3月 25

? 4月以降の読書会と文章ゼミの日程が決まりました。
いずれも午後5時開始。料金3千円(文ゼミのみの場合は2千円)。場所は鶏鳴学園です。

4月6日 読書会と「現実と闘う時間」
4月20日 文ゼミと「現実と闘う時間」
5月11日 読書会と「現実と闘う時間」 
5月25日 文ゼミと「現実と闘う時間」
6月8日 読書会と「現実と闘う時間」 
6月22日 文ゼミと「現実と闘う時間」
7月6日 読書会と「現実と闘う時間」 
7月20日 文ゼミと「現実と闘う時間」
8月22日?25日。夏の合宿

このメルマガの読者で、参加を希望する方は事前(初めての参加者は2週間前。2回目以降の参加者は文ゼミは2週間前、読書会は1週間前)に連絡ください。
 
◎読書会テキスト
(1)4月は牧野紀之著「労働と社会」
これは唯物史観の核心の3つの規定「生産力」「生産関係」「社会的意識」を問題にし、その本当の意味と3者の必然的な関係を考えています。
テキストは入手困難ですから、コピーをお渡しします。

(2)5月以降は未定ですが、マルクス主義の古典を読む予定

? 4月1日(月曜日)から、毎週月曜日のゼミを再開します。

 午後5時から関口ドイツ語学を学習します。
 初回は『定冠詞』第3編のまとめをしてから、2回目以降は『不定冠詞』を読みます。

 午後7時からは、ドイツ語の原書購読ですが、
 マルクスの『経済学批判』の「序章」から「経済学の方法」を読みます。
 マルクスの方法を、自ら自身で解説した、核心部分です。

 「経済学の方法」を読み終えたら、
 マルクスの『資本論』の「労働過程論」を読む予定でいます。

 参加費は、いずれかでも、両方でも、1回あたり3千円です。

 
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  連絡先 〒113?0034
  東京都文京区湯島1?3?6 Uビル7F
       鶏鳴学園 ゼミ事務局
  TEL 03?3818?7405
  FAX 03?3818?7958
 事務局メールアドレス sogo-m@mx5.nisiq.net
 ホームページ http://www.keimei-kokugo.net/

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3月 09

■ 全体の目次 ■

1.講演レジュメ
「生きる力」を育てるための小論文・作文指導   
→ ここまで3月6日掲載

2.異文化兄妹 -『自分づくり』のための聞き書きをめざして-
 ― 聞き書きから論文、志望理由書まで ―
(1)異文化兄妹 ―志望理由書―
(2)兄に聞き書きをするまで
→ここまで3月7日に掲載
(3)兄への聞き書き 
(4)両親への聞き書き
→ここまで3月8日に掲載
(5)志望理由書、作文、小論文
(6)聞き書きの課題
→ここまで3月9日に掲載

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(5) 志望理由書、作文、小論文

 以上の聞き書きを前提として夏の五日間の小論文の講習で仕上げに取りかかり、さらに秋以降も練習を重ねた。

※既に兄と父の2人にインタビューをしていたので、あとはまとめて志望理由書や課題を仕上げるだけでした。私は上智と立教2つを受けようと思っていたので、志望理由書と課題レポートをそれぞれ2つずつ書きました。立教の課題は異文化についてだったので数回の書き直しですぐに書き終わりましたが、上智の課題は少し難しく、何日かはかかったけれど考えていたよりもずっとスムーズに進んでいきました。このようにスムーズに進んでいったのはやはり兄と父へのインタビューの影響が大きかったと思います。中井先生は「インタビューをするなら自分が壊されてしまう程の衝撃がなくてはダメだし、そういうものが1つでもあれば何にでも繋げられる」とおっしゃっていました。そのことがこの夏期講習で実感できたと思います。また、ホームステイと繋げての異文化について、一学期の私は確かに本気で考えていたけれど、それでは誰でもできるし面白くなかったと徐々に自分でも感じられるようになってきました。※

 私が小論文の練習の課題文に選んだのは慶應大学の法学部に出題されたテキストで、マスコミが与える疑似現実と本当の現実のズレをテーマにしたものだ。これによってNがこだわる「普通」の意味を問い直すことがねらいだった。それは結局は、母と自分の兄への態度の違いを考えることになった。私は、この作業を通じて「考えること」の意味を理解して欲しいと願っていた。

※先生にアドバイスをいただいて違った視点から考えるなど何回か書き直しました。難しい課題だったので、塾から家に帰るまでは何て書けばいいのか、どこから考えればいいか見当もつかないし、答えなんて出てこない、今日は一体何時に寝られるのだろうかと憂鬱でした。私は ‘考える‘ことから逃げていたのだな、と改めて感じました。しかし、一度取り組み初めてしまえば、時間はかなりかかるものの、様々な考えが浮かんできました。例えば、私と母の兄をとらえる違いは、世間の目を取り入れているかいないかの違いであるが、母もはじめは世間側から兄を見ていた→ではどうして兄をとらえ方が変わっていったのか、何が母を変えたのか、という具合である。※

こうして、Nは秋には二つの大学に志望理由書と課題作文を提出した。立教大は不合格だったが、小論文や面接を経て上智には合格できた。

(6) 聞き書きの課題

 私が高校生に聞き書きをさせるのは、人生のテーマ、問題意識を作らせたいからだ。関心のある社会問題やあこがれの仕事の「現場」に行き、現実の問題と闘っている人の話を聞いて文章にまとめる。それは、高校生にとって、他者の問題意識を媒介にして、自分自身の問題意識を作り上げることに他ならない。そうした目的で行う聞き書きでは、以下の三点が重要だと思う。
1)大きな問題と身近な問題
 「国際理解」とか「異文化理解」とかは、重要な問題だが、いささか流行りすぎで軽薄な理解が横行している。それらを、自分の身近な問題と結びつけることが必要だ。
2)対象(他者)理解と自己理解
取材や聞き書きの対象や相手の選択では、その選択の、取材者、書き手にとっての意味を考えなければならない。対象理解は自己理解に他ならない。
3)思考による一般化
問題意識は、思考によって一般化した形にまで高められるべきだ。一部の方々は、大学入試の紋切り型の「小論文」への反撥などから、思考や一般化そのものまで否定するような傾向があるようだが、大きな間違いだと思う。
 

3月 08

■ 全体の目次 ■

1.講演レジュメ
「生きる力」を育てるための小論文・作文指導   
→ ここまで3月6日掲載

2.異文化兄妹 -『自分づくり』のための聞き書きをめざして-
 ― 聞き書きから論文、志望理由書まで ―
(1)異文化兄妹 ―志望理由書―
(2)兄に聞き書きをするまで
→ここまで3月7日に掲載
(3)兄への聞き書き 
(4)両親への聞き書き
→ここまで3月8日に掲載
(5)志望理由書、作文、小論文
(6)聞き書きの課題
→ここまで3月9日に掲載

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(3) 兄への聞き書き 
〈 〉《 》【 】[ ]
 兄へのインタビューは二〇一〇年の六月に行われた。以下がその聞き書きからの引用だが、引用部分は冒頭と末尾に※をつけ、兄のコメントは〈 〉で括った。文中の言葉を強調するための【 】と、括弧内( )の説明は中井が加えた。

 ※この頃の兄(中学生)については今でも覚えている。この頃から兄が勉強している姿は全くといって良いほど見ていない。兄と父親が喧嘩になると兄はよく壁に穴をあけていたし、学校には行かないし、小学生ながらも、ヤンキーではないが周りの友達と同じようなお兄ちゃんでないことに気づきはじめていた。
 
 学校を辞めろと言われた時はどんな気持ちだったのか聞いてみた。
〈学校やめるってのは絶対嫌だったよ。これでも変に真面目な人間だったから世の中の流れから外れるのが恐かったんだよね。だから自分が学校側に合わせようと思ったんだけどダメだった。それで結局A学園はやめて不登校だった生徒もたくさんいるB学園に入ったんだ。そこの先生はうるさいこと言わないし、どんな話でも聞いてくれるし、学校が比較的自由だったね。小学校以来初めて学校が楽しいと思ったよ。今でも付き合うのはここでの友達だね。〉

 兄が絶対に学校をやめるのは嫌だったと聞いて少し驚いた。当時私の目には、兄は学校が本当に面倒くさくてわがままをいっているように見えていたからだ。
 しかし今は兄がいう「世の中の流れから外れるのが怖い」という理由が少しばかりわかる気がする。当時小学生だった私は学校を辞めたら友達に会えなくなるから嫌だと考えていた。しかし今は学校を辞めたら世の中の冷たく、職につくのも他の人より困難になるという現実を知りはじめたからだ。
 私が学校に友達に会いにいっているとき、兄は自分とそして世の中の厳しさも含めてたたかっていたのだなと初めて気づいた。
 B学園に入った後の兄は妹の私からみても本当にたのしそうだったと思う。部活は陸上部に入り、彼女もできてやっと高校生らしいお兄ちゃんになったと思った。そしてどうかこのまま【普通の人】でいてほしいと思った。

 兄に同世代の人でちゃんと学校に行けている人のことはうらやましいと思うかと尋ねてみた。
〈昔は羨ましかったよ。何人かで集まって楽しそーに話してることに対するコンプレックッスっていうか。でも今は羨ましいと思わないよ。俺にとっての友達はリラックスして話し合える友達なんだよ。自然体でね。この前なんてマンガの話だけで10時間ぶっ通して話したよ。俺に合う友達はいるところにはいるんだよ。〉
 考えかたなどが他と合わなかったとき、今はどう思うのか?
〈世の中が悪いね。自分が合わせられそうな場所はどこかにはあるんだよな。それを見つければいいはなし。〉
 大学を出ていないと何かと不利になることが多いがどう思うか?
〈それも大学、世の中がおかしい。よく周りは『がんばれがんばれ』いうけど先が見えて言ってることなんですか?って思うんだよね。頑張っても負けたら頑張りが足りなかったて評価されるのってズルイよな。フェアに試合しようぜ。〉

 私はどうして同じ両親から生まれたのにこんなにも性格が逆なのだろうと何度も思った。もしかしたらどちらかが養子なのではないかとつい考えてしまうほど逆だ。
 人に「お兄ちゃん何歳?大学何年生?」と聞かれることも「どこの学校?」と聞かれることも嫌だった。ただ「ライターやってるよ」だったり「コンテストで最優秀賞とったんだ」などだけは自慢げに話す本当に都合の良い妹であった。兄弟の話題になるたびに適当に応えていたけれど、私は本当に兄に対して興味がなかった。「私のお兄ちゃんは【変わった人】」と思って勝手に目をそむけていた。
 昔は「兄弟比べられて嫌だよねー」などという会話に共感はもてなかった。なぜなら勉強でも運動でも、人間付き合いの面でも私は兄よりも勝っていると思っていたからだ。しかし、年を重ねるごとに文章力でも表現力でもきちんと自分なりの意見を持っている面でも羨ましいと思ってきた。むしろ兄のほうが人にはないものを持っていて、よっぽど人として面白いと思った。

 私は今まで【普通の】お兄ちゃんだったら・・・と何度も思ったことがある。しかし私にはこの兄が唯一の兄弟なので、いわゆる‘【普通の】お兄ちゃん’とは何なのか分からない。私にとってはこの変わったお兄ちゃんの妹であることが【普通】なのだ。※

(4) 両親への聞き書き

 この兄への聞き書きの中には、母への取材が挿入されている。「お兄ちゃんが学校にいかなくなったときは心配だった?」「できることなら普通に学校も行く子にそだってほしかった?」「学校に行かなくなった頃は登校するようにすすめた?」「まさか自分の子供がこのように育つとは思ってなかった?」といった質問が並ぶ。

 Nの母は次のように答える。
※「お母さんってどちらかというとK(N・Kのこと)と同じタイプじゃない?赤点とって学校卒業できませんとかはありえなかったし自分の人生を参考にできないから戸惑った。どうしていいのか想像もつかなかったから。でも途中で面白がろうと思ったよ。中3のときに担任の先生に言われて気づいたように信じてあげようって。心理学者の本も不登校の子の本もたくさん読んだけど結局はお兄ちゃん自身を信じてあげることなんだよね。自分の事を思い出してみたんだけど、お母さんもお父さん(おじいちゃん)にすごく信頼されててそれが嬉しかったんだ。だから人って誰か一人でもいいから味方を持ってるって大切なこと。親の役割は自分の子供を信じてあげること、それだけ」。※

 Nが「普通」(兄の聞き書きの【 】参照)に強いこだわりを持っていることを思うと、母への取材はどうしても必要だったのだろう。
兄への聞き書きに続いて、Nは父の仕事の聞き書きを行った。それ自体は弊塾での全員への課題なのだが、Nにとっては特別の意味があったろう。Nの家族構成は両親と兄と自分の4人であり、残った取材対象は父だけだった。父の視点からの兄の姿を知れば、自分の家族の全体像が浮かび上がる仕組みだ。
「兄と父親が喧嘩になる」ことも多く、父は「自分の合わないところには敏感な点はある意味お父さんとお兄ちゃんっていうのは似てるのかもね」と語る。その似ている点は、父親の進路や仕事の話から確認できる。
 父は理学部の出身だが、洋書販売会社に就職した。その会社は九〇年代の不況下で倒産し、重役としてその対応に奔走する。その後二回の転職をしている。

3月 08

2012年12月6日のこのブログで
以下をお願いしました。

◆読者へのお願い

 ヘーゲルがスピノザ著『エチカ』について、
「『規定態は否定である』はスピノザの哲学の絶対的原理である」と、
大論理学の「本質論」、第3編「現実性」の第1章「絶対的なもの」の
注解で述べています。

 この「規定態は否定である」はスピノザ著『エチカ』からの引用だと
思うのですが、見つかりません。

ご存知の方がいたら教えてください。

———————————————————–

これについては、ズーアカンプ社版のヘーゲル全集20巻「哲学史?」のスピノザの項に編集者の注があり、スピノザの書簡集の50番(スピノザからイエレス宛)にその表現があることがわかりました。

「形態は限定にほかならずまた限定は否定なのですから、形態は私の申したように否定以外の何物でもありえないということになります」岩波文庫版(畠中尚志訳)239ページ。

この「限定は否定」がヘーゲルの『規定態は否定である』だということになります。しかし、それが「スピノザの哲学の絶対的原理である」とはどういうことでしょうか。

この書簡の中に、「スピノザの哲学の絶対的原理」を説明しているような箇所は特になく、この書簡の前後、イエレス宛の書簡などを読んでみましたが、ヘーゲルの「『規定態は否定である』はスピノザの哲学の絶対的原理である」を詳しく説明しているような箇所はありませんでした。

私としては、『エチカ』の第1部の定義2「同じ本性を持つ他のものによって限定されるものは、自己の類において有限と言われる」「観念は、他の観念によって限定される」が、ヘーゲルの「『規定態は否定である』はスピノザの哲学の絶対的原理である」の根拠だと考えています。

しかし、「規定態は否定である」という表現には遠いと思います。

ここらへんを知っている方は教えてください。

3月 07

■ 全体の目次 ■

1.講演レジュメ
「生きる力」を育てるための小論文・作文指導   
→ ここまで3月6日掲載

2.異文化兄妹 -『自分づくり』のための聞き書きをめざして-
 ― 聞き書きから論文、志望理由書まで ―
(1)異文化兄妹 ―志望理由書―
(2)兄に聞き書きをするまで
→ここまで3月7日に掲載
(3)兄への聞き書き 
(4)両親への聞き書き
→ここまで3月8日に掲載
(5)志望理由書、作文、小論文
(6)聞き書きの課題
→ここまで3月9日に掲載

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2.異文化兄妹 ?『自分づくり』のための聞き書きをめざして?
 ― 聞き書きから論文、志望理由書まで ―

 聞き書きは、高校生が社会と自分を見つめ直す大きな機会になります。そこで生まれた
問題意識を深めていけるような指導を、どう展開できるのか。論文、志望理由書へとどう発展させられるのか。それを昨年の実践から報告します。

 ある女子高生には「不登校」の兄がいました。彼女はその兄を受け入れられずに避けて生きてきました。聞き書きをすることで、その兄と初めて正面から向き合って、彼女に大きな変化が生まれます。「私は今まで何も考えずに言われたことをただそのままやってきた受動的な人間だと感じたし、兄と比べると何と面白みの無い人間なのだと思いました」。
 彼女のその思いを深め、今後に生かせるように指導しようとした試みです。

(1) 異文化兄妹 ―志望理由書―

高校2年、アメリカにホームステイに行った。進んで自己主張をするアメリカ人と協調性重視で控えめな日本人の間に文化の差を感じ強い衝撃を受けた。
しかし文化の違いというものは国民間だけでなく、人と人の間、つまり兄妹にも当てはまるのではないか、いや、誰よりも近い関係なのにそれに気付かず理解出来ない方がずっと重大な異文化の問題ではないかと思い始めた。実は私と兄は異文化兄妹なのだ。
22歳の兄は中学から不登校、大学中退。いわゆる「世間の枠からはみ出た人間」である。現在はサブカルチャー系雑誌のライターをしている。一方、妹の私は友達や部活のために学校に行くことを生きがいとして、「兄はただのプータローだ」と思ってきた。
多くの面で私の方が兄よりも勝っていると思ってきたが、次第に自分の主張や独創的な考え強く持つ兄の方が人間的には面白いのではないか、自分はどこにでもいるような人間のうちの1人ではないか、と不安と疑問を持つようになった。
 そこで、兄は今まで何を考えてきたのか知ろうと思い、インタビューをした。不登校ということで世間を敵に回すことが多かった兄から出てくる言葉は非情に衝撃的だった。今まで兄に背を向けていた自分、周囲の表面的で小さな社会だけを見て生きてきた自分に気づいた。そして何よりも、私と兄はそもそも互いに持っている文化が違うのだと感じたのだった。
 異文化というと、国民間や民族間のことだと考えていた私にとって、人と人との間にもあるのだという発見は、大変興味深いものであった。
 そもそも文化とは、どのようにして生ずるのだろうか、どうして兄妹という同じ環境で育った人間同士でも違う文化を持つようになるのだろうか。これらの疑問を、さまざまな背景を持った留学生や、学生が多く、多彩な教授陣に恵まれた環境で追求したいと思い、貴校を志望した。

 これは二〇一一年度の上智大学総合社会学部の自己推薦入試で提出された「自己推薦書(志望理由書)」だ。著者は私立女子校の高三生(N.M)。Nには「不登校」の兄がいた。その兄の聞き書きをすることで、彼女に大きな変化が生まれた。
 聞き書きは、高校生が社会と自分を見つめ直す大きな機会になる。そこで生まれた問題意識を深めていけるような指導を、どう展開できるのか。論文、志望理由書へとどう発展させられるのか。それを報告したい。

(2) 兄に聞き書きをするまで

 Nには、二〇一一年の一月に受験を振り返る文章を書いてもらった。そこから引用しながら(冒頭と末尾に※をつける)、先の志望理由書が生まれるまでの過程をご紹介しよう。
 
 ※高2の春、鶏鳴(弊塾の名前)に入った時の私は将来の夢も、時に興味のあることもありませんでした。高校2年の夏にホームステイに行き、何となく‘国際系‘がやりたいと思うようになりました。しかし、あまりにも漠然的すぎて具体的な事は考えても分かりませんでした。2学期の作文の授業でホームステイについて書き、「異文化」に興味が湧いてきました。※

 Nは高三の四月には立教大(異文化コミュニケーション学部)、上智(総合人間学部社会学科)に自己推薦入試(AO入試)で受験することを決めていた。そこで異文化に関係するような現場取材と聞き書きを課題にしたが、なかなか取材先を見つけられない。

 ※この頃の私は、とにかくAOで使えそうなネタなら何でもいいやとがむしゃらになっていたと思います。そしてとっさに思いついた、兄にインタビューをする、という事を言ってみると先生は「それだ!それが面白い!」とおっしゃいました。
 国民間の異文化についてホームステイを理由にしてずっと言っていた私に「兄妹間の異文化だ」と中井先生はおっしゃいました。何となくまだ国民間の異文化を捨てきれずにいましたが、なるほど面白いと思ったし、これはこのような兄を持った私にしかできない考え方だと思いました。※