今年の4月から全国の高校で使用される、大修館書店の国語科教科書「国語総合」の3種類に関して、
教師用の副教材『論理トレーニング指導ノート』(3種類)を、
鶏鳴学園のスタッフの松永奏吾、田中由美子と一緒に製作・編集した。
これは、「国語総合」に収録された評論を取り上げ、そのテキストの論理的な読解、立体的読解を示したものだ。
そこでは、取り上げた1つ1つのテキストについて、その考え方を私が批評するコラムをつけている。
教科書には、今、世間で売れていて、評価されている著者が並ぶ。
このブログの読者も読んだことがあったり、ファンであったりするだろう。
そうした方々にも、考えるヒントになると思うので、このブログにも
毎日コラムを1つ転載します。
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「確認」と「発見」は違う(福岡伸一の「生きることと食べることの意味」)
福岡伸一は『生物と無生物のあいだ』で、一大ブレークした分子生物学者だ。
「動的な平衡状態」は彼のキーワードらしい。
しかし、彼のすごさは、分子生物学者としての優秀さにあるのではなく、
ムズカシイ分子生物学を一般読者にわかりやすく、興味深く語れるその語り口にあるようだ。
テレビの教養番組で、生物の世界から、現代社会の問題まで、幅広く論ずる彼の姿をよく見る。
本テキストには、そうした福岡の本質がよくあらわれている。
分子生物学の凄さを語るには、分子レベルの観察によって、
従来の生物学、従来の世界観にどのような大きな変化が生まれたのかを説明する必要がある。
しかし、このテキストでそれが実行されたのだろうか。
著者が力を入れているのは、「生命の実態」「食べた物と体の分子がたえず分解と合成を繰り返す」という認識だが、
それは以前から「生物の新陳代謝」として「細胞レベル」では解明されていたことではないか。
人間は「堅牢不変の構造ではなく」、細胞レベルでは絶えず新陳代謝を繰り返し、古い細胞は死に、新たな細胞に入れ替わっている。
私は高校生の頃、生物学でこの不思議な事実を知って、心打たれた覚えがある。
今回の福岡の説明は、それを分子レベルで「確認」したにすぎないのではないか。
「確認」も大切だが、新たな事実、新たな世界を切り開いたのとは違う。
ましてや「コペルニクス的転回」と評価するに至っては、大袈裟すぎて笑ってしまう。
テキストの最後の方で「食い」「食われる」ことの説明がある。
ここから「地球上の生命すべて」「環境全体」に一気に拡大するのは、あまりに大きな飛躍だと思う。
しかし、それを認めたとしても、これも「食物連鎖」として有名な考えであり、周知のものではないか。
それが分子レベルで「確認」されたからといって、それが何なのだろうか。
私は、分子レベルの観察によって、従来の世界観が根底から覆されるような発見を知りたい。
もしそうしたことがあれば、それを「コペルニクス的転回」として認め、分子生物学に対して深く頭を下げよう。