付き合い方があることも知りました。犬を媒介に、人と人とがつながっているので、主役は犬です。そして、その中には、実に立派な犬がいました。雑種ですが、凛として自立しており、静かで近寄りがたい風格がありました。不思議な存在感に圧倒されました。それに対して、わがモモはごく普通のバカ犬です。しかし、それでも大切なパートナーで、なくてはならない友であり、わが子であり、わが娘のようでもありました。

 年に数回、犬猫病院で見てもらうのですが、5、6歳の時に内臓の調子がよくないと言われました。しかし、幸いにも特段のことは起こらず、10歳をすぎました。鼻先の黒かった毛が白くなってきて、だんだんと老化が見えてきます。12歳になった昨年の9月のおわり頃、散歩のときの様子がおかしく、なかなか歩こうとせず、うずくまるようにしました。病院で診てもらうと、膵臓に腫瘍(癌でしょう)があり腹内出血しているとのことで、手術の可能性も言われました。しかし、危険だとも言われ、手術はせず薬で処置する選択をしました。
 それからは、あと何日か、という思いで見守りました。しかし、回復の気配もあり、散歩の際も普通に歩ける日々もありました。そして、2週間が過ぎた10月15日に亡くなりました。私が東北の被災地に取材に出ていて、5,6日ぶりに深夜帰宅し、翌朝、妻といつものように近くの公園に散歩に出ました。その時は、ずいぶんとしっかりと歩き、これはまだ数カ月頑張れるのではと思われました。
 しかし、昼ごろから、急に様子が変になり、足元がふらついたり、庭で苦しんでいたりしたようです。私は自室で仕事をしていたのですが、妻に「様子が変だから来て」と呼ばれました。
 いってみると、横たわっているのですが、長い舌をだらりと出し、息も弱々しく苦しげです。妻と二男が傍で見守っています。私は背中や頭を何度もなでさすりましたが、何となくこのまま死んでいくことがわかりました。私も横になり顔を近づけ、モモの眼と眼があうようにして、その青い瞳を見ました。光が弱まっていくように感じます。「ありがとう。お前との12年は楽しかった。本当にありがとうな」と話しかけました。
 呼吸が止まったのがわかり、「死んだよ」と言いました。二男はしばらくなでさすっていました。まだまだ温かく、死んだようには思えないのです。妻はまぶたを閉じさせ、そのまま抱き上げて、しばらくそうしていました。3者3様ですが、「看取る」とはこういうことなのだと、思いました。

 私は翌日早朝にまた東北に行くことになっていました。そうすると、モモは私の帰宅に合わせて亡くなったことになります。「私を待っていてくれた」。妻はただの偶然だと笑いますが、私にはそうは思えません。
(2012年1月3日)