10月 06

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ (その3)   中井 浩一

■ 目次 ■

第2節 『生物の世界』から学ぶ
4.「支配階級」の交代
5.人類の誕生
6.相対主義への転落
7.仲間や師弟関係の問題

なお本稿での『生物の世界』からの引用は「 」で示し、
講談社文庫判のページ数を示した。
そこで強調したい個所には〈 〉をつけ、
中井が補った箇所は、〔 〕で示した。

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第2節 『生物の世界』から学ぶ
 
4.「支配階級」の交代

 さて、地球規模にまで生物の社会が拡大し、その世界が
一応完結した段階を見たならば、そこには支配と被支配の
複雑な構造ができあがっている。そしてすべての頂点に君臨する
生物が存在する。しかし、そこにも交代がある。
「1つの全体社会は、その発展の頂点に達したならば、
それはおそかれ早かれ自己解体を起し、その崩壊によって
今度は新たに別な特徴を持った全体社会が発展しはじめる」
(135ページ)。

この「発展の頂点における自己解体」といった考え方は
ヘーゲルやマルクスを思わせる。今西が使用する用語には、
経済学やマルクス主義の用語が多い。「分業」「階級」などの用語が
中心的な解明の箇所で使われる。生物の進化の過程、その
トップの交代も「支配階級」の交代として説明される。

例えば、恐竜の滅亡後の哺乳類の台頭について、
今西は次のように問いを立てる。
「この一躍時代の寵児となった哺乳類、このような偉大な
創造性を発揮した哺乳類というものは、そもそもどこから
現われてきたのであったか。爬虫類の時代には彼らは
どんな社会の隅に潜んでいたのであるか。そして
どうして他の動物ではなくて彼らが爬虫類を継ぐべき
支配階級となり得たのであるか」(140ページ)。

今西の回答はこうだ。
「哺乳類の時代を建設して行った哺乳類の先祖というものは、
どこから出て来たものでもない、実は爬虫類の時代に
すでにその爬虫類の社会自身のうちに〈胚胎されていた〉
ものと考えざるを得ないのである。つまり爬虫類の社会が
変革を経て哺乳類の社会へ変ったと見るから、そこに
〈断絶されたものがある〉ようにも思えるが、この変革を
通して爬虫類が哺乳類に変態したと見れば、それは
〈つづいている〉のである」(142ページ)。

この「胚胎」という用語や「発展の頂点における自己解体」と
いった語句が、いかにもヘーゲル的な内在的な発展観を想起させる。
生物の主体性を重んじる今西は、恐竜滅亡にも環境の側の問題よりも、
生物の側の理由を根本とする。それが「断続」と「継続」の
関係の説明にもなる。

「〔恐竜滅亡の〕原因はむしろ生物の側にあり、その全体社会の
自己完結性に内在していたものと見なさなければならない」。
この「自己完結性」に、今西は「生物の社会の平衡」や
「全体社会としての全体性」の根拠を見ようとする。

5.人類の誕生

 次いで哺乳類の台頭から人類の支配が説明される。

「中生代以後の歴史は要するに支配階級としての脊椎動物共同体の
興亡史でもあり、またその発達史でもある。人間は哺乳類共同体の
中から起り、哺乳類に代って一応は生物の社会の支配階級を占めた
ものであるといえる。それから後の歴史が正しく人間の歴史であろう」
(146ページ)。

そして「人間の次に世界を支配するものは何だろうか」と
問いを立て、次のように答える。
「恐らく人間の支配はまだまだつづくことだろうが、人間の発展にも
限度があると考えられてよいと思う。しかし心配しなくても今の人間に
代って立つべきものは ─もはや人間と呼ばれるべきもので
ないかも知れぬが─ 今の人間の中に〈胚胎〉されていなければならぬ。
〈今の人間の中から〉つくり出されねばならぬ。それが進化史の
教えるところである」(147ページ)。

先にも出てきた「胚胎」という用語が繰り返されているが、
ここに今西とヘーゲルの非常に近い関係がある。しかし
人間が登場する時点で、その違いも決定的になってくる。

今西は人間の次を今の人間に内在化されているとしか言えない。
進化の過程の最終ゴール、終局を示さない。生物進化の原因を、
「主体性」や「分業」の原理や「階級支配」の交代で説明しながら、
それによって究極的には何が達成できるのかを示せない。
端的に言って、人間とそれ以前の生物の違いが明示されず、
人間が生まれたことの意味を示せないのだ。

今西は生物の「自己完結性」を強調する。それは
「任意に他の階級と抗争を起し、他の階級を打ち敗かして
これに代ることのできぬ限定的な保守的な社会」(137ページ)
である。だから、恐竜の死滅の説明にしても
「もっとも可能性の少ないのは、次いで勃興するべき哺乳類との
生存競争の結果、爬虫類が知能的に破れたと考える説」だとし、
「生物の社会における階級としての同位複合社会は、
お互いの間を断絶によって結ばれた関係」だと説明する。

それほどに生物の「自己完結性」は強固なものなのだが、
その中で人間だけが外部に対しても、その内部でも
「任意に他の階級と抗争を起し、他の階級を打ち敗かして
これに代ること」ができるのだ。人間の特異性、異常性は
空前絶後である。
しかし、今西は人間と他の生物との違いの本質を示せない。

ヘーゲルはその違いを、自己意識の有無に見る。
自己意識とは自我であり、内的2分による思考を持つことになり、
それは自己内の葛藤、社会内部の闘争を必然にした。
これが他の生物との決定的な違いである。

また、人間が生まれたことの意味を、ヘーゲルならこう言うだろう。
「自然の真理が人間だ。この地球は自らの真実を実現するために、
その真実を認識し実践する可能性を持った人間を生んだのだ。
人間が生まれたのは必然だった。私たち人間の使命は
『地球の真理の実現』にある」。

地球の進化、発展は、次のような過程を経てきた。
地球(物)→生命。生命内でも、単細胞→植物→動物。
動物内では、魚類→両生類→爬虫類→哺乳類。
哺乳類内では、サル→霊長類→人間といった過程である。

この過程の中に、個々の偶然的な要素があったとしても、
基本的には人間が生まれるまでの過程は必然的な過程だった。
進化の過程は、最終的には人間を生むことで第1段階を終了する。

次の過程は、人間によるこの過程の意味の認識と、
その意味を実現する過程に移る。

人間が生まれたことは、第1段階のゴールであり、
それまでの進化の個々の過程とは決定的に違う。
霊長類から人間の発生は、一歩の違いだが、絶対的な違いである。

6.相対主義への転落

 こうしたことが今西にはわからない。それは今西や彼の弟子たちが、
霊長類の研究から人間社会を解明しようとしたことによく現れている。
今西たちは、チンパンジーなどの霊長類の社会から人間社会を考える。
また狩猟採集社会や遊牧民たちの社会の研究から現代人の社会構造を考える。
それは原理的に不可能だ。そのことがわからない。

マルクスが「人間の解剖はサルの解剖のための鍵である」と
述べたことは有名だが、今西たちは
「サルの解剖は人間の解剖のための鍵である」と言うのだ。
それはどこまで正しいのか。

一般に言って、発達した動物や社会は、未発展の段階の
動物や社会を考えるための大きな手がかりになる。
未発達の段階にあっては、その様々な要素のうちの
どれが将来につながる芽なのかは分からない。
しかし、発展した段階を知ってから過去を振り返るならば、
未発達の段階のどの要素が将来につながるものだったのかが明らかになる。

では、その逆はどうか。
ヒントにはなっても、解明にはつながらないだろう。
未来は過去の単純な延長上には存在しないからだ。
社会の発展は過去のそのままの延長ではなく、
必ず「否定」(今西の「断絶」)がつきもので、
しかもこの否定にこそ新たな展開、つまり真の発展の芽がある。

しかも「否定」(「断絶」)されうる点はたくさんあり、
そのどれが発展へとつながるものかは過去の時点だけでは
予測が難しい。

発展を考えるには、それが発展の芽かどうかを判断する客観的な
基準が必要である。しかし、今西はそれに明確には答えられない。
それは今西の発展観には曖昧な点があり、不徹底であることを意味する。

ヘーゲルの発展観は、「移行(違い=否定)の運動が、
本質に反省する運動になっているときに、それを発展という」
というものだ。
「本質」への深化が実現しているかどうかが決め手になる。
では本質とは何か。地球の真理とは何か。
それが研究されねばならない。
一元論も絶対的なものなら究極目的(地球の真理)を示さねばならない。
そうでないと、相対的な目的しか示せず、相対主義に転落する。
それは本来の一元論ではない。

今西は、相対主義に落ち込んでいるのではないか。
今西の考えでは「生物の多様性」「生態系の安定性(平衡性)」
「多種類の生物がこの地球上に繁栄する」といった曖昧な基準が
ゴールになりかねない。それは現代のエコロジー運動、
環境保護運動などに共通する弱点ではないか。

では、今西のダーウィンの進化論批判をどう評価するべきか。

「ダーウィンの進化論」を本書で取り上げている限りのものと
するならば、それへの反論としては、これで十分に有効だと思う。
それは機械論に対する目的論の優位性ということだ。
今西の優れた点は、地球の一元的な発展の立場に立ち、
それを基礎に置く目的論に立っていることだ。そこから見た時に、
機械論的な説明の欠陥は明確に見えてくる。

しかし今西にはダーウィンの進化論(自然淘汰説)の正しい面が
見えていないように思う。それはこの世界内や生物の世界内部の
対立や矛盾こそを進化を促す中心的な要因としてとらえている点であろう。

7.仲間や師弟関係の問題

 以上の今西の理解の不十分さは、その学問内容だけではなく、
研究集団のありかたの問題を論理的にとらえられないことにも出ている。
研究組織論や師弟関係論がないということだ。

人間社会に絶対的な矛盾と闘争があることを自覚すれば、
それはチームや師弟関係の中にも当然現れることになる。
そこにも下剋上の問題がある。弟子は師を追い抜くことで自立するが、
この過程で様々な葛藤が起こる。

世間でよくおこっている研究不正もここに根を持つ。
弟子の業績を奪うような教授の問題も、その逆もある。
その問題が今西にも起こっている。
例えば、梅棹忠夫の業績を今西が自分の物として
発表したことがあったようだ(梅棹自身がその不満を
述べていたが、今その出典が見つからない)。

なお、『生物の世界』(講談社文庫)で上山春平が執筆した
解説についても一言。
上山は京大人文研で今西の同僚で共同研究の仲間だったらしい
(第3節の「2.桑原武夫の功績」で触れる)。
しかし『生物の世界』での解説は、今西との正面からの対決を避け、
自分の専門の哲学的認識論の枠内でのみ発言している。
『生物の世界』の中で、認識論や世界観が描かれている
1章についてだけ詳しく解説して、その核心である4章(生物の世界の構造)、
5章(生物の進化)については賛否を言わず、当たり障りない範囲の
触れ方しかしていない。
これは今西の「棲み分け」理論の応用とも言えよう。
哲学にはコメントするが、生物学にはコメントしないという
棲み分けをしているからだ。

これは、上山が今西の賛美者としての役割に徹したともとれるが、
その批判者としての役割を放棄したことを意味する。
文庫の「解説」は初心者にわかりやすく説明する場で、
思想的対決をする場ではないと弁明するかもしれないが、
それは「逃げ」でしかない。

上山は、今西が西欧の物まねではない「自前の理論」を
作ったことを評価し、それを学んでほしいと解説で説教している。
それならば、今西の受け売りをするのではなく、今西を
きちんと批判することで、自らその範を示すべきだった。
それでこそ、本物の解説になっただろう。
こうした姿勢は、今西生前の全集の上山による解説
(5巻、10巻)でも同じだ。
それは自立した研究者のすることではないだろう。

しかし、こうした上山を批判せず、自らの取り巻きの一人として
置いておくのが、今西のやり方なのだ。
(今西死後の全集増補版の12巻の上山の解説には、
今西への厳しい言葉もあるが、「死後」であることに注意)

10月 05

10月、11月のゼミの日程、読書会のテキストの案内をします。

日程に一部変更がありましたので、ご確認ください。

なお、開始時刻には変更があり得ます。その都度、確認してください。

参加希望者は早めに(読書会は1週間前まで、文章ゼミは2週間前まで)連絡ください。参加には条件があります。

参加費は1回3000円です。ただし文章ゼミだけの参加は1回2000円。

☆日程

10月
11日(土)午後5時より文章ゼミと「現実と闘う時間」
26日(日)午後2時より読書会と「現実と闘う時間」

11月
8日(土)午後5時より文章ゼミと「現実と闘う時間」
30日(日)午後2時より読書会と「現実と闘う時間」

☆読書会テキスト
10月、11月の読書会ではヘーゲルの『法の哲学』第1部、第2部、第3部(中公クラシックス版。私は『世界の名著』版で読みます)を読みます。

夏の合宿でも『法の哲学』を読んだのですが、途中で終わった上に、ざっとながめるものになってしまったので、再度取り上げることにしました。

 10月には第1部と第2部
 11月には第3部を読みます。

アダム・スミスの『国富論』を読んでからヘーゲルの『法の哲学』を読むと、両者の異同がわかって面白いです。

内容的にはほぼ同じだと思います。ところがヘーゲルの論理的思考がフルに活動すると『法の哲学』の構成と展開になります。

10月 05

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ (その2)  中井 浩一

■ 目次 ■

第2節 『生物の世界』から学ぶ
1.一元的世界と生物の主体性
2.無生物から生物の生成
3.環境の主体化はつねに主体の環境化である

なお本稿での『生物の世界』からの引用は「 」で示し、
講談社文庫判のページ数を付した。
引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけ、
中井が補った箇所は〔 〕で示した。

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第2節 『生物の世界』から学ぶ

1.一元的世界と生物の主体性

 今西の学問の本質を『生物の世界』で考えてみたい。
まずその凄みだが、それは物事をその根源から考えようとする姿勢から
生まれていると思う。その根源的思考は、地球上のすべてが、もとは
1つのものから分化した。この原理からすべてを導出していることから生まれる。

「この地球の変化を、〈単なる変化〉と見ないで、やはり一種の
〈生長とか、発展〉とかいうように見たいのである」。
「この世界を構成しているいろいろなものが(中略)
〈もとは一つのものから分化し、生成したものである〉。
その意味で無生物といい生物というも、あるいは動物といい植物というも、
その〈もとをただせばみな同じ1つのものに由来する〉というところに、
それらのものの間の根本関係を認めようというのである」。(13,14ページ)

これは壮大な一元論である。それは内在的であり、中心を持った発展を考えている。
そこには主体性が働き、個別性がある。ヘーゲルと非常に近い立場であることに驚く。
(しかし、今西は「単なる変化」と「発展」の違いと同一について突き詰めていない
と思う。この点は後述。また今西はヘーゲルは読んでいないようで、
西田幾多郎からこうした考え方を学んだようである。)

その徹底した一元論にも驚くが、私が感嘆するのは、その原理を
生物の世界の発展に応用してみせる手さばきの見事さである。
今西が借り物の思想を使っているのではなく、彼の血肉化した思想を
自由に駆使していることがわかる。だから文章はエッセイの様であり、
彼の肉声が響いている(他者からの引用が一切ないことには驚く)。

今西は生物の進化に生物の主体性を認める。それは生物の外界の認識、
同時にそれへの反応(行動)を認めることだ。今西はそれを生物の同化と
異化作用というもっとも根源的レベルで考える。

「〈認識する〉ということは単に認めるという以上に、すでにそのものを
なんらかの意味において自己のものとし、または自己の延長として感ずる
ことである」
「〔生物にとって〕食物とは体内にとり入れられなくとも、生物がそれを
食物として環境の中に発見したときにすでに食物なのであるからして、
生物が食物を食物として〈認めた〉ということはすでにそのものの生物化の
第一歩であり、同化の端緒であるともいえよう。こうして生物が生物化した
環境というものは、生物がみずからに同化した環境であり、したがって
それは生物の延長であるといい得るのである」。(62,63ページ)

これが今西の「認識」という理解であり、「汗が出ること」(74ページ)、
「痛いところをなめること」(68ページ)も生物の外界の認識であり、
同時にそれへの反応(行動)である。こうした根源的なとらえ方は、
ヘーゲルが目的論という人間だけの活動領域を、すべての生物に共通の
「衝動・欲求」というレベルから説き起こすことを想起させる。

今西は、こうした理解から、次のように言う。
「生物にとって生活に必要な範囲の外界はつねに認識され同化されており、
それ以外の外界は存在しないのにも等しいということは、その
〈認識され同化された範囲内がすなわちその生物の世界〉
〔いわゆる環境であり、生態系のこと〕であり、
〈その世界の中ではその生物がその世界の支配者〉であるということ
でなかろうか」(62ページ)。

今西は、ここから生物の生活(生態)と生物の肉体(その形)が
一体であることを示す。つまり分類学(死物の学)は生態学(生物の学)
に止揚される。これが分類学(死物の学)と生態学(生物の学)の関係という、
当時の生態学の課題の1つへの回答だったろう。

そこには壮大な一元論が展開することになる。
「生活するものにとって、主観と客観とか、あるいは自己と外界とかいった
二元的な区別はもともとわれわれの考えるほどに重要性をもたない
のではなかろうか」。(62,63ページ)

2.無生物から生物の生成

 こうした一元的な発展論のためには、地球の発展から生物が生まれたこと、
無生物から生物が生まれたことを説明する必要がある。今西は生物の成長の
現象にも、死んだ後の解体の現象にも同じ構造を示すことで、その説明をしている。

「それ〔死〕は確かに生物としての構造の破壊であり、その機能の消滅を
意味する。しかしそれによって生物が生物でなくなるということがただちに
構造そのものの消失、機能そのものの消失ではない。解体が行なわれると
いうのはすなわち〈生物的構造が無生物的構造に変る〉ことであり、
〈生物的機能が無生物的機能に変る〉ことである。生物として存在するときには
それでよかったが、無生物ということになってしまうと
〈無生物的存在として安定であるような構造なり機能なりが得られるところまで、
解体が進み変化が生ずる〉ものと考えられる」。

つまり「生物の生長という現象も、この構造自身が絶えず変化し更新して
行くゆえに構造的即機能的であるといい得るものならば、
解体の場合だってやはりその構造自身が絶えず変化して行くゆえに、
それは構造的即機能的現象なのではなかろうか」。(45,46ページ)

生物は死後には無生物的存在に戻っていくことが示されるが、
それが逆に、無生物から生物が生成した証明でもあるのだ。
ここにはヘーゲルの「止揚」と同じ考え方が展開されている。

ヘーゲルならこう言うだろう。
「無機物の真理が有機物であり、生命(細胞)である。
その生命の真理は植物であり、また動物であり、さらには人間である。
したがって人間の中には、動物が、植物が、物が止揚されている。
それは人間が壊れていく過程で明らかになる。
人間は、自意識を失えば動物に戻り、次には植物人間となり、
最後は物に戻る」と。

生物の進化の過程はその肉体によく現れている。今西はこう言う。
「生物というものは、その〈身体を唯一の道具とし、また手段として
生きて行かねばならない〉ということである。しかもその身体と
いうものは親譲りの身体であり、その〈身体のうちに、彼の祖先たちが
経験してきた歴史のすべてが象徴されている〉ともいえよう」
(143ページ)。

「個体発生は系統発生を繰り返す」とは有名なテーゼだが、
生物の個々の肉体にも系統発生の過程が刻印されているのだ。

3.環境の主体化はつねに主体の環境化である

 こうしてすべてが物=無生物から生まれたとなれば、これは唯物論であり、
唯物史観になっていくだろう。だから今西を読んでいると、
ヘーゲルと同時に、マルクスが想起されることが多い。

「環境の主体化はつねに主体の環境化であった。身体の環境化であった」
(143ページ)。
これはマルクスの労働過程論を彷彿とさせる。
そしてこの「環境の主体化=主体の環境化」という原理を具体的に展開した
のが、今西の生物社会論なのだ。

今西は、進化を「世界の不平等」から説き起こす。「不平等」とは、
地球上の状態がどこも違うことだ。
「われわれの世界というものは根本的に不平等な世界であり、
不平等はわれわれの世界が担っている一つの宿命的性格であるともいえる」
(100ページ)。
「しかし私はこの不平等さのゆえに、かくも多種類の生物がこの地球上に
繁栄し得ているのだといいたいのである。すると問題は生物がこの不平等さを
どのようにして彼らの生活内容にまで取り込んでいったかということになるで
あろう」(101ページ)

今西はこの問いへの回答を出すために、次の3つのレベルを想定する。
個体と種、同位社会、同位複合社会である。そしてそれぞれのレベルと
その関係性を解明する。

個体と種の関係は
「〔個々の〕生物が〈いたずらな摩擦〉をさけ、〈衝突〉を嫌って、
〈摩擦や衝突の起らぬ平衡状態〉を求める結果が、必然的に
同種の個体の集まりをつくらせた」(88ページ)。これが「種」だと言う。

「種の分化が進まないで、どこまでも相似た生活形をもち、どこまでも
相似た要求を満たそうとするもの同士(類縁の近しい間柄)が同一地域に
共存し、しかもその共存によってお互い同士の間の平衡を保ち得る途
というのはただ一つよりない。それはお互い同士が同じ生活形をとり、
その生活に対して同じ要求をもつようになることである、すなわちそれは
〈同種の個体となってそこに種の社会を形成する〉ことにほかならない」。
(102ページ)

こうした種の内部の個々の生物の間では分業はないと今西はいう。
したがって、これは「未発展」「未完結」のものと今西は言う。

 これに対して、種の分化、分裂が起こり、その両者が
「お互いに相容れぬものであったならば(中略)同じ傾向をもったもの同士が
相集まるようになる」。「そうすることによって〈無益な摩擦をさけ、
よりよき平衡状態を求めよう〉というのが、生物のもった基本的性格の
一つの現われでなければならない」(102,103ページ)

「この二つの社会はその〈地域内を棲み分ける〉ことによって、
〈相対立しながらしかも両立する〉ことを許されるにいたるであろう」
(103ページ)。
これが今西の「棲み分け理論」であり、その結果生まれるのが
「同位社会」である。

同位社会は種社会が分裂して複雑化したものだが、平面的な棲み分けに
とどまり、分化や分業の観点では未発達で未完結だと今西は言う。

 ある地域内の複数の同位社会の間にさまざまな分業が行われ、
その結果「共存」「平衡」が実現した状態を、今西は「同位複合社会」
と呼ぶ。その分業の中で大きなものが「食うもの食われる物の関係」だ。
それは「支配階級と被支配階級」の関係でもある。「食い方の違い」に
よる分業もある。

同位複合社会はさらに大きな地域を全体とする同位複合社会を形成して、
発展していく。それは地球規模に至って完結する。

これが今西の考えだ。これは結局は、進化とは棲み分けの密度化であり、
「多種類の生物がこの地球上に繁栄する」ことだと言っているのだろうか。
どうもそうらしい。

 進化をめぐる、ヘーゲルやマルクスと今西との違いは、生物内部の
対立や矛盾の位置づけにある。

ヘーゲルやマルクスは、対立・矛盾から生まれる運動にこそ、
発展の核心を見ようとする。対立・矛盾から生まれる運動が発展を
引き起こす。この立場なら、研究・調査の中心は対立・矛盾の運動に
焦点化されるだろう。

今西も対立・矛盾を認めるのだが、そうした断絶よりも、その結果
生まれる平衡を重視しているように見える。その時、研究・調査の中心は
対立・矛盾が止揚された後の状態に焦点化されるだろう。
ここが大きな違いだ。

今西は対立や矛盾を見ないのではない。しかし、「いたずらな摩擦をさけ」
とか「無益な摩擦をさけ」とか言う時の、「いたずら」か否か、
「無益」か否かの客観的な基準は示されない。

ただし、今西は「甘ったれた」エコロジストではない。たとえば、
今西は「食うもの食われる物の関係」を同じ類縁内に見る。
ある生物の種が繁栄し、高い繁殖率を維持して飽和状態になろうとするとき、
どうするか。

今西は言う。「もとのままの繁殖率をつづける場合には、この世が
いわゆる生存競争の修羅場と化するだけであって、それも
〈無益な抗争を好まぬ〉生物にとってはふさわしからぬことであろう。
だからこの矛盾の、生物らしい円満な解決というのは、その生物社会が
食うものと食われるものとの分業に発展することによって、
繁殖率を減退させずともその飽和状態を持続すむことにあるだろう」
(118ページ)

今西の言うところの「無益な抗争」を避けるためには、
共食いも辞さないのだ。そうした厳しい社会の中での「平衡」を
今西は考えている。
 

10月 04

今年の5月の読書会で今西錦司著『生物の世界』(講談社文庫)を読んだ。
私(中井)が京大の学生だったときに、今西グループの文化人類学者・米山俊直から
強く勧められ、ぱらぱら読んだ記憶がある。そのときは、あまりわからなかったと思う。

 しかし、当時の私は今西の高弟である梅棹忠夫のファンだったから、当然
その親分である今西についてもいろいろと知ることになり、すごい人らしい
とは思っていた。1974年から刊行された全集も2冊購入している。
しかしそれらは積読で終わっていた。ただ気にはなっていた。

今回、鶏鳴学園の中学生クラスのテキストとして検討したいという理由から
読んでみたのだが、圧倒的なすごみと面白さを感じた。

 それは現在読んでいるヘーゲルの目的論、マルクスの労働過程論と、
あまりにも強く響き合ったからだ。それらを考えている今、読んだのでなければ、
またずいぶん違った印象になったかもしれない。

 なお本稿での『生物の世界』からの引用は「 」で示し、
講談社文庫判のページ数を付した。
 引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけ、中井が補った箇所は〔 〕で示した。

■ 全体の目次 ■

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ    中井 浩一

第1節 今西錦司と『生物の世界』
1.『生物の世界』の凄さ
2.登山と探検と学問 今西錦司の経歴 

第2節 『生物の世界』から学ぶ
1.一元的世界と生物の主体性
2.無生物から生物の生成
3.環境の主体化はつねに主体の環境化である
4.「支配階級」の交代
5.人類の誕生
6.相対主義への転落
7.仲間や師弟関係の問題

第3節 高度経済成長と今西の仲間たち
1.逆転
2.桑原武夫の功績
3.文明論の大家・梅棹忠夫
4.大衆社会の到来
5.時代の代弁者たち

──────────────────────────────────
■ 本日の目次 ■

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ (その1)   中井 浩一

第1節 今西錦司と『生物の世界』
1.『生物の世界』の凄さ
2.登山と探検と学問 今西錦司の経歴 
===================================

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ 
             中井 浩一

第1節 今西錦司と『生物の世界』

1.『生物の世界』の凄さ

 これは凄い本である。この本のどこがすごいのか。それを簡潔に説明する。

 まず、物事の本質を根本から、根源的に考えている。したがって、
ヘーゲルやマルクスと非常に近いところにいることがわかる。
もちろん、突き詰めていけば、その違いもまた明確で、今西のあいまいさや
中途半端さも見えてくる。しかし、それにも関わらず、その根源に迫ろうとする
迫力は大変なものだし、生物学、生態学の分野でヘーゲルやマルクスの理論を
具体化している点からは学ぶべきものが多い。これについては第2節にまとめる。

 しかし、こうした点だけならば、著者が西欧人だったとしても同じことが
言える。ここで、今西が日本人であることを思ってみる時、その凄みは一層
明確になるだろう。

 明治以降の後進国日本は、西欧からの先進的な学術や技術の輸入に追われてきた。
したがって、そこにはいつも夏目漱石の言う「他者本位」と「自己本位」の
矛盾の問題があった。「依存」と「自立」の葛藤である。日本の学者のほとんどは、
西欧研究者の「猿まね」であり、その翻訳者であるにすぎなかった。
そうした中にあって、今西は屹立している。その自前の思想のレベルは、
当時の世界水準を大きく超えていただろうと推測する。

 その自立性、その強烈な主体性は、本書の「序」によく出ている。
本書の刊行は1941年(昭和16年)。今西は、太平洋戦争への
出兵を目前にして、遺書のような思いで本書を書いたようだ。
「私はせめてこの国の一隅に、こんな生物学者も存在していたということを、
なにかの形で残したいと願った」(3ページ)。
本書には他者からの引用が一切ない。すべてが自分の言葉で書かれている。
だからこそ、今西はこうした学術書を「私の自画像」(3ページ)と
呼べるのだ。まさに「私」の自画像なのだ。
彼にとって、学問と自分は一体なのだろう。
彼の生き方とその学問は1つなのだ。
そうサラッと言える人がどれだけいることだろう。

 事実、この本は彼自身の人生の危機を前にした遺書であると同時に、
生態学そのものの危機を前にした提言書でもあるようだ。
「生態学という、実に広い未開拓の野に踏み込んで(中略)
差し迫った問題に関連して」(4ページ)書かれている。
だから本書では問いが沸き立っている。答えが噴き出している。
当時の生物界の抱えていた問いはもちろん、誰も疑問を待たないで
見過ごしていることに今西独自の問いが次々に立てられ、それに
片っ端から答えていく。その答えは、それぞれ面白く、納得できる。

 やはり、本書は大変な本である。重厚で圧倒的な迫力がある。

 それにしても驚くのは、当時の日本で、自前の学問をつくりあげ、
そのレベルが当時の世界水準を大きく超えていたような人がいたことだ。
それはなぜ可能だったのか。

2.登山と探検と学問 今西錦司の経歴 

 今西 錦司(いまにし きんじ、1902年?1992年)は、京都西陣の有名な織元
「錦屋」の長男として生まれ、京都という千年の都で、由緒ある商家の
ボンボンとして育った。旧制京都一中、三高、京大と進学したのはエリートコース。
その一中以来の親友が第一次南極越冬隊副隊長を務めた西堀栄三郎。
その三高以来の親友が桑原武夫〔第3節の2で説明する〕。
3人は三高で山岳部を立ち上げ、その後京大学士山岳会を創設し、
ヒマラヤ登山など日本の山岳史上に大きな実績を残した。

 今西を考えるときには、大きく2つの側面を考えるべきだ。

 1つは登山家、探検家としての側面、もう1つは学者・研究者としての側面だ。

 今西のユニークさは、登山家・探検家の面の方こそが中心であり、
研究者の側面は副次的なものだった点だ。山=自然こそが主なのだ。
これが彼の学問のユニークさであり、当時にあっては(今も変わらない)
異端的な存在だった理由だろう。

 登山家、探検家としては、国内で多くの初登頂をなし、海外では
1932年、30歳の年に試みた南カラフト東北山脈の踏査を皮切りに、
36年の冬季白頭山の踏査、38年の内蒙古草原調査、
41年のポナペ島生態調査、42年の北部大興安嶺探検、
44年の内蒙古草原調査と続く。

 戦後も、その勢いは衰えるどころか加速する。
52年にマナスル登頂の準備のためにヒマラヤに初登山、
55年にはカラコルム・ヒンズークシ学術探検、
57年に東南アジアの生物学的調査、
58年以降にアフリカにおけるチンパンジーと狩猟民族の調査と続く。

 今西たちの登山、探検のレベルは世界水準のものであり、
そこに西欧コンプレックスが入る余地はない。彼には第1級のレベルの
仲間たちがいたし、彼らを組織するリーダーとしての能力が鍛えられた。
それは現実と理想の間を強靭につなぐ力だ。
組織の運営と金の算段、海外での活動には国家規模での交渉が必要になる。
計画や戦略の立案と実現のための客観的な現状分析やそれを実現する
勇気や決断の能力だ。

 さて、今西にあってはこうした登山、探検がそのまま自らの
研究活動と重なり、その思想を鍛える現場になっている。そして、
彼の研究における仲間や弟子たちは、こうした登山や探検の仲間や
チームの一員であったことが特徴だ。
梅棹忠夫〔第3節の3で説明する〕、川喜田二郎、中尾佐助、吉良竜夫たちは、
みなこのチームから育ったのである。
逆に言えば、京大で長い間無給講師を続けていた今西には
規制の制度内での弟子はほとんどいない。

 研究者としての経歴は生態学者として始まるが、初期の日本アルプスに
おける森林帯の垂直分布、渓流の水生昆虫の生態の研究などは
すべて登山と結びついている。後者は住み分け理論の直接の基礎となった。

 その後の海外での探検の活動からは、生態学を越えて動物社会学、
動物社会から人間社会(遊牧社会)の研究へと進んでいく。
『生物の世界』はこうした過程での産物である。

 戦後はニホンザルの社会集団の存在を実証し、その構造や
文化的行動について明らかにした。その後アフリカの類人猿、
狩猟採集民の調査を通じ、これがサルから類人猿をへて
人類にいたる霊長類の進化の過程とそれぞれの社会構造を
テーマとする巨大な研究プロジェクトになっていった。
そこでは人間社会、人間家族の起源について研究までがおこなわれた。
この研究におけるチームの伊谷純一郎と河合雅雄、川村俊三などは
今西の長い無給講師時代の弟子として知られる。

 
 こう見てくると、今西の学問の特異性が良く理解できる。
それは、従来の日本のアカデミズムの狭い世界を大きくはみ出している。
狭く縦割りの専門分野、講座制という旧来の師弟関係、そうしたものと
無縁の経歴である。

 今西の学問は、世界中の現地調査によるフィールドワークを
基礎とするものである。それは観念論的な物の見方を壊し、
リアルな実証研究を根底に据えるものだ。しかし今西たちはそこに
とどまらず、共同討議を基礎にして、未知なる広大な領域、
巨大な思想領域にまで踏み込んでいる。
それは当時の日本が生んだ数少ない、自前の自立した、
そして世界的基準の研究だった。

 全世界をまたにかけた探検から生まれた研究は、動物も人間社会も、
空間的社会学も時間的な進化論や社会発展をも視野に入れている。
それは今西のように理系の自然科学を基底に置くが、
人文社会科学や思想の領域をも含んだ総合的な研究となる。

 登山や探検では目的を共有したチームとしての組織的な活動が基本になる。
そこから生まれる研究は、個々の研究者が孤独に取り組むものではなく、
集団的な討議が中心の共同研究になる。また、今西の仲間や弟子たちは
大学や学会と言った既成の枠組みとは無縁のところに形成されており、
登山や探検という生死を共にするような強固な仲間意識でつながれている。
それだけに強烈な師弟関係、盟友関係があったことがうかがわれる。
彼らをまとめて今西学派、今西グループなどと呼ぶらしい。

 私はそこに、もう一つ、京都という文化的背景があったと推測する。
京都の文化的サロン、そうした自由な討議の伝統だ。
彼らは京都の町衆の後裔としてのエリート集団だったのではないか。

9月 09

夏休みが終わり、秋を迎えました。

 不順な天気が続いていますが、いかがお過ごしですか。

 2014年9月以降のゼミの日程が決まりましたので、お知らせします。

 読書会テキストは決まり次第、連絡します。

 なお、開始時刻には変更があり得ます。その都度、確認してください。

 参加希望者は早めに(読書会は1週間前まで、文章ゼミは2週間前まで)
 連絡ください。参加には条件があります。

 参加費は1回3000円です。ただし文章ゼミは1回2000円。

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 ・ 9月
  13日(土)午後5時より文章ゼミと「現実と闘う時間」
  28日(日)午後2時より読書会と「現実と闘う時間」

 ・10月
  11日(土)午後5時より文章ゼミと「現実と闘う時間」
  26日(日)午後2時より読書会と「現実と闘う時間」

 ・11月
   8日(土)午後5時より文章ゼミと「現実と闘う時間」
  23日(日)午後2時より読書会と「現実と闘う時間」

 ・12月
   6日(土)午後5時より文章ゼミと「現実と闘う時間」 
  21日(日)午後2時より読書会と「現実と闘う時間」