6月 05

「ふつうのお嬢様」の自立 全8回分の第2回

江口朋子さんが、この春に「修了」した。
その修業に専念した6年間を振り返る、シリーズ全8回中の第2回。

■ 本日の目次 ■

心動くものだけと向き合った6年間 ―鶏鳴でやってきたこと― 江口朋子

(1)何のために振り返るか
(2)ゼロから始めた
(3)自分の関心は一貫しているのでは
(4)対象理解の問題
(5)自分の関心の対象と、その対象への切り込み方
(6)引きこもりの必要

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◇◆ 心動くものだけと向き合った6年間 
―鶏鳴でやってきたこと―       江口朋子 ◆◇
                               

(1)何のために振り返るか

 振り返りの文章を書く目的は、6年間鶏鳴でやってきたことは、結局自分にとって何だったのかを考えることである。なぜそれが自分にとって今必要かといえば、その答えがこれからの自分を支えるだろうと思うからである。逆にいうと、いくら中井さんから修了を認められても、自分の側に自分はこれを鶏鳴でやってきた、これを自分のものにしたと言えるものがはっきりしていなければ、修了の意味がないだろうと思ったから。

(2)ゼロから始めた

 他のゼミ参加者と比べて、自分は本当に中身の何もないゼロからのスタートだったと思う。例えば、同時期に師弟契約をした守谷君は、高校生の頃から大学卒業後の進路を意識し、大学に入ってから意識的に活動をして、そこで得た問題意識を基に鶏鳴で学んでいたし、他の人でも、それが表面的なものであっても一応自分はこれに関心を持っています、というものを持って参加してきた人が多かった。
しかし自分には「これに関心がある」と言えるものが4月の時点で何もなかった。大学4年の夏休みまで大学院に行くつもりで、教授にも院試のアドバイスをもらっていたぐらいだから、それまでの大学生活で自分の興味関心を本当のところで意識していなかった。だから最初はほとんど中身が空っぽの状態で、自分が何に興味があるかわからず、そもそも興味が向くもの自体なかった。
 だから最初の1年は自分の関心以前に、現状を理解することで精一杯だった。大学院進学を辞め、それまでの友人と関係を切り、親とも話し合いでぶつかるという、それまでと逆の方向に走り始めた自分の状態を、自分で理解するのに精一杯だった。

(3)自分の関心は一貫しているのでは

 今まで、自分の関心はあちこちに飛んで、もちろんつながりはあるが、それまで出ていなかったものが急に出てくるような唐突さがあるとどこかで思っていた。しかし今回、改めて過去6年間の報告や文章を読み直すと、自分の関心は奈良に行った時から基本的に変わっていないのではないかと思った。例えば、地形に対する興味はこの時既にあり、山の辺の道で見た周りの山の稜線や、比叡山の帰り道に見た琵琶湖と周囲の山とのでこぼこさ、日本庭園と背後の山との関係が面白いと書いている。
 また、今回読み返して驚いたが、短歌のことも06年に既に出てきていた。出羽三山に行く途中の電車の窓から日本海を見て、「大磯の礒もとどろに寄する波 われてくだけて裂けて散るかも」という短歌を思い出したと書いている。

 しかし一方で、過去の文章を読みながら、展開が急だったり、強引に思えるところも度々あった。例えば、2007年11月に、いったんそれまでを振り返り、自分の関心を改めて奈良滞在で見た日吉大社の石橋だとはっきりさせ、民俗学や民俗宗教の視点から石を考えるところまではよくわかる。しかしそのあとに、民俗学に対する不満(石を決まった枠組みでしか見ていない)から、地質学・地球物理学における石にテーマが移るのは、やはり急だと思う。人間が作る石橋と、その素材である自然石は別のものであるから、最初の石橋への興味はどこに行ったのかということになりかねない。またその後に、ヘーゲルの著作を読んだ影響もあって、石の生成の必然性を展開したいと試行錯誤し始めるが、これはかなり無理があることをやろうとしていたように思う。
 しかしそうした無理や強引さや、その時々のテーマの変化の急さも含めて、自分の関心が向けられている対象ははっきりしていて、それに対して手を変え品を変え何とかアプローチしようとしているように思えてならない。自分の興味ある対象に向かって、どう切り込んでいったらいいかわからず、試行錯誤し、時間がかかったように思える。

(4)対象理解の問題

 自分の場合、ある対象に心が動かされると、その対象に自分が乗り移りかねないほど、対象にひきつけられてしまう。対象と一体化してしまうとも言えるかもしれない。強い感覚的な反応でもある。例えば、奈良滞在について書いた文章や、地形の文章でもいいが、自分は見たものをまずそのまま描写する。それは、始めはそれ以外に表現のしようがないからでもあるが、対象を描写すれば、それがそのまま自分の心の動きでもあるからだ。
 これは対象理解の話と関係するかよくわからないが、師弟契約をした1年目、友人や親との関係が変化した時に、自分はひたすら地球や生物の進化に自分を重ね合わせていた(05年7月?10月)。それまでの自分がいったん崩され、人間関係も変わって新たに自分をつくらなければならなくなった時、誰でも自分と似たものに自分を重ね、自己理解をしようとするはずであり、私も地球の進化の前にマルコムXの自伝を読み、彼の生き方を自分にひきつけて考えていた。そういう風に、ある人物を自己理解の参考にするのはよくわかるが、地球そのものや地球の生物に自分を重ねるというのはどういうことなのだろう。その後の、テーマの変遷にも関係しているのだろうか。
しかし対象を深く理解するためには、いったん自分と対象を切り離し、対象それ自体として見なければならない。これが自分には苦手で弱いのではないだろうか。例えばイサム・ノグチについても、彼のアトリエで見たままのもの、例えば彼がつくった庭や周りの屋島や五剣山など地形との調和には心が動かされる。しかし、そうしたアトリエを作った彼の人生、時代背景となると、関心が薄れてしまう。総じて歴史、経済、法律、社会に対する興味が片寄って少ない。
 08年から「石とは何か」というテーマで自然科学の視点から論文を書こうとしてきた。普通に考えると、自然科学の知識を応用するということは、対象を自己と切り離し、対象としてありのままに理解することに他ならないように思える。自分でもそう思ったから、このやり方を選んだはずである。しかし私の場合、どうもうまくいかなかった。このあたり(08年以降)のことはまだまだ意味づけができない。

(5)自分の関心の対象と、その対象への切り込み方

 6年間を振り返ると、確かにその時々の変化に意味があると思うし、特に「石とは何か」というテーマで論文を書けず、地形とは何かも途中のまま、急に短歌が出てきたというこの約3年の流れは、一応12月の時点で意味づけを報告に書いたものの、自分でもよくわかっていない。なぜ今短歌なのかと聞かれても、納得いく説明はできない。
 しかし、石から地形、地形から短歌という変化にどう意味があるということは、今の自分にとっては正直どうでもいい。それは、今いくらかんがえても仕方がないという意味だ。これから短歌の道を進みながら、考えていくしかないと思う。ヘーゲルが、確か『精神現象学』で、ある運動そのものが必然的であるならば、その運動によって生まれたもの、つまり成果もまた必然的なものになると言っていた。自分はまだ運動を展開している最中であり、その成果が出ない限り運動の意味は本当には考えられない。
 今の自分にとって重要なことは、この6年間で自分の関心はひとまず出し尽くしたと言えることだ。自分の中のアンテナを常に意識し、興味が向けられるものは一つ一つ取りあげ、報告や文章で発表してきた。中身の空っぽの状態から始めた自分にとっては、何かに興味をもつということは、同時にそれに対して感じたことや考えたことで自分の中身を埋めていくことでもあった。
しかも、今自分の中にある関心、具体的にいうと6年間の文章で関心をひいたものとして取りあげた一つ一つの対象は、どれも本当に自分の心が動き、身体が反応したものである。興味がないのにあるような振りをしたり、ごまかしたものはない。それは、師弟契約をした時にはっきり意識したことで、今まで自分はやりたくない勉強を嫌々やったり、周りに合わせて何となくやり過ごしてきたので、これからはそういうごまかしはしないと決めていた。
従って、鶏鳴で何をやってきたかと聞かれてまず思い浮かぶのは、何より自分の実感に従って、自分が何に強くひかれ、逆に何に関心が弱いかを、自分に対してはっきりさせてきたということだ。今の自分が持てる関心は出し尽くしたと思う。これは自分のテーマを作る上で、一つ必要な段階ではないかと思う。しかし一方で、それは興味・関心という言葉に留まり、自分のテーマがはっきりしたとまでは言えない。テーマとは1つの疑問文の形にまとめられるものだという牧野さんの言葉があったが、それはただ形だけ整えればいいのではなく、それまでの自分のあらゆる関心がそのテーマに統合されることを指しているのではないかと思う。
 その意味では短歌は自分のテーマではないが、しかしより大きい根本的なテーマに至るための小さなテーマとも言える。自分でもよくわかっておらず、説明が難しいが、自分にとっての短歌の意味は、自分の感じたこと、考えたことを表現するために有効(だと思える)方法であり、同時に対象に切り込むための武器というか道具でもあると思う。ただ自分の関心をはっきりさせるだけでは足りず、その対象にどう入っていくか、どういう方法で対象を理解するのかが問題になるが、自分が苦労していたのもこの点だったのではないか。イサム・ノグチや日本庭園、民俗学、石、地形など試行錯誤を繰り返したが、やっと「短歌」という方法に出会い、これならいけると思えた。しかしそう思えたのも、今までの失敗があったからではないかと思う。

(6)引きこもりの必要
 
この6年間、自分は実質的に引きこもり状態だった。付き合う人が量的にも質的にも限られ、文章など読んでいても、家族と鶏鳴以外に生身の他人がほとんど出てこない。これは自分の関心に集中し、余計なものに邪魔をされたくなかったからだが、そういう時期も人間の成長の一つの段階として必要だと思う。程度の差はあれ、多くの人が実質的な引きこもり状態を経験しているのではないかと思うが、どうだろう。例えば10代後半ぐらいに、特定の友人と必要以上に密着し、常に行動を共にしたりするのは、相手を自分の分身と見ているという意味で他人が存在せず、自分の中に閉じた引きこもり状態と言えないだろうか。
 重要なのは、引きこもること自体ではなく、むしろ風邪と一緒で引きこもりの期間をうまく過ごせるかどうかではないかと思う。自分の殻に閉じこもってはいけないとか、他人とうまく付き合わなくてはという無理をすると、後々問題が生じかねない。その意味では、自分は思う存分引きこもったと自信をもって言える。極力無理をしなかった。何もしたくない時は休み、鶏鳴のゼミを2ヶ月以上欠席したこともある。だからと言っていつも楽だったわけではないが、不思議とこれだけ引きこもれると、逆にもう外に出て第三者とぶつかっても何とかなるだろうと思えるし、外に出たいという気にもなる。それはやはり、本質とは他者との関係において現れるということと関係していると思う。自分ひとりでやれることにはどうしようもない限界がある。

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6月 04

「ふつうのお嬢様」の自立

祝・江口朋子さん「修了」

江口朋子さんは、私のゼミの師弟契約第1号である。それは2006年の4月だった。
その2年前から江口さんは鶏鳴学園で国語教育の研修を受けていた。卒論も私が指導した。その延長としての師弟契約だったのだが、それまでのレベルを、もう1つ上のレベルに高めたかった。
以前から、本来の師弟関係のあり方について考えていたが、そのアイデアを実行するための該当者がいないために、実行できなかった。江口さんがあらわれたことで、その可能性がでてきたことになる。
こうして、師弟契約第1号が生まれた。

それから6年がたち、江口さんはこの春に、めでたく「修了」を迎えた。修了でも第1号だ。
その江口さんに、この6年を振り返る文章を書いてもらった。
「心動くものだけと向き合った6年間 ―鶏鳴でやってきたこと―」は、「テーマづくり」を中心としたふりかえりであり、
「現状維持ではなく問題提起を目指せ ―中井ゼミの原則から振り返る―」は、私のゼミの原則からのふりかえりである。
中井ゼミの原則とは、若い方々の自立のための原則をまとめたもの。
 
この機会に、私自身も江口さんを指導した6年を振り返って文章をまとめた。あわせて掲載する。

江口さんは「ふつうの人」「ふつうの女子高生」「ふつうのお嬢様」だった。そうした読者の方々に、ぜひ読んでほしいと願っている。

■ 全体の目次 ■

温室から実社会へ出るための準備 ―鶏鳴で得た成果と課題― 江口朋子
心動くものだけと向き合った6年間 ―鶏鳴でやってきたこと― 
現状維持ではなく問題提起を目指せ ―中井ゼミの原則から振り返る― 

眠りから覚めたオオサンショウウオ
  ?江口朋子さんの事例から、テーマ探し、テーマ作りのための課題を考える?
            中井浩一

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5月 31

6月の読書会

 日時:6月18日(土) 午後3時より5時まで 鶏鳴学園にて 
 テキスト:山田孝雄『日本文法学要論』(書肆心水)・野村剛史「常識としての山田学説」(『現代の山田文法』(ひつじ書房)所収)
 参加費 三千円

6月の読書会では、山田孝雄(よしお)の文法書、および、野村剛史(たかし)の山田文法論を取り上げます。発表担当は松永です。

山田は、明治生まれの日本語学者で、日本語文法の研究者として、今なお最大の巨人と言われます。これまで言語学学習会で読んできた野村剛史(松永の指導教官)も、山田文法を継承しています。その批判的継承として書かれたのが、「常識としての山田学説」です。

山田文法の核心は、「文」は判断である、という文観にあります。「犬が歩いている」「山田は学生である」のような文の場合、対象(事実)としては一体であるはずのものが、主語と述語に分裂して表れます。それが判断の表現です。

しかしその一方で、山田は、「まあきれいな花」のような、話者の感動と対象が一体となって表れた文(喚体文)の存在も強く主張しています。ここには一見して、主語も述語もありません。するとこれは判断ではないことになります。

それに対して野村は、「まあきれいな花」の中にも、さらには名詞「花」の中にさえ、判断を見ます。

今回の読書会では、山田の本と野村の論文をテキストに、文と判断との関係をテーマとして考えます。考えるべき問題は、下記の諸点にあります。

・名詞の判断と動詞の判断の違い、両者の交渉
・描写と説明の違い、両者の交渉
・主語と述語
・主語ならぬ要素(目的語など)と述語との関係は判断ではないのか? 

※山田の本は、全体で280ページありますが、十五章「喚体の句と述体の句との交渉」まで(178ページまで)を扱います。野村の論文は、30ページ程度です。

5月 15

「子どもは親の所有物ではない。社会からの預かりものだ」

今回掲載したのは2008年に某雑誌に依頼された原稿ですが、家庭と学校の関係を人類の立場から原理的に検討しています。

モンスターペアレントや学校の校則や閉鎖性の問題について、いまだに解決の方向が見えない今、改めて、読んでいただきたいと思い、掲載します。

この考え方は、「原理的」であること、「人類」という視点、「発展の立場」から見ている点で、参考にしていただけると思います。

1. 時代の転換点
 学校に対して、理不尽な要求をする保護者が増えているらしい。その際の親の態度にも大きな問題があるようです。この問題については、小野田正利・大阪大教授が『悲鳴をあげる学校』で取り上げ問題提起をしてきました。その後この問題について様々な論者が論じるようになっています。
 しかしその議論はまだまだ混乱していて、問題の本質に十分には迫れていないように思います。ここらで問題を整理し、確認すべき原則や運営上のルールなどをはっきりさせる必要があるでしょう。
そもそも、こうした問題が起こり、その議論が錯綜するのは、今が時代の転換点にあるからです。そのために、学校も家庭も地域も、行政も政治も、この社会全体が目標を見失い、漂流しているのではないでしょうか。

2. 家庭が壊れている
 学校への理不尽なクレームや要求をする保護者が増えている背景には、明らかに家庭の変質、親子関係の変質があります。
 「子どもの親殺し」「親の子ども殺し」が盛んに報道されるようになりました。「子どもの親殺し」で私が一番不思議なのは、そんなに追いつめられているのに、なぜ家出をしないのか、ということです。本当にどうして彼らは家を捨て、親を捨てないのでしょうか。おそらく、子どもにはそうした発想すらないのだと思います。それほどに親子の一体化が進行している。そう私は考えています。
 一方の「親の子ども殺し」もそうです。児童虐待や育児放棄(ネグレクト)でも、親が子どもと一体化しているように思えてなりません。この対策として「赤ちゃんポスト」は有効だと思います。「殺す」前に、「他人(社会)に預ける」選択肢があることを示すことになったからです。子どもとの一体の世界から逃げる方法を、親にはっきりと示せたからです。
 昔から「わが子」という言い方がありました。親にとって子どもは自分の所有物のように感じられるようです。そこに他者が入ることのない一体の関係です。これは無償の愛ともなるのですが、自他の区別がなく、子どもが別人格であることを理解しないことにもなります。現代はこうした親子の一体化、共依存関係が進行しているために、子どもの親離れ、親の子離れが極めて困難になっています。
 他方で、この数年でビジネスマンの父親をターゲットにした子育て情報雑誌が多数出版されるようになりました。経済紙誌の「お受験キッズ誌」です。私立中高一貫校の受験に成功した子どもの家庭を紹介し、受験情報を提供するものです。
 これは児童虐待とは反対のあり方に思われます。しかし、親子一体の強化という意味では同じ事態が進んでいるのではないでしょうか。これまでの母子一体化に父親までが加わったのです。母子一体化を壊す役割は、他者(社会)を代表する父親が担っていました。その父親までが家庭の一体化に加担してしまうと、そこには他者がいなくなってしまいます。親離れ、子離れが極めて困難になっているのです。
 保護者から学校への無理難題が急増している背景に、こうした家庭の変質があることは明らかでしょう。

3. 学校の変質
 家庭の変質の一方で、学校を取り巻く状況もすっかり変わってしまいました。それは、時代が大きく変わったということです。高度経済成長の社会は終わり、低成長下で先の読めない社会になったのです。
 高度成長期の社会は単純でした。戦争に負け、皆が一様に貧しい中から始まり、皆が一生懸命に働きました。社会の目標は「豊かになる」ことで、それに向けて、上から下まで、皆が横並びで生活していたのです。こうした時代には、社会全体の価値観は単一で、そこでは教育の目標も明確でした。学校は社会的な価値観の体現者であり、地域のリーダーでした。
 しかし、そうした時代は終わりました。今はもう「豊かさ」は達成し、それゆえに社会の単一の目標はなくなりました。もはや皆が一律に横並びで生きることはできません。価値は多様化し、各自が自分の生き方を模索するしかないのです。
 学校には以前のような権威はありません。昔は学校は地域のリーダーで、保護者たちはみな従ってくれました。今は、学校と保護者は対等です。
 そうした中で、親たちからの学校への要求が問題になってくるわけです。価値が多様化した中で、学校と保護者が話し合う新たな原則、ルールが問われているのです。
 このことを確認するためにも、今の議論の不十分な点を挙げておきましょう。先ず第一に、保護者から学校へのクレームや苦情が増えていること自体を問題にする人がいますが、それは間違いだと思います。むしろ、それは大いに歓迎すべきことです。苦情が「理不尽」であろうがなかろうがです。多数の異論の表明があることは正しいことなのです。以前の主従関係よりも、はるかに高い段階になったのですから。問題は、その対応方法が確立していないことだけだと思います。
 第二に議論が保護者から学校への苦情の話に限定されていることを、指摘したいと思います。学校から家庭への懸念や苦情の処理の仕方と合わせて考えるべきでしょう。学校のチェックだけではなく、家庭のチェックも必要です。なぜなら、今の家庭は多くの問題を抱えているからです。特に、親子の一体性は大きな問題で、外にチェック機能が必要だと思います。それが学校や塾などに求められます。

4. 子どもの教育権は親にあるのか、学校にあるのか
 親と学校の関係を検討するために、原理的なことから考えましょう。この問題を突き詰めて考えると、ついには次の問題にぶつかります。子どもの教育権は親にあるのか、学校にあるのか。
 先ず、教育を家庭教育と学校教育とに分けて考えましょう。家庭教育とは主に小学校までに家庭によって行われるもので、しつけや生活態度、学ぶ姿勢など、すべての教育の基礎になるものです。この責任主体は親(親権者)です。
 学校教育とは、家庭教育の上に、社会に出ていくための基礎教育(読み・書き・そろばん、基礎知識)を行うもので、その責任主体は学校です。この学校は行政上は、教育委員会や文科省(国家)にもつながります。
 さてここで、この教育主体を、より根源的にとらえて社会、究極的には人類とまで突き詰めて考えておきたいと思います。子どもの教育権は人類にあるということです。一方の学習の主体も、直接的には子どもたちですが、これも究極的には子どもの学習権は人類にあると考えたいと思います。
 教育主体は人類である、とまで突き詰めて考えておかないと問題がおこります。もし家庭教育でその主体を親とするだけなら、一部のダメ親を肯定することになりかねません。学校教育の主体を学校や教員とするだけだと、一部の管理教育や、「自由」の名の下の手抜き教育を是認するだけになります。教育全般の主体を教育委員会や国(文科省)とするだけだと、文科省の言いなりの地方教育行政や、かつての排外的軍国主義教育の是認になりかねません。
 つまり、親も学校も、地域や国家も、人類から人類の使命を実現する一助としての教育を委ねられていると自覚し、繰り返しその使命を反省しつつ活動すべきなのです。
 私たち人間は、この社会を発展させるために生まれてきたのです。人類の使命に貢献できるように学習し、大人になってからは教育をする権利と義務も担っています。
 子どもは親の所有物ではありません。子どもは次の時代の社会の働き手であり、社会(人類)からの預かりものです。したがって、別人格として尊重し、大切にしなければならないのです。

5. 話し合いの原則
 以上を踏まえた上で、価値が多様化した中で、学校と保護者が話し合う原則を考えましょう。ここで大切なのは、一方で多様な価値観と思想の自由を認め合いながらも、その一方で社会の規律、ルールをしっかりと守り合うことです。この両者を混同せず、区別した上で守ることが重要になっています。
 保護者が学校に疑問を持ったらどうしたらいいのでしょうか。
 ?学校教育の主体は学校です。したがって、親は子どもを学校に預けた以上は、学校の裁量権の範囲内のことについては、学校の最終決定に従わなければなりません。
 ?ただし、最終決定までには、学校と保護者は十分な話し合いをする必要があります。
 同時に、家庭教育についても考えておきましょう。学校が家庭教育に疑問を持ったときはどうしたらいいでしょうか。
 ?家庭教育の主体は両親(親権者)ですから、学校は、両親の裁量権の範囲内のことについては、両親の最終決定に従わなければならなりません。
 ?ただし、学校と保護者は十分な話し合いをする必要があります。
 ここで「学校の裁量権」とは、学校教育における、憲法や教育基本法などの法律違反以外、学校が掲げている教育理念や教育方針などへの違反以外のすべてです。「親の裁量権」も、家庭教育における、憲法や法律違反以外のすべてのことになります。憲法や法律違反に関しては、本来は話し合いの領域ではなく、警察に任せるのが正しいと思います。
 さて、こうした原則から見て、今の現状はどうなっているでしょうか。学校教育について考えれば、今は?の面がほとんど理解されていません。しかしこれが守られなければ学校教育は成立しません。ただ混乱するだけです。この点は保護者にもよく理解してもらわなければなりません。そうした一方で「学校と保護者の十分な話し合い」が保障されなければなりません。しかし「十分な話し合い」を行えば、家庭教育が問われることもあるでしょう。問題があったときに、悪いのは学校だけとは限らないからです。家庭の責任が問われることも多いはずです。保護者の方々は、学校に向けた刃はそのまま自分に返ってくることを自覚しておくべきです。
 ところで、学校教育の問題では、「保護者は学校の最終決定に従わなければならない」と言いました。なぜでしょうか。
 学校が最終的な決定権を持つのは、学校や教師が「正しい」からではありません。それは簡単には決められないので、学校教育の権限を持つ側に委ねておくという意味です。価値の多様化が前提とされる社会では、どちらが「正しいか」はもはや議論で決めることは無理だからです。
 ただしその時に考える基準として、学校や保護者の都合ではなく、当の子ども本人にとって一番良いことは何かを考えて欲しいと思います。そしてその際にも、人類の使命にまで立ち返って考えてみてほしいのです。
 子どもとは何なのか。子どもは親のものなのか。子どもは誰のものなのか。子どもを教育するとはどういうことなのか。家庭教育とは何か。学校教育とは何か。教師と子どもはどういう関係であるべきか。親子はどういう関係であるべきか。
 こうした本質的な問題の正解があるわけではありません。しかし、繰り返し意見交換をしていくべきです。閉じた学校を開き、閉じた家庭を開くためです。相互に、自らの使命を繰り返し反省するためです。
 
6. クレームの「窓口」を設け、議論をオープンにする
 最後に、すぐにできる、現実的な対策を提言します。学校には、苦情を受け付ける専用「窓口」を設けたらよいと思います。窓口の担当を置いて、学校が責任を持って対応すべきです。決して、当事者の教員個人にまかせっきりにしてはなりません。校長以下、学校全体で対応する覚悟を持つことです。
 そして、そこで行われている議論は、個人情報に配慮しながら、できる限りオープンにすることです。どんな苦情があり、どう回答し、どう解決したかを公開するのです。「通信」などで保護者たちにフィードバックし、保護者全体での議論を作っていくのです。場合によってはホームページ上に公開するといいと思います。
 閉じた場で議論するのではなく、できる限り、オープンにしなければなりません。変な議論は密室故に起こるのですから。
 私たちは、価値が多様化して、一切の権威が失われた社会に生きています。その中で、相互に考えを深め合い、子どもを見守っていける仕組みを構築することが求められているのです。

 (拙稿をまとめる上で、思想家の堺利彦氏と牧野紀之氏の論考を参考にさせていただきました。記して感謝します。)

5月 14

アリストテレスの『形而上学』から学ぶ その4

 ■ 本日掲載分の目次 ■

(8)アリストテレス哲学の核心 全世界の発展における始まりと終わり

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◇◆ アリストテレスの『形而上学』から学ぶ 中井浩一 ◆◇

(8)アリストテレス哲学の核心 全世界の発展における始まりと終わり

 本稿の(1)では、アリストテレスの核心を次のように述べた

 「【1】個別と普遍(本質)の問題と、【2】変化・発展の問題と、
  【3】全世界の構造、神から物質までの階層、順番の問題。
  この3つの最も根源的な問題を3つともにとりあげていること
  もすごいのだが、それらを1つに結びつけていることが、その圧倒的な高さだ。

  この【1】は誰もが問題にする。この【1】に対するアリストテレスの答えは
  並の答えで、すごいのは、この【1】と【2】とを結びつけて論じたことだ。
  【1】と【2】を、同じ事態の2つの側面としてとらえた。
  その結果、【3】を説明することができたのだ」。

 本稿の(2)では、アリストテレスの課題はプラトンから
イデア論を学んだ一方で、プラトンのイデア論では
運動の説明ができない点を克服することだったと述べた。
言い換えれば、イデア論の限界を、イデア論を発展させることで、
乗り越えること。

 それはどのように行われたのか。
それこそが、『形而上学』の核心部分であり、
【1】?【3】の3つの問題を統一的に解く回答がそこに示される。

 アリストテレスの回答は、端的に言うと次のようになる。

 プラトンは、現実の個物にそのイデアを対置し、イデア研究を目的とした。
アリストテレスは現実の個物にこだわり、その運動を説明したかったので、
個物には、形相と質料のセットを対置した。プラトンのイデアの代わりに、
この形相と質料のセットを置き、この両者が現実性と可能性として
運動すると説明した。その運動の結果が個物である。
形相とはイデアと言い換えても良いので、質料こそがアリストテレスの
創案と言えると思うが、質料の設定は、イデア論への反駁のためであり、
運動を説明するためなのだ。そして、質量から形相への運動によって、
全世界は初めて構造的に体系化された。

 以上は、『形而上学』においてどのように展開されるか。

 まずアリストテレスは、第1巻の3章で、『形而上学』の目的は
始源的な原因の認識だとする。そしてその原因として4つを提示する。

 a)実体であり、「なにであるか」、
 b)質量であり、基体(主語)である、
 c)「物事の運動がそれから始まるその始まり」(始動因)、
 d)「物事の生成や運動のすべてが目指すところの終わり」(目的因)。

 このa)とb)を、7巻の3章でまず取り上げ、それ以降の章でそれに答える。
これが、【1】の個別と普遍、現象と本質の関係の問題である。
その上で、8巻でそれを捉え直して、個別の運動についての
c)始動因と、e)目的因の説明をする。
それを展開するのが8巻と9巻であり、以上が【2】の変化・発展の問題である。

 この個別の運動の説明を踏まえて、アリストテレスは進化の全体像、
生物などの分類の全体像を示すのだが、7巻の12章で分類の原理が示され、
実際の展開、特に神や天体の運動までの広がりは、9巻の8章で描かれる。
以上が【3】の全世界の構造、神から物質までの階層、順番の問題である。

 以上がアリストテレスの回答であるから、『形而上学』の核心部分とは、
7,8,9巻であることがわかる。
これを実際のアリストテレスの叙述に即して、見ていく。

 まず、始元的な原因を考える上で、判断の形式、「定義」「説明方式」が
前提であり、判断論(定義)の主語・述語関係からすべてを考えていく。

 アリストテレスは、事物を実体と属性にわけた時に、
判断の主語に来るのが実体で、述語にはその属性が来ると考える。
主語の位置に来る言葉、つまり基体=主語で、決して述語にならないもの、
つまり「実体」としては、結局は、以下の3つが導出される(7巻3章から6章)。

  【1】 質料
  【2】 形相
  【3】 個別(質料と形相の2つから成る)

 もちろん3つは、それぞれで、その「述語にならない」と言う意味は違う。

 「個別」はすべての個別が相互に異なっているのだから、
ある個別が主語の文の述語に他の個別はおけない。
「質料」は、それ自らは不可認識的で、規定することができないと、
アリストテレスは言う。
「形相」は、規定そのものだが、それはすべての述語を含んだものなので、
述語にはならない(とアリストテレスは考えているようだ)。

 この3つの関係を、判断の形式における部分と全体の関係で分析しながら、
アリストテレスは結局、形相を質料に内在化するものとしてとらえ、
質料と形相の結合体が個別であり、この個別においてしか
生成・消滅の運動はないとした。(7巻10章から12章)

 そして、個別におけるこの3者の関係が、運動の観点から捉え直されるのが8巻である。

 8巻の第2章で、個別を形成する質料と形相の内の質料を「可能的存在」とし、
形相を「現実的存在」と捉える。ここで運動とは、可能性から現実化への
転化としてとらえられ、その質料と形相の結合によって、個別の運動が説明される。

 ここで、質料=可能的存在、形相=現実的存在とする理解には、
驚くのではないか。世間の常識とは一見反対に見えるからだ。
質料は物質のような材料として、直接に存在するもので、
形相は最初は目に見えない。だから、質料が現実的で、
形相は可能性でしかないというのが普通の理解だ。
それが逆転しているところに、アリストテレスの独創がある。

 質量は確かに存在しているが、実現するものの材料でしかないから、
その面からは可能性でしかないのだ。
一方、形相とは、その材料によって実現されるもので、
可能性(材料)を現実化するものこそを現実的なものだと、
アリストテレスはとらえる。

 これは「始まり」「終わり」の理解に関わる。
「終わり」は、もし「始まり」に内在化していなければ、出てこないはずだ。
逆に言えば、「始まり」に何が内在化されていたかは、
「終わり」で明らかになる。つまり「始まり」は「終わり」であり、
「終わり」は「始まり」である。
ここに、ヘーゲルの発展観の芽がすでにあることがわかるだろう。

 以上は、個別の運動の説明方式だが、それを全体として展開すれば
この世界の構造が示されるはずだ。

 生物や、物質などの自然界は、アリストテレスによって、
徹底的に分類され、秩序化された。それは類と種の関係性による。

 類は種差によって種に分化されていく。その種も次のレベルにおける類として、
次のレベルの種差によってまた種に分化されていく。

 ここで、類が質量であり、種差が形相であり、それによって分類される種が
個別なのである、この種は新たな類であり、新たな質料としてとらえられる。
その類(質料)は、次のレベルの形相による種差によって、
次の個別=さらに新たな質料=新たな類へと展開する。

 こうして質量から形相への運動が、ここでは類とその種別化になり、
この自然界と全世界の構造をあらわすことになる。

 ある類の後には同じ原理で分化が繰り返され、
種別化が展開し、それが無限に続く。
その類の前にも同じ原理で、前のレベルの類へと無限にさかのぼれる。
そうしたときに、類を遡れば、一番最初の類が想定され、
それは質量だけの存在になるはずだ。

 他方、最後まで展開し終わった時に、形相のすべてが現れるはずだが、
その形相は実は、真の始まりであるから、この世界の始まりには
形相だけの存在が想定され、それが「神」「不動の動者」になる。
これがアリストテレスの世界観である。

 以上で、当初の問題のアリストテレスの回答が示された。
ここに初めて、【1】個別と普遍(本質)の問題、【2】変化・発展の問題、
【3】全世界の構造の問題、この3つのレベルを統一して、
1つの原理で貫く思想が生まれた。これがヘーゲルに決定的な影響を与えている。
ヘーゲルの「概念」は、アリストテレスの純粋形相(神)を捉え直したものだろう。

 しかし、アリストテレスとヘーゲルの決定的な違いがある。
それは人間の捉え方だ。
アリストテレスは、人間をどこにどう位置づけられたか。
『形而上学』の9巻の最初に、人間の特殊性が述べられている。

 9巻の第2章では、無生物と生物と人間の3者が比較され、
人間の本質は「思考」だとされる。つまり、人間の認識の運動だけは、
他の運動と全く違うとされる。人間だけが、1つの条件から、
2つの相対立する結果を導くことが可能で、それが選択(31ページ)になる。
そこに人間の、必然性からの自由の可能性を見ている。

 しかし、アリストテレスが到達できたのは、ここまでだった。
全世界の発展の中で人間が果たす役割の意味を明らかにできなかった。

 この人間の本質を、全発展の中に、全自然史の中に位置づけ、
その核心部分として捉え直したのが、ヘーゲルなのだ。
ヘーゲルは概念(神であり純粋形相)から始まった全自然の外化の運動が、
その外化の中に人間が生まれることで、その運動自らが、
外化の一方で内化の運動を始め、外化と内化との統一の運動が始まるとした。
そこが大きな転換点であり、それが人間の意味なのだが、
こうした往還運動が可能になったことで、概念の運動が
真に外化と内化の統一になる。

 アリストテレスにはこうした理解がなかったために、
外化の運動と内化の運動が統一できず、神を不動の動者として
設定するしかなかった。世界全体が運動する中に、運動しない固定点を
設けるという決定的な矛盾が起こるのは、人間という転換点を
理解できなかったからだと思う。

 ヘーゲルはその矛盾を解決することで、アリストテレスの世界観を
完成させたと言えるのだろう。それは近代社会を切り開くことにもなった。

 ちなみに、ヘーゲルの論理学全体では、アリストテレスの
自然研究の実証的側面は存在論の中で取り上げ、
アリストテレスが批判した「1」や数学は、存在の中の
量の箇所で取り上げている。それらは本質論以降に止揚されていく。

 アリストテレスが問題にした【1】【2】【3】の観点については、
【1】は本質論の前半、【2】は本質論の現実性で展開され、
その終わりに【3】が出ている。それらが概念論の主観的概念で、
再度判断論の中で展開される。ヘーゲルの判断論では、
質の判断、反省の判断、必然性の判断、概念の判断と
4つの段階に発展するが、これが【1】【2】【3】の展開
そのものになっている。さらにそれが推理論で、展開されている。
もちろん、こうした主観的概念から客観性が生まれ、理念が生まれて終わるのだが、
それによって、アリストテレスの全世界を完成させたつもりだったろう。