4月 09

今年の4月から全国の高校で使用される、大修館書店の国語科教科書「国語総合」の3種類に関して、
教師用の副教材『論理トレーニング指導ノート』(3種類)を、
鶏鳴学園のスタッフの松永奏吾、田中由美子と一緒に製作・編集した。

これは、「国語総合」に収録された評論を取り上げ、そのテキストの論理的な読解、立体的読解を示したものだ。

そこでは、取り上げた1つ1つのテキストについて、その考え方を私が批評するコラムをつけている。

教科書には、今、世間で売れていて、評価されている著者が並ぶ。
このブログの読者も読んだことがあったり、ファンであったりするだろう。

そうした方々にも、考えるヒントになると思うので、このブログにも
毎日コラムを1つ転載します。

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「オタク」の勝利宣言
(四方田犬彦の『「かわいい」論』から)

日本発のサブカルチャーが世界を席巻し、巨大なマーケットを形成している。
本テキストは、その状況を「かわいい」をキーワードに読み解こうという試みだ。
それも、「共時的」かつ「通時的」な両面から迫ろうとする。

四方田は、日本文化の歴史の中に「かわいい」を正当に位置づけるべきだ、と主張している。
これは、昔は日陰者だったサブカルチャーが、今や日本文化の正統となったとの宣言だろう。
つまり「オタク」の勝利宣言。
そうした時代背景の中で元祖「オタク」だった四方田は、いまやもっとも脚光を浴びることになった。

四方田は、「かわいい」は「脱政治」だという。
しかし実際にはフェミニズムの側からの強烈な反論がある。
テキストではその反論を紹介する(それへは不満がありそうだが)が、
四方田は、この対立、この矛盾をどうとらえるのかを明らかにしない。
その問題はわきに置いて、文化論を続けるだけだ。

もちろん、東西冷戦下にあった狭い意味の「政治性」(体制か反体制か。右か左か)はもはや無意味になっている。
しかし、いつの時代にも政治と経済は、あらゆる文化現象に対してその威力を発揮しているはずだ。
「かわいい」もその例外ではない。

また四方田は「かわいい」の本質を「無時間的な幸福」「無罪性と安逸さに守られたユートピア」だという。
しかし、この規定は「かわいい」に限られたものだろうか。
今や全世界で読まれている村上春樹や吉本ばなななどは、この規定にみごとに当てはまるのではないか。
つまり、ここで四方田が主張していることは、サブカルチャーとカルチャーの区別を超えて、
現在の全世界に同時進行している普遍的な現象なのだろう。
そして、そうであれば、それが政治や経済に無関係なわけはなく、逆に、深くそれに関わっているはずだ。

四方田は、「かわいい」に「共時的」かつ「通時的」な両面から迫ると言うが、
それは「通時的」側面に大きく偏り、
また「政治や経済」の側面を捨象し「文化的」側面に大きく偏っている。
それこそが「オタク」の勝利宣言の姿であろう。

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