5月 06

昨年夏に、20年以上活動してきた高校作文教育研究会を「終わり」にしました。

その理由や経緯は、機関誌「高校作文教育研究」の終刊号(第44号 2021/10/18)で報告しました。それをこのブログにも掲載しておきます。

ここでも「始まり」と「終わり」をどう理解し、それをどうきちんと作るかが私の強く意識したことの1つでした。

■ 目次 ■

1.高校作文教育研究会(高作研)を終わりにします 中井浩一
2.高校作文教育研究会の20年、私の表現指導の30年  中井 浩一
(1)小休止
(2)対立
(3)私の作文教育との格闘
(4)高作研の立ち上げ
(5)高作研内部の問題と外部との関係の問題
(6)新しい出発

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◇◆ 1.高校作文教育研究会(高作研)を終わりにします 中井浩一 ◆◇

高作研を20年以上やってきて、やるべきこと、やれることをやりきったと思います。これが終わりにする最大で根本的な理由です。
高作研は1998年に古宇田栄子さんと私(中井)で設立し、2人の共同代表制によって運営してきました。
古宇田さんは日本作文の会の常任委員でしたが、高校段階の教員としては彼女一人。
私にとっては、高校段階の全国の実践家、理論家と交流し、自分の実践を見つめ直し、学べることをどん欲に学びたかった。そのためのパートナーとしては、「日本作文の会」(日作)を選んでいました。日作には、日常生活を根拠にする、写実主義、社会主義を背景に持つ、などで私の立場に近かったからです。
しかし、古宇田さんと私、日作と高作研には違いもまた最初からありました。日作には、「ありのまま」の生活を根源とするという明確な立場がある一方で、そこに閉じこもるという経験至上主義的な傾向がありました。
私は、本来は「ありのまま」の生活経験を根拠にしながら、それを徹底的に客観化、一般化・普遍化することでその経験の本当の意味(「あるべき姿」)を明らかにするする必要がある、と考えます。
こうした対立があるので、表現指導の指導過程を、第一段階の自分史、自分の生活経験文、第2段階の調査、聞き書き、第3段階の総合として捉えた時、第1段階から第2段階の聞き書きまでが古宇田さんと一緒にやれることであり、またその最大の可能性が第2段階の聞き書きでした。だから「聞き書き」の共同研究を徹底的に行い、大きな成果をあげられたし、それを『「聞き書き」の力』という本にまとめ刊行することができました。
 最初の出会いから20年、ここに最初からあった高作研の可能性のほぼ全てが実現したと思います。その先の第3段階では、古宇田さんと私がともに歩むことはできませんでした。その先は、私は鶏鳴学園と中井ゼミ(大学生と社会人)ですでに実践と理論を積み重ねてきましたし、今後もそうします。
この20年の経緯については、すでにこの機関誌38号(2018年8月1日発行)に文章「高校作文教育研究会の20年、私の表現指導の30年」を発表しています。それを今回も掲載させてもらいます。ここにすべてが書かれていると思います。さらに今、書き加えることはありません。ただ1つ、「その後」を補うと、2018年夏の日作の全国大会でも高作研が高校分科会を担当したのですが、そこで決定的な対立が起こりました。その結果、2019年の5月に古宇田栄子さんは退会しました。この文章の「6.新しい出発」ではまだ先に可能性があるように書いていますが、実際はそうではなかったということです。
 古宇田さんとは20年、一緒にこの会を運営してきました。よく喧嘩もしましたが、暴れん坊の私をよく支えてくれたと思います。彼女は大学で日作の中学段階のリーダーである太田昭臣さんの指導を受け、その後県立高校の教員となってからも日作の中で活動してきました。彼女は日作の「模範生」のような面があります。研究会での彼女の司会は常に安定していて、一人一人の報告者を暖かく包み込み、議論が混乱しても、低調でも、最後はそれなりのまとめ方で終わらせて、感心していました。その安定感とそれを支える彼女の努力や誠意は、『「聞き書き」の力』のもとになった『月刊国語教育』の連載「聞き書きの魅力と指導法」を2年ほど続けられたところにもよく出ています。これは研究会の共同討議の内容を録音からまとめ直したもので、貴重な記録になっていると思います。
しかし彼女には日作の「模範生」であることを壊すことはできませんでした。日作の理論や実践を根底から疑ったり、問題提起をしたり、それに代案を出すことはありませんでした。ただし、その枠内においては、私たち高作研の成長、発展のために尽力してくれました。日作の全国大会の終了後に「生活綴方の旅」をする発案は古宇田さんのものでした。またこの20年、高作研の会計をひとり務めてくれたのも古宇田さんです。その縁の下の力持ち的な仕事には彼女の特質が良く出ていたと思います。この20年の尽力にとても感謝しています。
こうした会には対立や分裂がつきものですが、私も古宇田さんも、それを決してしようとはしませんでした。この会が貴重で重要なものであり、私たちは何としても前に歩み続けなければならないことでは、二人は強く一致していました。しかし日作と高作研との対立が決定的になった時、ついに終わる時が来ました。
 この数年は、私のライフワークである哲学の仕事に専念する必要があり、高作研の運営には手が回らないという事情がありました。しかし、それが高作研を終わりにする本当の理由ではありません。高作研はその使命を終えたのだと思います。
 若い人に、私たちの成果を継承してほしいと思いますが、それを担う人たちは、次の世代の中から必ず現れることでしょう。
 私は、表現指導を止めることはありません。これは哲学とともに、私のライフワークの一つですから。その実践報告は今後も公開の場で続けます。

                           高作研 代表 中井 浩一

◇◆ 2.高校作文教育研究会の20年、私の表現指導の30年  中井 浩一 ◆◇

※この文章は、高作研の機関誌38号(2018年8月1日発行)に掲載したものの再掲載です。字句と数字の訂正と挿入、程塚さんについての文章のタイトルを挿入した以外は、掲載時のままです。

(1)小休止

 昨年(2017年)の秋から今年(2018年)の春まで、半年ほど高校作文教育研究会(高作研)の活動は休止状態でした。2、3か月に1回は行っていた例会も行われず、夏の大会を報告する機関誌も配信されませんでした。
 私たち高作研に関心を持ち、見守っている方々の中には、心配していた方もあったようです。この休止の意味、その間に何があったのかを報告しておきたいと思います。

 話は2年前にさかのぼります。
2016年6月に『「聞き書き」の力』が刊行されました。この本は高作研のこれまでの到達点であり、良くも悪くも、会のすべてがここにあります。指導過程の問題、経験文や聞き書き、小論文について議論。総合学習における表現、聞き書きについて共同研究をしてきた成果。その根底には、研究会の仲間たちの実践とその奮闘があり、それを学び合った時間があります。
その刊行記念祝賀会では、この本の意義を高く評価する声がある一方で、批判や疑問も出されました。その中には、この本の著者である古宇田栄子さん(1章と2章の執筆)と私(3章から6章の執筆)の間に分裂があり、それが統合されないままであるとの指摘がありました。
この指摘は、核心を突いた批判だったと思います。古宇田さんと中井の間には大きな対立があり、それは未解決のままだったからです。
そうした批判を受けて、高作研の内部でも議論があり、古宇田さんからも『「聞き書き」の力』(私執筆部分)や私への批判や疑問が出されました。
私はそれらを受け、「私たち高作研の課題」をまとめて、運営委員に問題提起をしました。これは高作研の根本的な問題点、課題をまとめ、その対策を提案するものでした。
しかし、私のその問題提起は運営委員会で取り上げられることはなく、1年近く放置されました。
2017年の夏の大会後、中井(私)は運営委員に対して共同代表を辞める申し出をし、再度の高作研への問題提起をしました。それが無視される場合は退会する意向も示しました。
その後、私の問題提起がやっと運営委員会で取り上げられ、議論が始まりました。3か月近くの議論を踏まえ、私の問題提起はほぼ受け入れられることになり、私は退会せず、会にとどまり活動することになりました。
新たな方針で、新たな組織での再出発となります。

(2)対立

その再出発の意味を説明するには、そもそもの高作研の問題とは何だったのかを説明しなければなりません。
高作研の問題とは大きく言えば、共同代表である古宇田さんと中井の表現の系統的指導をめぐる対立であり、組織としては日本作文の会と高作研との関係の問題です。この2つはつながっています。古宇田さんは日本作文の会の常任委員だったからです。

私と古宇田さんとの間には最初から違いがありました。もっとも、それは古宇田さん個人というよりも、当時の日本作文の会(日作)の主流の考え方と言った方が適切だと、今は思います。
私と古宇田さんの基本の立場は一致しています。それは、表現の根底には、人の生活経験、つまりその生き方や社会関係そのものがあり、そこから始めるという立場です。それがすべての根源だということです。私には、そこを明確にした活動は、生活綴り方運動しかないと思っています。だからこそ、日本作文の会、つまり古宇田さんと一緒に研究会を立ち上げ、活動してきました。
しかし、私と古宇田さん(日作)との間には最初から違いがありました。その違いとは、生活経験から始めるとしても、そこからどこに向かうのか、どこをゴールとするのか、そこの違いです。
私は、ゴールはその経験の本質の認識だと思います。それは個人の経験のレベルを超え、社会と人類の本質にまで迫るものでなければならないと思います。その段階まで到達して初めて、最初にあった経験の本当の意味が明らかになるからです。そのゴールを目標にして、それにどうしたら到達できるかを指導過程で真剣に考えなければならないと思います。
ところが、それを日作や古宇田さんは、それをやろうとしません。または、そこが曖昧なままです。
小学生なら個人的な経験だけをしっかり考えればよいでしょう。しかし思春期を迎えた中学生、進路・進学を決めなければならない高校生、大学に入学する学生は、この社会や人類についての本質認識がどうしても必要です。
そして、この課題は、高校生や大学生に限らず、私たち大人や教師全員が取り組まなければならない課題なのだと思います。
つまり、表現指導の目的とは、個人の経験から始まり、現実の人間関係や現実社会の調査、そしてその本質の本質としての理解(論文)まで高めることだと思います。
これには前提があります。私は次のように考えます。人間が生きるとは自分の問い、問題意識を持ち、その答えを模索し、問題を解決するために努力していくことです。その問いが深まると人生のテーマとなり、そのテーマがその人の全人生を貫くのです。そして「自分とは何か」「自分はどう生きるのか」の答えを出し、その答えを生きるのです。
高校生段階では人生のテーマまでは無理ですが、その芽になるような問いを立て、本を読んだり、現場で取材などをして答えを出す努力をしていくことはできます。その過程で、彼らなりに、「自分とは何か」「自分はどう生きるのか」を考えていくのです。それは彼らの進路・進学の指針となり、彼らが大学生となり、社会人となってからも、彼らを支えるはずです。
 そしてそうした問いを作るためには、表現指導は、経験に始まり、明確な問いを立てるまでの過程が必要だと思うのです。

さて、私と古宇田さんとの間には、こうした違いはありましたが、表現指導の根源についての一致が大きかったので、当初はそれが会の活動を阻害するほどではありませんでした。表現指導の根源である生活経験から始める限り、その違いを脇において、実践と理論を深めることができたのです。
しかし、会が発展し、その活動が深まれば、次の発展の方向をめぐって、元々あった違いが大きな問題となってくる段階があります。それが今なのだと思います。
 表現指導のゴールをどこに設定するかで私と古宇田さんとは一致しませんから、私と古宇田さんが共に取り組めるのは、その途中まで、つまり今回の聞き書きまでだということになるのだと思います。
 
 こうした私と古宇田さんとの違いは、私と日作主流派との違いのようです。古宇田さんを通して、日作との関係は常にあったと言えるのですが、そのプラスの面が大きかっただけではなく、そのマイナス面もまたあり、その面が拡大してきたと思います。
2000年から、日本作文の会の夏の大会の分科会の中に、高校分科会が設けられることになり、その運営管理を私たち高作研が任されることになりました。それまでの中学・高校分科会から高校が独立した形になったのです。そしてその分科会の運営は高作研に任されることとなったのです。これは古宇田さんの力があってのことでしょう。
高作研は日本作文の会とは独立した組織です。私は、高作研は自立した組織であり、日作とも対等な関係であることを主張しました。私たちは日作の下部組織ではなく、そこに上下関係を認めません。しかし、古宇田さんにとってはそれは難しいことです。
具体的には高校分科会の報告者の選定の問題なのですが、現地実行委員会からの推薦があった場合、それを無条件に受け入れていたのです。また、高校分科会の名称が「青年のことばと表現(高校・大学・専門学校)」と変わり、予想外の推薦が相次ぐようになりました。日作の会員で元小学校で教えていた教員が定年後、大学の初年次の表現指導を担当することが増えてきて、その実践報告の場として推薦がなされるようになったことです。これは私たちの高校分科会の趣旨とは違います。私たちは高校段階の思春期特有の自立と葛藤の問題を深めたいのです。私にとっては高校生に自分の問いをはっきりと意識させることが目的です。
こうした高校分科会をめぐる規定や変更はすべて、古宇田さんが決め、受け入れていたことです。私や運営委員に相談はなく、常に事後報告を受けるだけでした。
私は、古宇田さんは日作の言いなりであり、その結果、高作研が日作の下部組織のようになっていると思いました。そこで何回か、激しくやりあうこともありました。
私はこの2つの問題を深刻に考えていました。しかし、当時の高作研にはこうした問題をオープンに議論する場がありませんでした。そして私たち高作研のこの組織の欠陥こそが、最後のそして最大の問題だったのではないかと、今思います。

(3)私の作文教育との格闘

この問題の意味を良く理解してもらうためには、高作研のそもそもの始まりの時点に、さらには私自身が作文の指導を始めた時点に戻らなければなりません。

私は30歳からの約20年を、牧野紀之氏のもとでヘーゲル哲学とマルクスの唯物史観を学びました。それと並行して、国語専門塾・鶏鳴学園を立ち上げ、そこで国語教育という名のもとに、「哲学」教育を試行していました。対象は最初は高校生でした。塾を始めたのは、生活のためという理由もありますが、私自身が哲学を学ぶ一方で、哲学の教育をも実践してみたかったのです。その両方をすることで、私の理解が深まり確かなものになると思ったからです。
さて、国語教育ですが、そこでの読解については牧野さんから学んだ方法がそのまま使えました。しかし、作文教育や小論文の指導には困りました。牧野さんからのエッセイや論文の指導は受けていても、高校生対象に具体的にはどのように指導したらよいのかがわかりません。高校生が自前の問いを作り上げるために、少しでも本格的で真っ当な指導方法を求めて、いろいろな本を探しました。そこで出会ったのは、大村はまと国分一太郎です。
大村からは本当に多くを学びました。彼女の技術的な方法はすべてマネしてやってみました。その上で使えるものと使えないものを区別し、使えるものはそれを改良しながら実践を重ねました。また、彼女の教師としての姿勢(『教えるということ』)の部分も、学びました。
しかし、大村から学べるのはそこまででした。私は表現を、より深い人間観、世界観や、人間の発達や認識論的な観点からとらえ、そうした強固な基盤の上で指導したいと願っていました。
つまり、私が学んでいたヘーゲル哲学を根底に置いたような表現指導を行いたかったのです。調べてみると、その試みはすでに日本に存在していました。戦前からの生活綴り方運動がそれです。小学校の教師たちによる自主的な運動でした。東北を中心としながらも、全国的なネットワークを作って、熱心な教師同士で協力し合い、研鑽したようです。それが戦争中には弾圧を受けて壊滅状態に陥りました。しかし、敗戦後、民間教育運動が大きく盛り上がり、教育の分野で大きな役割を果たすようになると、生活綴り方運動はその中心の1つとしてよみがえりました。それが日本作文の会であり、そのリーダーとして理論面と組織の指導者として大活躍をしたのが国分一太郎です。
私は彼の本を読みまくりました。そして5段階(経験作文から論文・総合的な文章まで)からなる指導過程でとらえる考え方や、その個々の段階での実際の指導方法から学びました。
当時、私はさらに学びたいと思い、日本作文の会の夏の全国大会にも参加したのです。しかし、そこでは失望しました。高校分科会が存在しないのです。小学校段階では1年生から6年生まで、各学年に1つの分科会が用意されていたのですが、中学と高校はまとめて1つの分科会になっていたのです。また、その分科会の実践報告には、私の問題意識に響くものはありませんでした。日作は小学校の先生方が中心であり、残念ながら、高校段階としては機能していないことがわかりました。他に、教科研や国語教育学会の大会にも参加しましたが、私が求めるものはそこにはありませんでした。
そこで、私は一人でやっていくしかないと思い定め、実践してきました。大村はまと国分一太郎をたえず、傍らに置き、相談相手としていました。

(4)高作研の立ち上げ

私は、1995年から2年間ドイツに留学し、ヘーゲル哲学を学びました。その傍ら、ドイツの作文教育について調べてみました。ドイツも作文教育がさかんなようだったので、ドイツの研究者や実践家と意見交換をしました。その結果ですが、日本で感じた問題と同じ問題がそこにあるように思いました。小学校・中学までは計画的な指導体系がしっかりと作られているのですが、それが高校段階以上とつながっていないのです。そこには大きな断絶があり、2つの別々の表現指導があるようでした。それでは人の生活・生き方と、その人の思想とがしっかりと結びつかないでしょう。私が以前日本作文の会の大会で見た問題は、日本だけの特殊な問題ではなく、どこでも解決の難しい問題なのだと思いました。
私は、生活・生き方と思想との溝、その断絶の中に、表現指導の問題の核心があると思いました。そして、それを超えられるような表現指導の体系を作り上げたいと強く思いました。それはヘーゲル哲学を根底に置いた表現指導になるでしょうし、国分一太郎の5段階からなる指導過程をより具体的に発展させたものとなるはずです。
私は、その指導体系の構想を論考にまとめ、ドイツの研究者と意見交換をしました。その原稿を日本の出版社や雑誌編集部に送ったりもしました。そして帰国後は、その構想をぜひ実現していこうと思い定めたのです。
97年に帰国して、また高校生対象の鶏鳴学園の授業に復帰すると、私は私の構想を掲載してもらえる雑誌を探し、『月刊 国語教育』誌を見つけ、そこに投稿を開始しました。
また、私の構想を日本で実現していくには、どうしても日本に仲間が必要だと思いました。それまではほぼ一人でやっていたのですが、全国で意欲的に取り組んでいる方々、学校現場(中学、高校、大学)や塾、予備校などのさまざまな現場での実践家と交流し、自分の理論と実践を鍛えなおしたいと強く願ったのです。
その時、私の念頭にあったのは日本作文の会(日作)でした。常に国分一太郎の方法論を参考にしており、そこに仲間意識を持っていたからです。しかし日作には高校段階の組織がありません。「それがないなら、自分で作ろう」。私は日作の中に、新たに高校段階の組織を作るしかないと考えたのです。
私は日本作文の会に手紙を出し、会の中に高校段階の組織を作る提案をしました。参考として私の作文教育についての論考(5段階からなる指導過程)を同封しました。
そして古宇田さんとの出会いがあったのです。古宇田さんは茨木県の県立高校の教員でしたが、日本作文の会の常任委員を務めていて(高校段階では唯一の常任委員)、私の手紙は古宇田さんに回されていたのでした。
古宇田さんには彼女の地元の土浦まで呼び出され、駅近くのファミレスで、4、5時間は話したと思います。私を生意気だと思った古宇田さんが、私の覚悟ややる気を確かめていたのでしょう。塾経営者の私と、公立校の教員の古宇田さんとは、様々な点でかなり意見が対立しました。しかし、高校段階に独自の研究の場が必要なことに関しては、一致しました。いな、それは互いの切実な思いだったのだと思います。この点では、完全に一致していたと思います。
そして、結論としては、日本作文の会の内部ではなく、外部に私たちの研究会を立ち上げることで一致しました。それが高作研なのです。それは97年の秋だったと思います。そして記念すべき第1回の研究会が98年2月に開催されました。
会の運営面は、共同代表に私と古宇田さんがつき、他に茨城の県立高校で長く実践していた程塚英雄さんや正則高校の宮尾美徳さんがいました。その後は古宇田さんと私と程塚さんや宮尾さんを中心として、会を運営してきました。

(5)高作研内部の問題と外部との関係の問題

この会ができてしばらくは、私は仲間ができたことで嬉しくて仕方がなかったことを思い出します。私は宮尾さんの正則高校に取材に行きましたし、程塚さんにはその指導の方法を根掘り葉掘り教えてもらい、すべてを吸収しようとしました。
程塚さんとの出会いは大きなものでした。40歳を過ぎて、友人ができた、親友と出会えたと思いました。これは程塚さんが、私と同じく、表現指導の最終段階(論文や総合的な文章)の指導方法を確立することが私たちの使命だと考えており、その点で一致していたからです。程塚さんにはずいぶんと支えてもらいましたが、それはすべてこの点があったからだと思います。彼との関係についてはすでに別の文章で詳しく書きました(「ただ一人の友・程塚英雄 ?贖罪と鎮魂と再生?」。関心のある方は連絡ください)から、ここでは省略します。

高作研の約20年間の歩みの大枠については、『「聞き書き」の力』のあとがきに書きました。

古宇田さんは日本作文の会の常任委員でしたし、国分一太郎が指導したのが日作でしたから、私は自分との違いを感じながらも、日作を尊重する思いは常にあり、親近感を持っていました。
そして2000年から、日本作文の会の夏の大会の分科会の中に、高校分科会が設けられることになったのです。これは大きなことでした。優れた全国の実践家と出会うことができたからです。彼らの多くは日作との関わりがあり、少なくとも日作に親近感をいだいていました。この出会いには本当に感謝しています。それは日作の過去の実績のおかげです。

他方で、国分の5段階の指導過程を改めて学び直しながら、日作の戦後の歴史を眺めてみると、その運動は決して平たんなものではなく、いくつかの転換点があり、理念や方針も変わってきたことがわかりました。日作の組織にも、その理論や実践にも、対立や分裂があったのです。
80年代にはその運動も曲がり角を迎えたと思います。社会全体が豊かになり、貧しさが表面からは見えにくくなりました。社会主義の敗北は決定的で、東西冷戦が終わろうとしていました。国分一太郎が存命中はまだ、彼の力でまとめていたのでしょうが、1885年に彼が亡くなると、本当の中心が見えなくなったように思います。
90年代になり、ソ連が崩壊し、情報化社会になり、もはや従来の理念や方法論は有効ではなくなりました。国の教育政策も改革に次ぐ改革が断行されていました。その中には、従来は革新や組合が求めていた総合学習が取り入れられたりもしました。
90年代になると、日作では「表現」よりも「表出」が重視されるようになり、国分の5段階の指導理念や指導の系統案は、棚上げ状態になっていました。そもそも小学校段階だけを考えるなら、最終段階は考える必要がないと言えます。それが大勢の流れでしたが、古宇田さんの考えもそれと一致していました。

私や程塚さんは国分の5段階の指導理念や指導の系統案こそが重要で、論文や総合的文章の指導を具体的に示すことで、それを具体化し、発展させることを、私たちの使命と考えていました。しかし古宇田さんはそれには終始消極的でした。消極的であることに、強くこだわっていました。古宇田さんとの対立は様々ありますが、根底にはこの対立がありました。
それがよくわかるのは、私の本の扱い方です。私は、高作研の活動をしながら、国語教育に関する2冊の本を出しています。『脱マニュアル小論文』(大修館)と『日本語論理トレーニング』(講談社現代新書)です。後者は読解方法の提言ですが、前者は時代のもとめる小論文に対して、世間のマニュアル小論文に対する代案を出そうとするもので、高作研での成果を踏まえたものでした。
ところが、この2冊が高作研で取り上げられることはありませんでした。それを読書会で取り上げたり、検討されることは全くなかったのです。古宇田さんには、まったくその気がありませんでした。私もそれを押して、そうした機会を持とうとは思いませんでした。
この対立は大きなものでしたが、それを表面化させないようにしていました。それは、2人の対立を決定的にして、高作研が分裂すること、それを恐れていたからです。高作研は、高校段階の表現指導の学習の場として、重要で、それを壊してはならないと思っていたのです。古宇田さんもその思いは同じだったと思います。
しかし、そうすると、大枠で一致できることしかできなくなります。それが聞き書きだったのです。自分史と聞き書きは、日作の実践の中にも長い歴史と実績があり、古宇田さんはそれを実践していましたし、さらに学ぶことに意欲的でした。程塚さんは単なる国語科の授業を超えて、総合的な学習を組織して活動しており(まだ総合学習が学習指導要領に掲げられるはるか以前です)、その中に聞き書きも取り込んでいました。
私は聞き書きという方法を知りませんでしたが、高校生にリアルな現実に向き合わせる必要を強く感じて模索していましたから、それにはピッタリだとその意義はすぐにわかりました。また程塚さんの実践にも強く共感しました。こうして、総合学習における表現指導の在り方、さらに聞き書きについての共同研究が行われ、数年間は集中的に討議を行いました。その成果は『「聞き書き」の力』に発表した通りです。
しかし、そこにも対立はありました。私や程塚さんにとって、その聞き書きは、指導過程の中にしっかりと位置づけられるべきものであり、それは最終的には論理的な総合的な文章として完成するものでした。
私はそれを常に意識し、研究会でも議論を重ねていました。しかし、古宇田さんは聞き書きを指導過程全体の中に位置づけようとはせず、最終的な文章までの1つの段階としてとらえることに反対でした。
『「聞き書き」の力』では、古宇田さんには基本的な方法論を書いてもらい、それを補足する意味で、指導過程の全体とその中での聞き書きの位置づけや、他教科のレポートとの関係、文体論などを、私が書くことになりました。それは聞き書きの共同研究の際に、繰り返し議論され、考えてきたことなので、それをどうしても入れておき、後世に残したかったのです。この本は、今後聞き書きに言及する人の基本的文献になる。50年、100年と残る本になる。これが私の確信です。

さて、『「聞き書き」の力』を刊行した後は、その後の研究テーマが問題になります。ここで再度、私と古宇田さんとの対立がはっきりとします。次のテーマとは、古宇田さんにとっては経験文であり、私にとっては論理で本質をとらえることであり、そこまでの全指導過程の関係の問題です。
程塚さんは『「聞き書き」の力』の刊行の1年前に亡くなり、古宇田さんと私の調整役はいなくなりました。

(6)新しい出発

私と古宇田さんとの対立は最初からあった問題です。それを誤魔化しながらやってきました。古宇田さんは問題を先送りし、私もそれを黙認してきました。私と古宇田さんとは常に対立をはらみながら、協力できるところで、一生懸命に学び合ってきました。
古宇田さんと私の様々な対立にあって、それを仲介するのが程塚さんの役割でした。それは有効でしたが、それに頼りすぎた面があったと思います。また、それが有効だったとの意味は、分裂しないためであり、議論を深めるためではありませんでした。
本当はどうだったのでしょうか。私たちはもっと早く、しっかりとぶつかりあうべきだったのではなかったでしょうか。
またそれには高作研の組織上の問題もあります。共同代表の古宇田さんと私とで運営上のすべてを決め、実行してきたことです。日作との関係にあっては事実上、古宇田さんにまる投げでした。運営委員と運営委員会の制度はありましたが、形だけでした。ですから、議論をしたり、結果を反省する場がなかったのです。

私は大いに反省し、2016年の秋に「私たち高作研の課題」をまとめて、運営委員に問題提起をしました。以下のような内容でした。

○自主学習会の問題と対策
?問題 立場の曖昧さ、立場を決めない
1つに徹することができない。なあなあで深まらない。学び合いが不徹底
 ?対策
それぞれの立場を示し、その成果で競争すればよい。
互いの違いを明示しての、対立・葛藤や激烈な批判合戦があってこそ、次のステップ(総合)に進める
?遠慮や配慮
古宇田さんと決裂することを恐れた。程塚さんに甘えていた部分がある
あまりに厳しい基準を求めると、メンバーがいなくなってしまう。 
○会の問題、課題
?全体をおさえ、論理的に考える力が弱いことだと思う。
?人間の発展に即して、表現の指導過程を定式化すべき
?教師自身の相互批判が弱い
  ?中井の論トレ本、脱マニュアル小論文を、検討し批判し合う場を持つべき
○会の問題、課題と対策
?相互学習をもっともっと意識的に追及すべき
  ?論理的思考力を養成する
  ?議論では、代案を求める
?教師自身が文章を書くべき。その発表と批判の場

 ところが、この「私たち高作研の課題」は取り上げて議論されることはなかったのです。また、この時点では、私は日作との関係の問題、夏の大会の高校分科会の問題は挙げていません。
そして、2017年の夏の大会の高校分科会を迎えました。その報告と議論は低調でした。私の堪忍袋の緒が切れました。8月末に私から古宇田さんと運営委員に対して再度の問題提起をし、運営委員会で12月末までに何度も話し合いを持ちました。高作研の20年近くの歴史の中で、初めての根底的で厳しい議論や批判が展開されました。私は一歩も引かない覚悟で臨み、場合によっては会を辞めるつもりでした。
 その結果ですが、最終的には私の提案が、古宇田さんも含め、運営委員のみなさんに了解されました。この過程で、運営委員会が初めて機能しました。私にとってこの場しか議論をできる機会はなかったのです。
この厳しい話し合いに参加して、すべての議論につきあってもらった運営委員には本当に感謝しています。こうした過程で運営委員も厳選されました。私と古宇田さんと宮尾さん以外の運営委員は、久保有紀さん、冨田明さん、田中由美子さんです。今後も、運営委員は、実際に運営に関われる人にだけお願いするつもりです。
おそれていた分裂はなく、新たな目標に向けて、運営委員の意志がまとまり、意欲が高まったと思います。もっと古宇田さんや運営委員を信頼し、もっとはやく、できれば10年前に、程塚さんが存命の内にこれをやるべきでした。
組織を大きく変えました。これまでは共同代表だった古宇田さんと私の2人ですべてを決め、ほとんどすべての仕事をしてきました。しかし今後は、運営委員会ですべてを決めていくことになりました。代表から古宇田さんと私は降りて、新しく田中さんに代表をお願いしました。田中さんのフレッシュさとやる気を高く評価して、私が推薦しました。
 古宇田さんと私が一手に引き受けてきた仕事を運営委員に分担してもらい、その引き継ぎを進めています。古宇田さんと私は身軽になって、高作研の研究活動に専念することになりました。古宇田さんは自分史や経験作文を、私は指導過程の全体と論理的で総合的な文章の指導です。
運営委員間の相互研鑽を深めることも同意され、互いの文章の相互批判も始めました。表現指導をする教師自身が、誰よりも厳しい批判をし合うべきだと、常日頃方思っていたことが実現しました。
日作との関係も改善の方向に進んでいます。大きかったのは、高校分科会の報告者の選定は、最終的には高作研に権限があることを確認できたことです。まだ名称などの課題が未解決のままに残っています。今後も日作との話し合いを重ねていくつもりです。

 さて、本当にこれからです。私の改革案が通った以上、私にはもう言い訳は許されません。高校生たちがこの社会の中で自分を貫いて生きて行くこと、それをしっかりと支えられるような表現指導を行うこと、そのための理論と実践を明らかにすること。それが私たち高作研のするべきことです。その高い理想に向けて、運営委員の方々と努力していきたいと思います。読者のみなさんも、ぜひ仲間になってください。
 

4月 30

3月の読書会の記録を掲載します。

中井のこの2年間は、『現代に生きるマルクス』の原稿執筆でいそがしく、余裕がなかったので、読書会はおろそかになっていました。

この間に、どうしても読まなければならない本がたまっていました。
1つはプラトンの『国家』であり、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』などです。
『現代に生きるマルクス』を刊行し、ここで本格的に読書会を再開し、たまっていた本に取り組むことにしました。

3月はエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』を読みました。
これは「家庭論学習会」(田中ゼミ)を主宰する田中さんにとっての必須の書のひとつだと考えるので、一緒に読んでおきたいと思いました。また、ゼミのメンバーに親から子への遺産相続の是非を考えている人がいるので、家族と私有財産について、考えてもらえるテキストを用意したかったこともありました。

『ウィキペディア(Wikipedia)』では次のようにまとめています。「単婚制は財産所有権を掌握した男性による支配の原則で、女性に対して不平等な支配のシステムと考え、この不平等な婚姻は姦通と 娼婦 制度によって補完されるとした。 古代文明の発展の過程と共に、女性は支配の対象となって家財として扱われるようになり、公的社会への参加権をはく奪されていった」。

この本には思い出があります。
20代の私は、男女の性愛のありかたに悩んでいました。相手を自分の所有物扱いするような考え方に強く反発していましたが、代案をきちんと示すことができなかった。
互いの自由と平等が保証されるような関係はどうしたら得られるのか。
当時、私はまだエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』を読んではいなかったのですが、その影響下にあった本は読んでいました。
実際のエンゲルスを読んだのは30代の前半ですが、その時に、20代に読んでいた本の基になる本だと気づきました。それを今回久しぶりに読み直し、以前とは違う読み方ができるようになったと思います。エンゲルスの限界や不十分さについて考えられるようになったことです。

■ 目次 ■

3月の読書会(『家族・私有財産・国家の起源』フリードリヒ・エンゲルス著)の記録
記録者 田中 由美子

一 はじめに
二 参加者の読後感想
三 中井さんの問題提起
(1)文明以前の社会や、近親相姦の禁止をどう理解すべきか
(2)「単婚」に、個人の芽
(3)奴隷の必然と、家父長制  
(4)男女の関係、ほんとうの愛
(5)氏族制度から国家へ
(6)モルガンやエンゲルスの、その他の問題
四 参加者の感想(読書会を終えて)
五 記録者の感想
六 読書会を終えて(中井)
 
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3月の読書会(『家族・私有財産・国家の起源』フリードリヒ・エンゲルス著)の記録
記録者 田中 由美子

※ 〇=ゼミ生の発言  ●=中井さんの発言

一 はじめに

○日時  2022年3月20日 午後2時から6時
○参加者 中井さん、社会人ゼミ生9名、鶏鳴学園生徒の保護者1名
○テキスト 『家族・私有財産・国家の起源』(国民文庫1954/3/15)
○著者 フリードリヒ・エンゲルス

今回のテキストは、マルクス亡き後、その原始共産制社会や家族の研究を、エンゲルスが引き継いで著したものである。

特に古代からの氏族制度や婚姻を研究したモルガンを引いて、その家族史と、マルクス、エンゲルスの階級史観、国家観を結び付けようとした。

つまり、人類が氏族間の「群婚」から、一対の男女の「単婚」に移行したのは、人間がまず牧畜を始め、その分業と交換により牧畜民に富が蓄積されたことによると。

それ以前の血縁のたしかな女、母権の強い氏族共同体から、牧畜に直接たずさわる男個人が、私有財産と、相続を含めた決定権を持つ、個別家族への移行である。

そうして格差や対立が増大し、さらに商工業へと分業が進む中で、氏族制度は解体し、諸階級に分裂した社会をコントロールするための国家が生まれてくる。       

しかし、そうして始まった資本主義的経済と、支配階級のための国家により、被支配階級と女性は抑圧され、それは社会主義革命によって必然的に滅ぶべきものであるという彼らの革命論が示される。

また、エンゲルスは男女の関係のあり方に強い関心があり、「単婚」という「一夫一婦制」は、「個人的性愛」によるものではなく、私的所有を起源として、奴隷制にも関わり、売淫制を伴う産物であると問題提起し、それも革命により解決されると説く。

二 参加者の読後感想

〇他民族と交易や戦争を行うことで、貨幣も生まれ、民族は発展する。「ゲルマン人という名を、ケルト人からあたえられたp118」にも、他者と出会うことで、初めて自らが意識されることがよく現れている。(Aさん)
→●(中井さんのコメント)交易と戦争の二つが、社会発展を考えるときに重要。

〇古代人の踊りに二種あり、一つは日常の中の節目としての祭礼、もう一つは戦争において(p119の五と六)。その二つがあるということが重要であり、また、どちらが根源的なのか考えたい。
 ギリシャでの軍隊指揮者が司祭と裁判者も兼ねていることや、交易があって民族が入り交じり、またそうするために軍隊から貨幣が生まれるのが、おもしろい。(Bさん)
→●氏族から国家が出てくるときに、戦争のリーダーが国家の王になる。共同体が発展していく際に、戦争は必然のものだった。

〇家庭内の無償労働をどうするべきかという問いが既にある。今も未解決。
 また、子の教育を、公的社会はどう担うのか、なぜ家庭で育てなければならないのか。(Cさん)
→●家事労働は社会の公的労働なのか、私的労働なのか、これは今も重要な論点。
子の教育は、ロシア革命の後、社会が担うべきという考えで多くの実践が行われた。現在、大きく言えば、保育園、幼稚園、学校などの公的機関と、家庭の両者でそれを担うということになっている。

〇プラトンの『国家』に書かれている、子の共有と、モルガンの「群婚」が類似している。(Dさん)
→●プラトンの、私有財産を持たないことや、子の共有という主張は、当時すでにスパルタが行っていたことであり、それは「群婚」ではない。「群婚」から出てきたのは氏族制度であり、それが根底にはあるのだが、問題は、むしろ我々近代のもの。「私有財産」の中に、親が子を支配できる、男が女を支配できることが入ってしまっている。

〇私有財産や国家を論じるために、「単婚」の前段階を詳しく論じる必要はあるのか。エンゲルスに以前の大らかな婚姻への思いがあるのか、男女のあり方を語りたかったのか。「群婚」の方が女性の権利、母権が強かったのに対して、今の「単婚」は女性差別的だと批判している。
牧野紀之「労働と社会」p101「家族から集合社会への唯一の通り路は雄と雌との関係及び両親と子供との関係のなかにではなく、子供同士の関係のなかにある」が印象的(Eさん)
→●マルクス以上に、エンゲルスには、当時のブルジョアの婚姻に対する強い批判がある。彼には連れ合いはいたが、婚姻制度に収まることを拒否した。
 近代において家庭と社会はどう関係するのかを、ヘーゲルの『法の哲学』が解き明かしている。子どもは家庭で育つが、労働力として社会に出ていく。その際、彼は社会の中に個人として現れていく。これが「個人」が生まれる大きな要因。その観点がエンゲルスにはない。個人というものが、この本の中で明らかになっていない。国家のことは書かれているが、個人はどこから生まれるのか。これはエンゲルスの性愛の考えの核心に当たるところである。それがないのは、驚くべき欠落。

〇人が土地を私有できるということは、それを他人に譲渡できるということでもあるという、私的所有の二重性の捉え方p217がリアル。たんに抑圧する者が悪いという捉え方ではなく、私有の本質の話。その二重性により、実際に多くの農民の土地が借金の抵当に入り、彼らは結局土地を失った。氏族という共同体が土地を所有していたときには起こり得なかったこと。
 読書会前の中井さんの指示、「家族の眼目は個人をつくることだ、ということからエンゲルスを読むべき」については、この本に個人としての生き方や労働、能力の話は無いと思った。
氏族制度の中で、成員としての人間がどう育つのかという話はあるがp125、氏族制度の評議会決議は「満場一致」p117でなければならない。「原生的」とは言え「民主主義」と呼んでいいのか。
他方、四?八章で描かれる、各地で文明段階に向けて階級や経済格差が生まれてくる実例からは、どれもそこに何らかの能力格差があったのだろうと思われるのに、その能力格差の解決が論じられない。家族の目的が富の獲得になってしまっているという批判しかなく、たんに私的所有や階級、国家をなくすという解決策になってしまっている。(田中)
→●私的所有の二面性のとらえ方は、ヘーゲルの捉え方。私有できると同時に、自分のものだから他人に手放せる、自分のものでなくすこともできる。こうして交換、売買契約が成立する。
 「個人」が一番大事。氏族制度の中には個人は存在せず、存在するのは文明以降。インディアンの酋長がどれだけ立派な人格を持っているのかという話は、アイヌ民族の長が立派であるのに対して、我々現代日本人がカスであるという話と同じで、無意味。こうした話のインディアンやアイヌ民族の段階ではそこには個人が無く、今の我々の個人の人格とは別の話。
この本では、個人を規定して全体の中に位置づけないので、大混乱が起こっている。自由や平等という言葉は未開や野蛮の段階には使えない。個人が無い社会に、自由も平等も無い。そういう時代の男女の関係のあり方を出すこと自体が無意味。エンゲルスは科学的ではなく、感情的。

三 中井さんの問題提起(主に二章、九章に関して)

(1)文明以前の社会や、近親相姦の禁止をどう理解すべきか

●近代の資本主義では、生産力を高めることがすべてであり、ブルジョアとプロレタリアの階級闘争もそのためだが、その唯物史観を、それ以前の世界にそのまま当てはめることはできない。それ以前の野蛮や未開での人類の発展とは何か。
 文化人類学者が論じている、共同体間での女性の交換の意味は何か。女性が「商品」や「貨幣」の役割を果たしたとして、それが悪いことであるかのような捉え方は的外れ。女性が共同体にとって最高のものであり、だから、交換されるものになっていたのではないか。

●親子間の性交、次に兄弟姉妹間の性交が禁じられていく。そのルールが決まっていくのは、何が目的で、何がどうなるための禁止なのか。モルガンもエンゲルスも、強い子が育たないからと「自然淘汰」p49・68で説明するが、薄っぺら。道徳も科学も存在しない段階で、初めは種族内部に何のルールも無いところから、近親相姦が禁じられていく意味をどう理解すべきか。
 人間が個人として現れていくとは、意識の内的二分が明確にあること。それは端的には自分とは何か、自分はどう生きるのかという問いが、生きる中心になること。その問いが無いところには自己内二分もなく、個人は存在しない。個人の生成がどういうプロセスの中で行われていくのか。エンゲルスの中にはそれについての問題意識が弱く、お粗末。
 近親相姦のタブーは、人肉食がタブーになったことともつながっているだろう。何かをしないという自己規制をする、それが人間。人間とは何かということが、すでにここにある。意識の内的二分はここに始まる。氏族制度の中では近親相姦はしない、何でもありだがそれだけはダメだというルールがあることが、私たちを人間にしている。動物にはそれが無い。

(2)「単婚」に、個人の芽

●文明段階に入り、男女が婚姻相手を互いに一人選ぶようになる。たんに近親相姦をしないというところから、その「単婚」まで来た。一人を選ぶとは、他をすべて捨てること。人間は、これはしないということを増やしていく。最初は否定が無いが、否定に次ぐ否定へ。否定が一つ入って分裂し、もう一つ禁止が入るとまた分裂。こうして意識の内的二分が進み、深まっていったときに、一夫一婦の「単婚」になり、そこに個人が現れている。一人を選ぶ中に、個人の内的二分がはっきり現れる。選択の基準を考える時、それは自分とは何かを考えることになっていく。そこにエンゲルスの言う「打算婚」などどれほどの問題があろうとも、一人を選ぶところに個人の芽がある。これが無ければ個人ということは出てこなかったのではないか。ここで初めて自由や平等を考えられる。
 
●氏族制度が現れても、その段階には個人は存在しない。しかし、そこから「単婚」家族が生まれ、個人が始まっていく可能性がここにあった。「単婚」から生まれた子が社会に出ていくことで、個人の社会との関わり方の中に、自由と平等が始まる可能性が出てきた。

●夫婦の子が社会に出ていくことで個人ということがはっきりしていく。エンゲルスはエスピナスからの引用文を、「高等動物では移動群と家族はたがいにおぎないあうものではなく相対立するものである」p42と説明するが、これが何を意味して、その後とどう結びつくのか不明。個人がどこからどう生まれてくるのかが、ここで問われており、牧野紀之がそれを「労働と社会」で論じた。ただし、子どもから社会が始まるとは、どういうことか。子は家族の一部でしかないが、一つは、「単婚」の中に個人があり、もう一つ、その中に現れる子が、社会の中で、その成員としての自由平等を実現していく。

●ただし、家庭の中に個人が無い状態で、子が社会の中に自由・平等を実現することは可能なのか。そういう家庭から子が社会に出て、個人が成立するだろうか。

●一人を選ぶということの究極のところに、「先生を選ぶ」がある。

〇質問:文明以前には「個人が存在しない」とは、個人の気持ちや精神も存在しないということなのか。(Eさん)
→●集団としての意志決定は行われており、そこに「個人」があれば、その社会の決定に断固反対と言う個人が出てくる。そうでなければ、そこに個人が存在するとは言わない。
「一人一人がたがいにまったく無差別」p127とあるが、みんなが同じ意見なら、そこに個人はいない。そうすると、今のぼくたちの社会には個人はいないのではないか。そこが恐ろしい。

(3)奴隷の必然と、家父長制

●経済発展すると、またさらに経済発展していくには、労働力が必要。それを得るために奴隷が必要だった。ギリシャの社会を支える奴隷の数がすごい。都市国家アテネでは、自由市民約9万人に対して、男女奴隷は36万5千人との数値をエンゲルスは挙げている(p154)。これがギリシャの民主主義の実態である。
奴隷=労働力は商品として売買された。今の時代も、サラリーマンの賃金労働は労働力をお金で買うもの。その起源は奴隷。
奴隷制度は何か特別なことではなく、一般に広くどこでもやっていた。戦争の目的は略奪であるが、金銀財宝だけではなく、奴隷の労働力の獲得も目的だった。

●その奴隷と家父長制がセットになっている。緩い「対偶婚」から、固定的な「単婚」に進んでいくときに、家父長制がくっついてくる。家父長制は家族からは出てこない。後ろにある社会の経済発展のあり方から生まれた。なぜ男が威張っているのか、家長である男が決定権を持っているのか。今と重なる問題。

(4)男女の関係、ほんとうの愛

●女は子を産むという意味で、自然的(生理学的)にはここに「男女の分業」が始まるとしているp84。しかし、自然的な分業(役割の違い)と社会的な分業とは違う。出産後の子育てや家事労働で問題になるのは社会的な分業であり、自然的なものではない。
エンゲルスは「男女の分業」から階級対立、社会主義革命の話に持っていこうとしている。

●エンゲルスは「近代的な個人的性愛」p88を本気で考えていた。当時意識のあるインテリの多くは、ブルジョアの婚姻制度に反対だった。男女のほんとうの愛とは何か。古代に親が婚姻を決めていたときには、個人的性愛は婚姻外にしかなく、中世の騎士の恋愛も同じ。婚姻は、私有財産も相続も含まれる社会制度であり、結婚と恋愛は違うという話になる。近代では、婚姻も、資本主義と、フランス革命などによる人権や自由、平等が前提の「自由意志の契約」p102のはずだが、そうなっていない。

●「性愛はその本性上排他的」であり、「一夫一婦である」p104に皆さんは賛成するか。また、エンゲルスは所有欲を諸悪の根源のように言うがp230、「オレの彼女」「私の彼」「泥棒ネコ」などは、恋人の所有を意味するのか。たんに表現の問題なのか、あるいは男女関係の実質的な問題がそこにあるのか。男女の平等は、相互に所有し、所有されることなのか。その枠組みを超えていくことなのか。超えるならどう超えるべきか。

●革命成立後には、女性が公的産業に復帰するというエンゲルスの答えがあるがp95、家事労働を誰がどう行うことが、男女の、そして社会の正しい在り方なのか。男の優越や、女が離婚ができないといった不平等を単婚から取り除くために、女が稼げないという問題を解決すべきというがp105、それが本当の解決なのか。

(5)氏族制度から、国家へ

●第九章で、マルクス、エンゲルスの思想を、氏族制度につなげた。

●分業と交換で考えていく。まず牧畜の登場が最初の社会的分業p208。圧倒的な生産力。(農耕はその付属というとらえ方。スミスと同じ。)奴隷を労働力とすることによって、階級が生まれるp210。そうして、氏族制度が内部から切り崩されていく。ただし、搾取と被搾取というとらえ方だけで、能力差を問題にしなくてよいのか。

●この時男の支配がはじまる。これ以前は男女の財産の差は小さかったが、牧畜に直接携わる男の地位が上がり、家事労働する女の地位が下がる。いちおう男女全員参加で決議していた氏族制度が、この面でも壊れていく。

●氏族制度は基本的に内部対立が無いものだから、対立や格差が出てきたときに解決できず、国家に取って代わられたp219。国家は氏族制度の中から生まれたが、氏族制度の外に、氏族制度と対立して生まれたというとらえ方p220は正しい。国家は、氏族制度の概念からは生まれてこない。氏族制度の概念は滅びること。氏族制度を結果的につぶすために、国家はその外に現れたp221。

(6)モルガンやエンゲルスの、その他の問題

●モルガンが、親族メンバーの呼び名と親族制度をつなげて考えているのはおもしろいが(二章)、呼び名を今の言葉の意味合いで捉えてよいのか。今の意識を昔の世界に持ち込むのではなく、多くの媒介を考えるべき。そうした意識の弱い二章は、文化人類学や精神分析の立場から相当の批判があるだろう。人間は、動物とは異なり、まだ個人は存在しない段階でも、意識の内的二分はあり、それを社会として担っている。

●「一人一人がたがいにまったく無差別」p127の、個人の無い氏族制度が解体し、文明段階に入っていく過程の、エンゲルスの説明がひどい。人間は元には戻れない。ここでは、断然大きく進んだものがある。人間が、ここで自分というもの、つまり「個人」というあり方を持つに至った。その裏面として、どこまでも堕落できるということがあるが、逆に、どこまでも前に進める。二章、九章とも大方間違ったことは言っていないが、思想運動をする者が「いやしい所有欲、獣的な享楽欲、汚らわしい…」とうような言葉でアジってはいけない。自分が堕落し、仲間をも堕落させる。実際にそうなった。

●牧畜・農耕、工業に次ぐ第三の分業、商人の登場p215は、明確に社会の発展。社会が分業と交換で発展していくなら、交換をスムーズに進める商人が必要。交換の専門家が出てくることは発展に決まっている。共同体と共同体をつないでいたのは、女性と貨幣と芸能など。ところが、エンゲルスの、商人=「寄生動物」という捉え方は、間違い。貨幣や商品を貶めるのはおかしい。高利貸しなどいろんな人はいるが、そんなのは当然。こうした考えが、資本家の役割を役割として捉えられなかったことと通底している。

●本書最後のモルガンの引用「つぎの、より高い社会段階…は、古代氏族の自由、平等、友愛の復活、ただし、より高い形態における復活であろう」p232は、最初のものが分裂し、より高いレベルで統合するというレベルの「発展」の理解でしかなく、世間一般の「進歩」「発展」の理解のレベルであり、ヘーゲルの「発展」ではない。古代氏族には自由も平等も無い。個人が生まれるときに激しい対立が生まれる。個人の対立は、階級対立の中、家族の中に生まれ、個人はそのあらゆる対立の中からだけ現れる。対立が嫌なら、個人は無理。氏族の中で生きるしかない。しかし、ぼくたちはもうそこへは戻れない。

四 参加者の感想(読書会を終えて)

〇個人的性愛は排他的、だけではストーカー、相手を殺したいだけになる。(Bさん)
→●一人を選ぶとはそれ以外をすべて捨てることであり、そうでなければ一人を選んだとは言えない。それを排他的とも言える。つまり、二人は世界に対して自分たちを閉じる。「性愛はその本性上排他的」は正しい。
しかし、閉じていちゃいちゃしてりゃいいのかという問題があり、それはどう解決できるのか。
二人の関係を閉じたものとして固定的で安定したものにする。それはそのことによって二人がそれぞれに社会的な場で全力で闘っていくことを支えるためである。
2人がその性的関係を社会から閉じることは、2人をそれぞれに社会に大きく開くためなのである。ここが重要なところではないか。

〇相続がなぜ子にだけなされるのかが、問題になっていない。土地の私的所有は、逆に手放せるということでもあると論じているのに。(Bさん)
→●財産は、まず共同体が受け継いでいたが、個人の所有が出てきたときに、氏族がその権利を奪うことはもうできない。個人の所有権は、手放すこともできる権利である。所有物のすべてを自由にできるという権利である。
遺産を残す人は、遺言ができる。財産を自分の家族に残さず、全くの他者に残すという遺言も可能。これが法律で定まっている。個人の考えでやれるのが近代の制度。

〇家族内の近親相姦の禁止は、家族や社会の崩壊を防ぐためではないか。(Dさん)
→●今の家庭内の問題は、閉じているという問題が大きい。家庭内部には問題解決する力が無く、みんなが崩れていくだけ。そのことと近親相姦禁止は深くつながっている。

〇「今も個人が無い」という中井さんの話から、自分に抗いがあるときに個人性を発揮できたことがあるとすれば、それは親の経済力が前提になっていたのではないかと考えた。それは個人性の発揮と言えないのではないか。(Gさん)
→●経済問題はきちんと考えないと真っ当に生きられない。だからこそ、困ったときに自分で抱え込まず、相談ができなければならない。
 選ぶということで大事なことは、その基準。何を基準にしているのかが問題になるのが個人。その際の基準が、自分とは何かの答え。だから厳しい。それをいい加減にやっていると、ずっと個人になれない。

〇唯物史観の定式が曖昧でおかしいせいで、家族の発展と経済の発展が結びついていない。家族は上部構造なのか、経済と密接した下部構造なのかも曖昧で、この本は何かを言えているようでいて、言えていない。(Hさん)
→●家族が下部、上部のどこにどう位置づけられるのかは大事な論点。エンゲルスがこの本を書いていながらそれをやれていないのは大きな問題。
また、経済を背景に、家族はどう発展するのか、そこが十分に結び付いていない。牧畜が起こったときに、家族はどうなるのか、そうした説明があいまい。

〇個人的性愛にエンゲルスの執着があり、それを位置付けるのはよいが、家族の変遷を議論する中でこの書き方でよいのか。この人は六十歳を過ぎても成熟していない。(Hさん)
→●社会運動をやっていながら成熟しないのは大きな問題。プラトンが『国家』に書いた、哲学やってカスになり、ルールを無視するようになったり、ニヒリズムに陥ったりという避けられない問題をどう超えるか。
マルクス、エンゲルスがこの問題を解決できなかったのなら、それはなぜか。いつまでも若作りで成熟しないのはカス。悟りきって老成するのではなく、本当の成熟は、どう可能か。エンゲルスはついに真っ当にその答えを出せなかった。二章はモルガンに従っている。本来はすべてを再構成すべき。マルクスのメモが、それを一層難しくしている。

〇子どもは何のために家庭で育てるのか。(Cさん)
→●子どもとは何かが、まず根本。家庭から社会に子が送り出される。Cさんも、大学卒業後社会に出て働いてきた。他の人たちと全く対等の関係を持てる。そこを君がどう生きてきて、これからどう生きていくのか、それが一人一人に問われている。個人というものをやってきたのか。それが先。
 次に、社会がどのように個人をつくっていけるのか。今はそれぞれの家庭に任されているが、それでいいのか。社会が子の養育を引き受けるのか、それは誰がどうすることなのか。子が生まれた段階で親から切り離し、社会が育てるのか。そうしたことはロシア革命後、全世界で実験されてきて、今もやっている人がおり、結果が出ている。家族でやって問題も起こってきて、家族は要らない、社会で、という立場もある。何をどうすると社会できちんと生きていける人間をつくっていけるのか。難しい。

〇親という言葉もなく、人間という言葉もないときに、近親相姦も人肉食もただ自然のことだったのだろう。(Aさん)
→●人間とは何か、につながる根本的なところ。今の個人が現れてくるいちばん根っこのところにそれらの禁止があるのではないか。

〇親から子への相続した財産をどう使うかを決めるためにはもっと勉強しなければならない。(Hさん)
→●そうした相続の宛先が自分だった人は、それを拒否できる。遺言を残す人と受け取る人は、全く対等。Hさんは、最初から相続を拒否することも、君の選択次第でできた。
その時には、何もわからず、ただ受け入れるしかなかったとしても、今は自分の責任として受け止めるべき。今は拒否という選択肢をも含めて、自分の本当の選択をすることができる。

〇p229などで都市と農村の対立の問題が何度か出てくるが、その意味を勉強したい。私の親は戦中戦後に農村で多大な生活苦があったが、中井さんから、戦争中に農村がひどい目にあい、政治の失敗があったと聞いたことがある。(田中)
→●牧畜、農耕が始まり、それが第一の分業。
第二に手工業。そして第三に商人。こうして工業と商業が社会を引っ張っていき、都市を形成し、農村が取り残され、都市と農村の格差が拡大される一方だった。マルクスの時代に、農村では食べられない多くの人が都市に移住して、工業に従事した。一次産業がひたすら衰退した。しかしそれでいいのか。今、食糧が自給できていない問題もある。

〇文明の特徴として、もう一つ遺言制度を挙げている意味は何か。エンゲルスは私有財産を否定するのだから、反対しているのだろうが。(田中)
→●エンゲルスの私有財産の否定は、全てではなく生産手段の所有の否定。
 個人の所有を認めたときに、遺言制度が重要になるに決まっている。そうでなかったらおかしい。遺言が無い場合は、民法で、半分が配偶者、残りが子としている。遺言を書けば、その家族の枠組みではなく、個人の意志が最優先される。これが今のぼくたちの社会。

〇近親相姦禁止は本能によるのではないか。人文のアプローチの方がよいというのは、脳による説明はだめだということか。(Eさん)
→●脳という生理的な説明や本能という説明は、限りない可能性を持った人間にふさわしくない。人間の中核にある近親相姦禁止をどう理解するのかが、それぞれの人の思想の大きさを示す。
 近親相姦を考えるときに、まず旧約聖書を思う。そこでは近親相姦も親殺し、兄弟殺しなどがたくさん出て来る。きれいごとが無く、おもしろい。人間の欲望のむき出しの姿。近親相姦で何もおかしくなく、ごく普通。人間はそこから始まった。本能が禁止せよとは言わない。ただ、人間という存在は、その後近親相姦を許さなかった。その意味を理解したい。

五 記録者の感想
 
「家族の眼目は個人をつくることだ、ということからエンゲルスを読むべき」ということを、中井さんが読書会でやって見せてくれたと思う。
エンゲルスは、人間が「単婚」という一夫一婦制に至ったことを「偉大な歴史的進歩」p84だと述べるが、その肯定面の意味を論じない。「打算婚」p83や「姦通や売淫とによって補足される」p95というリアルな否定面を論じるのが彼の真骨頂であっても、それだけでは家族史と社会史を本質的につなげることはできない。
中井さんは、まず、エンゲルスが「自然淘汰」だと片づけた、「群婚」における親子間や兄弟姉妹間の近親相姦の禁止に、人間が人間であるゆえの意識の内的二分を見る。
そして、「単婚」でたった一人の相手を、互いに何らかの基準で選ぶというところに、より深まった意識の内的二分、つまり、個人の芽を見る。「単婚」にどれほどの問題があろうとも、選ぶことが無ければ個人は生まれなかった。それほどの画期的なことだった。
さらに、その男女の子が社会に出ていくとき、その社会との関わり方の中に、彼が個人になり、社会に平等を実現していく可能性があり、そこに家族と社会の関係の本質がある。

私は予習の段階で、人類の最初から、特に生殖の中には、自分の身体の所有という意味で「私有」は潜在的にあったと考えたが、個人が存在しない段階に「私有」という言葉は使えない。個人の存在しない氏族制度の段階に「自由」や「平等」という言葉は使えないという中井さんの指摘から、その段階と、次に氏族制度が崩壊して国家が取って代わり、個人が生まれていく段階とは、明確に区別しなければならないことを学んだ。
そして、その個人がより強く現れるところまで来た私たちが、個人になれないまま生きようとすれば、それは必然的に苦しいのだと思った。個人の存在しない氏族制度的要素は、今も家庭に、社会にあふれている。男女平等がいくらか進み、多くの女性が社会で仕事をするようになっても、親の子離れも、子の親離れも一向に進んでいない。

六 読書会を終えて(中井)

エンゲルス『家族、私有財産および国家の起源』(国民文庫版)の読書会で、
近親相姦の禁止のルールについて言及しました。

モルガンとエンゲルスの原始の親族関係論は、群婚(乱婚)の存在を示しているということで、物議をかもしました。大昔は「乱婚」だったのだと。私もずっとそういう主張だと思ってきました。
しかし、今回読むと、この事実が意味するものは、人間社会の内部で近親相姦の禁止が実現したことだと、気づきました。
群婚(乱婚)が存在したということではなく、「対偶婚」(「単婚」が時間的に短いもの)が一般的に広がっていて(これは当たり前の事態だろう)、その中で近親相姦の禁止が実現されていき、それが意識化されたことだと思います。
ただし、モルガンやエンゲルスはそう理解してはいないようです。

近親相姦の禁止は大きなことです。これは人肉食の禁止ともつなげて考えるべきでしょう。これは人間と動物とを分けるものであり、人間の概念をそこに考えなければならない。
そして、近親相姦の禁止に関しては、旧約聖書を思い出すとも言いました。旧約には近親相姦、子殺し、兄弟殺しなどが満載です。

読書会後に、近親相姦に、さらに息子の父親殺し、息子による母との相姦などがギリシャ悲劇の定番だったことも思い出されました。

親殺しは、かなり普遍的なテーマですね。ドストエフスキーの『カラマーゾフ』もその1つです。

これらは大きな問題であり、すでに文化人類学や精神分析学(フロイト)が扱っている題材であることはわかっています。
なお、近親相姦の禁止を文化人類学では「インセストタブー」と呼ぶことを知りました。

私はその後、世界の名著シリーズで、文化人類学(マリノフスキーとレヴィ・ストロース)と精神分析学(フロイト)の近親相姦の禁止についての解説を読み、さらに今西錦司にもその考察があることを知りました。
フロイトには、モーゼが殺されたことを意味づける論考もありましたね。

ここで、旧約がユダヤ教の経典であり、レヴィ・ストロースとフロイトがユダヤ人であることにも気づきます。

これらは、とても面白いと思います。
しかし、彼らの理論には、そこにどんなにすぐれた考察が含まれていようとも、「人間の概念」という観点がないと思います。そのレベルまで深めた考察が必要であり、私はそれに挑戦しようと思います。

なお、私はモルガンが民間(素人)の研究者であり、正規の学者たちから「無視」されていたことと、それを大きく取り上げたのがマルクス・エンゲルスであったことに注目します。
マルクス・エンゲルスもまた、民間(素人)の研究者でした。マルクスは大学の研究者になりたかったようですが、その政治的立場から実現しなかった。こうしたことをどう考えるか、自分はどう生きるか。と問いは立てられます。

4月 30

ヘーゲルゼミ再開

ヘーゲルゼミ(原書購読)をお休みしていましたが、5月2日から再開します。
ヘーゲル『哲学史講義』の序論、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの部分から、重要な個所を読みます。

基本は隔週月曜日の晩の7時から、オンラインで行います。

参加費は毎回2千円です。

関心のある方は、まずは連絡ください。

初心者でも、ドイツ語が全くできなくても、丁寧に指導をしますから、大丈夫です。

今、決まっているヘーゲルゼミの日程は以下です。

5月
5月2日   
5月9日
5月30日

6月
6月13日
 27日

7月はまだ未定

4月 06

新たな年度と学期が始まりますね。
コロナ対策で追いまくられた2年間でしたが、ここらで本格的に学習を始めませんか。

私は、今年2月に『現代に生きるマルクス』(社会評論社)を刊行しました。
2年前に刊行した『ヘーゲル哲学の読み方』(社会評論社)と併せて、長年のヘーゲル・マルクスの研究に一区切りをつけ、現時点での私自身の立場を示すことができたと思っています。

この4年程は、この2冊を刊行する作業で忙殺されていて、余裕がありませんでした。
それが終わった今、この2冊を梃子にして、中井ゼミの学習を大いに深めて、その成果を発表していくつもりです。

1月から3月までは、プラトンの『国家』とエンゲルス『家族、私有財産および国家の起源』を読みました。ともに学ぶこと、考えさせられることが多かったです。しかし、十分に理解できたわけではなく、課題もたくさん出てきました。

それらの課題には、これから答えを出していきたいと思っています。

4月以降の読書会では、プラトンの『国家』をより深く理解するために、シリーズとして、哲学史の古典中の古典を読んでいきます。4月には中井の『現代に生きるマルクス』を取り上げます。

どうぞ、読者のみなさんも、積極的に学習会に参加してください。

◇◆ 4月から7月の読書会テキスト ◆◇

(1)4月24日は、今年2月に刊行された中井の『現代に生きるマルクス』(社会評論社)を取り上げます。

マルクスの思想、唯物弁証法、唯物史観を検討する本を出すことは、
2020年に『ヘーゲル哲学の読み方』を刊行する時に、
次はマルクスと決めてありました。

20世紀の世界の動向を考える時、マルクスの思想は、常にその中心軸の1つでした。
これに対して自分はどう考え、どういう立場をとるのか。
それは人間が主体的に生きようとするならば、どうしても答えを出さなければならない課題だと思います。

難しいところがあり、大部な本でもありますので、読んで検討する箇所をいくつかにしぼって、みなさんと考えてみたいと思います。

(2)5月22日はヘーゲル『哲学史講義?』(河出文庫)からソクラテスとプラトンについての説明部分を読みます。
具体的には第2章の「B ソクラテスの哲学」と第3章の「A プラトンの哲学」です。

今年の1月、2月にプラトンの『国家』を読んだのですが、まだまだその核心には迫れていないように思います。

ここで、ヘーゲルのプラトン理解を読むことで、私たちがさらに先に進めると思います。ヘーゲルの理解の大きさと深さは、他を圧倒していますから。

(3)6月19日はヘーゲル『哲学史講義?』(河出文庫)からアリストテレスについての説明部分を読みます。
具体的には第3章の「B アリストテレスの哲学」です。

アリストテレスは、ソクラテスから始まり、プラトンがまとめた哲学を、さらに自然と社会の全分野にまで拡大し、それらを総合してギリシャ哲学を完成させた大物です。

その『形而上学』が、ヘーゲルの論理学に圧倒的な影響を与えています。
そのアリストテレス哲学を、ヘーゲル自身の説明によって、より深く理解できると思います。

(4)7月17日はアリストテレスの『詩学』(光文社古典新訳文庫)を読みます。

『詩学』は「西洋における芸術論の古典中の古典」(文庫訳者)だそうです。
『詩学』とありますが、詩を論じているのではなく、演劇(悲劇や喜劇)を通して「創作」を論じているものです。

これを読みたいのも、実はプラトンの『国家』と関係します。
プラトンの『国家』は、哲学書であると同時に、対話編で書かれた最高の文学だと思います。しかし、プラトンは『国家』では、文学、演劇(悲劇も喜劇も)に対して全否定に近い立場を打ち出します。国民をだめにするとして。

プラトンは、哲学に対しても、それが感受性の強い若者たちをだめにして使い物にならなくすると批判していて、文学や芸術に対してだけ厳しいのではないのですが、その文学、演劇(悲劇も喜劇も)、芸術批判についても考えてみたいと思います。

哲学と芸術への厳しい批判は、プラトンにとってはそのまま自己否定を意味するのですが、こうした二重性がプラトンの核心にあるようです。その意味を深く理解したいと思います。

◇◆ 4月から7月の中井ゼミの日程 ◆◇
 
4月から7月の中井ゼミの日程は以下の通りです。

いずれも日曜日で、午後2時開始、すべてオンラインでの実施の予定です。
ただし、変更があり得ますから、確認をしてください。

月の前半は、文章ゼミ+「現実と闘う時間」を行い、
月の後半では、読書会+「現実と闘う時間」を行う予定です。

「現実と闘う時間」は、参加者の現状報告と意見交換を行うものです。

参加希望者は今からスケジュールに入れておいてください。また、早めに申し込みをしてください。
遠距離の方や多忙な方のために、ウェブでの参加も可能にしました。申し込み時点でウェブ参加の希望を伝えてください。

ただし、参加には条件があります。

参加費は1回2000円です。

4月
 10日
 24日

5月
 8日
 22日

6月
 5日
 19日

7月
 3日
 17日

◇◆ ヘーゲルゼミ再開 ◆◇

毎週月曜日に行ってきたヘーゲルゼミを、しばらくお休みしていましたが、5月から再開します。

ヘーゲルの『哲学史講義?』のソクラテス、プラトン、アリストテレスの説明から、重要な個所を原書で読みます。

関心のある方は、連絡してください。

2月 10

読書会テキスト

4月24日は、今年1月に刊行された中井の『現代に生きるマルクス』(社会評論社)を取り上げます。

マルクスの思想、唯物弁証法、唯物史観を検討する本を出すことは、
2020年に『ヘーゲル哲学の読み方』を刊行する時に、
次はマルクスと決めてありました。

20世紀の世界の動向を考える時、マルクスの思想は、常にその中心軸の1つでした。
これに対して自分はどう考え、どういう立場をとるのか。
それは人間が主体的に生きようとするならば、どうしても答えを出さなければならない課題だと思います。

大部な本ですので、読んで検討する箇所をいくつかにしぼって、みなさんと考えてみたいと思います。