7月 06

日本作文の会の機関紙『作文と教育』2011年6月号では、聞き書きの特集が掲載された。
私が代表を務める高校作文教育研究会からは、私と古宇田さんと程塚さんが寄稿した。

以下が私の原稿。

異文化兄妹 「自分づくり」のための聞き書きをめざして 後半
  東京 鶏鳴学園 中井浩一

4.両親への聞き書き
 実は、この兄への聞き書きの中に、母への取材が挿入されている。
「お兄ちゃんが学校にいかなくなったときは心配だった?」「できることなら普通に学校も行く子にそだってほしかった?」「学校に行かなくなった頃は登校するようにすすめた?」「まさか自分の子供がこのように育つとは思ってなかった?」といった質問が並ぶ。
 母は次のように答える。
「お母さんってどちらかというとK(N・Kのこと)と同じタイプじゃない?赤点とって学校卒業できませんとかはありえなかったし自分の人生を参考にできないから戸惑った。どうしていいのか想像もつかなかったから。でも途中で面白がろうと思ったよ。中3のときに担任の先生に言われて気づいたように信じてあげようって。心理学者の本も不登校の子の本もたくさん読んだけど結局はお兄ちゃん自身を信じてあげることなんだよね。自分の事を思い出してみたんだけど、お母さんもお父さん(おじいちゃん)にすごく信頼されててそれが嬉しかったんだ。だから人って誰か一人でもいいから味方を持ってるって大切なこと。親の役割は自分の子供を信じてあげること、それだけ」。
 母への取材は、Nにとっては自然だったろう。Nが「普通」(2の傍線参照)に強いこだわりを持っていることを思うと、Nに近い価値観の人が、兄をどう受け入れたのかを考えることになるからだ。
そして、兄への聞き書きに続いて父の仕事の聞き書きを行った。それ自体は弊塾での全員への課題なのだが、Nにとっては特別の意味があったろう。Nの家族構成は両親と兄と自分の4人であり、残った取材対象は父だけだった。父の視点からの兄の姿を知れば、自分の家族の全体像が浮かび上がる仕組みだ。
「兄と父親が喧嘩になる」ことも多く、父は「自分の合わないところには敏感な点はある意味お父さんとお兄ちゃんっていうのは似てるのかもね」と語る。父と兄の似ている点は、父親の進路や仕事の話から確認できる。
 父は理学部の出身だが、洋書販売会社に就職した。その会社は九〇年代の不況下で倒産し、重役としてその対応に奔走する。その後二回の転職をしている。

一番衝撃的だったのは、当時の会社の実態を知ったことです。自殺者が出たことは元から知っていたけれど、それよりも父が2年もの間無給で働いていたということの方が私にとって衝撃的だったように思います。会社の状況が悪いということを具体的な数字で聞いた時も言葉を失ってしましました。
また、父は理学部を出たのに洋書会社に務めました。進路を考える時にどうしても就職と結びつけて考えていた私は、そのことを改めて聞いて、パっと大学の学部を考える視野が開けたような気分になりました。
「世の中には数え切れない程の仕事の種類があるのだから、それをいくつかの学部に分類する方が不可能だ」という父の言葉にとても納得できました。そして父のように好奇心が旺盛であればどんな仕事も楽しめる、大学はその好奇心を作るために行くのだと聞き、やっと自分でも納得の出来る大学に行く意味というのが見つかったように思えました。※

5.志望理由書、作文、小論文
 これだけの内容をつかみとったNであれば、あとはそれを文章にまとめればよい。そして、取材で明らかになった経験と事実の意味を深く考える段階だけが残っていた。それらを夏の五日間の小論文の講習から始め、さらに秋以降も練習を重ねた。
既に兄と父の2人にインタビューをしていたので、あとはまとめて志望理由書や課題を仕上げるだけでした。私は上智と立教2つを受けようと思っていたので、志望理由書と課題レポートをそれぞれ2つずつ書きました。立教の課題は異文化についてだったので数回の書き直しですぐに書き終わりましたが、上智の課題は少し難しく、何日かはかかったけれど考えていたよりもずっとスムーズに進んでいきました。こんなにスムーズに進むなど関心事が無かった時や、インタビューの相手が見つからなくて焦っていた時には思ってもいませんでした。
しかしこのようにスムーズに進んでいったのはやはり兄と父へのインタビューの影響が大きかったと思います。中井先生は「インタビューをするなら自分が壊されてしまう程の衝撃がなくてはダメだし、そういうものが1つでもあれば何にでも繋げられる」とおっしゃっていました。そのことがこの夏期講習で実感できたと思います。また、ホームステイと繋げての異文化について、一学期の私は確かに本気で考えていたけれど、それでは誰でもできるし面白くなかったと徐々に自分でも感じられるようになってきました※。

 私が小論文の練習の課題文に選んだのは慶應大学の法学部に出題されたテキストで、マスコミが与える模擬現実と現実のズレをテーマにしたものだ。これによってNがこだわる「普通」の意味を問い直すことがねらいだった。それは結局は、母と自分の兄への態度の違いを考えることになった。私は、この作業を通じて「考えること」の意味を理解して欲しいと願っていた。
慶應の小論文のテーマは兄のことで通しましたが、先生にアドバイスをいただいて違った視点から考えるなど何回か書き直しました。例えば、私と母の兄のとらえ方の違いについても、始めのうちは自分と世間との関係について述べていました。しかしだんだんと母からの視点について取り入れ、最後の方はほとんど母がどのようにして兄を受け止めていったのかを述べるようになっていました。少し視点を変えるだけで全く違うものになりました。
難しい課題だったので、塾から家に帰るまでは何て書けばいいのか、どこから考えればいいか見当もつかないし、答えなんて出てこない、今日は一体何時に寝られるのだろうかと憂鬱でした。私は ‘考える‘ことから逃げていたのだな、と改めて感じました。しかし、一度取り組み初めてしまえば、時間はかなりかかるものの、様々な考えが浮かんできました。何回か続けていくと、自分が出した答えや考えにまた疑問が浮かび、考え、またの考えに疑問を出し・・・とどんどん掘り下げていくようになりました。
例えば、私と母の兄をとらえる違いは、世間の目を取り入れているかいないかの違いであるが、母もはじめは世間側から兄を見ていた→ではどうして兄をとらえ方が変わっていったのか、何が母を変えたのか、という具合である。※
こうして、Nは9月、10月には二つの大学に志望理由書と課題作文を提出した。立教大は不合格だったが、小論文や面接を経て上智には合格できた。見る目のある試験管に当たったのだと思う。

6.聞き書きの課題
 私が高校生に聞き書きをさせるのは、「自分とは何か」を考えさせたいからだ。「自分」とはその人のテーマ、問題意識に他ならないだろう。関心のある社会問題やあこがれの仕事の「現場」に行き、現実の問題と闘っている人の話を聞いて文章にまとめる。それは、高校生にとって、他者の問題意識を媒介にして、自分自身の問題意識を作り上げることに他ならない。そうした目的で行う聞き書きでは、以下の三点が重要だと思う。
(1)大きな問題と身近な問題
 「国際理解」とか「異文化理解」とかは、重要な問題だが、いささか流行りすぎで軽薄な理解が横行している。それらを、自分の身近な問題と結びつけることができなければ、本来のまっとうな力にはならないだろう。
(2)対象(他者)理解と自己理解
取材や聞き書きの対象や相手の選択では、問題の大きさ深さだけではなく、その取材者、書き手にとって、はっきりとした意味がなければならないと思う。対象理解は自己理解に他ならない。
(3)思考による一般化
問題意識は、思考によって深められ、一般化した形にまで高める必要がある。一部の方々は、大学入試の紋切り型の「小論文」への反撥などから、思考や一般化そのものまで否定するような傾向があるように思うが、大きな間違いだと思う。高校生がテーマ、問題意識を作るために一般化は不可欠ではないだろうか。

Nの文章は太字にした。実名は伏せ、長い文では省略した個所がある。段落などの一部は整理した。他は文章を変えていない。
 

7月 05

日本作文の会の機関紙『作文と教育』2011年6月号では、聞き書きの特集が掲載された。
私が代表を務める高校作文教育研究会からは、私と古宇田さんと程塚さんが寄稿した。

以下が私の原稿。

異文化兄妹 「自分づくり」のための聞き書きをめざして
  東京 鶏鳴学園 中井浩一

1. 異文化兄妹 ―志望理由書―
高校2年、アメリカにホームステイに行った。進んで自己主張をするアメリカ人と協調性重視で控えめな日本人の間に文化の差を感じ強い衝撃を受けた。
しかし文化の違いというものは国民間だけでなく、人と人の間、つまり兄妹にも当てはまるのではないか、いや、誰よりも近い関係なのにそれに気付かず理解出来ない方がずっと重大な異文化の問題ではないかと思い始めた。実は私と兄は異文化兄弟なのだ。
22歳の兄は中学から不登校、大学中退。いわゆる「世間の枠からはみ出た人間」である。現在はサブカルチャー系雑誌のライターをしている。一方、妹の私は友達や部活のために学校に行くことを生きがいとして、「兄はただのプータローだ」と思ってきた。
多くの面で私の方が兄よりも勝っていると思ってきたが、次第に自分の主張や独創的な考え強く持つ兄の方が人間的には面白いのではないか、自分はどこにでもいるような人間のうちの1人ではないか、と不安と疑問を持つようになった。
そこで、兄は今まで何を考えてきたのか知ろうと思い、インタビューをした。不登校ということで世間を敵に回すことが多かった兄から出てくる言葉は非情に衝撃的だった。今まで兄に背を向けていた自分、周囲の表面的で小さな社会だけを見て生きてきた自分に気づいた。そして何よりも、私と兄はそもそも互いに持っている文化が違うのだと感じたのだった。
 異文化というと、国民間や民族間のことだと考えていた私にとって、人と人との間にもあるのだという発見は、大変興味深いものであった。
 そもそも文化とは、どのようにして生ずるのだろうか、どうして兄妹という同じ環境で育った人間同士でも違う文化を持つようになるのだろうか。これらの疑問を、さまざまな背景を持った留学生や、学生が多く、多彩な教授陣に恵まれた環境で追求したいと思い、貴校を志望した。

これは二〇一一年度の上智大学総合社会学部の自己推薦入試で提出された「自己推薦書(志望理由書)」だ。著者は私立女子校の高三生(N.M)。Nには「不登校」の兄がいた。その兄の聞き書きをすることで、彼女に大きな変化が生まれた。「兄に背を向けていた自分、周囲の表面的で小さな社会だけを見て生きてきた自分に気づいた」。
聞き書きは、高校生が社会と自分を見つめ直す大きな機会になる。そこで生まれた問題意識を深めていけるような指導を、どう展開できるのか。論文、志望理由書へとどう発展させられるのか。それを報告したい。

2.兄に聞き書きをするまで
Nには、二〇一一年の一月に受験を振り返る文章を書いてもらった。それから引用しながら、先の志望理由書が生まれるまでを振り返ってみよう。この文章からの引用には末尾に※をつける。 
 高2の春、鶏鳴(弊塾の名前)に入った時の私は将来の夢も、時に興味のあることもありませんでした。高校2年の夏にホームステイに行き、何となく‘国際系‘がやりたいと思うようになりました。しかし、あまりにも漠然的すぎて具体的な事は考えても分かりませんでした。2学期の作文の授業でホームステイについて書き、「異文化」に興味が湧いてきました。※
Nは高三の四月には立教大(異文化コミュニケーション学部)、上智(総合人間学部社会学科)に自己推薦入試(AO入試)で受験することを決めていた。そこで異文化に関係するような現場取材と聞き書きを課題にしたが、なかなか取材先を見つけられない。
この頃の私は、とにかくAOで使えそうなネタなら何でもいいやとがむしゃらになっていたと思います。そしてとっさに思いついた、兄にインタビューをする、という事を言ってみると先生は「それだ!それが面白い!」とおっしゃいました。
国民間の異文化についてホームステイを理由にしてずっと言っていた私に「兄妹間の異文化だ」と中井先生はおっしゃいました。何となくまだ国民間の異文化を捨てきれずにいましたが、なるほど面白いと思ったし、これはこのような兄を持った私にしかできない考え方だと思いました。※
 
3.兄への聞き書き 
兄へのインタビューは二〇一〇年の六月に行われた。以下がその聞き書きからの引用だが、引用部分は太字にし、兄のコメントは斜体字にした。傍線は中井。
Nの四歳年上の兄が不登校になったのは中学生の時だった。

 この頃の兄については今でも覚えている。この頃から兄が勉強している姿は全くといって良いほど見ていない。兄と父親が喧嘩になると兄はよく壁に穴をあけていたし、学校には行かないし、小学生ながらも、ヤンキーではないが周りの友達と同じようなお兄ちゃんでないことに気づきはじめていた。
 
学校を辞めろと言われた時はどんな気持ちだったのか聞いてみた。
「学校やめるってのは絶対嫌だったよ。これでも変に真面目な人間だったから世の中の流れから外れるのが恐かったんだよね。だから自分が学校側に合わせようと思ったんだけどダメだった。それで結局A学園はやめて不登校だった生徒もたくさんいるB学園に入ったんだ。そこの先生はうるさいこと言わないし、どんな話でも聞いてくれるし、学校が比較的自由だったね。小学校依頼初めて学校が楽しいと思ったよ。今でも付き合うのはここでの友達だね。」

兄が絶対に学校をやめるのは嫌だったと聞いて少し驚いた。当時私の目には、兄は学校が本当に面倒くさくてわがままをいっているように見えていたからだ。
しかし今は兄がいう「世の中の流れから外れるのが怖い」という理由が少しばかりわかる気がする。当時小学生だった私は学校を辞めたら友達に会えなくなるから嫌だと考えていた。しかし今は学校を辞めたら世の中の冷たく、職につくのも他の人より困難になるという現実を知りはじめたからだ。
私が学校に友達に会いにいっているとき、兄は自分とそして世の中の厳しさも含めてたたかっていたのだなと初めて気づいた。
 B学園に入った後の兄は妹の私からみても本当にたのしそうだったと思う。部活は陸上部に入り、彼女もできてやっと高校生らしいお兄ちゃんになったと思った。そしてどうかこのまま普通の人でいてほしいと思った。

兄に同世代の人でちゃんと学校に行けている人のことはうらやましいと思うかと尋ねてみた。
「昔は羨ましかったよ。何人かで集まって楽しそーに話してることに対するコンプレックッスっていうか。でも今は羨ましいと思わないよ。俺にとっての友達はリラックスして話し合える友達なんだよ。自然体でね。この前なんてマンガの話だけで10時間ぶっ通して話したよ。もう開き直ったね。今時の大学生を羨ましいとは思わない。俺に合う友達はいるところにはいるんだよ。」

考えかたなどが他と合わなかったとき、今はどう思うのか?
「世の中が悪いね。自分が合わせられそうな場所はどこかにはあるんだよな。それを見つければいいはなし。」

大学を出ていないと何かと不利になることが多いがどう思うか?
「それも大学、世の中がおかしい。よく周りは「がんばれがんばれ」いうけど先が見えて言ってることなんですか?って思うんだよね。頑張っても負けたら頑張りが足りなかったて評価されるのってズルイよな。フェアに試合しようぜ。」

私は兄に比べれば友達はたくさんいるほうだし、自然と学校や世の中に自分自身を合わせていた。世の中が自分にあっていないのが悪いなどほとんど思ったことはない。むしろ私たちはいやでも‘世の中’で生きていかなければならないのだから、自分が嫌だろうがなんだろうが自分自身が合わせなくては困るのは自分だし、世の中が悪いといっても自分の手では世の中は変えられないと思っていた。
しかし「自分の合わせられそうな場所はどこかにはある。」「俺に合う友達はいるところにはいる。」という言葉を聞いたとき、私は兄に対して強いなと思った。世の中にどう思われようが割り切って自分に合うわずかな場所を見つけながら生きている兄は自分の道を貫いているなと思ったからだ。
‘世の中’は普通に学校に行き、職につくという一般的な人生を指すのではないということを、私なりにわかっている気がしても自然と目にはいれていなかった自分に気づいた。それに比べ兄こそ‘普通の人’の目にはさらっと流れてしまうような世の中の隠れた部分、皆が自然と目をそむけている部分が見えているのだと思った。

私はどうして同じ両親から生まれたのにこんなにも性格が逆なのだろうと何度も思った。もしかしたらどちらかが養子なのではないかとつい考えてしまうほど逆だ。
人に「お兄ちゃん何歳?大学何年生?」と聞かれることも「どこの学校?」と聞かれることも嫌だった。ただ「ライターやってるよ」だったり「コンテストで最優秀賞とったんだ」などだけは自慢げに話す本当に都合の良い妹であった。兄弟の話題になるたびに適当に応えていたけれど、私は本当に兄に対して興味がなかった。「私のお兄ちゃんは変わった人」と思って勝手に目をそむけていた。
昔は「兄弟比べられて嫌だよねー」などという会話に共感はもてなかった。なぜなら勉強でも運動でも、人間付き合いの面でも私は兄よりも勝っていると思っていたからだ。しかし、年を重ねるごとに文章力でも表現力でもきちんと自分なりの意見を持っている面でも羨ましいと思ってきた。むしろ兄のほうが人にはないものを持っていて、よっぽど人として面白いと思った。

私は今まで普通のお兄ちゃんだったら・・・と何度も思ったことがある。しかし私にはこの兄が唯一の兄弟なので、いわゆる‘普通のお兄ちゃん’とは何なのか分からない。私にとってはこの変わったお兄ちゃんの妹であることが普通なのだ。