2月 06

 昨年2008年11月15日に、九州大学の1年生を相手に、大学でのレポートの書き方について講演をしました。ハウツーをお話しする気は最初から無く、大学の先生との関わり方が大切だとお話ししました。

 学生からは、先生のレポートの評価基準が分からない、レポートに何を求めているのかわからない、と言った不満の声が多かったのです。もちろん、大学の先生がダメなのですが、学生のできることは、先生たちに評価の基準の公表を求め、実際の評価例などを、授業で解説するように求めるべきだとお話ししました。不満を持っているだけで、行動をしなければ何も変わりません。

 学生がまともなレポートを書けない、といった不満は大学の先生たちの間に多いですが、その先生方は本当にやるべきことをやっているのかが、大いに疑わしいです。

 レポート提出を求める前の段階で、学生一人一人が、「書きたくてたまらない」「伝えたくてたまらない」「書かずにはいられない」、そうした状況までにしているのでしょうか。

 通り一遍の授業をして、レポートを書かせるだけなら、そんな先生はいりません。先生の学生に対する評価は、そのまま、先生自身への評価だと自覚すべきです。

2月 05

 この本は昨年(2008年)夏に刊行されたが、非常に売れているようだ。近くの図書館で予約してみたが、多くの希望者がいて順番が回ってこない。

 なぜ、それほど多くの読者に支持されているのか。面白いからだろう。読者サービスに徹している。面白く読める工夫に満ちている。「アドレナリン分泌」が促されるように書かれている。これは本書に限られず、佐野の本はすべてそうで、それゆえにほとんどが文庫化されている。

 「読者サービス」とは具体的にどういうことか。1つは、二重の物語を提供することだ。まず、テーマに関して、取材した人物たちが語る物語がある。これはルポなのだから当然だ。しかし佐野は、他に取材過程自体をもう一つの物語に仕立て上げている。つまり、佐野が取材をどう進め、どういった障害があり、その渦中で何を感じた(特に「アドレナリン分泌」の瞬間が強調される)のか。それがこと細かく書かれる。取材現場に読者を招待するわけだ。

 また、テーマの描き方だが、歴史や政治状況などの一般的な説明はほとんどない。あくまでも人物たちの人生を描くことで、大状況を語ろうとする。今回も、政治、経済、文化、芸能までの広い範囲の中から、トップエリートたち、政治家、運動家から、娼婦やヤクザまで、魅力的な人物たちをずらっと並べて、彼らの人生を、その彩なす織物のような人生模様を描くことに徹している。

 さらに、その人生の描き方だが、人間の相関図の中で、その人間を浮き彫りにする。その人の人脈を丹念にたどり、人、物、金の流れを追うのだ。ヤクザと政治家、左翼と右翼といった、思わぬ人との関わりを描くことで、その本質や問題を描く。これは一般にも有効な方法だが、地縁、血縁の強い沖縄だから一層有効だったことだろう。

 以上に述べた方法は、佐野が最も得意とするもので、彼はいつも人脈さがしから取材を始め、それらの人間を捜し出してインタビューする。そして、彼は、こうした過程で取材相手に激しく感情移入し、時には憑依するかのような迫り方をする。
 

 以上で、佐野の方法とその人気の秘密は明らかだろう。その方法は、本書でも「面白く読ませる」点では成功している。沖縄の全体像が浮かび上がり、戦前から戦後の沖縄の諸問題が立体的に見えてくる。天皇の関わり、基地の借地権、奄美への差別、ヤクザや政治家の動き、芸能プロダクションなど、知らなかったことばかりだった。

 しかし、ここには何がないかも明らかだ。あくまでも個人に光を当てているので、組織や運動、歴史や社会構造を理解することはできない。また、人間は地縁、血縁関係から描かれ、その思想は無視、軽視されている。正直に言って、本書は私には退屈だった。私の「アドレナリン分泌」は促進されなかった。

 いくつか、問題にしたいことがある。
 第1に、人物を、その人脈を描くことで示す方法の是非だ。それは、どこまで有効なのか。

 人の本質は、他者との関わりに現れ、その関係の総体が、その人に他ならない。それは真実である。したがって、その人脈をさぐる手法が有効なことは明らかだ。

 私も、最近、ある人を考えるときに、その出身地、出身校などの「出自」で、その人の根っこの部分がわかると思うようになってきた。しかし、それが淋しく、残念にも思う。それは、地縁と血縁(両親や親族)といった偶然のもので、人間の根底が決まってしまうことを意味するからだ。出身地は地縁そのものだし、出身校も地縁と血縁(両親の考え)で決まる。沖縄は島国で、こうした地縁と血縁が強いということなので、一層、こうした偶然の要素で決まってしまうだろう。

 しかし、それで良いのだろうか。私は、地縁と血縁に対しては、思想縁を対置したい。本人が自覚的に選択したものでない条件に対して、それを克服する可能性をさがしたいのだ。それを考えれば、調査はその人の思想縁に関係するような、先生、盟友、同志を、他の関係より重視するだろう。その思想が、地縁、血縁といかに闘ったかが中心になるだろう。

 しかし、こうした方向性は、本書にはない。そこには関心が向けられていないからだ。それが私にとって、本書が退屈な一番の理由だろう。

 本書で示された観点で面白かったことの一つは、「沖縄の芸能」を代表する人物として、多くの芸能関係者が瀬長亀次郎の演説を挙げていたことだ。瀬長は日本共産党に入党し治安維持法違反で3年の懲役刑を受け、戦後は沖縄人民党の結党に参加し、書記長になる。その後は那覇市長、日本共産党中央委員長、1970年からは7期連続で国会議員を務める。そうした人間が「芸能人」として評価されるのは、沖縄以外では考えられないだろう。

 この瀬長は本書でも取り上げられているので、さぞ面白い事実で埋め尽くされているだろうと期待する。しかし、それは完全に裏切られる。全体で650ページ、ヤクザ関係だけで150ページもある本で、瀬長の出てくる章は30ページ、しかもその内の瀬長に直接関わる叙述は10ページもない。思想の闘いはほとんど描かれず、獄中で家族宛に書いた手紙が届かなかった事実が書かれるだけだ。ここに、本書の駄目さが集約されている。私は政治向きのことだけを言っているのではない。それは省略しても、芸能としての彼の「語り」については詳しく展開してこそ、本書らしさがでたはずだろう。それがない。

 第2に、「大文字の沖縄」批判を取り上げたい。佐野は、大江健三郎や筑紫哲也らの書いた沖縄を贖罪意識で書かれた「大文字の沖縄」だと言う。それは沖縄を聖化し現実をとらえない。それは結果的に沖縄を愚弄することになるし、「それでどうしたの」といった感想を持つ。そう言うのだ。

 そして、それに対置しているのが、佐野自身のルポで、それが「小文字の沖縄」だという。しかし、その実態はすでに述べたものであって、私は「それでどうしたの」といった感想を持つ。

 「小文字の沖縄」とは、概念的な「大文字の沖縄」に現象的な把握が対置されているのだろうが、両者は本来は敵対するものではなく、相互補完的なものだろう。問題は、どちらが重要かではなく、それが概念的でも、現象的な把握でもよいから、そのレベルであり、それが対極の理解にどれだけ貢献できるかだけだろう。

 その時に、書き手の動機に焦点を当てることは不毛だと思う。佐野のように「好奇心」からでも大江のように「贖罪意識」からでも、動機はどうでもいいと私は思う。誰もが、自分の問題意識から始めるし、その得意な方法で対象を捉えようとする。そこには問題はないだろう。問題は、結果であり、どこまで対象の本質に迫れたかだけではないか。それには動機以外にも検証すべきさまざまな要素がある。問題意識の強さもあるし、その人の歴史や政治、経済の知識、活動力や取材力、何よりも認識能力に大きく依存する。その結果を問題にするときには、これら全体とその関係を問うべきだろう。

 小林よしのりは大江の動機を「自分だけは善良な日本人だ」と宣言したいと推測している(と、佐野は書く)ようだが、大江の全体像を示した上で言っているのだろうか。佐野は、自分の「小文字の沖縄」を持ち上げるが、私にはそれほど本質に迫れているように見えない。それは佐野の認識能力が低いからだと思う。

 例えば、佐野は、日本の高度経済成長を、戦時中の満州国の建設との関連でとらえ、「失われた満州を国内に取り戻す壮大な実験」だったと言うのだ。しかし、それは倒錯した議論だろう。

 一次産業から二次産業への転換、工業化の発展に必要だった条件(地縁、血縁から解放された自由な資本と労働力、大地主制からの農地解放など)が、戦前に国内にはなかった。それは戦後の占領軍統治下で実現し、それゆえに高度成長が可能になった。暴力で中国から奪った満州と、自由を求めて満州に飛び出した人々は、こうした条件を満たしていた。そこで高度成長の先取りのようなことが行われていたということだろう。もっとも、戦後になって「満州」はほとんど無視されてきたから、それに光を当てるのは必要だ。しかし、それを必要以上に持ち上げるのはおかしいと思う。

? なお、本書で、沖縄での創価学会(公明党)の力を指摘しているのはなるほどと思った。創価学会は高度経済成長下の農村出身の工業労働者が、地縁血縁から切り離されたことを代償するためのものだからだ。

1月 27

 鎌倉の近代美術館で「関合正明展」を見た。良かった。久しぶりに、「欲しいな」と思った絵だ。

 今回の鎌倉行きのお目当ては、近代美術館の鎌倉館で行われている「所蔵展」で、大正期から昭和の日本近代洋画の逸品を見ることだった。何度も来て、何度も見ているが、それでもまた来たくなる。萬鉄五郎、岸田劉生、関根正二、梅原龍三郎、三岸好太郎、松本竣介、麻生三郎。関根正二に萬鉄五郎のような南画風の絵があることを初めて知った。

 「おいしかった」と心地よくなってから、いつものように、鎌倉別館にまわる。そこでたまたまやっていたのが「関合正明展」。知らない画家だった。

 童女の小さな絵、海と岸辺、桜島噴火、ポルトガルの風景、山と森林、1枚を除くと、どれも小さな画面のものがずらりと並んでいた。噴火のような過激な題材はあるが、どれも静かで、こころの奥底までしみてくる。「好きだな」「いいな」とつぶやきながら一巡した。そして、もう一度、ゆっくりと見て回る。

ペニシ風景

ペニシ風景

 その形、空や海や山肌の色使い、厚塗りの画面。その心地よさは、須田国太郎が私に与えてくれるものに近い。「懐かしさ」が、私のこころの奥底にあるものを引き出し、それに形と色を与え、成仏させてくれる。

 彼については、以下のような説明がHPには掲載されている。今回が、「初めての公立美術館での回顧展」とあるように、孤立した画家だったようだ。

 関合正明(せきあいまさあき)は大正元年(1912年)に東京の明石町に生まれ、川端画学校で学んだのち27歳で中国大陸に渡りました。そして満州国の文教部嘱託画家として働きながら満州国主催美術展覧会での特賞を受け、一躍注目を浴びるなか「黄土坡美術協会」を結成します。終戦により帰国し、1947年から2年間のみ国画会に参加した後は完全に画壇をはなれ、挿絵や装丁の仕事のかたわら個展での作品発表と句集・随筆集の執筆にいそしむ独行の画家・文人として、その闊達な人柄と相まって静かに熱烈な支持者を増やしていきました。

 多くの交友関係のなかでも、満州時代に知り合い、『青い雲』(1969年読売新聞連載小説)や『リツ子・その愛』『リツ子・その死』などで挿画を提供した小説家の檀一雄との交友は、戦後ふたたび画家を海外へと連れ出します。

 1970年にポルトガル在住の檀に招かれ渡欧したのを機に、ヨーロッパやカナダ、韓国、インドネシアで描かれたスケッチをもとに、味わい深い風景画の佳品をつぎつぎに生みだしました。また晩年、1974年に北鎌倉に閑静な住まいを構え、なにげない日常の事物にも鋭いまなざしを注ぎ、ますますその画境に深まりをみせることになります。

 その非凡なデッサン力はさりげないカットにもうかがえ、底光りする魅力を放っています。

 今回の展覧会は、2004年に亡くなった関合正明の画業を紹介する、初めての公立美術館での回顧展となります。油彩、水彩、パステル画、素描、挿絵や装丁の仕事、写真資料など約100点を展示いたします。

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2008/sekiai/
2009年1月4日から3月22日(日曜)まで
会場 神奈川県立近代美術館 鎌倉別館

1月 27

1月19日からの開始(以降、毎週月曜日)
前半が「ヘーゲルの原書講読」、後半が翻訳を読んでいます。

1)5時半より ヘーゲルの原書講読 『精神現象学』序文

ズーアカンプ版全集の第3巻と牧野紀之訳『精神現象学』(未知谷)を手がかりにします。
『精神現象学』序文。初回は34ページ上から17行目からです。
2ページほどを予習してください。

2)7時半より 日本語の翻訳でヘーゲルの『法の哲学』(中公バックス世界の名著版か、中公クラシックス版)を読んでいます。

『法の哲学』はヘーゲルの「近代社会論」です。
昨年は第3部の「家庭」「市民社会」「国家」論から読みました。それを終えて第1部にもどり、その第1章まで読みました。今年は第1部の第2章「契約」から読みます。初回は、第2章「契約」と第3章「不法」を範囲とします。数回で読み終え、その後は『精神現象学』の本文を読む予定です。

1月 27

 現在、私たちの社会は大きな転換期を迎えています。高度経済成長はすでにはるか昔に終わり、全く新しい世界が生まれています。にもかかわらず、以前の制度や価値観、意識が今も支配しています。もちろん、あちらこちらで、既成の枠組みは破綻を示し、そのきしみが、あらゆるところから響いてきます。新たな世界をとらえ、それに対応する制度を作ろうと、一部の良識的な方々が努力はしています。しかし、誰もそれに成功していません。読者のみなさんは、こうした世界に放り出されているのです。

 こうした時ほど、射程を長くして、今の時代の根底からしっかり考え直したいと思います。それは「近代」を徹底的に考え抜くことだと思います。「現代」は「近代」の一局面でしかありません。

 ヘーゲルは、近代の原理(概念)をとらえることに成功した最初の哲学者だと思います。彼は、私たちにとっての最強の道先案内人だと思います。