6月 05

「ふつうのお嬢様」の自立 全8回分の第2回

江口朋子さんが、この春に「修了」した。
その修業に専念した6年間を振り返る、シリーズ全8回中の第2回。

■ 本日の目次 ■

心動くものだけと向き合った6年間 ―鶏鳴でやってきたこと― 江口朋子

(1)何のために振り返るか
(2)ゼロから始めた
(3)自分の関心は一貫しているのでは
(4)対象理解の問題
(5)自分の関心の対象と、その対象への切り込み方
(6)引きこもりの必要

=====================================

◇◆ 心動くものだけと向き合った6年間 
―鶏鳴でやってきたこと―       江口朋子 ◆◇
                               

(1)何のために振り返るか

 振り返りの文章を書く目的は、6年間鶏鳴でやってきたことは、結局自分にとって何だったのかを考えることである。なぜそれが自分にとって今必要かといえば、その答えがこれからの自分を支えるだろうと思うからである。逆にいうと、いくら中井さんから修了を認められても、自分の側に自分はこれを鶏鳴でやってきた、これを自分のものにしたと言えるものがはっきりしていなければ、修了の意味がないだろうと思ったから。

(2)ゼロから始めた

 他のゼミ参加者と比べて、自分は本当に中身の何もないゼロからのスタートだったと思う。例えば、同時期に師弟契約をした守谷君は、高校生の頃から大学卒業後の進路を意識し、大学に入ってから意識的に活動をして、そこで得た問題意識を基に鶏鳴で学んでいたし、他の人でも、それが表面的なものであっても一応自分はこれに関心を持っています、というものを持って参加してきた人が多かった。
しかし自分には「これに関心がある」と言えるものが4月の時点で何もなかった。大学4年の夏休みまで大学院に行くつもりで、教授にも院試のアドバイスをもらっていたぐらいだから、それまでの大学生活で自分の興味関心を本当のところで意識していなかった。だから最初はほとんど中身が空っぽの状態で、自分が何に興味があるかわからず、そもそも興味が向くもの自体なかった。
 だから最初の1年は自分の関心以前に、現状を理解することで精一杯だった。大学院進学を辞め、それまでの友人と関係を切り、親とも話し合いでぶつかるという、それまでと逆の方向に走り始めた自分の状態を、自分で理解するのに精一杯だった。

(3)自分の関心は一貫しているのでは

 今まで、自分の関心はあちこちに飛んで、もちろんつながりはあるが、それまで出ていなかったものが急に出てくるような唐突さがあるとどこかで思っていた。しかし今回、改めて過去6年間の報告や文章を読み直すと、自分の関心は奈良に行った時から基本的に変わっていないのではないかと思った。例えば、地形に対する興味はこの時既にあり、山の辺の道で見た周りの山の稜線や、比叡山の帰り道に見た琵琶湖と周囲の山とのでこぼこさ、日本庭園と背後の山との関係が面白いと書いている。
 また、今回読み返して驚いたが、短歌のことも06年に既に出てきていた。出羽三山に行く途中の電車の窓から日本海を見て、「大磯の礒もとどろに寄する波 われてくだけて裂けて散るかも」という短歌を思い出したと書いている。

 しかし一方で、過去の文章を読みながら、展開が急だったり、強引に思えるところも度々あった。例えば、2007年11月に、いったんそれまでを振り返り、自分の関心を改めて奈良滞在で見た日吉大社の石橋だとはっきりさせ、民俗学や民俗宗教の視点から石を考えるところまではよくわかる。しかしそのあとに、民俗学に対する不満(石を決まった枠組みでしか見ていない)から、地質学・地球物理学における石にテーマが移るのは、やはり急だと思う。人間が作る石橋と、その素材である自然石は別のものであるから、最初の石橋への興味はどこに行ったのかということになりかねない。またその後に、ヘーゲルの著作を読んだ影響もあって、石の生成の必然性を展開したいと試行錯誤し始めるが、これはかなり無理があることをやろうとしていたように思う。
 しかしそうした無理や強引さや、その時々のテーマの変化の急さも含めて、自分の関心が向けられている対象ははっきりしていて、それに対して手を変え品を変え何とかアプローチしようとしているように思えてならない。自分の興味ある対象に向かって、どう切り込んでいったらいいかわからず、試行錯誤し、時間がかかったように思える。

(4)対象理解の問題

 自分の場合、ある対象に心が動かされると、その対象に自分が乗り移りかねないほど、対象にひきつけられてしまう。対象と一体化してしまうとも言えるかもしれない。強い感覚的な反応でもある。例えば、奈良滞在について書いた文章や、地形の文章でもいいが、自分は見たものをまずそのまま描写する。それは、始めはそれ以外に表現のしようがないからでもあるが、対象を描写すれば、それがそのまま自分の心の動きでもあるからだ。
 これは対象理解の話と関係するかよくわからないが、師弟契約をした1年目、友人や親との関係が変化した時に、自分はひたすら地球や生物の進化に自分を重ね合わせていた(05年7月?10月)。それまでの自分がいったん崩され、人間関係も変わって新たに自分をつくらなければならなくなった時、誰でも自分と似たものに自分を重ね、自己理解をしようとするはずであり、私も地球の進化の前にマルコムXの自伝を読み、彼の生き方を自分にひきつけて考えていた。そういう風に、ある人物を自己理解の参考にするのはよくわかるが、地球そのものや地球の生物に自分を重ねるというのはどういうことなのだろう。その後の、テーマの変遷にも関係しているのだろうか。
しかし対象を深く理解するためには、いったん自分と対象を切り離し、対象それ自体として見なければならない。これが自分には苦手で弱いのではないだろうか。例えばイサム・ノグチについても、彼のアトリエで見たままのもの、例えば彼がつくった庭や周りの屋島や五剣山など地形との調和には心が動かされる。しかし、そうしたアトリエを作った彼の人生、時代背景となると、関心が薄れてしまう。総じて歴史、経済、法律、社会に対する興味が片寄って少ない。
 08年から「石とは何か」というテーマで自然科学の視点から論文を書こうとしてきた。普通に考えると、自然科学の知識を応用するということは、対象を自己と切り離し、対象としてありのままに理解することに他ならないように思える。自分でもそう思ったから、このやり方を選んだはずである。しかし私の場合、どうもうまくいかなかった。このあたり(08年以降)のことはまだまだ意味づけができない。

(5)自分の関心の対象と、その対象への切り込み方

 6年間を振り返ると、確かにその時々の変化に意味があると思うし、特に「石とは何か」というテーマで論文を書けず、地形とは何かも途中のまま、急に短歌が出てきたというこの約3年の流れは、一応12月の時点で意味づけを報告に書いたものの、自分でもよくわかっていない。なぜ今短歌なのかと聞かれても、納得いく説明はできない。
 しかし、石から地形、地形から短歌という変化にどう意味があるということは、今の自分にとっては正直どうでもいい。それは、今いくらかんがえても仕方がないという意味だ。これから短歌の道を進みながら、考えていくしかないと思う。ヘーゲルが、確か『精神現象学』で、ある運動そのものが必然的であるならば、その運動によって生まれたもの、つまり成果もまた必然的なものになると言っていた。自分はまだ運動を展開している最中であり、その成果が出ない限り運動の意味は本当には考えられない。
 今の自分にとって重要なことは、この6年間で自分の関心はひとまず出し尽くしたと言えることだ。自分の中のアンテナを常に意識し、興味が向けられるものは一つ一つ取りあげ、報告や文章で発表してきた。中身の空っぽの状態から始めた自分にとっては、何かに興味をもつということは、同時にそれに対して感じたことや考えたことで自分の中身を埋めていくことでもあった。
しかも、今自分の中にある関心、具体的にいうと6年間の文章で関心をひいたものとして取りあげた一つ一つの対象は、どれも本当に自分の心が動き、身体が反応したものである。興味がないのにあるような振りをしたり、ごまかしたものはない。それは、師弟契約をした時にはっきり意識したことで、今まで自分はやりたくない勉強を嫌々やったり、周りに合わせて何となくやり過ごしてきたので、これからはそういうごまかしはしないと決めていた。
従って、鶏鳴で何をやってきたかと聞かれてまず思い浮かぶのは、何より自分の実感に従って、自分が何に強くひかれ、逆に何に関心が弱いかを、自分に対してはっきりさせてきたということだ。今の自分が持てる関心は出し尽くしたと思う。これは自分のテーマを作る上で、一つ必要な段階ではないかと思う。しかし一方で、それは興味・関心という言葉に留まり、自分のテーマがはっきりしたとまでは言えない。テーマとは1つの疑問文の形にまとめられるものだという牧野さんの言葉があったが、それはただ形だけ整えればいいのではなく、それまでの自分のあらゆる関心がそのテーマに統合されることを指しているのではないかと思う。
 その意味では短歌は自分のテーマではないが、しかしより大きい根本的なテーマに至るための小さなテーマとも言える。自分でもよくわかっておらず、説明が難しいが、自分にとっての短歌の意味は、自分の感じたこと、考えたことを表現するために有効(だと思える)方法であり、同時に対象に切り込むための武器というか道具でもあると思う。ただ自分の関心をはっきりさせるだけでは足りず、その対象にどう入っていくか、どういう方法で対象を理解するのかが問題になるが、自分が苦労していたのもこの点だったのではないか。イサム・ノグチや日本庭園、民俗学、石、地形など試行錯誤を繰り返したが、やっと「短歌」という方法に出会い、これならいけると思えた。しかしそう思えたのも、今までの失敗があったからではないかと思う。

(6)引きこもりの必要
 
この6年間、自分は実質的に引きこもり状態だった。付き合う人が量的にも質的にも限られ、文章など読んでいても、家族と鶏鳴以外に生身の他人がほとんど出てこない。これは自分の関心に集中し、余計なものに邪魔をされたくなかったからだが、そういう時期も人間の成長の一つの段階として必要だと思う。程度の差はあれ、多くの人が実質的な引きこもり状態を経験しているのではないかと思うが、どうだろう。例えば10代後半ぐらいに、特定の友人と必要以上に密着し、常に行動を共にしたりするのは、相手を自分の分身と見ているという意味で他人が存在せず、自分の中に閉じた引きこもり状態と言えないだろうか。
 重要なのは、引きこもること自体ではなく、むしろ風邪と一緒で引きこもりの期間をうまく過ごせるかどうかではないかと思う。自分の殻に閉じこもってはいけないとか、他人とうまく付き合わなくてはという無理をすると、後々問題が生じかねない。その意味では、自分は思う存分引きこもったと自信をもって言える。極力無理をしなかった。何もしたくない時は休み、鶏鳴のゼミを2ヶ月以上欠席したこともある。だからと言っていつも楽だったわけではないが、不思議とこれだけ引きこもれると、逆にもう外に出て第三者とぶつかっても何とかなるだろうと思えるし、外に出たいという気にもなる。それはやはり、本質とは他者との関係において現れるということと関係していると思う。自分ひとりでやれることにはどうしようもない限界がある。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

6月 04

「ふつうのお嬢様」の自立

祝・江口朋子さん「修了」

江口朋子さんは、私のゼミの師弟契約第1号である。それは2006年の4月だった。
その2年前から江口さんは鶏鳴学園で国語教育の研修を受けていた。卒論も私が指導した。その延長としての師弟契約だったのだが、それまでのレベルを、もう1つ上のレベルに高めたかった。
以前から、本来の師弟関係のあり方について考えていたが、そのアイデアを実行するための該当者がいないために、実行できなかった。江口さんがあらわれたことで、その可能性がでてきたことになる。
こうして、師弟契約第1号が生まれた。

それから6年がたち、江口さんはこの春に、めでたく「修了」を迎えた。修了でも第1号だ。
その江口さんに、この6年を振り返る文章を書いてもらった。
「心動くものだけと向き合った6年間 ―鶏鳴でやってきたこと―」は、「テーマづくり」を中心としたふりかえりであり、
「現状維持ではなく問題提起を目指せ ―中井ゼミの原則から振り返る―」は、私のゼミの原則からのふりかえりである。
中井ゼミの原則とは、若い方々の自立のための原則をまとめたもの。
 
この機会に、私自身も江口さんを指導した6年を振り返って文章をまとめた。あわせて掲載する。

江口さんは「ふつうの人」「ふつうの女子高生」「ふつうのお嬢様」だった。そうした読者の方々に、ぜひ読んでほしいと願っている。

■ 全体の目次 ■

温室から実社会へ出るための準備 ―鶏鳴で得た成果と課題― 江口朋子
心動くものだけと向き合った6年間 ―鶏鳴でやってきたこと― 
現状維持ではなく問題提起を目指せ ―中井ゼミの原則から振り返る― 

眠りから覚めたオオサンショウウオ
  ?江口朋子さんの事例から、テーマ探し、テーマ作りのための課題を考える?
            中井浩一

=====================================

5月 31

6月の読書会

 日時:6月18日(土) 午後3時より5時まで 鶏鳴学園にて 
 テキスト:山田孝雄『日本文法学要論』(書肆心水)・野村剛史「常識としての山田学説」(『現代の山田文法』(ひつじ書房)所収)
 参加費 三千円

6月の読書会では、山田孝雄(よしお)の文法書、および、野村剛史(たかし)の山田文法論を取り上げます。発表担当は松永です。

山田は、明治生まれの日本語学者で、日本語文法の研究者として、今なお最大の巨人と言われます。これまで言語学学習会で読んできた野村剛史(松永の指導教官)も、山田文法を継承しています。その批判的継承として書かれたのが、「常識としての山田学説」です。

山田文法の核心は、「文」は判断である、という文観にあります。「犬が歩いている」「山田は学生である」のような文の場合、対象(事実)としては一体であるはずのものが、主語と述語に分裂して表れます。それが判断の表現です。

しかしその一方で、山田は、「まあきれいな花」のような、話者の感動と対象が一体となって表れた文(喚体文)の存在も強く主張しています。ここには一見して、主語も述語もありません。するとこれは判断ではないことになります。

それに対して野村は、「まあきれいな花」の中にも、さらには名詞「花」の中にさえ、判断を見ます。

今回の読書会では、山田の本と野村の論文をテキストに、文と判断との関係をテーマとして考えます。考えるべき問題は、下記の諸点にあります。

・名詞の判断と動詞の判断の違い、両者の交渉
・描写と説明の違い、両者の交渉
・主語と述語
・主語ならぬ要素(目的語など)と述語との関係は判断ではないのか? 

※山田の本は、全体で280ページありますが、十五章「喚体の句と述体の句との交渉」まで(178ページまで)を扱います。野村の論文は、30ページ程度です。

5月 14

アリストテレスの『形而上学』から学ぶ その4

 ■ 本日掲載分の目次 ■

(8)アリストテレス哲学の核心 全世界の発展における始まりと終わり

=====================================

◇◆ アリストテレスの『形而上学』から学ぶ 中井浩一 ◆◇

(8)アリストテレス哲学の核心 全世界の発展における始まりと終わり

 本稿の(1)では、アリストテレスの核心を次のように述べた

 「【1】個別と普遍(本質)の問題と、【2】変化・発展の問題と、
  【3】全世界の構造、神から物質までの階層、順番の問題。
  この3つの最も根源的な問題を3つともにとりあげていること
  もすごいのだが、それらを1つに結びつけていることが、その圧倒的な高さだ。

  この【1】は誰もが問題にする。この【1】に対するアリストテレスの答えは
  並の答えで、すごいのは、この【1】と【2】とを結びつけて論じたことだ。
  【1】と【2】を、同じ事態の2つの側面としてとらえた。
  その結果、【3】を説明することができたのだ」。

 本稿の(2)では、アリストテレスの課題はプラトンから
イデア論を学んだ一方で、プラトンのイデア論では
運動の説明ができない点を克服することだったと述べた。
言い換えれば、イデア論の限界を、イデア論を発展させることで、
乗り越えること。

 それはどのように行われたのか。
それこそが、『形而上学』の核心部分であり、
【1】?【3】の3つの問題を統一的に解く回答がそこに示される。

 アリストテレスの回答は、端的に言うと次のようになる。

 プラトンは、現実の個物にそのイデアを対置し、イデア研究を目的とした。
アリストテレスは現実の個物にこだわり、その運動を説明したかったので、
個物には、形相と質料のセットを対置した。プラトンのイデアの代わりに、
この形相と質料のセットを置き、この両者が現実性と可能性として
運動すると説明した。その運動の結果が個物である。
形相とはイデアと言い換えても良いので、質料こそがアリストテレスの
創案と言えると思うが、質料の設定は、イデア論への反駁のためであり、
運動を説明するためなのだ。そして、質量から形相への運動によって、
全世界は初めて構造的に体系化された。

 以上は、『形而上学』においてどのように展開されるか。

 まずアリストテレスは、第1巻の3章で、『形而上学』の目的は
始源的な原因の認識だとする。そしてその原因として4つを提示する。

 a)実体であり、「なにであるか」、
 b)質量であり、基体(主語)である、
 c)「物事の運動がそれから始まるその始まり」(始動因)、
 d)「物事の生成や運動のすべてが目指すところの終わり」(目的因)。

 このa)とb)を、7巻の3章でまず取り上げ、それ以降の章でそれに答える。
これが、【1】の個別と普遍、現象と本質の関係の問題である。
その上で、8巻でそれを捉え直して、個別の運動についての
c)始動因と、e)目的因の説明をする。
それを展開するのが8巻と9巻であり、以上が【2】の変化・発展の問題である。

 この個別の運動の説明を踏まえて、アリストテレスは進化の全体像、
生物などの分類の全体像を示すのだが、7巻の12章で分類の原理が示され、
実際の展開、特に神や天体の運動までの広がりは、9巻の8章で描かれる。
以上が【3】の全世界の構造、神から物質までの階層、順番の問題である。

 以上がアリストテレスの回答であるから、『形而上学』の核心部分とは、
7,8,9巻であることがわかる。
これを実際のアリストテレスの叙述に即して、見ていく。

 まず、始元的な原因を考える上で、判断の形式、「定義」「説明方式」が
前提であり、判断論(定義)の主語・述語関係からすべてを考えていく。

 アリストテレスは、事物を実体と属性にわけた時に、
判断の主語に来るのが実体で、述語にはその属性が来ると考える。
主語の位置に来る言葉、つまり基体=主語で、決して述語にならないもの、
つまり「実体」としては、結局は、以下の3つが導出される(7巻3章から6章)。

  【1】 質料
  【2】 形相
  【3】 個別(質料と形相の2つから成る)

 もちろん3つは、それぞれで、その「述語にならない」と言う意味は違う。

 「個別」はすべての個別が相互に異なっているのだから、
ある個別が主語の文の述語に他の個別はおけない。
「質料」は、それ自らは不可認識的で、規定することができないと、
アリストテレスは言う。
「形相」は、規定そのものだが、それはすべての述語を含んだものなので、
述語にはならない(とアリストテレスは考えているようだ)。

 この3つの関係を、判断の形式における部分と全体の関係で分析しながら、
アリストテレスは結局、形相を質料に内在化するものとしてとらえ、
質料と形相の結合体が個別であり、この個別においてしか
生成・消滅の運動はないとした。(7巻10章から12章)

 そして、個別におけるこの3者の関係が、運動の観点から捉え直されるのが8巻である。

 8巻の第2章で、個別を形成する質料と形相の内の質料を「可能的存在」とし、
形相を「現実的存在」と捉える。ここで運動とは、可能性から現実化への
転化としてとらえられ、その質料と形相の結合によって、個別の運動が説明される。

 ここで、質料=可能的存在、形相=現実的存在とする理解には、
驚くのではないか。世間の常識とは一見反対に見えるからだ。
質料は物質のような材料として、直接に存在するもので、
形相は最初は目に見えない。だから、質料が現実的で、
形相は可能性でしかないというのが普通の理解だ。
それが逆転しているところに、アリストテレスの独創がある。

 質量は確かに存在しているが、実現するものの材料でしかないから、
その面からは可能性でしかないのだ。
一方、形相とは、その材料によって実現されるもので、
可能性(材料)を現実化するものこそを現実的なものだと、
アリストテレスはとらえる。

 これは「始まり」「終わり」の理解に関わる。
「終わり」は、もし「始まり」に内在化していなければ、出てこないはずだ。
逆に言えば、「始まり」に何が内在化されていたかは、
「終わり」で明らかになる。つまり「始まり」は「終わり」であり、
「終わり」は「始まり」である。
ここに、ヘーゲルの発展観の芽がすでにあることがわかるだろう。

 以上は、個別の運動の説明方式だが、それを全体として展開すれば
この世界の構造が示されるはずだ。

 生物や、物質などの自然界は、アリストテレスによって、
徹底的に分類され、秩序化された。それは類と種の関係性による。

 類は種差によって種に分化されていく。その種も次のレベルにおける類として、
次のレベルの種差によってまた種に分化されていく。

 ここで、類が質量であり、種差が形相であり、それによって分類される種が
個別なのである、この種は新たな類であり、新たな質料としてとらえられる。
その類(質料)は、次のレベルの形相による種差によって、
次の個別=さらに新たな質料=新たな類へと展開する。

 こうして質量から形相への運動が、ここでは類とその種別化になり、
この自然界と全世界の構造をあらわすことになる。

 ある類の後には同じ原理で分化が繰り返され、
種別化が展開し、それが無限に続く。
その類の前にも同じ原理で、前のレベルの類へと無限にさかのぼれる。
そうしたときに、類を遡れば、一番最初の類が想定され、
それは質量だけの存在になるはずだ。

 他方、最後まで展開し終わった時に、形相のすべてが現れるはずだが、
その形相は実は、真の始まりであるから、この世界の始まりには
形相だけの存在が想定され、それが「神」「不動の動者」になる。
これがアリストテレスの世界観である。

 以上で、当初の問題のアリストテレスの回答が示された。
ここに初めて、【1】個別と普遍(本質)の問題、【2】変化・発展の問題、
【3】全世界の構造の問題、この3つのレベルを統一して、
1つの原理で貫く思想が生まれた。これがヘーゲルに決定的な影響を与えている。
ヘーゲルの「概念」は、アリストテレスの純粋形相(神)を捉え直したものだろう。

 しかし、アリストテレスとヘーゲルの決定的な違いがある。
それは人間の捉え方だ。
アリストテレスは、人間をどこにどう位置づけられたか。
『形而上学』の9巻の最初に、人間の特殊性が述べられている。

 9巻の第2章では、無生物と生物と人間の3者が比較され、
人間の本質は「思考」だとされる。つまり、人間の認識の運動だけは、
他の運動と全く違うとされる。人間だけが、1つの条件から、
2つの相対立する結果を導くことが可能で、それが選択(31ページ)になる。
そこに人間の、必然性からの自由の可能性を見ている。

 しかし、アリストテレスが到達できたのは、ここまでだった。
全世界の発展の中で人間が果たす役割の意味を明らかにできなかった。

 この人間の本質を、全発展の中に、全自然史の中に位置づけ、
その核心部分として捉え直したのが、ヘーゲルなのだ。
ヘーゲルは概念(神であり純粋形相)から始まった全自然の外化の運動が、
その外化の中に人間が生まれることで、その運動自らが、
外化の一方で内化の運動を始め、外化と内化との統一の運動が始まるとした。
そこが大きな転換点であり、それが人間の意味なのだが、
こうした往還運動が可能になったことで、概念の運動が
真に外化と内化の統一になる。

 アリストテレスにはこうした理解がなかったために、
外化の運動と内化の運動が統一できず、神を不動の動者として
設定するしかなかった。世界全体が運動する中に、運動しない固定点を
設けるという決定的な矛盾が起こるのは、人間という転換点を
理解できなかったからだと思う。

 ヘーゲルはその矛盾を解決することで、アリストテレスの世界観を
完成させたと言えるのだろう。それは近代社会を切り開くことにもなった。

 ちなみに、ヘーゲルの論理学全体では、アリストテレスの
自然研究の実証的側面は存在論の中で取り上げ、
アリストテレスが批判した「1」や数学は、存在の中の
量の箇所で取り上げている。それらは本質論以降に止揚されていく。

 アリストテレスが問題にした【1】【2】【3】の観点については、
【1】は本質論の前半、【2】は本質論の現実性で展開され、
その終わりに【3】が出ている。それらが概念論の主観的概念で、
再度判断論の中で展開される。ヘーゲルの判断論では、
質の判断、反省の判断、必然性の判断、概念の判断と
4つの段階に発展するが、これが【1】【2】【3】の展開
そのものになっている。さらにそれが推理論で、展開されている。
もちろん、こうした主観的概念から客観性が生まれ、理念が生まれて終わるのだが、
それによって、アリストテレスの全世界を完成させたつもりだったろう。

5月 13

アリストテレスの『形而上学』から学ぶ その3

 ■ 今回掲載分の目次 ■

 (6)アリストテレスの「判断論」と「推理論」
 (7)アリストテレスの「矛盾律」と「排中律」

=====================================

◇◆ アリストテレスの『形而上学』から学ぶ 中井浩一 ◆◇

(6)アリストテレスの「判断論」と「推理論」

 今回、『形而上学』がある程度理解できたように思えるのは、
観点が明確だったからだけではない。
私の側に、その前提となる学習がある程度できていたからだろう。

『形而上学』を理解するには、その前提として『論理学』を
読まなければならないと言われる。事実、アリストテレス自身が、
自らの体系上で『形而上学』の前に『論理学』をおいた。
その意味は、『論理学』はあらゆる学問研究に先だつ予備科目で、
一般に正しく思考し考えるための「道具」「方法」であるとされている。

 その論理学の中心に判断論と推理論があるが、
特に判断の捉え方が重要だと思う。アリストテレスは『形而上学』において、
判断の形式からすべてを考えようとしているからだ。

 昨年はヘーゲルの論理学から「判断論」「推理論」を読んだ。
さらにカントの関連箇所、カントが参考にしたアリストテレスの論理学から
『カテゴリー論』と『命題論』を読み、言語学の学習会で、
関口ドイツ語学から『冠詞論』を読み、判断を中心に置いた
文構造の読みを展開していることを知ったこと。
同じような理解で日本語を考察している、日本語学者の論考も読んだ。
これらが私の側の準備になっていた。

 ヘーゲルと関口や一部のすぐれた日本語学者にとって、
その源泉はアリストテレスにあることが確認できた。
アリストテレスの考えを継承して、自分の哲学を作ったのが
カントであり、ヘーゲルである。

 アリストテレスの判断を説明する前に、そもそもなぜ判断の形式が
問題になるのかを考えよう。

 それは人類の認識や知恵は、この形の中に蓄積されているからだ。
それは人々の長い営みの中で生活の知恵として結晶している。
従って、個人が改めて真理を探す必要はない。
この蓄積の中にその認識と知恵を学べば良いことになる。
それがアリストテレスの基本的な立場なのだ。
これはソクラテス、プラトンからアリストテレスへと継承された、
基本中の基本だろう。アリストテレスにとっては、判断の形式、
「定義」「説明方式」がすべての前提で、すべての対象を
それに関する判断(定義)の主語・述語関係から考えていく。

 さて、この判断論と、判断の根拠に遡る推理論においては、
アリストテレスの2面性がはっきりと現れている。
ナカミのない形式主義者である面と、他方で
圧倒的にすぐれた思索を展開した面とである。

 その形式主義の側面とは何か。

 アリストテレスは、判断(命題)を一般の文と区別して、
真偽が決まるものに限定して判断(命題)と考える。
ここがすでに悟性的なとらえ方だ。1つの判断を他から切り離し、
それだけで固定させて、その真偽を捉えられると考えるからだ。

 こうした前提のもとに、アリストテレスは判断全体を分類し、
その相互関係を明らかにしようとする。ここまでは良いのだが、
その捉え方が、機械的で、実に悟性的なのだ。分類や相互関係といっても、
結局は、その命題の真偽だけを問題にすることに終始するからだ。

 アリストテレスの分類とは、判断の文が肯定か否定かと、
主語が全称か特称かで大きくわける。その組み合わせは4種類できるが、
それらの関係を「矛盾」「反対」「小反対」「大小」の4種に整理し、
一方の判断の真偽から、他方の真偽が自動的に演繹される体系を作った。
ここでは真偽が対象世界から切り離され、機械的で形式的な作業で決められる。

 さらに、この判断の真偽の根拠を遡ると推理(3段論法)が
導出されるのだが、ここでも、アリストテレスは推理全体の分類と
相互関係を考える。まずは、推理を定言3段論法、仮言3段論法、
選言3段論法に分類し、それぞれの推理を大前提と小前提と結論の関係から、
1格から3格までの種類に分類し、それぞれの格における真偽の基準を示すのだ。

 そして、ここでもアリストテレスは1つの推理を他から切り離して、
その真偽だけを問題にするので、極めて形式的な演繹のルールだけが示される。

 こうした判断と推理のルールは、対象と無関係なものだから、それは
「存在論」と対立する意味での「認識論」としての論理学と言えよう。

 こうした側面が、後に形式論理学として完成され、今日も記号論理学として、
大学などで勢力を誇っている。現代の普通の考えでも、判断は対象(主語)に、
ある内容(述語)を人間が「結びつける」「つなぐ」と考えられている。
そして、その判断が正しいかどうか(真偽)だけが問われるとされる。
ここには、主語と述語の言葉は、そもそもバラバラなもので、
それらを「結ぶ」のも「切り離す」のも人間だ、という考え方がある。

 こうした主語・述語関係は、人間、認識主体が、対象と無関係に、
対象の外部から、恣意的に、あれこれと「貼りつける」もので、人間の恣意的なものだ。
それが対象世界に関わるのは、判断の真偽決定の検討においてのみだとされる。

 以上の形式論理学ならびに、現代の普通の理解は、アリストテレスに始まるとされる。
しかし、アリストテレスにはもう1つの側面がある。
「存在論」として、対象世界そのものを判断の形式からとらえていく側面である。
そこでは判断は静止せず、運動した形で捉えられる。
そして存在の運動は、そのままで判断の運動、認識の運動となる。

 存在の運動とは、対象がその実体と属性とにわかれることであり、
判断の運動とは、実体が主語におかれ、その属性が述語におかれることである。

 そして、言葉を分析し、主語にしかおけないもの、主語にも述語にもなるもの、
述語にしかおけないものに分類する。それらの言葉の関係でも、
主述関係をさらに考えていく。

 この作業を積み重ねていくと、主語にしかならないものと、
述語におかれても、他の述語の頂点にくる言葉が把握できる。
その主語=基体で、決して述語にならないものを「実体」として、
またそれ以外の主要なカテゴリーを導出した。

 このように、主語(基体)と述語の関係から、対象世界の実体と属性との関係を
運動の中で捉えようとしているのが、アリストテレスの『形而上学』である。

 判断は認識の運動であると同時に、存在の運動の反映でもある。
アリストテレスは、いつもこの両面を見ながら論じている。
例えば、7巻の4章で、まずは「言語形式の問題」(234ページ)を考察し、
その後ただちに、「事実上の問題」(238ページ)を考察する。
その後も、アリストテレスは常に、両者を結びつけながら、対象に迫ろうとする。

 推理論でも、対象世界の運動を捉えようとするのが、
『形而上学』における推理の用語法である。そこでの推理とは、
現実の中にある運動を「始め」「中」「終わり」ととらえた3者の媒介関係、
媒介の運動として捉えていると思う。7巻の7章(249ページの「推理」)や
9章(258ページの「推理」)に当たられたし。

 こうしたアリストテレスにある2面性を指摘し、前者を批判し、
後者を高く評価したのがカントであり、ヘーゲルだった。

 ヘーゲルは、アリストテレスの後者の側面を、さらに大きく発展させている。
人間が対象を判断できるのは、対象世界が自ら判断し、
自らが何物であるかを示すからだ、ヘーゲルはそう考える。
その対象が自らに内在化していた本質を外に現すことが、
判断における主語と述語の分裂であり、それが1つの対象でもあることが
コプラによる主語と述語との一致である。判断も低い段階では、
主語は空虚で、判断の内容とはその述語にある。この主語と述語の
コプラ(一致)は、実際は完全には一致せず、その矛盾が判断という形式を
発展させ、次第に主語と述語の関係がより深いレベルで統一されていく。
それがヘーゲルの「判断論」の4段階の発展なのだが、これは、
アリストテレスが示そうとした判断の分類と相互関係に、
ヘーゲルが代案を示したものと言える。同じく、ヘーゲルの推理論は、
アリストテレスの推理論への代案である。

 今日では、アリストテレスが創始したと言われる「形式論理学」、
演繹推理を、ナカミのない形式主義であるとして否定する人も多い。
例えば、野矢茂樹は『論理トレーニング』(産業図書)の
3(注:アラビア数字)で「演繹」を取り上げ、演繹推理や
記号論理学のくだらなさを指摘する。
しかし、結局はそこから一部を取り上げ、練習問題を用意する。

 「形式論理学」を批判するならば、その低さの理由を示し、
それを克服する方法を明示するべきだろう。野矢はそれができないために、
結局はそれに追随しているのではないか。
では演繹推理におけるアリストテレスの低さとは何か。
それは普遍と特殊(個別)、肯定と否定を悟性的に対立させるだけで、
それらの相互転化を言えなかったことだ。それでは運動が起こらない。
ヘーゲルはそれらの相互転化を示すことで、発展として判断を展開して見せている。

 しかし、アリストテレスの形式的な演繹推理を、アリストテレス自身が
思考全体のどこに位置づけていたのかは、それとは別に考えるべきだ。
アリストテレスはただのバカではない。「運動」の説明を求め、
それができないでいるプラトン主義をもっとも激しく批判したのが、
アリストテレスその人だったことを忘れることはできない。

 ヘーゲルは、自らの「判断論」でも「推理論」でも、「形式論理学」は
ナカミのない形式主義であるとして徹底的に罵倒し、否定している。
そして、その責任の一端を創始者としてのアリストテレスに帰すとともに、
アリストテレスを擁護し、アリストテレスの偉大さは、実際のアリストテレスの
思考(例えば『形而上学』)では、彼の形式論理を使用していないところに
あるとまで言っている(『小論理学』187節注釈)。

────────────────────────────────────────

(7)アリストテレスの「矛盾律」と「排中律」

 現在の形式論理学は、アリストテレスの『論理学』に基づくとされている。
そうした論理学の教科書の構成は、概念、判断、推理の順に展開され、
その根本原理として「三大法則」(「同一律」「矛盾律」「排中律」)が
おかれている。これは現代の記号論理学でも、基本的な部分は同じである。

 この「三大法則」は、『形而上学』では4巻で取り上げられる。
それを読んで驚いた。世間の説明と正反対だったからだ。

 かの有名な「矛盾律」は、次のように述べられる。
「同じもの(同じ属性・述語)が同時に、そしてまた同じ事情のもとで、
同じもの(同じ基体・主語)に属しかつ属さないということは不可能である」
(上巻122ページ)。つまり「Aは非Aではない」。

 しかし、いわゆる3大法則は出てこない。そのことに新鮮な驚きがあった。
直接に、アリストテレスが原則として出しているのは、矛盾律だけなのだ。

 同一律(「AはAである」)は出てこない。もちろん矛盾律の中に
含意されているわけだろう。排中律は出てくる(「二つの矛盾したものの
あいだにはいかなる中間のものもありえず、必ず我々はある一つについては
何かある一つのことを肯定するか否定するかの、いずれかである」上巻148ページ。
つまり「AはBか、または非Bである」)が、これは矛盾律に内在化しているものを、
わざわざ引き出して見せただけだ。
 

 つまり、「3大法則」とは余計なもので、いかにも、バカのやるやり方だ。
アリストテレスはそうしたバカではない。

 さらに実際に読んでみて、「矛盾律」「排中律」についての
アリストテレスの叙述は、教科書の説明とは逆であることを知って、愕然とした。

 普通に考えると、「矛盾律」は、悟性的で、固定した世界と結びつき、
結果的に現状肯定の保守的な立場になると思う。

 確かに、規定、対をしっかりと確立させ、固定させるのが矛盾律なのだが、
アリストテレスがそうするのは、それによって、その先(反対の規定の相互転化)に
突き進みたいからだと思った。規定を、対立を明確にすることで、矛盾を屹立させ、
そこから運動を導出することをしようとしているのだ。
これは弁証法であり、絶えざる変革の立場であり、ヘーゲルそのものではないか。

 一方、普通の形式論理学者は、その先に進まないために、
現状を肯定するために、矛盾律を使う。
これがバカたちの理解するアリストテレスなのだろう。

 他方、矛盾律に反対する人たちは、生成、消滅や運動を説明できないとして、
規定や対そのものを否定する。その結果、対立があいまいになり、
矛盾が突き詰められず、結果的に運動を説明できなくなる。
(上巻137ページ以下に詳しい)

 排中律(つまり矛盾律)に反対するのは、相対主義者たちである。
アリストテレスは、そうした相対主義者の立場や心情を理解した上で、
その批判を展開する。

  「すべての現れがことごとく真実であると説く者は、
   すべての存在を相対的であるとする者である。
   それゆえに、理論上の強制力を要求すると同時に、
   自らの説の正当性を主張する彼らも、現れがただ端的に
   存在するというのではなくて、現れはそれが現れる人に対してそうあり、
   それが現れる時にそうあり、またそれも現れる感覚やその時の事情の
   いかんに応じてそうあるのである、と言って自ら警戒せねばならない。
   もし彼らがこのように自ら警戒することなしに、自説の正当性を
   要求するならば、彼らは直ちに自ら矛盾したことをいうことになるであろう」
    (4巻6章。上巻145ページ)。

 アリストテレスは相対主義を否定するのではない。むしろその徹底を求めている。
それが徹底できないで、あいまいなところで停止し、思考停止していることを
批判しているのだ。つまりアリストテレスの立場は相対主義の否定ではなく、
それを止揚した上での絶対主義なのだ。

 排中律を人々が嫌う理由は、選択、決断を迫られたくないという心情にあると思う。
それが相対主義者たちの本音ではないか。(4巻7章。上巻148,149ページ参照)

 以上を確認して、私は驚いた。私はすっかり騙されていたのだ。
 いわゆる形式論理学とは対極の所に、アリストテレスは立っていた。