9月 29

読書会では聖書(旧約と新約)を読んでいますが、9月の読書会(旧約の1回目)を終えて、10月以降の進め方に変更があります。

9月は「旧約聖書」(中公クラシックス) から「創世記」を読みましたが、
全体で3部に分かれるうちの第2部(アブラハムからイサク、ヤコブ物語まで)だけを読んで終わりました。

当初は「創世記」を1回で読み終える予定でしたが、無理だということがわかりました。
旧約は内容が豊穣であり、かつ難解で、ゆっくり丁寧に読み進める必要があることがわかりました。

そこで次のように、テキストの範囲を変更します。

10月は「旧約聖書」(中公クラシックス)から「創世記」の第1部(1章から11章)と第3部(37章以降)

11月は「旧約聖書」(中公クラシックス)から「出エジプト記」その他

12月は「新約聖書 福音書」 (岩波文庫)を予定していますが、
もう1回「旧約聖書」にあてるかもしれません。11月の読書会次第です。

9月 07

9月以降のゼミの日程、読書会のテキストについてはすでに連絡しました。

9月、10月の読書会のテキスト(旧約聖書)の読む範囲を決めましたから、それをお知らせします。
参加希望者は準備をしてください。

9月27日は「旧約聖書」(中公クラシックス) から「創世記」
10月24日は「旧約聖書」(中公クラシックス)から「出エジプト記」その他
11月22日は「新約聖書 福音書」 (岩波文庫)
です。

聖書(キリスト教)は西欧を理解する上での大前提で、その根底をなしているものです。
私には子供の時から聖書(キリスト教)が身近にありました。
思春期以降は、西欧の作家たちの小説で、繰り返し、聖書に親しんできました。
しかし、聖書そのものを自分で読もうとまでは、なかなか気持が定まりませんでした。

でも、もうそろそろ、その時期が来たと思うようになりました。
ヘーゲルの『小論理学』の24節の付録3で、創世記の失楽園の物語が取り上げられています。それは、人間が知恵の実を食べて楽園を追われたこと、人間の原罪と労働との関係などを論じ、人間の存在の根源に迫るものです。
それを読んで、以前よりも理解が深まったと思いました。今なら、聖書を読んでも、ある程度は理解ができるのではないか。

そこでこの秋には聖書に挑戦してみようと思います。

8月 20

9月以降のゼミの日程が決まりました。

参加希望者は今からスケジュールに入れておいてください。また、早めに(読書会は1週間前まで、文章ゼミは2週間前まで)申し込みをしてください。
遠距離の方や多忙な方のために、ウェブでの参加も可能にしました。申し込み時点でウェブ参加の希望を伝えてください。

ただし、参加には条件があります。

参加費は1回2000円です。

1.2015年9月以降のゼミの日程

基本的に、文章ゼミと「現実と闘う時間」は開始を午後5時、
読書会と「現実と闘う時間」は開始を午後2時とします。
ただし、変更があり得ますから、確認をしてください。

なお、「現実と闘う時間」は、参加者の現状報告と意見交換を行うものです。

9月
 12日(土)文章ゼミ+「現実と闘う時間」
 27日(日)読書会+「現実と闘う時間」

10月
 10日(土)文章ゼミ+「現実と闘う時間」
 24日(土)読書会+「現実と闘う時間」

11月
 7日(土)文章ゼミ+「現実と闘う時間」
 22日(日)読書会+「現実と闘う時間」

12月
 5日(土)文章ゼミ+「現実と闘う時間」
 20日(日)読書会+「現実と闘う時間」

                                        

2.読書会テキスト

9月は「旧約聖書」(中公クラシックス)
10月は「新約聖書 福音書」 (岩波文庫)
です。

聖書(キリスト教)は西欧を理解する上での大前提で、その根底をなしているものです。
私には子供の時から聖書(キリスト教)が身近にありました。
思春期以降は、西欧の作家たちの小説で、繰り返し、聖書に親しんできました。
しかし、聖書そのものを自分で読もうとまでは、なかなか気持が定まりませんでした。

でも、もうそろそろ、その時期が来たと思うようになりました。
ヘーゲルの『小論理学』の23節の付録3で、創世記の失楽園の物語が取り上げられています。それは、人間が知恵の実を食べて楽園を追われたこと、人間の原罪と労働との関係などを論じ、人間の存在の根源に迫るものです。
それを読んで、以前よりも理解が深まったと思いました。今なら、聖書を読んでも、ある程度は理解ができるのではないか。

そこでこの秋には聖書に挑戦してみようと思います。

9月には「旧約聖書」(中公クラシックス) を読みますが、1回で終わらなければ、2回にわけて読むことも考えています。

                                       

3.ヘーゲルゼミ

(1)隔週土曜日晩(午後7時開始)にヘーゲルを翻訳で読む学習会
 牧野訳でヘーゲル『精神現象学』の第6章精神から読み進めたいと思います。

9月19日、10月3日、10月17日、10月31日、11月14日、11月28日、12月12日を予定

(2)毎週月曜晩(午後6時開始)のヘーゲル原書購読
 『小論理学』の存在論の定存在と独立存在を読みます。
 それが終わった後は、『大論理学』で該当箇所を読むつもりです。

 9月14日から開始予定

7月 26

いつものように今年も夏の合宿を行います。

 以下のような内容です。

 参加希望者は連絡をください。詳細をお伝えします。
 ただし参加には条件があります。

 1.日程

   8月20日(木)から23日(日)の日程で、
   山梨県の八ヶ岳の麓の清里で、合宿を行います。
   一部だけの参加も可能です。

 2.学習メニュー 

 (1)8月20日、21日は
    ヘーゲルの原書購読です。テキストは3つあります。ズールカンプ社版の全集で読みます。

『小論理学』の24節の付録の3。これは人間の悪の発生と人間労働の意味と関係の問題です。
   『法の哲学』の139節。これは、人間の悪の問題をヘーゲルが真正面から取り上げたものです。
   『法の哲学』の187節。これは労働が人間の自己変革(自己教育)になることの説明でした。
   これらを丁寧に読んで考えます。
  
 (2)22日、23日は
    許万元『ヘーゲル弁証法の本質』から第2篇の?、?と、第3篇を読みます。

 (3)8月21日、22日のそれぞれ夕食前の時間帯で「現実と闘う時間」(各自の報告と討議)と文章ゼミを行う予定です。

7月 10

松田道雄著『新しい家庭像を求めて』の読書会の報告 その3

6月21日(日)に、鶏鳴学園にて、松田道雄著『新しい家庭像を求めて』(筑摩書房 1979/12)の読書会を行いました。

この読書会の報告を3日にわたって掲載します。

本日は、「5.卒塾生とゼミ生の感想」以下です。

 ■ 目次 ■

1.テキストと著者
2.本書の読み方
3.「忠君愛国」に取り込まれた「家内安全」 (中井の感想)
4.塾の保護者、生徒の感想
5.卒塾生とゼミ生の感想
(1)T君(大学1年生)
(2)加山 明
(3)畑間 香織
(4)掛 泰輔
(5)田中 由美子
6.おまけ

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(1)T君(大学1年生)

1. 久しぶりに鶏鳴に顔を出しましたが、やっぱり楽しかったです。
大学の授業の中では、「こんなことして何になるんだろう」と思うようなものが沢山ありました。
本を読む、中井先生の意見を聞く。そして、見聞きしたことが自分の経験の中で活きてくる。
勉強はこの方がやはりずっと面白いです。

2. テキスト
松田さんは、問題や矛盾から目を背けないで研究していく姿勢を徹底していて、そこがすごいと思う。
私は矛盾が出てくると、ついうやむやにすませたくなることがある。
松田さんは、そうした私の姿勢を逃さず指摘してくれた。

3. 私の母方の祖父は、私をとても大切に思っていることがよくわかる態度を示してくれる。 
しかし、思い方が完全にまちがいではないにしても、私にとっては好ましくないことを言い続けてくる。 
対して、私の父は、あまり私のすることにとやかく言わない。ただ、言わなすぎて意思疎通ができずにいる。
多分、父は、祖父とは反対のやり方で、私を大切に思ってくれている。

それが、今回の読書会で、中井さんの意見を聞いたり、父の言動を思い返しているうちに分かった。
ただ、父は具体的にどうすればいいか、どこまで口出ししないのがいいかが分からないのだと思う。
何故かというと、父も又、両親と意思疎通が上手く取れていなかったようだからだ。
父の母は、父が市川中の生徒だった時、毎朝テーブルに500円玉(弁当代)をおいて、二度寝したのだという。
つまり、父は、親子の接し方はどういうのがベストなのかわからないのだろう。
だから、私と父、父子の接し方がわからない者同士で、接し方を共に考えていく作業が、私の課題への最大の対策だと思う。

(2)加山 明
1. 「自立」の問題は、女性だけではなく、男性にもあてはまる。
2. 人生の「始まり」と「おわり」を誰が、どうサポートするか。
  基本的人権としての位置付けか、
  受益と負担がバランスする行政サービスとしての位置付けか、等々、論点が無数にある。
3. 昔の女性は、家事労働を芸術の域にまで高めれば善く生きられるという様式美の時代で、手段と目的が一致していた。
今はそれが分裂している。
  1、2とも相まって、大変な時代になっている。
4. このレベルの高さでの「売れっ子」は、今ほとんど見当たらない。
 
(3)畑間 香織
  一貫して自立がテーマだったので、面白かった。
  自分の生活は自力で選択できることの大切さを改めて実感した。

(4)掛 泰輔
1.三世代共生の意味を考えることで、自己理解を深めようとした読書会だった。
 よく考えられるような論点を、松田さんがたくさん出している。
 こういう人がいるのに驚いた。
2.祖母が僕を教育してきた、その中身を考える必要もあるが、
中井さんが指摘した、祖母の生き方の明確なスタンスとオープンな思想は、
しっかりと受け継ぎたいと思った。
 自由、自立ということが、主婦だけではなく、正に若者にこそ問題にされているという観点で、
読み直したり、歴史的、唯物論的な考え方を学びたい。

(5)田中 由美子
60代の主婦である友人は、共働きの息子夫婦の子ども、つまり孫の世話をしている。
その合間に、愛知で一人で暮らす父親の世話をしに行く。
子育てを終えてなお、大きな責任を負って毎日孫の命を守り、
自分の時間のほとんどを家族のために費やす。
私にはそういう生活はできない、と考えていた。
それは、家が中心の、家を存続させるために生きるような、
例えば祖母のような生き方であるように思っていた。

私は大家族に対して人一倍否定的な思いを持っている。
そのことに、今回の読書会の中で気付いた。
それは、大家族の嫁という立場にあって、働きづめだった祖母を見て育った、長女としての母の思いから来ている。
それでも、祖母は、家族の生活を豊かに支える、家庭の中心でもあった。
しかし、祖母は、80代で曾祖母を見送った後、体の自由が利かなくなって、
その時やっと働かなくてもよくなったというのに、「もう何にもできんようになってしもて…」と消え入りそうな声で度々言った。
家族のために労働する自分でなければ、存在価値がないと感じているのだと、祖母と同じく専業主婦だった私は思った。
祖母の人生は何だったのかと感じた記憶は、大家族の問題以外の様々なことをごちゃまぜにしたものだったと思う。

確かに、私は友人のように孫の世話をするような生活はできない。
しかし、その理由は、それが家を中心に生きることだからではない。
今の私がその仕事を選ばないからに過ぎない。
仮に私が孫育ての仕事を担うとすれば、それが家を中心に生きることなのかどうかではなく、
その孫育ての中身がどうなのかということが、私がどう生きるのかということだと、読書会の中で思った。子育ても同じだ。
今もし私が若ければ、自我を押しつぶしてもたれ合う三世代家族を一旦否定した上で、
個人が個人として生きるための大家族づくりに、挑戦くらいはしてみるかもしれない。

                                        

6.おまけ

当日参加した保護者の方から、大学生・社会人ゼミについて、次のような感想をもらいました。
「テキストはもちろんですが、お若い学生さんや社会人の方々のピュアで真摯なご意見など、大変興味深かったです。
多分常に中井先生とは隠し事をせずに本音で語り合う訓練がされているからでしょう」。
 私のゼミで行っていることを、改めて自覚したようにおもいます。