7月 26

8月に連続読書会を開催します。初期マルクスのテキストを中心に読みます。
いずれもオンラインで行います。

参加費は1回2000円です。

参加希望者は早めに連絡ください。
ただし、参加には条件があります。

(1)マルクス『ユダヤ人問題に寄せて、ヘーゲル法哲学批判序説』岩波文庫
レーニンの「社会主義と宗教」「宗教にたいする労働 党の態度について」

8月1日(日曜日)午後5時から2時間ほど

マルクス『ユダヤ人問題に寄せて、ヘーゲル法哲学批判序説』を読む人は、
ラストの「訳者解説」を先に読んでから読んでください。
そうでないと、何が何やらわからないと思います。

社会主義の宗教論、宗教政策を確認したいので、合わせて
レーニンの「社会主義と宗教」「宗教にたいする労働 党の態度について」も読みます。
こちらは参加者にはテキストを送ります。
連絡ください。

(2)マルクス『経済学・哲学草稿』岩波文庫

8月8日(日曜日)午後2時から2時間ほど

マルクス『経済学・哲学草稿』岩波文庫
全部ではなく「疎外された労働」「私有財産と共産主義」「ヘーゲル弁証法と哲学一般との批判」を読みます。

6月 30

前回の学習会の報告 田中由美子

コロナ禍でのオンライン開催も、この回で3回目となりました。
この日のご報告として、テキストについての感想を掲載します。

日時  : 2021年3月7日(日曜)14:00?16:30
テキスト: 青木 省三 著『ぼくらの中の発達障害』(ちくまプリマー新書)

テキストの著者、青木氏は、特に思春期・青年期を専門とする精神科医です。

近年「発達障害」という言葉をよく耳にするようになり、2012年の文科省の調査によれば、学校の教師たちが、小中学生の6.5%に「発達障害」の可能性を見ているとのことです。

しかし、そもそも「発達障害」とは何なのか、これが問題だと思います。
この「障害」は、医学においてもまだ半世紀ほどの歴史しかありません。
なぜ、私たちの社会に、今この「障害」に戸惑い、苦しむ人が増えているのでしょうか。

これらが、今回このテキストを取り上げた私の問題意識でした。
青木氏が述べていることは、「障害」を持つ子どもだけの問題ではなく、広く思春期の子どもたちの課題や、人間関係の悩みの本質であるように思えます。

以下、テキストについての私の感想です。
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「発達障害」の社会的な土壌

1.「発達障害」の概要

青木氏によれば、「発達障害」は、1943年にアメリカの精神科医から子どもの「情緒的接触の自閉的障害」の症例報告がなされたところから研究が始まった。
それまでは、精神発達の障害と言えば知的障害だけが知られていたが、その後「自閉症」や「アスペルガー症候群」といった、社会性や対人関係に困難があるような「障害」の研究が進む。
現在、その原因は、親の養育や性格などによる心因性ではなく、脳の軽微な障害など生物学的なものとされているが、その詳細はわかっていないとのことだ。

「自閉症」は、乳幼児期から問題が現れ、基本障害は言語/認知機能の障害であるという。
これが「発達障害」の中核的なものであり、その75%が知的障害を伴う。

それに対して、「アスペルガー症候群」や「広汎性発達障害」と呼ばれるものは、思春期・青年期に自閉症の傾向が現れ、言葉の発達の遅れは伴わないが、学校や社会での対人関係に困難を抱えることが多い。(二つの名称の違いは曖昧なものであり、青木氏は「アスペルガー症候群」の方が「広汎性発達障害」より障害の傾向が強いと位置づけている。)

有病率は、前者の「自閉症」が1000人に2-3人、後者の「アスペルガー症候群」などが100人に1人という。

なお、この二種の区別が難しいケースもあるという。

また、本書で青木氏が主に論じている「発達障害」は、二種の内、後者の「アスペルガー症候群」や「広汎性発達障害」である。

2.社会の変化による「発達障害」

青木氏の「アスペルガー症候群」や「広汎性発達障害」についての基本的スタンスは、その要因として、個人の特性よりも、社会的、文化的なものの影響を大きく見ていることだと思う。
それが、本書をテキストにした第一の理由だった。
そうでなければ、この問題に戸惑い、苦しむ人の増加が、説明できない。

まず、経済的には、ここ半世紀で産業構造が大きく変化し、「真面目だが、無口で不愛想な人たち」が働きやすい農業や漁業、または職人などの仕事が激減したこと。

また、社会的、政治的には、共同体にわかりやすい規範のあった以前に比べて、共同体的な人の繋がりが崩れた今、社会の規範が複雑になり、社会でも学校でも「曖昧で流動的な空気を読むことが求められる」ようになったこと。

そして、そのことにより言葉の役割が重くなり、さらに、「言うべき「何か」を持っているかどうか」よりも「コミュニケーション能力」が過度に強調されていることなど、文化や教育の面での問題も挙げている。

そういう社会の変化の中で、「広汎性発達障害」の傾向を持つ人が破綻をきたしやすくなっているという見方だ。

彼は、「特に日本という国、日本文化の中で生きていくというのがより一層困難を与えているのではないか」と述べる。
また、「発達障害の傾向を持つ人が、改めて力を発揮できるようになることが、今の時代と社会に問われている課題の一つ」だと。

それは逆に、「発達障害」の増加が、今の私たち、日本社会の問題をあぶりだしているとも言えるだろう。

経済的には、たとえば農業など一次産業が衰退し、食糧の多くを、また農業肥料の原料のすべてを輸入に頼っているというような歪な産業構造は、すべての私たち、日本人にとっての大問題だ。

また、社会的、政治的には、「曖昧で流動的な空気を読むことが求められる」ような社会や学校であってはならないということではないか。
それぞれの組織の目的に合ったルールを、主体的、民主的につくっていけるような能力や制度が求められるのではないだろうか。
本質的な最低限のルールさえ守ってさえいれば、個人の自由は守られるという組織や学校でなければならないのだと思う。

私たちの社会の組織や学校がそうなっていないから、文化、教育面で「コミュニケーション能力」がいたずらに強調されているのではないか。
また、「コミュニケーション」の大流行は、対話を重視するという面で正しい方向ではあっても、自分たちの社会がどこを目指すのかという目的を、私たちが定められないでいること、つまり「言うべき「何か」」のナカミが無いことの裏返しでもあるだろう。

3.思春期なのに「よい子」

もう一つ大切な観点だと思ったのは、「広汎性発達障害」の傾向を持つ子どもが、思春期に友人や仲間を得にくい要因として、青木氏が、彼らが他の子どもたちよりも長い間「よい子」であり続けることを挙げている点だ。

一般には、「発達障害」を抱える人が他人の気持ちを読み取りにくいからだと説明されるようだが、青木氏は、思春期に大人から与えられた規範に反発したり、自分なりの規範を作り始める同世代に後れを取って、浮いてしまうのだと感じている。

これは、学校生活が息苦しいと感じている塾の生徒に私が常々見てきた傾向と、一致する。
学校規範では救われないから苦しいのに、思春期に入っても「よい子」から抜け出しにくい。

さらに、それは今の子どもたち一般的な傾向であるように思われる。
つまり、自立が難しく、自立に至る過程としての反発や疑問が弱い。
戦後、経済が急成長して私たちの社会や豊かになり、子どもは長い期間教育を受けられるようになった。
そのことはもちろんよいことだが、その分親子の一体化は強くなった。
子どもたちが、思春期以降も長い間親に養われながら、精神的な自立を果たさなければならないという矛盾や困難がある。

また、この自立の問題は、今の子どもたちに始まったのではなく、一般には私たち、親の世代からの課題ではないだろうか。
高度経済成長時代に育った私も、親からの自立はたやすくなかったし、今もまだやり残しがあるんじゃないかと感じている。
子どもたちは、ときに、彼ら自身の自立と、親の自立の問題を二重に背負っている。

つまり、思春期の「発達」が、社会全体として難しいのが今である。
自立や、あるいは思春期自体が難しいという社会の土壌があり、「発達障害」的な戸惑いや苦しみが増えているという面があるのではないだろうか。

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6月 28

アガサ・クリスティー著『春にして君を離れ』をテキストとして、学習会を行います。

「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)は、田中由美子を担当として2015年秋に始まりました。
今回のメルマガでは、8月1日(日曜)の学習会の案内と、今春3月の学習会の報告を掲載します。

8月の「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)の案内
                                   田中由美子

大人のための「家庭・子育て・自立」学習会のご案内です。
親子関係や子どもたちを取り巻く様々な問題に関して話し合い、学び合う会です。
どうぞお気軽にご参加ください。
学習会ブログ http://kateiron.skr.jp/

アガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』をテキストとして、下記の通りオンライン学習会を行います。
クリスティーと言えば推理小説ですが、そうではない小説もあり、当初は別のペンネームで出版されました。
その中の一作です。
殺人事件は起こらないのですが、なかなかミステリアスです。

主婦のジョーンは、その才覚と気遣いでよい家庭を築いてきたと自負していましたが、自らの人間性や生き方の薄っぺらさに気付いていきます。
夫や子、その他の誰とも深く理解し合うことのない人生。
そうした生き方のぞっとするような孤独と、その本質を、小説の最後までをかけて描き切っています。
私は、この社会には女性差別がある一方で、家庭の多くは実質的には妻が牛耳っているのではないか、それは一体どういうことなのだろうということが心に引っかかってきましたが、ジョーンもそのタイプです。
私の親世代の家庭の多くがそのようですし、また、鶏鳴学園の生徒たちの作文にもお母さんはよく登場するのですが、お父さんの影がたいへん薄いです。
その現実を、80年も前にクリスティーがリアルに描いていたことも、おもしろいと思いました。

どうぞテキストを読んでご参加ください。
小説ですから、いつも以上にラフに話し合いましょう。

1. 日時  :8月1日(日曜)13:00?15:00(今回は、これまでより開催時刻が1時間早いので、その点ご留意ください)
2. 形態  :Zoomによるオンライン開催
3. テキスト:アガサ・クリスティー著『春にして君を離れ』(早川書房 クリスティー文庫81)
4. 参加費 :1,000円(鶏鳴学園生徒の保護者の方は無料です)

参加をご希望の方は、下記、お問い合わせフォームにて、開催日の一週間前までにお申し込みください。
お待ちしています。
https://keimei-kokugo.sakura.ne.jp/katei-contact/postmail.html

鶏鳴学園講師 田中由美子
〒113-0034 東京都文京区湯島1?3?6 Uビル7F
鶏鳴学園 「家庭・子育て・自立」学習会事務局

5月 27

6月以降の中井ゼミの日程

月の前半は、文章ゼミ+「現実と闘う時間」を行い、
月の後半では、読書会を行う予定です。
いずれも日曜日で、午後2時開始予定です。
オンラインでの実施予定

「現実と闘う時間」は、参加者の現状報告と意見交換を行うものです。

参加希望者は今からスケジュールに入れておいてください。また、早めに申し込みをしてください。
ただし、参加には条件があります。

参加費は1回2000円です。

5月
9日
23日

6月
6日
20日

7月
4日
18日

8月
8日 
22日

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春から、ヘーゲル哲学の原書購読を再開しました。

『法の哲学』を読んでいます。

原則として毎週月曜日の晩にオンラインで行っています。

参加希望者は早めに申し込みをしてください。

ただし、参加には条件があります。

参加費は1回2000円です。

5月 26

6月20日の読書会のテキスト

アーサー・クラインマン著『病いの語り 慢性の病いをめぐる臨床人類学』誠信書房 

現在の医療の根本的な問題を提起しています。
それは個人の肉体的疾患にしか関心を持たないこと。
本来はその人の日々の生活、仕事、家庭環境や社会環境、それらから生まれた意識、つまり自己理解や他者理解、人生の目的や人との関係、そうした問題が重要なのでしょう。
それは自分の病への「語り」として、病の経験を語る中で表現されます。

私は、本書で問題にしているのは、医療だけではなく、人間と社会の本質だと思います。

高価(¥4,620)な本なので、図書館で借りると良いでしょう。

大部の本で恐れをなして触れない人がいるといけないので
読み方をアドバイスします。

「日本語版への序文」「はじめに」と1章、2章をしっかりと読む。これだけだと70ページほどです。
3章から13章は具体例なので、まずは流し読みでいいでしょう。
14?16章はまとめです。

以下はアマゾンからの引用です。
内容(「BOOK」データベースより)
本書は、慢性の病いをかかえた患者やその家族が肉声で語る物語を中心に構成されている。今日の生物医学によって軽視されがちなこうした病いの経験、語りこそが、実は医療やケアの中心に据えられるものではないか。著者は、病いとその語りを、微小民族誌などの臨床人類学的方法を駆使しながら、社会的プロセスとして描き出そうとする。そして、病み患うことが今日どのような変容をとげつつあり、来るべき時代の医療やケアはいかにあるべきかを明らかにしようとする。本書は、この分野に関心を寄せる広範な読者に向けて書かれている。慢性の病いのケアに携わった著者の臨床知や臨床姿勢が横溢し、すでに高い評価を得ている著作の邦訳である。
内容(「MARC」データベースより)
慢性の病いをかかえた患者やその家族が肉声で語る物語を、微小民族誌などの臨床人類学的方法を駆使しながら、社会的プロセスとして描き、病み患うことが今日どのような変容をとげつつあり、医療やケアはどうあるべきか説く。