9月 25

高校作文教育研究会10月例会

今回の例会では3つの報告を予定しています。
1つめは生活綴方運度の歴史と思想を、大田堯氏の論文をテキストにして学習します。今、私たちが直面している問題のほとんどすべては、個々の先人たちも直面していた問題であり、先人たちはめいめいがその苦闘からそれぞれの解決策を模索し、さまざまな議論が行われました。そしてその過程から少しずつ理論と実践を深めてきました。その歴史から学ばないものは、低レベルの実践を繰り返すだけだと思います。この学習会は3回連続で行う予定です。
2つめは、中俣勝義さんいよる、鹿児島の看護専門学校での実践報告です。そこには、今の日本の貧困問題が横たわっています。この問題と正面から戦っている実践です。
3つめは私(東京の私塾・鶏鳴学園 中井浩一)の実践と問題提起です。高校段階でもしばしば経験したことにちて書かせると思いますが、その意味や、その書かせ方(文体など)について考えてみたいと思います。

みなさんの実践に参考になるヒントがたくさんあると思います。どうぞ、みなさん、おいでください。

1 期 日    2014年10月19日(日)10:00?16:30

2 会 場   鶏鳴学園

3 報告の内容

(1) 生活綴方の歴史と思想を学ぶ(第1回)
                                          茨城 古宇田栄子

 戦後、生活綴方はどのように復興し、教育運動の中心的存在となっていったのか。生活綴方の基本理念とは何か。著名な教育学者大田堯氏の次の論文を読んで、生活綴方の歴史と思想について学習します。
 『大田堯自撰集成』第2巻第?章生活綴方の思想 P271?363  
 第?章には次の4本の論文が入っています。
?戦後の教育運動と生活綴方 P271?283  13頁
?地域の教育計画(注:若い教師NのT村における実践) P284?335 52頁
?生活綴方における「生活と表現」ー佐々木昂の仕事をふり返りながらー P336?P354 19頁
?人間的なものと科学的なものー『山びこ学校』をめぐって P355?363 9頁

全体で93ページと長いものですので、3回に分けます。今回は、?、?について学習します。
 あらかじめ資料をお送りしますので、読んできてください。
 参加予定者は10/5までに古宇田までご連絡ください。すぐに資料をお送りします。6月例会参加者にはすでにコピーを配布してあります。

(2) 貧困の自己責任論を乗り越える
                         神村学園専修学校非常勤講師 中俣勝義

 桜子は『蟹工船』を学ぶなかで、なかなか労働者の実態、ましてや自分の家の暮らしには目を向けようともしなかった。そこには根強い「いくら頑張ってもダメな自分」という「自己責任論」が影を落としていた。
 生活綴方とは、何よりも生活意欲の喚起であり、生活をよりよくしようとする気持ちを育てることでなければならない。とすると、桜子にその手立てはあったのか。
 今回は、『蟹工船』という文化をもった学生が暮らしを書くなかで、ダメな自分を乗り越え、自分たちをダメにしている社会を変えようと、少しだけど考え始めた桜子のことを語りたい。
 併せて、多感な思春期に、どんな文化を身につけさせることが大事かをも提起しておきたい。

(3) 経験を描写で書く
東京 私塾・鶏鳴学園 中井浩一

高校段階でも、さまざまな機会に経験を書かせていると思う。「自分史」や生活経験を見つめる作文、行事やクラブなどの作文、職業体験や社会活動などの作文。
では、その作文はどのような文体で書かせているのだろか。小説のように描写を中心に書かせているだろうか。それとも意見文のような文体で書かせているのだろうか。
否、ほとんど無自覚で、何ら指導がないままに適当に書かせているのではないか。
経験の作文を、どのような文体で書かせるかは、その指導目標や、表現指導全体で何を目標にするかに関わる問題だと思う。
経験を書くように求めると、高校生は、普通は意見文のように書く。それの何が悪いのか。小説のように描写を中心に書かせるのは、何の目的があるのだろうか。
実際の指導過程と成果(生徒作品)を検証し、この問題を一緒に考えていただきたい。

4 参加費   1,500円(会員無料)

5月 14

高校作文教育研究会6月例会

表現指導には、実にさまざまな取り組み方があります。また、高校には多様な学校があり、多様な生徒たちが学んでいます。そうした多様な実態と、その中から生まれている多様な実践、多様な生徒作品。それらと向き合いながら、表現の可能性を広く、深く、考えてみたいと思います。

2月は3つの報告を予定しています。1つめは福島県の矢澤郁代さんの報告。農林高校の森林環境科の生徒が「聞き書き甲子園」に参加した経緯や成果を生徒2人自身も参加して語ってもらいます。
2つめは神奈川県の冨田明さんの報告。3年生全員に夏に志望理由書書かせました。学年全体での取り組みの報告です。
3つめは東京の正則高校の宮尾美徳さんの報告。高3生の読解と表現をつなが、そこから進路指導に取り組んだ実践の報告です。

みなさんの実践に参考になるヒントがたくさんあると思います。どうぞ、みなさん、おいでください。

参加希望者は、鶏鳴学園まで事前に連絡をください。

1 期 日    2014年6月8日(日)10:00?16:30

2 会 場   鶏鳴学園
〒113?0034  東京都文京区湯島1?3?6 Uビル7F        
 電話 03(3818)7405
 FAX 03(3818)7958
 メール keimei@zg8.so-net.ne.jp 
ホームページ http://www.keimei-kokugo.net/
       ※鶏鳴学園の地図はホームページをご覧ください

3 報告の内容

(1) 「聞き書き甲子園」に参加して  
福島県立会津農林高等学校 矢澤郁代

 本校赴任3年目となりました。赴任1年目、1年生対象に保護者に対する聞き書き「働くということ」を課しました。聞き書き、そしてクラス全体での読み合わせを通し、働くということ、親子関係について考えを深めるよい機会となりました。
2年目となった昨年、新1年生には同様の取り組みを行い、新2年生には自分が興味を持っている職業に就いている社会人に対する聞き書き「働くということ」を課しました。
それと同時に、森林環境科(本校は農業園芸科、森林環境科、食品加工科の3科からなる)の生徒たちに対して「聞き書き甲子園」(きこりや造林手、炭焼き、漁師や海女、船大工など、森や海、川に関わる分野で様々な経験や技術を先人たちから受け継いでいる名手、名人を訪ね、知恵や技術、人生そのものを聞き書きし、記録する活動)への参加を呼びかけたところ、4名の生徒が希望し、2名の生徒が参加しました。
今回の発表では、その2人の生徒が「聞き書き甲子園」に参加しようと考えた理由から、レポートをまとめ上げるまでの過程、そして内面の変化を報告いたします。

(2) 3年夏に志望理由書をつくる―学年全体での取り組み
神奈川県立上溝南高校・冨田明

 1年と2年夏に聞き書き作文を書いた学年。受験を前にした3年夏に全員に宿題を出しました。?部が志望するきっかけとなった経験、?部が問題を追究して本を読んだり聞き書きをしたりして調査した内容、?部が考察という内容。2学期は選抜した文集を読みあわせして、批評を書きました。
正則高校の宮尾実践に刺激を受けての取り組みです。何人かの作品を読みながら、検討していただけたらと思います。     

(3) 高3生の読解と表現、そして進路指導
東京 正則高校 宮尾美徳

高3の一年間にわたって、現代国語と国語表現、合わせて週四時間の中で書き綴った、一人の生徒の作文をたどりながら、読解の授業、そして表現の授業の様子を紹介し、その進め方について考え方を語る。また、並行して行った進路指導についても触れたい。
そして、それらの方法について、ご検討いただけたらと思う。

4 参加費   1,500円(会員無料)

4月 14

程塚秀雄さんが4月4日に亡くなり、8日に葬儀が行われました。
高校段階の作文教育における
「畏友」でした。
享年76歳。
16歳も年の差がありましたが親友であり、盟友であり、悪友であり、中井メソッドの広報担当であり、私の後見人でありました。

彼については一文を書くつもりです。

3月 24

10のテキストへの批評  10 才子は才に倒れ、策士は策に溺れる(「『である』ことと『する』こと」丸山真男)

■ 全体の目次 ■

1 ペットが新たな共同体を作る(「家族化するペット」山田昌弘)
2 消えた手の魅力(「ミロのヴィーナス」清岡卓行)
3 琴線に触れる書き方とは(「こころは見える?」鷲田清一)
4 昆虫少年の感性(「自然に学ぶ」養老孟司)
5 「裂け目」や「ほころび」の社会学(「システムとしてのセルフサービス」長谷川一)
6 「退化」か「発展」かを見分ける力(「人口の自然─科学技術時代の今を生きるために」坂村健)
7「サルの解剖は人間の解剖のための鍵である」か?(「分かち合う社会」山極寿一)
8 わかりやすいはわかりにくい(「猫は後悔するか」野矢茂樹)
9「調和」と「狎れあい」(「和の思想、間の文化」長谷川櫂))
10 才子は才に倒れ、策士は策に溺れる(「『である』ことと『する』こと」丸山真男)

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10 才子は才に倒れ、策士は策に溺れる(「『である』ことと『する』こと」丸山真男)

丸山真男の本テキストは1958年に行なわれた講演記録で、61年刊行の『日本の思想』(岩波新書)に収録されている。講演が行われ、本として刊行されてからすでに50年以上が過ぎている。本テキストは50年間読まれ続けてきた「永遠のロングセラー」であり、中でも「『である』ことと『する』こと」は今も多数の教科書に採用されている。凄いことである。時代を超えた「古典」になったといえる。
丸山は日本の敗戦後の混乱の中で、新しい民主的な日本社会を作るために働いた。「進歩的文化人」を代表する1人で、反戦・平和・民主主義の運動の思想的拠り所となっていた。60年の安保闘争時には、市民運動や学生運動に大きな影響を与えた。本テキストはまさにこの時点の講演であり、当時の市民運動の理論を代表するものである。
しかし60年安保は「挫折」し、その十分な総括ができないままに時代は流れた。60年代後半の学生紛争やベトナム反戦運動や新左翼の革命運動の盛り上がりのなかで丸山理論はすでに指導理念ではなかった。学生紛争時には新左翼などから丸山は批判される側になっていた。
60年の安保闘争の「挫折」とその総括ができなかったこと、組合運動や市民運動が大きく成長できなかったことの一因は、丸山理論の弱さにもあったのではないか。一方で、丸山を批判する側も、丸山の根本的な欠陥を見抜き、それを克服するような理論を提示できたわけではない。それゆえに、70年代の革命運動や市民運動も成功せず、成熟することができないままに流れてきたように思う。
丸山が今も読まれていることは、丸山が50年前に問題としたことが今も未解決のママであり、今もそこに考えるべきことがあるからに他ならない。そして、今もなお、丸山を越える思想を私たちが持っていないことを示してもいるだろう。

丸山理論を克服するためには、まずは、丸山の凄味、このテキストの何がそんなにすごいのか、それを明らかにしなければならない。
丸山の凄さは、日本社会の根本問題を正面から取り上げ、その問題をこれ以上ないほどにシンプルにわかりやすく説明し、その解決策を示したことだ。
その問題とは、近代化において西欧に大きく遅れた後進国・日本の問題だ。アジアの国が近代化=西欧化を進めようとする際の根本矛盾であり、夏目が「私の個人主義」で問題にした「他者本位」の問題である。一言でいえば、後進国の「自立」が如何にして可能かの問題だ。丸山は、特に政治(民主主義)における前近代的な考え方、意識の問題を徹底的に追及する。一方でラストでは文化・学問の問題を出して、政治と学問の両者の解決を示して終わる。
一般に、多くの学者は自分の専門とする「タコツボ」(これも丸山の用語だ)の中に閉じこもり、大きな問題には立ち向かおうとしない。そうした中にあって、丸山の姿勢は突出している。こうした根源的な大テーマに対して発言すること自体、蛮勇がなければできないことだ。
丸山の凄みは、日本社会の根源的な問題に正面から挑んだことにあるだけではない。その問題を、これ以上ないほどにシンプルにわかりやすく説明してみせた。何しろ「である」ことと「する」ことの2つのキーワードだけで、すべての問題を快刀乱麻、一挙に解明して見せたのだから恐れ入る。こんな学者はかつていなかったし、今もいない。
しかもそれは乱暴で粗雑な議論ではない。丸山は論理の大家であり、論理を完璧なまでに駆使できる圧倒的な能力を持っていた。当時の文化人における最高のレベルだったのではないかと思う。それは本テキストで確認できる。そうした能力による分析による究極の単純化が「である」ことと「する」ことだったのであり、その威力はすさまじかった。すべてがこの2語で粉砕できた。おそらく向かうところ敵なしであったことだろう。しかし好事魔多し。丸山にとって不幸だったことは、丸山を批判できる相手がいなかったことである。才子は才に倒れ、策士は策に溺れる。それが丸山にも当てはまる。
 
 丸山の何が間違いだったのかを考えよう。丸山は、前近代社会と近代社会を「である」原理と「する」原理という反対概念でとらえる。身分制社会と自由・平等の社会の比較としては、それにはある一定の正しさがあり、限定された範囲では有効な分析だ。特定の局面を分析する際の、有効な「比喩」としてならそれほどの問題はない。しかし、「である」と「する」で、前近代と近代の本質をとらえようとするのは無理である。そのために大きな混乱をもたらした。
例えば、丸山は「○○らしさ」や「分をわきまえる」こと(これは本テキストでは省略されている)を求めること自体を前近代的として退ける。しかし、本当はこうした考え方には何も問題が無いどころか、いつの時代にも必要なことなのだ。
 丸山のこの2分法の破綻は、経済と政治では「する」を求め、文化では正反対の「である」を求めるという矛盾によく現れている。しかも、この矛盾を詳しく説明するどころか、最後のわずか10行ほどで両者の逆説的融合を示して講演は終わる。最後のどんでん返しと、一挙の大団円。
これはあざやかではあるが「手品」でしかない。丸山はこうしたアクロバティックな藝が好きなようだ。ここに無理を感じない方がどうかしているのだが、丸山ファンは、かえってそこに喝采したのではないか。
私はこのラストを読んで、あまりにもびっくりして腰が抜けた。「あれ?っ」。もしかして、この後に、丸山が「な?んちゃって」と言って舌を出したのではないか、と邪推したぐらいだ。丸山は「本気」だったのか、冗談を言ったのか、何だったのだろうか。

 丸山の破綻を、本来はどう解決すべきなのか。解決は「である」と「する」を一体のものと考えることによって可能になる。説明しよう。
人がどう生きるか、何を「する」か(当為=使命)は、常にその人がどう「である」か、何「である」か(存在=本質)によって決まるのだ。これを「存在が当為(=使命)を決める」と言う。つまり「である」が「する」を決めるのだ。その意味で両者は一体であり、このことは時代によって変わらない。何時の時代でも、私たちはそのように考えて生きてきたし、今後もそうするしかない。岐路に立ったとき、私たちは「自分とは何か」を問うことで、選択するしかない。その時、私たちは人間の本質、家族の本質、社会の本質などを考えることになる。これを深めたものが「学問」だ。だから丸山も、学問・文化では「である」が重要だとするのだ。
では、前近代と近代の違いはどこに現れるのか。それは、「存在が当為を決める」時の「存在」のあり方の違いに現れる。前近代では生まれ(出自)によって決まる。つまり地縁・血縁関係で決まる。これは当人の自由意思では変えられない。例えば「武士」「長男」「女性」という生まれがその人の人生を決めてしまう。身分制度があり、職業は身分と一体であり、結婚も家制度の枠組みの中で行われていた。
 一方、近代では、本人の自由意思で選択した仕事や人間関係が本質を作る。身分制度はなくなり、職業の自由が保障され、結婚は個人の契約になった。そこでは個人の自由な選択が決定的で、それゆえに、自己責任が問われる。
 丸山が前半で、「である」と「する」で表現しているのは、この「存在」のあり方の内部での違いでしかないのだ。もちろん近代では、「自分とは何か」に対する答えが一層ムズカシクなっている。社会が複雑になり、多様な役割関係の中で、どの役割を「本質」と考えるか、役割の相互関係をどう考えるかでは、人によって大きな違いが生まれてきている。
 しかし、「分をわきまえる」ことや、「○○らしさ」を求めることが間違いなのではない。むしろ近代になって初めて「人間らしさ」が真に問われるようになったのであり、種々の役割を果たす社会になったからこそ、それぞれの役割の「分をわきまえる」ことが問題になるのだ。
例えば、女性に「女らしさ」を求めることに問題があるのではないだろう。他の多様な役割相互の関係を無視して、それだけを社会的な比重以上に大きく求めることが間違いなだけだ。ただし、「女らしさ」という言葉は、女性が社会で働くことが許されず、家庭の主婦や家族労働の狭い範囲の生活に限定されていた時の意味合いを濃厚に持っている。それが嫌われるというのはよくわかる。現代の多様な社会関係の中で、改めて「女らしさ」「男らしさ」が問われるべきなのだ。
 先に述べたように、丸山は論理を完璧なまでに駆使できる圧倒的な能力を持っていた。当時の最高レベルであり、ライバルもおらず、根本的批判を受けることもなかったのだろう。しかしそのレベルは、絶対的な意味では低いものだったのだ。私は丸山のような頭の良さを「小頭」と呼ぶことにしている。「大頭」こそ目指したいものだ。

3月 23

10のテキストへの批評  9「調和」と「狎れあい」(「和の思想、間の文化」長谷川櫂))

■ 全体の目次 ■

1 ペットが新たな共同体を作る(「家族化するペット」山田昌弘)
2 消えた手の魅力(「ミロのヴィーナス」清岡卓行)
3 琴線に触れる書き方とは(「こころは見える?」鷲田清一)
4 昆虫少年の感性(「自然に学ぶ」養老孟司)
5 「裂け目」や「ほころび」の社会学(「システムとしてのセルフサービス」長谷川一)
6 「退化」か「発展」かを見分ける力(「人口の自然─科学技術時代の今を生きるために」坂村健)
7「サルの解剖は人間の解剖のための鍵である」か?(「分かち合う社会」山極寿一)
8 わかりやすいはわかりにくい(「猫は後悔するか」野矢茂樹)
9「調和」と「狎れあい」(「和の思想、間の文化」長谷川櫂))
10 才子は才に倒れ、策士は策に溺れる(「『である』ことと『する』こと」丸山真男)

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9「調和」と「狎れあい」(「和の思想、間の文化」長谷川櫂))

よくある日本文化論である。比較文化論に慣れていない高校生にとって、こうした比較は最初は面白いかもしれない。「へえ?っ」と感心して、何か重要なことがわかったような気になる。しかし、それが続くとあきてくる。こうした議論には、何か現象面をなでているだけのようなところがある。なぜだろうか。
1つには、一面的な、つまり表面的にしか見ていないように感ずるからだ。区別の面のみを強調している。たとえば、著者はバッハやモーツァルトの音楽が音によって埋め尽くされ、沈黙を恐れているようだ、と述べる。しかし、私は両者の音楽に深い深い沈黙(間)をいつも聴くことができる。つまり、著者のくくり方は、細部の切り捨てやわりきりで成り立っているのだ。
それ以上に問題なのは、区別や対立の側面ばかりを見て、その同一の面を、つまり人間としての共通の面を見ていないことだ。実は、区別や違いの面よりも、それでもなお「同じ」側面こそが重要ではないだろうか。それをしっかりと見据えるならば、その同じ本質を持った人間同士なのに、それでも決定的な違いがあることに深く驚くことになる。そしてその同じ本質が、その違いの中にどうのように現れているかを考えることになるだろう。そこにこそ、本当の意味の対立が現れてくるはずだ。
そうしたことを思う時、私はいつも世界的なドイツ語学者の関口存男を思い出す。彼は日本語とドイツ語の違いはもちろん指摘するが、そこにとどまらず、両者に共通する言語一般の本質に迫っている。世界のすべての言語は、言語が言語であるための根底的な同一の側面を持つ。関口はそこに迫り、さらにそこに「人間とは何か」を見ようとする。そしてそこから再度、日本人とは何か、ドイツ人とは何かを把握しようとする。こうしたダイナミックな思考が、本テキストにはない。
さて、最後に今回のテキストのテーマである日本の「和」について一言。「和」について取り上げるなら、何よりも「和して同ぜず、同じて和せず」の問題を指摘したいと思う。日本人の「和」は本当に「和」だろうか。実は「同」なのではないか。「和」(調和)の名のもとに、ほとんどが「同」(狎れあい)になっているのではないか。
本テキスト16段落を見ると、「和を実現させること」を「異質なもの同士の対立をやわらげ、調和させ、共存させること」と説明し、「二人のあいだに十分な間をとってやれば、互いに共存できるはずだ」としている。しかし、これこそ「同」そのものではないか。本当の「和」とは「異質なもの同士の対立を激化させ」、その対立のただ中から、対立があるがゆえに相互理解を深めることが可能になり、互いに異質なままに共存できるようになることを言うのではないだろうか。