9月 07

 9月以降のゼミの日程はすでにお伝えしました。

読書会のテキストも決まりましたので、お伝えします。

 ゼミ参加費は、すべて1回3千円です。

(1)読書会のテキスト

10月20日 読書会
『石巻災害医療の全記録』石井正著(講談社ブルーバック)
東北大震災シリーズをこれで一応終わりとしたいと思います。
すでに昨年読んだ『石巻赤十字病院の100日間』の当事者、その災害医療現場のトップ自身による記録です。

11月24日 読書会
スピノザ『エチカ』を読みます。
ヘーゲルの論理学で、実体性でつねに問題とされるスピノザ哲学。それを通読します。
ずっと敬遠してきましたが、今回勝負します。

12月22日 読書会
スピノザ『エチカ』の続き。
11月の読書会でスピノザ『エチカ』を読み終えられなかった場合は、その続きを読みます。11月に読み終われば、他の本をテキストにします。
現時点では、どちらになるかわかりません。

(2)読書会、文章ゼミ(文ゼミ)日程

 読書会、文章ゼミ(文ゼミ)は、いずれも原則は午後5時開始。
 その後、午後7時より「報告会」(「現実と闘う時間」)があります。

9月
9月15日 文ゼミ

10月
10月6日 文ゼミ
20日 読書会

11月
10日 文ゼミ
24日 読書会

12月
8日 文ゼミ
22日 読書会

成績発表と忘年会を
12月末に予定

 初めての参加者には、事前に「自己紹介文」を書いていただいています。

  1. 簡単な履歴(年齢、大学・学部、仕事など)
  2. 何を学びたいのか
  3. どのようにこの学習会を知ったのか、なぜこの学習会で学びたいのか
 
 などを書いて、ゼミの2週間前までに以下にお送り下さい。
 E-mail:sogo-m@mx5.nisiq.net
 

 2回目以降の参加希望者は、1週間前(文ゼミの初回参加者は2週間前)
 までに連絡をしてください。

9月 04

 9月以降のゼミの日程が決まりました。

 初めての参加者には、事前に「自己紹介文」を書いていただいています。

  1. 簡単な履歴(年齢、大学・学部、仕事など)
  2. 何を学びたいのか
  3. どのようにこの学習会を知ったのか、なぜこの学習会で学びたいのか
 
 などを書いて、ゼミの2週間前までに以下にお送り下さい。
 E-mail:sogo-m@mx5.nisiq.net
 

 2回目以降の参加希望者は、1週間前(文ゼミの初回参加者は2週間前)
 までに連絡をしてください。
 ゼミ参加費は、すべて1回3千円です。

(1)読書会、文章ゼミ(文ゼミ)

 読書会、文章ゼミ(文ゼミ)は、いずれも原則は午後5時開始。
 その後、午後7時より「報告会」(「現実と闘う時間」)があります。

9月
9月15日 文ゼミ

10月
10月6日 文ゼミ
20日 読書会

11月
10日 文ゼミ
24日 読書会

12月
8日 文ゼミ
22日 読書会

成績発表と忘年会を
12月末に予定

※読書会のテキストは、決まり次第報告します。
11月の読書会のテキストはスピノザ『エチカ』を読みます。
一気に通読しましょう。

(2)毎週月曜日のヘーゲル原書講読と、関口存男著『定冠詞論』の読書会
 10月8日から開始します。

 【1】日本語文献を読む時間

 毎週月曜日、午後5時から行います。
 関口存男氏の『定冠詞論』の後半を読みます。
 世界的なドイツ語学は、言語とは何か、人間とは何かを解き明かします。
 テキストはコピーしてお渡しします。

 【2】ヘーゲル原書講読

 毎週月曜日、午後7時から行います。
 『大論理学』「現実性論」の「現実性」の第2章から読みます。
 ヘーゲル哲学の核心です。

9月 03

 今年の夏を、読者のみなさんはどうすごされましたか。
 自分の課題へのとりくみは進みましたか。

大学生・社会人のゼミでは、この夏も八ヶ岳で3泊4日の合宿を行いました。
 もう5年目になります。

 合宿でのヘーゲル哲学の学習のメニューは、
 原書購読は、大論理学の本質論の第3部「現実性論」の前半を丁寧に読みました。
 翻訳では、ヘーゲル『小論理学』(牧野紀之訳 鶏鳴出版)で下巻「本質論」を通読しました。
ともに、ヘーゲル論理学の本質論を、特に、現実性論をきちんと理解しておきたいと考えての挑戦でした。「現実性論」にはこの5年間、何度も何度も繰り返して挑戦し、その都度弾き飛ばされてきた、というくやしい思いがあります。
今回は、少し、理解できたという実感を持ちました。
くわしいことは別に報告します。

 2日目と3日目の晩には「報告会」を行い、各自の課題について話し合いました。

 4日間の参加者は延べ6人。
 他に、報告会だけの参加が3人(2人はウェブで参加)。

 

8月 26

「戦術論か本質論か」(その3)
  4月の読書会(大鹿靖明著『メルトダウン』講談社)の記録
   記録者 掛 泰輔

■ 目次 ■

4、各部の検討
(3)第3部「電力闘争」
5、参加者の感想(読書会を終えて)
6、記録者の感想

========================================

4、各部の検討
(3)第3部 「電力闘争」

・経産省は浜岡原発の稼働を停止することによって、他の原発を動かそうと考えた。
 しかし菅は暴走した。それで菅降ろしが始まった。これは事実として正しいのか。

 <登場人物の理念のなさ>
・登場人物の能力がないとは思わない。しかし、日本のエネルギー政策が本来は
 どうあるべきかを考え、そういう信念に基づいて行動している人が出てこない。

 <役人、官邸、著者は終始一貫、戦術論>
・P250、浜岡を止めるときに寺田(衆議院議員)が、「浜岡を止めたら、
 他の原発はどうするかという話になりますよ。そうすれば国のエネルギー政策を
 どうするかという話に必ずなる。そのへんを詰めたうえで言ってるんですか」
 と言って枝野に反対した。

・海江田や松永(事務次官)、柳瀬(官房総務課長)、枝野も、「今言わないと、
 つぶされるから」やっているように、すべてが戦術論だけで流れていっている。

・役人も戦術論しかないが、官邸の中も終始一貫、戦術論。

・しかし一方で、取材者が本質論を深めるような取材をしていないんじゃないか、
 とも思う。本質論があったとしても、それを取材者が見逃しているのではないか。
 官邸や霞が関の中には優れた人もいるはず。

 <著者の一貫性のなさ>
・P271、著者は一方で孫(正義)さんを持ち上げて、他方で「政商」だとか、
 「彼一流の計算高さ」だとかいって貶めているが、いったい何が言いたいのか。
 孫さんは一貫してビジネスマンとして当然のことをやっている。
 著者が何を言いたいのかわからない。

→電力という国家の基幹たるものを、孫さんのようなビジネスマンに渡しかねない
 ことを喜んでやる菅直人に問題を感じる。そういう人からどう守るかが大事なのに、
 上っ面のところで意気投合することに問題を感じる。

・経産省の人間が本当に日本国家のために動いていたか、だと思う。
 私はどっちもどっちだと思う。だとすれば周りが有象無象で動いている連中
 ばかりだから、孫さんは大きい存在だったのではないか。
 逆に言うと経産省で本当にちゃんと考えているやつが出てこない。

 <欧米のパクリ>
・P319、「逆に言えば、海外の先進国に受け入れられるような日本発の政策は
 皆無に等しいのである。政策はいつも輸入で、輸出はないのだ。
 発送電分離は英国のサッチャー改革で取り入れられ、西欧諸国に広がった。
 再生可能エネルギーの導入はドイツやスペインで広がり、同様に欧州諸国で普及した。
 先駆的に見える政策は海の向こうで始まり、日本の政策立案能力は圧倒的に劣っている。」

・官僚、政治家、学問もこれと同じで、外国のをパクっている。
 逆に言えば本当の日本のあるべき姿を打ち出して、それがヨーロッパ、
 アメリカが学ぶような政策、理念にならないといけない。

・終身雇用や年功序列を今の時代にそのまま持ち越すことは不可能だったと思う。
 あれはあのときにしか有効ではなかった。今の時代で日本のあるべき姿を出して
 いくべき。

 <批判のための批判>
・(P319の引用に続いて)「だから結局彼らは天下りをするしか道がなくなる」
 とあるが、相対的に能力の高い人が活用されるのは当然。
 こういうのは批判のための批判。逆に言えば、役人は定年後どう生活しろと言いたいのか。
 霞ヶ関には能力の高い(与えられた課題を、与えられた条件で、考えるときの能力)人が
 集まっている。

・こうした能力も、絶対的な基準からいえば「低い」ものだが、それを批判する資格が
 ある人は限られる。

5、参加者の感想(読書会を終えて)

・登場人物が理念ではなく戦術論で動いているのは、著者がそういう人物を選び取って、
 あるいは本質論をやらない著者の「類は友を呼ぶ」でエリート批判をしていることが
 そもそもダメだと思った。(大学生)

・どうやって情報を得ているのか気になった。ここまで食い込んだ取材を著者に
 させているのは何なのか、と思った。

 経産省の実態とともに、メディアが情報源の官僚や政治家に踊らされているなと
 思った。それに情報を得た瞬間に他紙よりも一刻も早く載せよう、ということしか
 頭になく、それを報じる責任なんて考えてないんだと思う。
 自分たちの社会的影響力を自覚していないと思う。(社会人)

・(中井)戦術論と本質論を分けて、本質論を深めていくような意識が強くなければ、
 目の前にある戦術論に飛びついてしまう。

 経産省の内部の情報をとることがそんなに大変と思わない。彼らは取材を
 受けるのが好き。基本的には断らないと思う。
 財務省は断る。財務省は情報を出すのに統一が取れている。

 しかし財務省のように完全に統一が取れているのが良いことで、経産省のように
 ぽろぽろ出てくるのが悪いと言えるのか。

・今回東電の会長が下河辺さんに変わったが、あれは東電と経産省の戦いで
 経産省が勝ったということなのか?会長が変わっただけでは東電は変わらないのか。
 (浪人生)

・面白いとは思ったが、よく言葉にならない。(社会人)

・人は自分のいる組織に相当制約を受けるものだと思った。(社会人)

6、記録者の感想

(1)戦術論
 私は今回の『メルトダウン』を一人で読んでみて、ただ漠然とエリートの
 能力のなさ、保身、責任転嫁、精神の堕落を感じていたところがあった。

 しかし読書会で読むとそれらは中井先生のいう現象論をただなぞっているだけで 
 あって、本質論として不十分で、区別なく書かれていることがわかった。

 私ははじめ、そこに問いを立てることができなかった。現象論と本質論の区別が
 そもそもなかったからだ。例えば清水社長が入院中に住宅ローンを全額返済するのも、
 トップなのに大事なときに倒れてしまうのも、全部ダメだと思っていた。

 今回の読書会の収穫の一つは、具体的な場面から何が現象論で、何が本質論か、
 を少しでも実感し理解できたことだ。

(2)命の問題
 「命をかけてでも守らなければならないものがあるのか、ないのか」という問いで、
 ある人を思い出した。3月の読書会で読んだ『ナインデイズ』の主人公の秋冨医師だ。

 彼はそれがあったからこそ、JR福知山線の脱線事故の際に命がけで現場に飛び込んだの
 だろうし、3.11直後、岩手県庁で医療班として震災の対応に当たれたのだと思った。
 それは使命感といえるかもしれない。

 今の私にそんなものはない。
 しかし今回の読書会を通して、自分の中に種のようなものはまかれたと思う。
 命より大切なものがある生き方を選ぶのか、選ばないのか、という問いの種だ。

(3)似非民主主義について
 「国(東電)のために死ね」と吉田所長に押し付けた責任を、勝俣会長は
 どうとるんだろうか、という中井先生の指摘にはっとした。これはレベルこそ違えど、
 私にも突きつけられている問いだと思ったからだ。

 当時吉田さんに死んでもらうことを迫り、また現在も刻一刻と福島原発の作業員に
 放射線を浴びせ続けている責任を、私はどうとるんだろうか。

 私がこれから大学で4年間学ぶものは、この問いの答えにならなければならないのでは
 ないか。そういう問いが生まれ、突きつけられた読書会だった。

8月 25

「戦術論か本質論か」(その2)
  4月の読書会(大鹿靖明著『メルトダウン』講談社)の記録
   記録者 掛 泰輔

■ 目次 ■

4、各部の検討
(1)第1部「悪夢の一週間」
(2)第2部「覇者の救済」

========================================

4、各部の検討
※ 以下、「→」は参加者の発言。それ以外は中井の発言である。

(1)第1部「悪夢の一週間」

 <おためごかし>
・P6、「協力会社」という言葉が出てくる。東電の側が使う、下請けを指す言葉。
 こういうおためごかしが多い。どうにも気になる。

 <空気を読む>
・P99、東電フェローの武黒が場の空気を読んで、吉田所長に海水注入を
 停止するように言った。当たり前のことだが、エリートとはいえ場の空気を
 読んで動いている。

・しかし場の空気を読むこと自体が悪いのか。それは日本社会の全体的傾向性
 だろう。

・吉田所長が一芝居うつところはおもしろい。吉田は東電の中でも異端者だった
 のだろう。
 しかし、使命感で行動しているのは、第1に彼だ。

 <コミュニケーションのなさ>
・政府と東電、保安員と原子力安全委員会のコミュニケーションのなさが
 書かれてあるが、そもそも東電本店が現場とコミュニケーションする
 ことが日常的にないのではないか。
 東電の内部だけでもコミュニケーションが取れていない。
 菅が統合本部を作るまで、官邸と東電も互いに疑心暗鬼。

・官邸、東電、経産省の誰も想定していなかったことが起きたときに、
 混乱やコミュニケーションギャップは当然発生する。
 さらに電源喪失までおこったし電話も通じていなかった。

・したがって、このコミュニケーションのダメさは明らかだが、そのダメさが
 どの程度のダメさなのかがよくわからない。菅ではない誰ならば、自民党が
 政権をとっていたならば、どこがどれだけ変わったのかがわからない。

→党というよりも、そのときの総理大臣、官房長官、経済産業大臣、のような
 個人が問題になってくるのではないか。

・でも例えば安倍、福田、麻生であってもそんなに変わっていたとも思えない。

 <「日本のために死んでくれ」と誰も言えなかった>
・今回の事故では、死ぬ覚悟で原発事故を止める人が必要だった。
 「お前死んでくれ」ということが今回の事故において、言えたんだろうか。

 そういうことは誰一人言えなかったんじゃないか。
 しかし事実上そういう状況だった。吉田さんは決死隊を作って死ぬ覚悟で
 やっていた。

・菅直人が東電関係の人に求めていたのは「俺はここで死にます」という覚悟を
 持った人だった。しかし、本社や官邸に詰めていた東電関係者には誰も
 見つけれらなかった。

 この段階で、本書に登場するエリートたちは「命」(死ぬこと)を
 どう考えていたのか。東電トップたちは、吉田さんに「死ぬ」覚悟を
 求めておきながら、その責任をとらなくていいんだろうか。

・勝俣会長は吉田さんに対してどういうスタンスをそのとき及びその後
 とっているのか。

・吉田さんとともに現場に残った70人がいる。私はこの人たちの話こそ、
 もっと聞きたい。この著者はそういう取材をしない。

→「死んでくれ」というのは菅さんが言うべきだったのか
・菅さんは立場上言えない。戦争でもない時に、国家が民間人にそれを
 求められないだろう。今回は責任者は直接的には東電だから、
 「死んでくれ」と言えるのは東電の人間だと思う。
 東電の中だったら業務命令が出せる。
 そこで、勝俣会長が吉田さんに「危険はあるが、やってくれ(申し訳ないけど
 死んでくれ)」と言えると思う。菅さんには権限がない。

・本書は、こうした問題から逃げている。なんでこういう「命の問題」を
 問題にしないのか。責任と著者が言うならば、それこそ追求すべき責任の問題。

・今の民主主義で「命は地球よりも重い」なんていうが、そんなのウソ。
 皆さんに聞きたいのは、「命をかけてでも守らなければならないことがあるのか、
 ないのか」という問い。この問いの答えが出てないのはダメなんじゃないのか。
 こういうことを問いとして立てたこともない人は、いざというときに動けない。

・菅さんは、東電との関係では越権行為をやるけども、政策の核心的なところで
 やらなかった。菅さんが本当に原発を止めたいんだったら、閣僚人事に
 手を出すべきだった。経産大臣(海江田)を首にする権限は持っていた。
 なぜやらなかったか疑問。何をひよってんだって思う。
 
 <第1部その他、質問など>
→P83のところで、菅さんが現場に来たせいでベントの指示が2時間遅れたと
 吉田さんが言っているが、吉田さんは「今から来たらベントが遅れる」と
 言えなかった。
 それは総理には言えない、という権限の問題か、通信機器の混乱のせいか。

・菅直人は国のトップだから言えないこともあるし、そのときには情報が
 錯綜してお互いに訳が分からない状態だったのでは。   

・P147でアメリカのことを書いている点がおもしろい。4号機に自衛隊が
 ヘリコプターで水を撒いたのはアメリカに見せるためだった。
 
→清水社長が倒れたのは、組織のトップの重圧が大きいためか。
・重圧が大きいのではなくて、この社長はただのお飾りだった。
 だから、こんなときに壊れてしまう。
 東電トップには、そもそも日常的に重圧がなかった、親方日の丸企業。
 何もしなくても順調にいく。
 しんどいのは国の官僚たちとの交渉。国策で動かされるから。
 それをロビー活動でやっていればいいが、清水社長はそれもしたことがなかった。

→清水社長が奈良に旅行に行っていたとか、入院中に住宅ローンを
 全額返済したとか、書く必要があるのか。

・著者はエリートの精神の荒廃を書いたつもり。しかしこれは「エリートの荒廃」
 というほどのものではない。清水社長のローンの話も、小市民が自分を守るために
 汲々としているっていう姿にすぎない。
 これは東電トップの責任を考えるときの、本質だろうか。
 清水さんのダメさは大事なときに病気になったということがすべて。
 トップとしてやることをやっていれば旅行ぐらい行ってもいい。

 <下村さんのレベル>
・P79、本の視点である下村さんの発言。原発に菅が乗り込んでいくことの
 是非を聞かれて、「それは総理がご判断すべきことと思います。」では、
 下村が菅の側近(内閣審議官)として存在する意味がない。
 下村さんの視点を本の視点にしてしまった著者の馬鹿さ加減。

(2)第2部「覇者の救済」

 <銀行の融資>(P170から)
・銀行が今回チャンスだと思って東電にばーんと融資したが、後で必死に
 回収しようとしたことが書かれている。しかし、これが銀行トップの
 「精神の荒廃」といえるだろうか。著者はこんなことを書いて、いったい何を
 証明しようとしたのか。

・みんなが自分の利害を守ろうとするのは当然。こんなことはエリートの
 無能力の批判にはならない。

 <リークの問題>
・P182、役人たちが自分の政策を通すためにうまいことマスコミを使って
 情報を流す。(日経の『原発賠償・保険機構』案)
 マスコミはスクープをとりたいし、菅直人を叩き潰すために、読売とか
 TBSが海水注入の話をだーっと出してくる。

 この本では最終的には経産省の役人や東電が動いていたことになっているが、
 そういうことは当然、霞ヶ関もやるし、永田町も、東電もやるし、マスコミも
 うまいこと踊っている。捏造記事も出す。

・マスコミ側はそういうことに対してどういうスタンスをとっているのか疑問。
 つまり、持ちつ持たれつの意識で情報を流したり流されたりしあっている、
 お互いを利用しながらやっている。そこで問題も起こりうる。

→本当は、新聞報道では、翌日こういう記事を出します、ということを事前に
 情報提供側に伝えないといけない。そこで記者とのギブアンドテイク、
 交渉が発生する。

 例えば、企業誘致とかを事前につかんで裏を取った上で、最後に市長の方に
 行って、交渉になる。市長としては、いいタイミングで大きく出してほしい。
 しかしあまり大きく出しすぎると、企業誘致側にも迷惑がかかる。

 この件に関してはこういうふうに報じるから、そのかわりネタちょうだいね
 とか、そういう恩を売ったりする世界がある。

・読売新聞の誤情報の記事が菅降ろしの引き金になったが、ああいうのはありなのか。

→ニュースを作っちゃってる。

・完全に政治的意図にもとづいて、ねつ造している。そしてそれが菅政権を
 終わりにする上で大きな力になった。これは恐ろしいことではないか。

・あれが事実ではないということを読売は明らかにしていないし、謝罪もしない。