10月 05

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ (その2)  中井 浩一

■ 目次 ■

第2節 『生物の世界』から学ぶ
1.一元的世界と生物の主体性
2.無生物から生物の生成
3.環境の主体化はつねに主体の環境化である

なお本稿での『生物の世界』からの引用は「 」で示し、
講談社文庫判のページ数を付した。
引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけ、
中井が補った箇所は〔 〕で示した。

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第2節 『生物の世界』から学ぶ

1.一元的世界と生物の主体性

 今西の学問の本質を『生物の世界』で考えてみたい。
まずその凄みだが、それは物事をその根源から考えようとする姿勢から
生まれていると思う。その根源的思考は、地球上のすべてが、もとは
1つのものから分化した。この原理からすべてを導出していることから生まれる。

「この地球の変化を、〈単なる変化〉と見ないで、やはり一種の
〈生長とか、発展〉とかいうように見たいのである」。
「この世界を構成しているいろいろなものが(中略)
〈もとは一つのものから分化し、生成したものである〉。
その意味で無生物といい生物というも、あるいは動物といい植物というも、
その〈もとをただせばみな同じ1つのものに由来する〉というところに、
それらのものの間の根本関係を認めようというのである」。(13,14ページ)

これは壮大な一元論である。それは内在的であり、中心を持った発展を考えている。
そこには主体性が働き、個別性がある。ヘーゲルと非常に近い立場であることに驚く。
(しかし、今西は「単なる変化」と「発展」の違いと同一について突き詰めていない
と思う。この点は後述。また今西はヘーゲルは読んでいないようで、
西田幾多郎からこうした考え方を学んだようである。)

その徹底した一元論にも驚くが、私が感嘆するのは、その原理を
生物の世界の発展に応用してみせる手さばきの見事さである。
今西が借り物の思想を使っているのではなく、彼の血肉化した思想を
自由に駆使していることがわかる。だから文章はエッセイの様であり、
彼の肉声が響いている(他者からの引用が一切ないことには驚く)。

今西は生物の進化に生物の主体性を認める。それは生物の外界の認識、
同時にそれへの反応(行動)を認めることだ。今西はそれを生物の同化と
異化作用というもっとも根源的レベルで考える。

「〈認識する〉ということは単に認めるという以上に、すでにそのものを
なんらかの意味において自己のものとし、または自己の延長として感ずる
ことである」
「〔生物にとって〕食物とは体内にとり入れられなくとも、生物がそれを
食物として環境の中に発見したときにすでに食物なのであるからして、
生物が食物を食物として〈認めた〉ということはすでにそのものの生物化の
第一歩であり、同化の端緒であるともいえよう。こうして生物が生物化した
環境というものは、生物がみずからに同化した環境であり、したがって
それは生物の延長であるといい得るのである」。(62,63ページ)

これが今西の「認識」という理解であり、「汗が出ること」(74ページ)、
「痛いところをなめること」(68ページ)も生物の外界の認識であり、
同時にそれへの反応(行動)である。こうした根源的なとらえ方は、
ヘーゲルが目的論という人間だけの活動領域を、すべての生物に共通の
「衝動・欲求」というレベルから説き起こすことを想起させる。

今西は、こうした理解から、次のように言う。
「生物にとって生活に必要な範囲の外界はつねに認識され同化されており、
それ以外の外界は存在しないのにも等しいということは、その
〈認識され同化された範囲内がすなわちその生物の世界〉
〔いわゆる環境であり、生態系のこと〕であり、
〈その世界の中ではその生物がその世界の支配者〉であるということ
でなかろうか」(62ページ)。

今西は、ここから生物の生活(生態)と生物の肉体(その形)が
一体であることを示す。つまり分類学(死物の学)は生態学(生物の学)
に止揚される。これが分類学(死物の学)と生態学(生物の学)の関係という、
当時の生態学の課題の1つへの回答だったろう。

そこには壮大な一元論が展開することになる。
「生活するものにとって、主観と客観とか、あるいは自己と外界とかいった
二元的な区別はもともとわれわれの考えるほどに重要性をもたない
のではなかろうか」。(62,63ページ)

2.無生物から生物の生成

 こうした一元的な発展論のためには、地球の発展から生物が生まれたこと、
無生物から生物が生まれたことを説明する必要がある。今西は生物の成長の
現象にも、死んだ後の解体の現象にも同じ構造を示すことで、その説明をしている。

「それ〔死〕は確かに生物としての構造の破壊であり、その機能の消滅を
意味する。しかしそれによって生物が生物でなくなるということがただちに
構造そのものの消失、機能そのものの消失ではない。解体が行なわれると
いうのはすなわち〈生物的構造が無生物的構造に変る〉ことであり、
〈生物的機能が無生物的機能に変る〉ことである。生物として存在するときには
それでよかったが、無生物ということになってしまうと
〈無生物的存在として安定であるような構造なり機能なりが得られるところまで、
解体が進み変化が生ずる〉ものと考えられる」。

つまり「生物の生長という現象も、この構造自身が絶えず変化し更新して
行くゆえに構造的即機能的であるといい得るものならば、
解体の場合だってやはりその構造自身が絶えず変化して行くゆえに、
それは構造的即機能的現象なのではなかろうか」。(45,46ページ)

生物は死後には無生物的存在に戻っていくことが示されるが、
それが逆に、無生物から生物が生成した証明でもあるのだ。
ここにはヘーゲルの「止揚」と同じ考え方が展開されている。

ヘーゲルならこう言うだろう。
「無機物の真理が有機物であり、生命(細胞)である。
その生命の真理は植物であり、また動物であり、さらには人間である。
したがって人間の中には、動物が、植物が、物が止揚されている。
それは人間が壊れていく過程で明らかになる。
人間は、自意識を失えば動物に戻り、次には植物人間となり、
最後は物に戻る」と。

生物の進化の過程はその肉体によく現れている。今西はこう言う。
「生物というものは、その〈身体を唯一の道具とし、また手段として
生きて行かねばならない〉ということである。しかもその身体と
いうものは親譲りの身体であり、その〈身体のうちに、彼の祖先たちが
経験してきた歴史のすべてが象徴されている〉ともいえよう」
(143ページ)。

「個体発生は系統発生を繰り返す」とは有名なテーゼだが、
生物の個々の肉体にも系統発生の過程が刻印されているのだ。

3.環境の主体化はつねに主体の環境化である

 こうしてすべてが物=無生物から生まれたとなれば、これは唯物論であり、
唯物史観になっていくだろう。だから今西を読んでいると、
ヘーゲルと同時に、マルクスが想起されることが多い。

「環境の主体化はつねに主体の環境化であった。身体の環境化であった」
(143ページ)。
これはマルクスの労働過程論を彷彿とさせる。
そしてこの「環境の主体化=主体の環境化」という原理を具体的に展開した
のが、今西の生物社会論なのだ。

今西は、進化を「世界の不平等」から説き起こす。「不平等」とは、
地球上の状態がどこも違うことだ。
「われわれの世界というものは根本的に不平等な世界であり、
不平等はわれわれの世界が担っている一つの宿命的性格であるともいえる」
(100ページ)。
「しかし私はこの不平等さのゆえに、かくも多種類の生物がこの地球上に
繁栄し得ているのだといいたいのである。すると問題は生物がこの不平等さを
どのようにして彼らの生活内容にまで取り込んでいったかということになるで
あろう」(101ページ)

今西はこの問いへの回答を出すために、次の3つのレベルを想定する。
個体と種、同位社会、同位複合社会である。そしてそれぞれのレベルと
その関係性を解明する。

個体と種の関係は
「〔個々の〕生物が〈いたずらな摩擦〉をさけ、〈衝突〉を嫌って、
〈摩擦や衝突の起らぬ平衡状態〉を求める結果が、必然的に
同種の個体の集まりをつくらせた」(88ページ)。これが「種」だと言う。

「種の分化が進まないで、どこまでも相似た生活形をもち、どこまでも
相似た要求を満たそうとするもの同士(類縁の近しい間柄)が同一地域に
共存し、しかもその共存によってお互い同士の間の平衡を保ち得る途
というのはただ一つよりない。それはお互い同士が同じ生活形をとり、
その生活に対して同じ要求をもつようになることである、すなわちそれは
〈同種の個体となってそこに種の社会を形成する〉ことにほかならない」。
(102ページ)

こうした種の内部の個々の生物の間では分業はないと今西はいう。
したがって、これは「未発展」「未完結」のものと今西は言う。

 これに対して、種の分化、分裂が起こり、その両者が
「お互いに相容れぬものであったならば(中略)同じ傾向をもったもの同士が
相集まるようになる」。「そうすることによって〈無益な摩擦をさけ、
よりよき平衡状態を求めよう〉というのが、生物のもった基本的性格の
一つの現われでなければならない」(102,103ページ)

「この二つの社会はその〈地域内を棲み分ける〉ことによって、
〈相対立しながらしかも両立する〉ことを許されるにいたるであろう」
(103ページ)。
これが今西の「棲み分け理論」であり、その結果生まれるのが
「同位社会」である。

同位社会は種社会が分裂して複雑化したものだが、平面的な棲み分けに
とどまり、分化や分業の観点では未発達で未完結だと今西は言う。

 ある地域内の複数の同位社会の間にさまざまな分業が行われ、
その結果「共存」「平衡」が実現した状態を、今西は「同位複合社会」
と呼ぶ。その分業の中で大きなものが「食うもの食われる物の関係」だ。
それは「支配階級と被支配階級」の関係でもある。「食い方の違い」に
よる分業もある。

同位複合社会はさらに大きな地域を全体とする同位複合社会を形成して、
発展していく。それは地球規模に至って完結する。

これが今西の考えだ。これは結局は、進化とは棲み分けの密度化であり、
「多種類の生物がこの地球上に繁栄する」ことだと言っているのだろうか。
どうもそうらしい。

 進化をめぐる、ヘーゲルやマルクスと今西との違いは、生物内部の
対立や矛盾の位置づけにある。

ヘーゲルやマルクスは、対立・矛盾から生まれる運動にこそ、
発展の核心を見ようとする。対立・矛盾から生まれる運動が発展を
引き起こす。この立場なら、研究・調査の中心は対立・矛盾の運動に
焦点化されるだろう。

今西も対立・矛盾を認めるのだが、そうした断絶よりも、その結果
生まれる平衡を重視しているように見える。その時、研究・調査の中心は
対立・矛盾が止揚された後の状態に焦点化されるだろう。
ここが大きな違いだ。

今西は対立や矛盾を見ないのではない。しかし、「いたずらな摩擦をさけ」
とか「無益な摩擦をさけ」とか言う時の、「いたずら」か否か、
「無益」か否かの客観的な基準は示されない。

ただし、今西は「甘ったれた」エコロジストではない。たとえば、
今西は「食うもの食われる物の関係」を同じ類縁内に見る。
ある生物の種が繁栄し、高い繁殖率を維持して飽和状態になろうとするとき、
どうするか。

今西は言う。「もとのままの繁殖率をつづける場合には、この世が
いわゆる生存競争の修羅場と化するだけであって、それも
〈無益な抗争を好まぬ〉生物にとってはふさわしからぬことであろう。
だからこの矛盾の、生物らしい円満な解決というのは、その生物社会が
食うものと食われるものとの分業に発展することによって、
繁殖率を減退させずともその飽和状態を持続すむことにあるだろう」
(118ページ)

今西の言うところの「無益な抗争」を避けるためには、
共食いも辞さないのだ。そうした厳しい社会の中での「平衡」を
今西は考えている。
 

10月 04

今年の5月の読書会で今西錦司著『生物の世界』(講談社文庫)を読んだ。
私(中井)が京大の学生だったときに、今西グループの文化人類学者・米山俊直から
強く勧められ、ぱらぱら読んだ記憶がある。そのときは、あまりわからなかったと思う。

 しかし、当時の私は今西の高弟である梅棹忠夫のファンだったから、当然
その親分である今西についてもいろいろと知ることになり、すごい人らしい
とは思っていた。1974年から刊行された全集も2冊購入している。
しかしそれらは積読で終わっていた。ただ気にはなっていた。

今回、鶏鳴学園の中学生クラスのテキストとして検討したいという理由から
読んでみたのだが、圧倒的なすごみと面白さを感じた。

 それは現在読んでいるヘーゲルの目的論、マルクスの労働過程論と、
あまりにも強く響き合ったからだ。それらを考えている今、読んだのでなければ、
またずいぶん違った印象になったかもしれない。

 なお本稿での『生物の世界』からの引用は「 」で示し、
講談社文庫判のページ数を付した。
 引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけ、中井が補った箇所は〔 〕で示した。

■ 全体の目次 ■

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ    中井 浩一

第1節 今西錦司と『生物の世界』
1.『生物の世界』の凄さ
2.登山と探検と学問 今西錦司の経歴 

第2節 『生物の世界』から学ぶ
1.一元的世界と生物の主体性
2.無生物から生物の生成
3.環境の主体化はつねに主体の環境化である
4.「支配階級」の交代
5.人類の誕生
6.相対主義への転落
7.仲間や師弟関係の問題

第3節 高度経済成長と今西の仲間たち
1.逆転
2.桑原武夫の功績
3.文明論の大家・梅棹忠夫
4.大衆社会の到来
5.時代の代弁者たち

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■ 本日の目次 ■

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ (その1)   中井 浩一

第1節 今西錦司と『生物の世界』
1.『生物の世界』の凄さ
2.登山と探検と学問 今西錦司の経歴 
===================================

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ 
             中井 浩一

第1節 今西錦司と『生物の世界』

1.『生物の世界』の凄さ

 これは凄い本である。この本のどこがすごいのか。それを簡潔に説明する。

 まず、物事の本質を根本から、根源的に考えている。したがって、
ヘーゲルやマルクスと非常に近いところにいることがわかる。
もちろん、突き詰めていけば、その違いもまた明確で、今西のあいまいさや
中途半端さも見えてくる。しかし、それにも関わらず、その根源に迫ろうとする
迫力は大変なものだし、生物学、生態学の分野でヘーゲルやマルクスの理論を
具体化している点からは学ぶべきものが多い。これについては第2節にまとめる。

 しかし、こうした点だけならば、著者が西欧人だったとしても同じことが
言える。ここで、今西が日本人であることを思ってみる時、その凄みは一層
明確になるだろう。

 明治以降の後進国日本は、西欧からの先進的な学術や技術の輸入に追われてきた。
したがって、そこにはいつも夏目漱石の言う「他者本位」と「自己本位」の
矛盾の問題があった。「依存」と「自立」の葛藤である。日本の学者のほとんどは、
西欧研究者の「猿まね」であり、その翻訳者であるにすぎなかった。
そうした中にあって、今西は屹立している。その自前の思想のレベルは、
当時の世界水準を大きく超えていただろうと推測する。

 その自立性、その強烈な主体性は、本書の「序」によく出ている。
本書の刊行は1941年(昭和16年)。今西は、太平洋戦争への
出兵を目前にして、遺書のような思いで本書を書いたようだ。
「私はせめてこの国の一隅に、こんな生物学者も存在していたということを、
なにかの形で残したいと願った」(3ページ)。
本書には他者からの引用が一切ない。すべてが自分の言葉で書かれている。
だからこそ、今西はこうした学術書を「私の自画像」(3ページ)と
呼べるのだ。まさに「私」の自画像なのだ。
彼にとって、学問と自分は一体なのだろう。
彼の生き方とその学問は1つなのだ。
そうサラッと言える人がどれだけいることだろう。

 事実、この本は彼自身の人生の危機を前にした遺書であると同時に、
生態学そのものの危機を前にした提言書でもあるようだ。
「生態学という、実に広い未開拓の野に踏み込んで(中略)
差し迫った問題に関連して」(4ページ)書かれている。
だから本書では問いが沸き立っている。答えが噴き出している。
当時の生物界の抱えていた問いはもちろん、誰も疑問を待たないで
見過ごしていることに今西独自の問いが次々に立てられ、それに
片っ端から答えていく。その答えは、それぞれ面白く、納得できる。

 やはり、本書は大変な本である。重厚で圧倒的な迫力がある。

 それにしても驚くのは、当時の日本で、自前の学問をつくりあげ、
そのレベルが当時の世界水準を大きく超えていたような人がいたことだ。
それはなぜ可能だったのか。

2.登山と探検と学問 今西錦司の経歴 

 今西 錦司(いまにし きんじ、1902年?1992年)は、京都西陣の有名な織元
「錦屋」の長男として生まれ、京都という千年の都で、由緒ある商家の
ボンボンとして育った。旧制京都一中、三高、京大と進学したのはエリートコース。
その一中以来の親友が第一次南極越冬隊副隊長を務めた西堀栄三郎。
その三高以来の親友が桑原武夫〔第3節の2で説明する〕。
3人は三高で山岳部を立ち上げ、その後京大学士山岳会を創設し、
ヒマラヤ登山など日本の山岳史上に大きな実績を残した。

 今西を考えるときには、大きく2つの側面を考えるべきだ。

 1つは登山家、探検家としての側面、もう1つは学者・研究者としての側面だ。

 今西のユニークさは、登山家・探検家の面の方こそが中心であり、
研究者の側面は副次的なものだった点だ。山=自然こそが主なのだ。
これが彼の学問のユニークさであり、当時にあっては(今も変わらない)
異端的な存在だった理由だろう。

 登山家、探検家としては、国内で多くの初登頂をなし、海外では
1932年、30歳の年に試みた南カラフト東北山脈の踏査を皮切りに、
36年の冬季白頭山の踏査、38年の内蒙古草原調査、
41年のポナペ島生態調査、42年の北部大興安嶺探検、
44年の内蒙古草原調査と続く。

 戦後も、その勢いは衰えるどころか加速する。
52年にマナスル登頂の準備のためにヒマラヤに初登山、
55年にはカラコルム・ヒンズークシ学術探検、
57年に東南アジアの生物学的調査、
58年以降にアフリカにおけるチンパンジーと狩猟民族の調査と続く。

 今西たちの登山、探検のレベルは世界水準のものであり、
そこに西欧コンプレックスが入る余地はない。彼には第1級のレベルの
仲間たちがいたし、彼らを組織するリーダーとしての能力が鍛えられた。
それは現実と理想の間を強靭につなぐ力だ。
組織の運営と金の算段、海外での活動には国家規模での交渉が必要になる。
計画や戦略の立案と実現のための客観的な現状分析やそれを実現する
勇気や決断の能力だ。

 さて、今西にあってはこうした登山、探検がそのまま自らの
研究活動と重なり、その思想を鍛える現場になっている。そして、
彼の研究における仲間や弟子たちは、こうした登山や探検の仲間や
チームの一員であったことが特徴だ。
梅棹忠夫〔第3節の3で説明する〕、川喜田二郎、中尾佐助、吉良竜夫たちは、
みなこのチームから育ったのである。
逆に言えば、京大で長い間無給講師を続けていた今西には
規制の制度内での弟子はほとんどいない。

 研究者としての経歴は生態学者として始まるが、初期の日本アルプスに
おける森林帯の垂直分布、渓流の水生昆虫の生態の研究などは
すべて登山と結びついている。後者は住み分け理論の直接の基礎となった。

 その後の海外での探検の活動からは、生態学を越えて動物社会学、
動物社会から人間社会(遊牧社会)の研究へと進んでいく。
『生物の世界』はこうした過程での産物である。

 戦後はニホンザルの社会集団の存在を実証し、その構造や
文化的行動について明らかにした。その後アフリカの類人猿、
狩猟採集民の調査を通じ、これがサルから類人猿をへて
人類にいたる霊長類の進化の過程とそれぞれの社会構造を
テーマとする巨大な研究プロジェクトになっていった。
そこでは人間社会、人間家族の起源について研究までがおこなわれた。
この研究におけるチームの伊谷純一郎と河合雅雄、川村俊三などは
今西の長い無給講師時代の弟子として知られる。

 
 こう見てくると、今西の学問の特異性が良く理解できる。
それは、従来の日本のアカデミズムの狭い世界を大きくはみ出している。
狭く縦割りの専門分野、講座制という旧来の師弟関係、そうしたものと
無縁の経歴である。

 今西の学問は、世界中の現地調査によるフィールドワークを
基礎とするものである。それは観念論的な物の見方を壊し、
リアルな実証研究を根底に据えるものだ。しかし今西たちはそこに
とどまらず、共同討議を基礎にして、未知なる広大な領域、
巨大な思想領域にまで踏み込んでいる。
それは当時の日本が生んだ数少ない、自前の自立した、
そして世界的基準の研究だった。

 全世界をまたにかけた探検から生まれた研究は、動物も人間社会も、
空間的社会学も時間的な進化論や社会発展をも視野に入れている。
それは今西のように理系の自然科学を基底に置くが、
人文社会科学や思想の領域をも含んだ総合的な研究となる。

 登山や探検では目的を共有したチームとしての組織的な活動が基本になる。
そこから生まれる研究は、個々の研究者が孤独に取り組むものではなく、
集団的な討議が中心の共同研究になる。また、今西の仲間や弟子たちは
大学や学会と言った既成の枠組みとは無縁のところに形成されており、
登山や探検という生死を共にするような強固な仲間意識でつながれている。
それだけに強烈な師弟関係、盟友関係があったことがうかがわれる。
彼らをまとめて今西学派、今西グループなどと呼ぶらしい。

 私はそこに、もう一つ、京都という文化的背景があったと推測する。
京都の文化的サロン、そうした自由な討議の伝統だ。
彼らは京都の町衆の後裔としてのエリート集団だったのではないか。

9月 25

高校作文教育研究会10月例会

今回の例会では3つの報告を予定しています。
1つめは生活綴方運度の歴史と思想を、大田堯氏の論文をテキストにして学習します。今、私たちが直面している問題のほとんどすべては、個々の先人たちも直面していた問題であり、先人たちはめいめいがその苦闘からそれぞれの解決策を模索し、さまざまな議論が行われました。そしてその過程から少しずつ理論と実践を深めてきました。その歴史から学ばないものは、低レベルの実践を繰り返すだけだと思います。この学習会は3回連続で行う予定です。
2つめは、中俣勝義さんいよる、鹿児島の看護専門学校での実践報告です。そこには、今の日本の貧困問題が横たわっています。この問題と正面から戦っている実践です。
3つめは私(東京の私塾・鶏鳴学園 中井浩一)の実践と問題提起です。高校段階でもしばしば経験したことにちて書かせると思いますが、その意味や、その書かせ方(文体など)について考えてみたいと思います。

みなさんの実践に参考になるヒントがたくさんあると思います。どうぞ、みなさん、おいでください。

1 期 日    2014年10月19日(日)10:00?16:30

2 会 場   鶏鳴学園

3 報告の内容

(1) 生活綴方の歴史と思想を学ぶ(第1回)
                                          茨城 古宇田栄子

 戦後、生活綴方はどのように復興し、教育運動の中心的存在となっていったのか。生活綴方の基本理念とは何か。著名な教育学者大田堯氏の次の論文を読んで、生活綴方の歴史と思想について学習します。
 『大田堯自撰集成』第2巻第?章生活綴方の思想 P271?363  
 第?章には次の4本の論文が入っています。
?戦後の教育運動と生活綴方 P271?283  13頁
?地域の教育計画(注:若い教師NのT村における実践) P284?335 52頁
?生活綴方における「生活と表現」ー佐々木昂の仕事をふり返りながらー P336?P354 19頁
?人間的なものと科学的なものー『山びこ学校』をめぐって P355?363 9頁

全体で93ページと長いものですので、3回に分けます。今回は、?、?について学習します。
 あらかじめ資料をお送りしますので、読んできてください。
 参加予定者は10/5までに古宇田までご連絡ください。すぐに資料をお送りします。6月例会参加者にはすでにコピーを配布してあります。

(2) 貧困の自己責任論を乗り越える
                         神村学園専修学校非常勤講師 中俣勝義

 桜子は『蟹工船』を学ぶなかで、なかなか労働者の実態、ましてや自分の家の暮らしには目を向けようともしなかった。そこには根強い「いくら頑張ってもダメな自分」という「自己責任論」が影を落としていた。
 生活綴方とは、何よりも生活意欲の喚起であり、生活をよりよくしようとする気持ちを育てることでなければならない。とすると、桜子にその手立てはあったのか。
 今回は、『蟹工船』という文化をもった学生が暮らしを書くなかで、ダメな自分を乗り越え、自分たちをダメにしている社会を変えようと、少しだけど考え始めた桜子のことを語りたい。
 併せて、多感な思春期に、どんな文化を身につけさせることが大事かをも提起しておきたい。

(3) 経験を描写で書く
東京 私塾・鶏鳴学園 中井浩一

高校段階でも、さまざまな機会に経験を書かせていると思う。「自分史」や生活経験を見つめる作文、行事やクラブなどの作文、職業体験や社会活動などの作文。
では、その作文はどのような文体で書かせているのだろか。小説のように描写を中心に書かせているだろうか。それとも意見文のような文体で書かせているのだろうか。
否、ほとんど無自覚で、何ら指導がないままに適当に書かせているのではないか。
経験の作文を、どのような文体で書かせるかは、その指導目標や、表現指導全体で何を目標にするかに関わる問題だと思う。
経験を書くように求めると、高校生は、普通は意見文のように書く。それの何が悪いのか。小説のように描写を中心に書かせるのは、何の目的があるのだろうか。
実際の指導過程と成果(生徒作品)を検証し、この問題を一緒に考えていただきたい。

4 参加費   1,500円(会員無料)

9月 09

夏休みが終わり、秋を迎えました。

 不順な天気が続いていますが、いかがお過ごしですか。

 2014年9月以降のゼミの日程が決まりましたので、お知らせします。

 読書会テキストは決まり次第、連絡します。

 なお、開始時刻には変更があり得ます。その都度、確認してください。

 参加希望者は早めに(読書会は1週間前まで、文章ゼミは2週間前まで)
 連絡ください。参加には条件があります。

 参加費は1回3000円です。ただし文章ゼミは1回2000円。

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 ・ 9月
  13日(土)午後5時より文章ゼミと「現実と闘う時間」
  28日(日)午後2時より読書会と「現実と闘う時間」

 ・10月
  11日(土)午後5時より文章ゼミと「現実と闘う時間」
  26日(日)午後2時より読書会と「現実と闘う時間」

 ・11月
   8日(土)午後5時より文章ゼミと「現実と闘う時間」
  23日(日)午後2時より読書会と「現実と闘う時間」

 ・12月
   6日(土)午後5時より文章ゼミと「現実と闘う時間」 
  21日(日)午後2時より読書会と「現実と闘う時間」

  

7月 30

いつものように今年も夏の合宿を行います。

以下のような内容です。

参加希望者は連絡をください。詳細をお伝えします。ただし参加には条件があります。

? 日程
8月21日(木)から24日(日)の日程で、山梨県の八ヶ岳の麓の清里で、合宿を行います。
一部だけの参加も可能です。

? 学習メニュー 

(1)8月21日、22日は
ヘーゲルの原書購読です。目的論(大論理学)を読みます

(2)23日、24日は
ヘーゲルの『法の哲学』第1部、第2部、第3部(中公クラシックス版。私は『世界の名著』版で読みます)を読みます。
「序文」「緒論」はすでに7月の読書会で読みました。

(3)8月22日、23日の晩にはそれぞれ「現実と闘う時間」(各自の報告と討議)を行います。