4月 13
小学校、中学校、高校、大学の先生方、塾・予備校の先生方に、鶏鳴学園のノウハウを公開します。また、悩み相談にも応じます。
?授業見学
?研修(個々の課題に応じて、カリキュラムを作ります)
?悩み相談
小中での次期学習指導要領の改訂の柱は「思考力・判断力・表現力等の育成」「言語活動の充実」です。すべての教科で「観察・実験やレポートの作成、論述」の指導が求められるようになります。そして「これらの学習活動の基盤となるものは、数式などを含む広い意味での言語であり、その中心となるのは国語である」とされました(以上、中教審答申より)。
高校の学習指導要領の改訂でも、「思考力・判断力・表現力」は柱の一つです。
こうした中で、「思考力・判断力・表現力」をどう指導したらよいのかわからないで途方に暮れている先生方は多いと思います。国語科はもちろんのこと、英語や数学、理科や社会などすべての教科でその指導が問われます。学校全体で、「思考力・判断力・表現力」の教育をどのように編成したらよいか、悩まれている校長、教頭、教務主任の先生方も多いことでしょう。
また、大学の初年次教育や基礎教育でも「思考力・判断力・表現力」の基礎トレーニング、調査、取材のトレーニングを課す大学が増えてきています。そんな中で、新たな教育実践に挑戦しようという先生方を支援したいと思います。
鶏鳴学園では、4半世紀に渡り、まさにこの「思考力・判断力・表現力」の養成を主眼に置いた指導を行い、成果を上げてきました。全国的な学習会も組織して、英語や数学、理科や社会、保健体育などすべての教科の先生方とも学び合ってきました。中学から高校、大学までの教員と研究者がメンバーに揃っています。学校だけではなく、塾・予備校の先生方もメンバーです。そうした中で多くのノウハウが蓄積されています。是非みなさまにも、鶏鳴学園のノウハウを生かしていただきたいと思います。
鶏鳴学園のノウハウを知っていただくには、代表の中井浩一の著書『日本語論理トレーニング』(講談社現代新書)と『脱マニュアル小論文』(大修館書店)をお読みいただくのが早いと思います。しかし、そうしたノウハウを知るだけではダメで、先生方ご自身が練習や実際の指導の中でその運用能力を身につけていかなければ、生徒や学生の指導はなかなか難しいものです。
お悩みやお困りの際には、是非一度、鶏鳴学園まで問い合わせをしてください。
ただし、その際には簡単な自己紹介をお送りください。
それには年齢、連絡先、所属、指導上での悩みや問題意識、『日本語論理トレーニング』『脱マニュアル小論文』などをお読みの方はその感想などをご記入ください。
連絡は以下にお願いします。
e-mail:
sogo-m@mx5.nisiq.net
4月 10
日本教育新聞に4月6日から毎週4回にわたってコラムを連載しています。
4月6日は拙著『日本語論理トレーニング』(講談社現代新書)の宣伝をかねて、以下の問題提起をしました。
「思考力・判断力・表現力」の育成のために
次期学習指導要領の改訂の柱は「思考力・判断力・表現力等の育成」「言語活動の充実」である。すべての教科で「観察・実験やレポートの作成、論述」の指導が求められる。そして「これらの学習活動の基盤となるものは、数式などを含む広い意味での言語であり、その中心となるのは国語である」(以上、中教審答申より)。
私は四半世紀にわたり、高校生を主な対象とした国語専門塾を主宰しているが、こうした方針には全面的に賛成である。しかし実際の国語教育の現場では、本来すべきことと正反対のことが、長く行われてきたのではないか。つまり「文学教育」と「道徳教育」である。
小中高の国語の授業では、評論よりは物語や小説に多くの時間がさかれている。それもテキストの分析や論理の解明よりも、情緒的で「文学」的なことに大きく偏っている。それは国語が道徳教育になっていることと結びついているだろう。
学校教育全般がそうだが、特に国語の時間は、道徳や倫理のすり込みに特化していることが多いようだ。求められるのは、決まり切った道徳的結論を探し出すことでしかない。きれいごとや建前が支配し、本音や現実のリアルな部分が切り捨てられる。しかし、本来は現実に深く切り込み、現実を動かしている「論理」と徹底的に格闘することこそが、国語力ではないか。そうであって初めて「思考力」が鍛えられ、現実をしたたかに生きていく力を得られるはずだ。
その実際の方法をまとめた本をこの2月に上梓した。『日本語論理トレーニング』(講談社現代新書)である。これは評論の読解、論理トレーニングの本だが、日本における国語教育、大学の一般教養教育、国語学や言語学などに対する問題提起の書でもある。本紙の読者の皆さんにも、是非、私の問いを受け止めて、一緒に考えていただきたいと願っている。
4月 09
高校作文教育研究会は、昨年秋から1年間ほどの予定で、会のテーマを「聞き書き」として、聞き書きの可能性、授業で実践する際の具体的手だて、その課題などを検討しています。
私たちの例会に、各地の中学、高校のすぐれた実践家10人ほどをお招きし、みなで共同討議をします。もちろん、生徒作品を丁寧に読みながら、具体的に考えましょう。
この成果は、本年6月から雑誌「月刊 国語教育」に1年の連載の形で発表されることが決まりました。
みなさんの積極的な参加を希望します。
4月の例会では、東京の私学から正則高校と海城学園中学(社会科)の実践を検討します。共に、長期にわたって行ってきた実践で、すぐれた作品がたくさん生まれています。
聞き書きの指導では、どのような準備と指導過程を必要とするのか。そこではどのような能力を獲得できるのか。またその課題は何か。生徒たちの成長を実際の作品に照らし合わせて検討したいと思います。
参加希望者は以下に簡単な自己紹介(所属、年齢、国語、表現での問題意識など)を添えて申し込みください。
メールアドレス ko-nakai@js6.so-net.ne.jp
1 期 日 2009年4月26日(日)10:00?16:30
2 会 場 鶏鳴学園御茶ノ水校
東京都文京区湯島1?9?14 プチモンド御茶ノ水301号
? 03(3818)7405 JR御茶ノ水駅下車徒歩4分
※鶏鳴学園の地図はhttp://www.keimei-kokugo.net/をご覧ください
3 報告の内容
(1)「学習旅行」で試みた「聞き書き」の取り組み
東京 正則高校 宮尾美徳
毎年二年生の三月に行う「学習旅行」で、今回は各クラスにICレコーダーを持たせ、現地のお話すべてを録音して持ち帰った。そして、それをクラス一同で文字に起こす「事後学習」を進めた。
この試みは生徒の認識をどれだけ深めることが出来たのか、検討したい。
(2)海城高等学校における「総合社会」の目的と現在
?取材・フィールドワークで自らの研究課題に取り組んで?
東京 海城学園 林 敬
併設の中学で3年間、週2時間の授業を通じて、生徒個々が関心のある社会問題に対して文献調査、取材、フィールドワークを通じてレポートを書かせてきた。
こうした学習によって、中学生がどのように成長し、社会や自己への認識を深めることができたかを検討したい。
4 参加費 1,500円(会員無料)
4月 05
4月以降の文章ゼミ(文ゼミ)と読書会の日程は以下です。
読書会のテキストについては、後日発表します。
参加するには条件があります。前もって、鶏鳴学園まで連絡ください。
連絡は以下にお願いします。
e-mail:
sogo-m@mx5.nisiq.net
4月
11日 文ゼミ
5月
16日 文ゼミ
30日 読書会
6月
13日 文ゼミ
27日 読書会
7月
11日 文ゼミ
25日 読書会
※ヘーゲル学習会は5月より開始します。
4月 01
あるビジネスマンから、私の2月20日(2009年)のブログ(拙著『日本語論理トレーニング』の第1章)の感想をいただきました。それを紹介します。
彼は「外資系の経営コンサルティング会社に勤務し、海外での仕事を多く経験してき」た人です。その彼は、海外で日本の一流大学、大学院出身者がまるで通用しない事実を知って愕然とします。日本人の論理力の圧倒的な低さです。
そして、その理由を考えていきます。そして、日本の国語教育の酷さに行き着きます。
まったく違う仕事をしてきた二人が一致した結論に到るというのは面白いものです。
経験から感じた疑問を、執念深く考え続けている彼の姿勢は、とても立派です。実は、論理よりも、こうした姿勢こそが重要なのだと思います。論理力はその結果でしかないと思います。
———————————————————–
中井浩一様
ブログで日本語論理と国語教育に関する文章を拝読し、私と同じ意見をお持ちの方を発見したことに感激し、メールをさせて頂きました。
日本人の論理力と日本語教育に関して全く同意見です。私の場合、教育を通してではなく、ビジネスの現場を通して同様の意見を持つようになりました。私は長年経営コンサルタントとして、外資系の経営コンサルティング会社に勤務し、海外での仕事を多く経験してきました。ご存じかと思いますが、経営コンサルティング、特に欧米で経営戦略コンサルティングと言われている分野は、情報、データの分析と言語による論理構築とプレゼンテーション技術を含む説得が標準的な方法論です。
欧米の経営コンサルティング会社は、所謂経営大学院(MBA)卒の多国籍エリート集団であり、日本人もすべて東大を中心とした日本の一流大学、大学院出身者です。また、彼らは日本人の秀才の中でもかなりの倍率の入社試験を勝ち抜いてきた人たちであり、理系の修士、博士修了者も含まれています。外国人の同僚との共同プロジェクトやトレーニングを経験する機会がありますが、残念ながら日本の秀才は、文系理系を問わず言語的論理構成力がかなり劣っています。更に、英語のコミュニケーション力不足も加わり、残念ながらグローバルな環境での知的競争力が全くありません。また、当然のことながら、英語に堪能で英語を論理ツールとして利用し仕事が出来る日本人は非常に限られています。
一方、日本人は数学に関しては能力が平均的に低いわけではなく、記号論理としての論理力に関しては問題があるわけではないようです。以上のような経験を繰り返すうちに、日本人は言語操作を使った論理には非常に弱いのではないかという仮説を持つように至り、なぜそのようなことになるのかを疑問に思う日々を過ごしてきました。勿論、欧州言語に比較し日本語は情緒的な面、曖昧な面が多いように感じることもありますが、それも世界に多くの言語がある中で日本語のみが極端に非論理的な言語かはどうかは疑問が残ります。ちなみに、韓国、中国出身者に関しては、そのようなことが言われることは少ないと思われます。
そのような日本人の傾向の起源が何となく理解できるようになったのは、3年前から娘が就学し学校の国語の教科書を見るようになり、国語の先生と話をするようになってからです。まず、教科書がご指摘のように日本的価値観、日本的情緒の教育に極端に傾斜しています。私のようなビジネス界の人間から見ると実生活ではほとんど役に立たない言葉の羅列にショックを受けました。グローバルな時代になり、国語学者或いは行政府の反動であるかと思えるほど極端に見えます。また、国語教師と話して理解したのは、教師が“論理”というものを全く理解していません。あまりの理解の低さに、会話を止めたほどでした。要するに、言語が思考の基礎であり、論理がユニバーサルな思考のツールであることが理解されていません。国語教師は、語彙と漢字と日本的情緒と価値観を教えればよいと思っているように見えてしまいます。
想像ですが、国語の教科書を書いている人たちも、“論理”を理解していないのではないかと思います。日本語の語彙研究、文学研究は、思考のツールとしての“論理”、コミュニケーションツールとしての“論理”は無縁であろうし、また、日本という研究環境でのみ生きている日本語学者たちに、生死がかかるような厳しい“論理”の世界は理解不可能でしょう。しかしながら、現在の日本人が置かれているのは経済的にも政治的にもそのような環境であり、決して日本的情緒、価値観に逃げ込むことはできなくなっています。
ご存じの通り、欧米には言語による論理の学としての哲学の伝統があり、歴史の差があることは否定できません。しかしながら、今だに言語における“論理”の存在にすら気づいていない日本の国語教育界には失望を感じます。更に、コミュニケーションツールとしての英語教育も惨憺たる状況であり、思考のツールとコミュニケーションツールを欠いた日本人は、今後どうなるのか心配になります。また、英語教育の問題が指摘される度に、まず正しい日本語を勉強することが重要と言われます。それは正しい議論だと思いますが、英語コミュニケーションの基礎としての日本語とは、当然思考ツールとしての母語という意味が重要だと思います。残念ながら、今の日本語教育は、外国語教育の基礎にもなり得ない母語教育だと思われます。ぜひ、中井様には、日本語における論理の方法論を日本に教育界に広めて頂き、次の世代がグローバルな世界で希望を持てるような時代にして頂きたいと思います。