1月 04

11月の読書会の記録 太田峻文

 (佐藤栄佐久『福島原発の真実』,清水修二『原発になお地域の未来を託せるか』)

 ■ 目次 ■

 4、佐藤栄佐久『福島原発の真実』の検討
 5、清水修二『原発になお地域の未来を託せるか』の検討
 6、記録者の感想

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4、佐藤栄佐久『福島原発の真実』の検討

 全体について
 
 〇汚職事件で逮捕

・佐藤前知事は検察にハメられたと主張するが、有罪が確定するも
 収賄額ゼロという認定からは、前知事の主張の妥当性がわかると思う。

・国と徹底的に喧嘩する人は、過去の読書会で扱った佐藤優のように、
 検察によって潰されていくことが、事実としてあるのではないか。

・県知事が東電や国と喧嘩をすることで、彼にも読者にも
 見えてくるものがある。

 〇本質論

・普通の政治家は利益誘導だけを考えて調整すれば良いので、
 本質論なんてやらない。

・佐藤知事は原子力政策で本質論をやろうとした所に凄さを感じる。

・本気で物事に取り組む人、本気で国家と喧嘩をする覚悟がある人は、
 本質論をやらないと話にならない。

 第1章:事故は隠されていた

・1991年1月の、第二原発3号基の部品脱落事故。

・原発政策に自治体はなんの権限も無く、関与できない。

 第2章:まぼろしの核サイクル 

 〇官僚の無責任さ

・核燃料の処理に関する、知事と官僚との約束が破られる。
 官僚は異動してしまえば責任のがれができる。
 その責任は誰がとるのか?

 〇本気で戦う人の姿勢

・原発政策に対して国に申し入れをする際、
 原発集中地域である福島、新潟、福井の3県に絞る。

・県の原子力関係部門を課に格上げして、さらに専門家を入れる。

 〇本質論に向けて

・議論を尽くす事を目的に「核燃料サイクル懇話会」を設置。
 ここが、本質論のレベルの始まり。

・4回目の懇話会に『原発になお地域の未来を託せるか』の著者、清水さんが
 呼ばれている。原発について本質論をやる時に欠かせない人。

 〇リーダー論 

・自治体の不適切な支出、膨大な接待が発覚。佐藤知事は職員に
 徹底的に討論させ、最終的に課長以上の職員に、200万円を
 県に返還させることを決断。

・つまり、多数決ではなく、最終決定をトップが行い、
 その責任をトップが取るというスタンス。

・今回の震災で、責任を取ろうとしないトップがいかに多かったか。

 3章:安全神話の失墜

 〇リスク管理

・JCO臨界事故において、リスク管理の欠如が明らかになる。

 〇地方の過疎の問題

・県庁所在地であるにも関わらず、駅前はシャッター通りに
 なっていている。

・古い町並みにあった商店街はほとんど潰れ、一方で郊外の
 ショッピングセンターが栄えている。

・平成の大合併。地域のコミュニティを無視した、政府主導の
 アメとムチの政策。

・大規模小売店鋪法。規制緩和の名の下に押し進められた
 経済産業省の新自由主義政策。

・地方の過疎化を加速させた新自由主義の政策にも、
 正当な理由(競争がなく、時代に取り残された)はあるが、
 今は全体を考えた政策が必要。

・佐藤知事は以上の政策に反対の姿勢を示してきたが、
 その対応策は成功しているのかは不明。

 第4章:核燃料税の攻防

 〇プルサーマル計画

・計画実施をめぐり、国、官僚があの手この手で揺さぶりをかけ、
 東電が脅しをかけたりと、そのやりとりが実におもしろい。

・経産相の知らないうちに、役人たちが動いていろいろな事が
 進められてしまうと知事が言っている。

 〇経産省内の電力自由化抗争

・「新規電源凍結騒動」の結果、電力自由化論者の官僚が経産省を追われる。
 このことから、原発推進派=反電力自由化という理解で良いのだろうか。
 また、この電力自由化論は55年体制を是正しようとする流れから
 来ているのかは不明。

・また一方で、原発推進派はどちらかというと電力自由化論者である
 という見方もある。中には「東電解体」「発送電分離」を
 支持しているにもかかわらず、「原発の国有化」も
 主張している人がいたりと矛盾が多い。

・国は東電をコントロールしたいけれど、東電の影響力は強いので
 うまくいかない。だから国の「東電憎し」という気持ちから
 「電力自由化」という主張が出てくるのではないか。

・電力自由化を実現させたアメリカへの憧れから
 支持している人もいるだろう。電力自由化抗争は複雑。

・しかし、佐藤前知事が言うように、国のエネルギー政策に対して
 きちんとした考えを持って取り組んでいる人というのは
 どれくらいいるのだろうか。本来、電力自由化は手段にすぎない。

・国と東電の関係は歪んだ共依存関係ではないか。
 つまり、東電としては原発、特にプルサーマルは、
 リスクが 大きいだけだから本音としてはやりたくない。
 ところが、国が国策の名のもとに原発を東電に押し付けるので、
 東電には被害者意識がある。だからその代わりに東電が
 儲かる構造があり、社員は役人以上に高い給料を貰っている。

・その関係が、責任を取ろうとしない体質につながっていく。
 原発事故以後の報道を見ていても、両者の無責任さは見え見えだった。

 第5章:国との全面対決

 〇エネルギー政策検討会

・「県民の意見を聞く会」に寄せられた意見を整理して、
 テーマを4つに絞り込み、そしてそこから本質論をやって行こうとする。

・議事録をホームページに公開していくというやり方は
 真っ当であり、この姿勢から、佐藤前知事の本気度がわかる。

 第6章:握りつぶされた内部告発

 〇内部告発への対応

・東電は事故隠しを行い、経産省は内部告発を2年間放置していたことが発覚。

・経産省は、外国人の告発者を東電に報告するというひどさ。

・政治家は官僚にはしごを外されている。

 第7章:大停電が来る

・「原発の安全管理は厳しすぎる」という東電社員のホンネがみえる。

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5、清水修二『原発になお地域の未来を託せるか』の検討

 全体について

・研究者として30年間、原発の問題に関わってきているので
 主張に年季がある。

・あくまで原発を誘致した側の視点で書かれているため、経済的に
 どうして受け入れる必然性があるのかという問いに、答えようとしている。

・一方的に脱原発、反原発と言うような人ではない。
 経済的な問題がそこにあり、地域の問題を解決せずして、
 原発を無くすもなにもない。そういう意味では、
 清水さんのような研究はとても重要。

・第一章の「原発震災は何をもたらしたか」は、今回の事故で
 明らかになった問題の論点整理。ここに根本的な問題提起がある。
 問いに対する答えは本書にはまだ出せていないが、当然。
 これからみんなで、一人一人が出していくべき。

 第一章:原発震災は何をもたらしたか

 〇避難と退避

・避難と退避の区別の基準が曖昧。
 それがいかに大きな問題になっているか。

・今回の福島の問題は、内的な気持ちのところの被害が大きい。
 もちろん、肉親が亡くなったりする外的な要因で心の被害を受けるのだが、
 福島県内の人は直接的にではなく、心が傷つけられていくという
 陰湿な被害を受けている。

 〇心理的なストレス

・放射能の恐怖によって、ストレスがものすごくかかっている中で
 生きている人たちの気持ちは、僕たちにはとても分からない。

・自主避難をした人たちへの補償は一切無いが、そういうストレスの中で
 生きていく事が耐えられなくて避難した人ヘの救済が、行なわれないでいいのか。
 ストレスに耐えられないのが、むしろ正常なのではないか。
 (これは一部補償の対象になることになった)

 〇避難をめぐる葛藤

・福島県の地域、職場、家族間のあらゆるコミュニティで、
 避難できた人と残った人、避難したい人と残りたい人とで2分された。

・避難とは、職場放棄でもある。仲間などへの「裏切り」という面がある。

・どういう判断をしても誰かを傷つける結果になり、
 両者がそれぞれ、深刻な心の傷を負うことになった。

 〇規制値とは何か

・政府の示した暫定規制値をどう考えるか。

・これまで、被ばく規制値は年間1ミリシーベルトとされてきたが、
 それがいきなり20ミリシーベルトに引き上げられ、不安を呼んだ。
 本当に大丈夫か?

・低線量被曝の影響が専門家の間でもはっきりしないので、
 個々の責任で判断するしかない。

・ひとつの判断として、浴びる線量をゼロにするために
 避難することもある。

・「被曝のリスク以上に、避難をすることで社会的、経済的、
 精神的リスクの方が大きいのではないか」という、清水さんの問題提起。

 〇農業者が抱える悩み

・福島県産に手を出さない消費者の行動は、風評被害なのか。

・福島県のある一定の地域が放射能で汚染されたことは事実であり、
 それに対して手を出さないというのは、極めて合理的な判断と
 言えるのではないか。

 〇福島の第一次産業を救わないで良いのか?

・(著者)日本国民はこれまで原発を許してきたわけだから、
 その結果として生まれた汚染大地の産物を、大人の国民は
 甘んじて口にするべき。

・(中井)基本的に賛成。一般に風評被害ということで
 軽く済ませている。実際に放射能で汚染されていることを
 重く受け止めなければいけない。子供は守ることを前提に、
 大人たちはあえて福島県産を食べろというのは、極めて重要な
 問題提起ではないか。

 〇東京と福島のねじれた関係

・原発立地地区の住民は、これまで原発の恩恵に預かってきた訳だから
 福島県の農業を、そうまでして救わなければいけないのか。

・福島で発電された電気は、地元ではなく東京が消費している。

・福島が東京に電力を提供し、東京が福島にお金を払うという関係は
 対等と言えるのか。

・これまでの東京一極集中の構造から、東京と地方の関係に
 どのような関係がありうるのか。

 〇公式情報を信じるかどうか

・今回政府、東電が情報隠しをやったが、これをどのようにとらえるか?

・(著者の意見)原発事故に際しての福島県民の行動様式は
 「お上に従順な東北人気質」に見えるかもしれないが
 「誇るに足るもの」である。

・普通は批判点としてあげられるところだと思う。
 大学教授でもある著者が、なぜこういう評価になるのか。

・家族も仕事も福島にある人の中には、自分だけ残り、子供と奥さんは
 避難させるという選択がある。一方で、放射能のリスクはあるけれども、
 親と離れることによる子供への精神的な影響を考え、家族と一緒に
 残るという選択がある。政府の情報を信用してというよりは、
 直感的にリスク管理をやっているのではないか。

・清水さんは信頼できる。「政府は信頼できない」と一方的に
 言っている人は、その発言の責任をどう取るのか
 というところまで深く考えていない。

・震災直後に直ちに避難できたのは、外国人と金持ち。
 金がない人間は、どう行動することが現実的だったのか。

 〇損害の補償はだれがするのか

・東電が過剰な賠償責任を問われるのを恐れているのは
 日本の財界、というのはリアル。

・東電の大株主は大企業であり、それは東電が潰れる事で
 もっとも直接の被害を受けるのは、日本の財界。

 〇今後の可能性

・脱原発をして、自然エネルギーを中心としたエネルギー基地に
 なったとしても、そこにはなんらかの補助金、交付金がついて、
 構造的には同じになってしまうのではないか。

・もともと産業がなかった地域だからこそ原発が
 建ってきたのだから、風力にしたからと言って
 地域の問題は解決されるわけではない。

・政府、東電を批判していれば正しいというような風潮があるが、
 それは間違っている。国は政策を決めなければいけないし、
 エネルギー政策は、国家の根幹に関わる問題。
 一貫した政府、自民党の原子力政策を、40年近く
 国民が指示し続けてきた重さをどう考えるのか。

・今、脱原発に進むとして、その先にどういう社会があるのか。
 そもそも、どういう将来を僕たちが望むのか。

・一つの可能性として、外の人がどんどん入っていくというのは良いと思う。

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 6、記録者の感想

 私は『福島原発の真実』を読んで、福島県が10年以上にわたり
原子力政策をめぐり、国との間で激しい対立、抗争が
あったのにもかかわらず、それらについて私の記憶の片隅には
一切残っていないということにまず驚いた。

 そして、佐藤前知事が本質論で原発政策に取り組み、逮捕されるまで
突き詰めてきた姿勢に圧倒され、自分もこのような激しさを持って
物事に取り組んでいくことができるだろうか、不安に思った。

 私のように無知であることからくる恥ずかしさ、申し訳なさ、
負い目を、今回の福島原発事故から誰もが少なからず感じたと思う。
そういった、これまでの国民の無責任さについては、清水さんが
著書の中で言及しており、その責任のとり方についても
問題提起している。

 これまでの無関心な姿勢を反省して生きていくことは必須だと思うが、
それが即、いま盛り上がりを見せている「脱原発・反原発」
ということになるのだろうか。その「脱原発・反原発」が、
これまでの姿勢を反省した形になっているのだろうかと疑問に思った。

 確かに、原発事故以後の政府、東電、経団連に関するネガティブな
報道がたくさん流れる一方で、被災者を追ったドキュメンタリー番組
などで、放射能汚染の影響で廃業せざるを得ない農家や、
畜産農家の方が、涙をぼろぼろ流しながらその悔しさを
語る姿をみると、東電憎しで脱原発は当然だろうとも思う。

 しかし、ある番組で原発事故のせいで農業を廃業し、
家族と離れ離れになったという人が、地元に残って
最終的に見つけた就職先が、東電の関連会社だった
というのを見て、こんな厳しい現実が地方にはあるのかと
その時初めて知った。このような地方の本当の現実、問題を考えず、
さらにそこに暮らす人々に思いを馳せないで脱原発を
主張することは、結局これまでと同じ、東京側の
視点でしかないのではないか。

 今回の読書会で扱ったテキストの著者は、長年福島で生活し、
それぞれの問題に取り組んできたということで共通している。
だから、今回の両テキストが東京側の視点ではなく、福島側の視点を
提供してくれているという点で、非常に意味があるものだと思った。

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1月 03

11月の読書会の記録 太田峻文

 (佐藤栄佐久『福島原発の真実』,清水修二『原発になお地域の未来を託せるか』)

 ■ 全体の目次 ■

 1、はじめに
 2、参加者の感想
 3、福島原発の問題を考えるための大きな背景(中井)
   →ここまで本日3日掲載
 4、佐藤栄佐久『福島原発の真実』の検討
 5、清水修二『原発になお地域の未来を託せるか』の検討
 6、記録者の感想
   →ここまで明日4日掲載

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◇◆ 11月の読書会の記録 太田峻文 ◆◇

 (佐藤栄佐久『福島原発の真実』、清水修二『原発になお地域の未来を託せるか』)

 1、はじめに

 11月26日(土)の午後5時から7時、鶏鳴学園にて読書会が行われた。
 先月に引き続き、東日本大震災をテーマに扱った2回目の読書会である。
 参加者は高校生2名、就職活動生1名、大学生1名、社会人2名、
 中井先生を含めた計7名。

 テキストは、佐藤栄佐久『福島原発の真実』(平凡新書)と
 清水修二『原発になお地域の未来を託せるか』(自治体研究社)の二冊。

 前者は、ながらく福島県知事として国の原発政策をめぐり、国、東電、
 経産省と闘ってきた佐藤栄佐久氏による告発本。
 後者は、30年あまり福島に住み続け、原発問題に取り組んできた著者が、
 今回の原発事故を社会科学、地方自治、経済的な視点から考察した書き下ろし。

 2、参加者のテキストについての感想

・清水さんの文書は文体的にも読みやすかった。
 特に社会学的な視点から電源三法、原子力政策というのを
 捉えているので分かりやすかった。

・原発が地域の自立を奪っているという事がはっきりと
 書かれており、面白いと思った。

・日本には原発の立地地域がたくさんある中で、なぜ福島県知事だけが
 国と喧嘩することができたのか疑問に思った。

・佐藤さんの著書を読んで、東京電力は変な考え方を持っているなと思った。
 清水さんの著書は、原発のなにが問題なのかがはっきりと
 書かれていて分かりやすかった。

・なぜ官僚は検証なしにブルドーザーで政策を進めてしまうのか。

・原発の「必要だから正しい、だから安全だ」という所に
 問題の核心があるのではないか。必要だから原価の計算を安く見積もったり、
 安全基準を作ったり、すかしたりしながらアメとムチで脅してやっていく。

・原発を推進するには様々な建前があると思うが、
 必要だからとにかくやる。そこにはロジックがまるっきり無い。
 これはとても恐ろしい事だと思う。

3、福島原発の問題を考えるための大きな背景(中井)

 〇55年体制

・日本は、戦争で戦時体制を維持する為に大政翼賛会を作り、
 電力会社はもちろんのこと、政治や各業界を再編成して
 一つにまとめていった。その体制が、戦後も55年体制として残っている。

・日本の経済成長を進める際に、この体制がものすごい大きな力を持ってきた。

 〇高度経済成長

・高度経済成長期には、55年体制があるところまでは有効に
 機能していった。しかし、高度経済成長は第一次産業を潰す形で
 第二次産業を押し進めていったため、労働力が地方から東京などの
 大都市に集中し、特に東北は高度経済成長のマイナスの部分を
 ひたすら背負ってきた。

・日本の経済発展ために犠牲になった地方が、少しでもその発展の恩恵に
 あずかれるような仕組みを作っていったのが田中角栄であり、
 原発もその中に位置付けることができる。
 

・経済成長の中で、東北の人たちがどういう思いを抱いて生きてきたのか。
 また東京の繁栄をどのように見てきたのか、という人々の
 恨みつらみといった思いもある。

 〇高度経済成長以後

・高度経済成長が終わって以後、55年体制も破綻せざるを得ない
 ところに追いつめられている。そのため、次の時代のあり方を
 作っていかなければいけないのに、基本的には成功していない。

・そんななか、今回の震災が来て原発事故が起きてしまったので
 大混乱に陥っている。だから復旧というところまでは出せても、
 その先のどういう地域社会を作っていくのかという、
 見取り図が出せていない。

 〇リスク管理

・原発事故以後、これからの社会を考えるうえで「リスク管理」
 という考え方が重要だ。これまでは、リスクについて触れることは
 許されないので安全だということで誤魔化してきた。

・しかし、今回の事故で安全が完全に壊れたいま、これまでの
 リスクか安全かという2項対立は成立しない。
 「すべてはリスクでしかない」という考え方が、大前提になるべき。
 そして、その上でリスクの管理をどのように行なっていけるか、
 リスク同士の比較を現実的に考え、議論をしていく段階に
 進まなければいけない。

 〇国策としての原発

・原発の問題に関して今回の両テキストで不足している視点は、
 原発は国策であるということ。そこには政治家や官僚の
 全面的な関わりがあり、財界も関わっている。
 当事者である東電は、財界を代表する存在でもある。
 そして国民はずっと、間接的に原発を支持してきた。
 これらがどのようなつながりの中で、今まで来てしまったのか
 という根本問題には触れられていない。

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1月 02

◇◆ 1月から3月のゼミの予定 ◆◇

予定は以下ですが、1月から3月は私が取材と原稿執筆で忙しくなるので、予定の変更がありえます。事前に確認の上、おいでください。

1月
 14日 文ゼミ
 28日 読書会

2月
 11日 文ゼミ
 25日 読書会

3月
 10日 文ゼミ
 24日 読書会

1月 01

迎春

昨年12月29日には、ゼミ生と1年の振り返りをしました。
それを踏まえながら、
昨年2011年の、私個人と、大学生・社会人ゼミについてまとめました。

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◇◆ 2011年の振り返り  ◆◇

? 中井個人について

(1)哲学
 昨年は、ヘーゲルの大論理学の概念論冒頭の「普遍、特殊、個別論」に取り組みました。この範囲の訳注である牧野紀之氏の『概念論 第1分冊』を参照しました。

 「特殊」論はかなり理解できたと思います。できたどころか、ヘーゲルの叙述の不十分な点、展開できないで終わっている個所がよく見えました。一方、「個別」論は全体にあいまいで、わからない印象で終わりました。
 この原因を考えると、もちろん私の能力不足が挙げられるでしょう。しかし、ヘーゲルの側の問題も大きいと思います。ヘーゲル自身というよりも、ヘーゲルの時代の限界です。まだ近代が、民主主義が、資本主義が始まったばかりの段階で、ヘーゲルはこの世界を考えざるをえなかったという限界です。
 今こそ民主主義の時代、平等の時代です。それがゆきすぎてポピュリズムが心配されているほどです。そして、「個性」「個性」と猫も杓子もわめきたて、他者との違いを売り込もうとしています。つまり、今こそ、特殊の時代なのです。
 ヘーゲルが必死で実現をめざした「人格の平等」は、今では大前提で、みながそれを疑うこともなく、それぞれの「個性」を競おうとしています。もちろん、その「個性」は非常に怪しげで、もろくはかないもので、本来の理解からは程遠いと思います。
 ヘーゲルには、こんな馬鹿げた大騒ぎになるとは想像もできなかったことでしょう。そのために、彼の特殊論は、具体的でなく、不十分で終わっていると思います。しかし、「個別」とは、特殊を止揚した段階です。その段階に至るには、特殊を十分に展開しつくし、その矛盾を徹底的に暴露する必要があり、その結果として「個別」の段階が明らかになるはずです。
 「特殊」論が不十分なヘーゲルに、「個別」論が具体的に展開できるはずはありません。そのため、彼の「個別」論も不明な個所が多かったのだと思います。

 しかし、こうした不満をヘーゲルに向かって投げつけてもしょうがありません。それは私の役割です。この「特殊」の時代の矛盾を徹底的に展開するのが私の使命だと思いました。

 ヘーゲルでは、他にも『精神現象学』の第5章「理性論」を牧野紀之訳(未知谷版)で通読しました。

(2)関口ドイツ語学と日本語学
1.1昨年の「不定冠詞」論に続いて、昨年は「定冠詞論」を半分ほど読みました。

2.さらに、日本語学の山田孝雄氏、野村剛史氏の論考を読んだのが、大きいです。判断を根底において、考えている点で、ヘーゲルと両者は一致していて驚きました。さらに名詞を、言語の根源的な矛盾としてとらえ、助詞や冠詞はその矛盾から生まれていると理解している点で、関口氏と野村氏は一致しています。

3.今年は関口の「定冠詞論」と「無冠詞」を読み終え、関口ドイツ語学についてまとめるつもりです。関口氏は、世界レベルであるだけではなく、それを超えた言語学者だと思います。

(3)著述
 3・11後、東北の被災地の取材をしました。7月、9月、10月、12月と、それぞれ1週間から2週間の滞在をしました。
 震災後の国立大学を取材し、東北地域の抱える経済、政治、医療、文化の問題を考えることができました。
 この一部は来年1月の『中央公論』2月号で掲載後、6月に新書ラクレで刊行の予定。
 他にも、福島県の原発地域の高校を取り上げて、原発地域と教育の関係を書く予定です。

(4)国語教育
 1.大修館の教科書の補助教材を作りました。
 2.「聞き書き」の本を刊行するために、その準備で大修館のPR誌『国語教室』秋号の「聞き書き」特集の企画とインタビューや対談などをしました。今年は、「聞き書き」本の刊行を目指します。
 3.来年は、論トレをビジネス書として刊行する計画もあります。

? 大学生・社会人のゼミ

 昨年は、江口朋子さんと守谷航君がゼミを「修了」しました。これは2人を社会人として1人前(以上)であると認めたことを意味します。これは約6年前に始めたゼミと師弟契約の関係者として初めてのことです。やっとここまで来ることができました。
 守谷君の「修了」では、彼が「辞める」形になったために多少の動揺がありました。しかし、今はゼミが、もう1つ上の段階に発展する可能性が生まれてきていると思います。

 1つは、「ゼミの原則」をまとめることができたことです。もう1つは、ゼミの立場の問題が浮上し、それを自覚的に追及することになったことです。
 実際に、ゼミ生の自主ゼミが11月から始まり、仲間同士の研鑽が深まろうとしています。私は、ゼミ生が必死で自分の殻を破ろうとする姿を見て、「負けられない」と奮起するようになっています。ありがたいことです。
 読者のみなさんも、関心があれば、一度見学に来てください。

 ゼミの読書会では、秋から「東日本大震災で提起された問題」をテーマにしています。この震災と原発事故への対応の中で、日本社会の抱えていた諸問題が表に吹き出し、誰の目にも見えるようになってきたこと。これが、今回の大きな不幸の中の、唯一の(と言ってよいと思います)成果です。
それを真剣に学ばなければならないと思っています。
読書会では、これまで
10月
   海堂 尊 (監修)『救命─東日本大震災、医師たちの奮闘』新潮社 (2011/08)
11月
   清水 修二 (著)『原発になお地域の未来を託せるか』自治体研究社
   佐藤栄佐久(著)『福島原発の真実』 (平凡社新書)
  12月
   『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子 (著), 石巻赤十字病院 (著)
を読みました。このシリーズは、まだまだ続きます。