10月 21

「式場?三郎:脳室反射鏡」

現在、練馬区立美術館で
「式場?三郎:脳室反射鏡」が開催されている。
私は先週見てきた。
面白いので、お薦めします。

式場は鑑賞の達人で、新たなもの、創造的なもの、そこにある精神の深さ(闇)をいち早く見抜く眼力があり、それを社会に広めていくプロデューサーとしての能力も持っていた。
マルチな才能であり、こういう人は日本では珍しいのではないか。

『二笑亭奇譚』という本(筑摩文庫で20年程前に再刊)は、「二笑亭」という奇妙な屋敷の意義を解説したもの。跋を柳宗悦が書いている。これもお薦めです。

詳しくは練馬区立美術館のHPを見てください。
https://neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=202008231598163149
この美術館は、今年春にも「津田清楓」展を行っており、着眼点の良さを感じている。
こうした美術館は少ない。
もっとも、今回の展示は、新潟市立美術館が企画したもので、練馬はそれを巡回しているだけだが。

4月 04

生誕140年記念
津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和展
練馬区立美術館

津田青楓。私はこの画家を知らなかった。
「文豪夏目漱石に愛された」画家とのこと。
いい絵がたくさんあった。

彼の絵は、その作風を大きく2回変えている。
彼には、大きくは3つの時代があったようだ。

1つは「文豪夏目漱石に愛された」画家として、夏目やその仲間たちの本の装丁などを一手に引き受けていた時代。
彼は日本画と洋画の2つともに学んでいて、さらにはデザイン画を多数書いていた。そして、夏目と出会う。木曜会のメンバーとの交友があった。

その後、昭和初頭には、経済学者河上肇との関りがあり、社会主義に大きく傾倒した。
特高に虐殺された社会主義者をキリストになぞられたような『犠牲者』はすごい。
そして思想弾圧の下で「転向」宣言し、洋画を捨てる。

その後は、南画の世界に移行し、良寛和尚にも影響を受けた精神世界を描いている。

日本の明治から昭和を、その核心部分と関わりながら生きた人だと思う。
洋画と南画の2つの世界をもって生きたところは、萬鉄五郎を思い出させた。
「転向」後に、身を寄せる場所として、南画という世界があったことをどう考えるべきか。
この問いが残された。

関心のある人には、是非お薦めしたい展覧会である。
4月12日までだが、
コロナ対応で、土日は休館しているので注意。

6月 26

「長谷川利行展 七色の東京」府中市美術館

長谷川利行は、以前から気になる画家だった。
彼の絵を初めて見た時から、一つの独立した世界がそこにあり、それが心に残った。
他の誰とも違う絵だ。一目で彼とわかる。

ずっと気になってきた。
ただ、どこの美術館(近代美術館)でも、彼の絵は2,3枚しか展示されておらず、回顧展などもなかったので、
まとめてその全体を見ることはできなかった。
いわゆる「全貌」がわからなかった。
それがやっとかなって、観に行ってきた。

全体を観て、ここには確かな個性があると思った。
彼は時代や社会や人々の中で、それに寄り添い、それに染み入るようにして、その時代や社会を絵に表してきた。
その線、その色。彼の独自のそれを、ずっと感じていたい。
それは私の記憶にずっと残っていくだろうと思う。

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長谷川利行展 七色の東京

府中市美術館
〒183-0001 東京都府中市浅間町1丁目3番地(都立府中の森公園内) 電話:042-336-3371(代表)

HPから
 関東大震災から太平洋戦争の直前まで、昭和初期の東京を歩き回り、怒濤のように描きまくった画家がいました。近代化が進む荒川・隅田川沿い、千住のガスタンクやお化け煙突。隅田公園にできたばかりの屋外プール。あるいは浅草の神谷バー、カフェ、地下鉄の駅の賑わい。その街に暮らす、カフェの女給じょきゅうや浅草の芸人、質屋の子守といった無名の人々。復興進む大東京の光と影を、七色に輝く絵の具で描きとめました。

 長谷川利行(はせかわとしゆき、1891-1940)、通称リコウ。京都に生まれ、20代は短歌の道を志し、30歳を過ぎてから上京。ほとんど独学と思われる油絵が二科展にかてんや1930年協会展で認められます。しかし生活の面では、生来せいらいの放浪癖からか、浅草や山谷、新宿の簡易宿泊所を転々とするようになり、最後は三河島の路上で倒れ、板橋の東京市養育院で誰の看取りも無く49年の生涯を閉じます。

 利行の絵はその壮絶な生き様からは想像できないほど、明るい輝きに満ちて、時に幸福感さえ感じさせます。奔放に走る線、踊るような絵の具のかたまりが、行く先々の現場で描いた利行の目と手の動きをそのまま伝えます。本展では、近年の再発見作《カフェ・パウリスタ》《水泳場》、約40年ぶりの公開となる《夏の遊園地》、そして新発見の大作《白い背景の人物》など、代表作を含む約140点で利行の芸術の全貌を紹介します。

会期
2018年5月19日(土曜日)から7月8日(日曜日)まで

5月 30

武蔵野市立吉祥寺美術館で
江上茂雄:風景日記 diary/dialogue with landscapes
が開催されています。

本日立ち寄りました。
久しぶりに、良い絵を見たと思いました。
静かですが、とても強い絵です。
心の奥が動き、胸にしみます。
まったく無名に近い画家なようで、私は全く知りませんでした。
2018年5月30日

以下は吉祥寺美術館のホームページから

会期:2018年5月26日[土]ー7月8日[日]
休館日:一般300円・中高生100円 ※小学生以下・65歳以上・障がい者の方は無料。
主催:武蔵野市立吉祥寺美術館

1912(明治45)年に福岡県山門郡瀬高町(現在の福岡県みやま市)に生まれた江上茂雄は、幼い頃から突出した絵画技量を発揮しながらも、12歳になる年に父を亡くすという家庭環境のもと専門教育課程への進学は望まれず、高等小学校卒業後15歳で三井三池鉱業所建築設計課に就職する。以後、会社勤めの収入により母・妻と4人の子の生活を支えるかたわら、「画家として生きる」という少年時代の決意を貫き、独学でクレパス・クレヨンによる表現を極めていく。1972(昭和47)年の定年退職後は、それまで暮らした大牟田から隣接する熊本県・荒尾に転居し、度重なる眼病や脳血栓を克服後、1979(昭和54)年から2009(平成21)年頃までの約30年もの間、正月と台風の日を除く毎日、水彩画の道具を担ぎ徒歩で自宅を出発し、その日の制作地を探し当て、1日1枚、戸外で写生による風景画を仕上げるという生活を続けた。

そして、2014(平成26)年2月、2万点以上に及ぶ絵を荒尾の自宅に残し、101歳でその生涯を閉じた。

遠く離れた場所で芽吹く美術の最新動向を常に意識しながらも、自分が生まれた土地を離れることなく、誰に教えを乞うこともせずに、制作者としての己と向き合い続けた江上茂雄。都内で初めてこの人を紹介する機会となる本展では、とりわけ、江上が青年期から描き続けた大牟田、そして定年後に毎日描いた荒尾の〈風景画〉に焦点を当てている。それらは、日々、そばに寄り添う自然と対話し続けた江上の足あとをたどるものであり、土地の人々が「路傍の画家」・江上茂雄を目撃した場と時の記録であり、さらには、絵の前に立つ誰かが、自らの過去の記憶に触れずにはいられなくなる風景でもある。

8月 29

日本画(南画)に洋画を止揚した男 萬鐵五郎 

近代の日本の洋画家で、私が特別に愛しているのが萬鐵五郎だ。

彼の回顧展が神奈川県立近代美術館 葉山で「没後90年 萬鐵五郎展」として開催されている。
会期は9月3日(日曜) まで。その後、新潟県立近代美術館に巡回。

8月27日に、海水浴客でにぎわう葉山まで行ってきた。
ただ、萬鐵五郎に向き合い、彼と対話をしてくるためである。

今回の展覧会は、過去最大の規模であった。
それは量の話だけではない。
1つ1つの作品の制作過程を、彼が撮った写真、デッサン、下書きや下絵からたどったり、
1つのテーマ(構図)が繰り返し、繰り返し、時を置き、現れてくる様子が示されていて、
あれこれと考えさせられた。

特に、今回の展示のポイントは、彼の日本画(南画)に焦点を当て、
子どものころから最後の作品に至るまで、
その決定的な役割を解明しようとしているところだ。
私は彼の南画が特別に好きなので、それをこれだけの規模で見られることが嬉しかった。
確かに「過去最大」規模である。

すでに361号に「日本画・東洋画と洋画と」を掲載し、そこに私の想いは書いているのだが、
今回改めて、彼の洋画と日本画が統合されていく過程が確認できた。

今回その全体を見渡して思ったのは、
萬鐵五郎にとっての洋画と日本画(南画)の統合は、
洋画に南画を止揚したのではなく、
南画に洋画を止揚したということだ。それがそのまま彼の洋画の作品なのだ。

なんというすごい、すばらしい人だろうか。

                         2017年8月29日