4月 12

4月の統一地方選で山梨県議選(山梨県甲府市)に、友人の笹本貴之君が出馬した。
彼は、全国で初めて「ワインツーリズム」を企画・運営し成功をおさめた。地方紙はもちろんだが、全国紙でも紹介された有名人だ。

私は、学習会中心の政治運動を提唱し、1年以上前から彼を応援してきた。「学習会中心の政治運動」という理念、その学習会のナカミの1例(コミュニティービジネスからみた「ワインツーリズム」)はこのメルマガの165から169号で紹介した。

その結果が一昨日4月10日に出た。次点で、夢は叶わなかった。
本当に、残念に思う。

これからその総括作業をすることになるが、地域の政治を変えるためには彼の活動が必要だと思う。

このメルマガの読者で山梨の甲府にお住まいの方はぜひ、彼のブログなどをお読みいただきたい。また知人に甲府在住の方がいたら、ブログなどを是非ご紹介いただきたい。

笹本 貴之
<個人公式サイト>
http://sasamoto.net
<個人公式ブログ>
http://sasamoto.sblo.jp

さて、今回述べたいのはそのことではない。マスコミの言う「公平・公正」について考えてみたいのだ。以下の3.4.は明日掲載する。

■ 目次 ■

マスコミの「公平・公正」 中井浩一
1.報道されなかった記者会見
2.マスコミの建前と本音
3.問題は基準の明確化である
4.「政治的な中立」

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◇◆ マスコミの「公平・公正」  中井浩一 ◆◇

1.報道されなかった記者会見

笹本さんは、すでに2カ月ほど前の2月7日に、山梨県庁の記者クラブで出馬の記者会見を行った。彼は記者会見の冒頭で学習会中心主義の話をし、学習会で1年間かけてつくった「政策集」を発表した。

笹本さんは地元の「有名人」なので、20人近くの記者が駆けつけて大盛況だった。集まったのは山梨日日新聞、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、NHK、テレビ朝日、テレビ山梨、山梨放送など。

政策の内容は評価され、その日の「知事報告事項」として県庁の広聴広報課でテープ起こしと政策分析をしたようだ。しかし、その記者会見が記事になることはなかった。新聞でもテレビでも報道はされなかった。その理由を、ある新聞社の記者は「他の候補者との公平性を守るために報道はできない」と説明したという。

さて、では考えてみよう。マスコミにとっての公平、公正とは何なのだろうか。
今回のように、すべての候補者を横並びにして、差を付けた扱い方をしないことが公平、公正なのだろうか。

2.マスコミの建前と本音

マスコミがどう弁解しようが、実際の彼らの行動は「すべての候補者を横並びにして、差を付けた扱い方をしない」ものではない。著名人や、話題になっている人は、特別に扱うのが普通なのだ。
ただし、その時は「読者が、視聴者が知りたいことだから」という言い訳を用意しているだけなのだ。

では笹本さんの記者会見だけを報道すれば、何が起こるだろうか。おそらく、他の候補者、諸政党や「有力政治家」からの批判、疑問の声が寄せられ、圧力がかかるだろう。一部の読者からもそうした批判がおこるだろう。マスコミはそれを恐れているだけではないのか。
そうした圧力が予想され、それへの言い訳が用意できないときには、報道しないことで身を守る。そして「公平、公正」を持ち出して、報道しないことを正当化する。

だから彼らの「公平、公正」はあくまでも建前であり、外部からの圧力から自分を守りたいのが本音であり、他方で商売になるとなればいくらでも「不公平」なことをしても平気でいられるのだ。

しかし、マスコミにとって「公平、公正」が建前だとしても、「公平、公正」の理念そのものはあくまでも正しいと思う。問題はその本当の意味が理解されず、都合のいいように使われていることだ。そこで、その使用法のおかしさを示し、その本来の意味を明らかにしたいと思う。

もし、彼らの言う「公平、公正」、つまりみなを「同じ」扱いにすると、どんな結果になるだろうか。
今回の笹本さんのような、やる気のある人、能力の高い人が正当な評価を受けず、やる気のない、能力の低い人に合わされてその中に埋没してしまう。その結果、やる気のある人の足を引っ張ることになる。
記者会見をやれるだけの準備をしてきた人は、本来評価されるべきであり、記者会見をやらない(やれない)人、きちんとした政策を発表できない人と同じ扱いを受けるのは、「不公平」そのものではないのか。

本来は、むしろ、やる気のある人、能力の高い人を応援し、積極的に紹介するべきだ。そうしてこそ、全体に刺激を与え、全体のレベルを押し上げ、ひいては社会を良くすることになるだろう。それが真の「公平、公正」であり、マスコミの使命なのではないか。
現状の「悪平等」な対応は、そうしたマスコミの使命の放棄であり、無責任極まりないと思う。

12月 09

2010年ワインツーリズムの総括準備会議

12月6日に、甲府に行ってきた。

笹本貴之さんたちワインツーリズム実行委員会の2010年度のワインツーリズムの総括会議(準備会)があり、そこにオブザーバーとして参加したのだ。

問題点、矛盾点がきちんと出されて話し合われたのが良かった点だろう。どの運動や組織にも問題点があるが、それが隠されたままで、議論されることが多いと思う。

ワインツーリズムの現在の最大の問題点は、地元やワイナリーたちの主体性がまだまだ弱いことと、笹本さんたち企画運営にたずさわるメンバーがただ働きになっていることだ。3年たっても、それが改善されない。その問題はもはや放置できないところまで来ている。

企画運営の主体(会社組織か、NPOかといったあり方は一応別として)を立ち上げ、それがビジネスとして成立する形を目標にすべきだろう。しかし、それとともに、各地元の実行委員会が主体性を発揮し、企画運営組織と対峙し、対等な形でのジョイントにならなければ、本末転倒だろう。

そうしたところに、今さしかかっている。
それがきちんと確認され、意見交換ができたのがよかった点だろう。

なお、霞ヶ関でも動きはある。経済産業省の地域経済産業政策課が「地域資源経営勉強会」を発足させる予定で、そのコアメンバーとして、笹本さんたちワインツーリズム実行委員会から数人が参加する。他には風見正三(宮城大学事業構想学部事業計画学科 教授)、木下斉(一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス 代表理事)などがいるが、この2人は例の『コミュニティービジネス入門』の編者や著者である。
この成果にも期待したい。

11月 28

対等な関係における意見交換、相互批判の原則 その4

夏の合宿以降、ゼミ生相互の信頼感が急速に深まってきたようだ。一部にではあるが、活発な意見交換、相互批判が行われるようになった。

しかしそうした中で問題も出てきた。批判の言葉に傷ついたり、感情的になったりすることが起こってきたのだ。このことは当然予測されたことだ。一つ上のレベルへ高まろうとする限り不可避のことでもある。

師弟関係は上下関係だが、ゼミ生間は対等な関係だ。そこにはこれまでとは別の原則が必要になるのだ。

この10月に、その原則について話し合いをした。私は一般的な原則と感情的になることについての対策の2つを中心に提案をした。そのレジュメをここに3回にわけて発表する。

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◇◆ 仲間内でのアドバイスや批判をどう考えるか 中井浩一 ◆◇

          2010年10月23日

三 各論
(1)牧野紀之の「討論の5原則」 → 牧野は構造的に問題を把握できていない

1.認識
個人の認識と集団的認識 →1と5
ここでは「認識のルール」がそのまま集団のルールになる
討論を集団的認識の問題としてとらえたのは、大きな意義がある

  2.自立
他人への依存と自立の問題 それが3と4
   「人の尻馬に乗る」はこの問題。夏目が「他者本意」で問題にしたのはこれ

  3.感情的
「感情的になるな」というルールが2。ただし、これではあまりに不十分

(2)メディア、媒体の問題
1.メールやメーリスは、事務連絡や情報提供にふさわしい
2.意見の表明も良いが、意見対立、こみいった議論には向かない
3.そうしたものは、手紙にするか、直接に会って意見交換するのが良い

(3)レッテル貼り、先入観
方法一般の問題
内在的に克服するしかない

(4)夏目漱石の個人主義(参考に)
1.党派主義の親分・子分関係。みなが一体であるが、自立できない。
2.個人主義の師弟関係と同志関係。
みなは孤独でバラバラ。しかし自立し、深い信頼関係がある。

11月 27

対等な関係における意見交換、相互批判の原則 その3

夏の合宿以降、ゼミ生相互の信頼感が急速に深まってきたようだ。一部にではあるが、活発な意見交換、相互批判が行われるようになった。

しかしそうした中で問題も出てきた。批判の言葉に傷ついたり、感情的になったりすることが起こってきたのだ。このことは当然予測されたことだ。一つ上のレベルへ高まろうとする限り不可避のことでもある。

師弟関係は上下関係だが、ゼミ生間は対等な関係だ。そこにはこれまでとは別の原則が必要になるのだ。

この10月に、その原則について話し合いをした。私は一般的な原則と感情的になることについての対策の2つを中心に提案をした。そのレジュメをここに3回にわけて発表する。

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◇◆ 仲間内でのアドバイスや批判をどう考えるか 中井浩一 ◆◇

          2010年10月23日
二 感情的になることについて
(1)感情の根元性
1.感情や実感こそが、現実を直接に反映する、根源的なもの
  2.それを否定したり、抑圧するのは間違い
3.しかし、感情は、生なままの、あいまいで混沌とした形で現れやすい。
例外的に、純粋な感情が吹き上げることはあるが、それはあくまでも例外

(2)感情の何が問題か
  1.感情全体が問題なのではなく、怒りや憎しみ、恐怖などの、マイナスな感情が主に問題で、相手を攻撃しようとすることになりやすい。
2.しかし、プラスの感情(愛など)でも、相手への依怙贔屓などの問題も起こる。
  3.それが問題なのは、
内容上の公正、公平さが損なわれやすいから
形式上の人格への配慮ができなくなりやすいから

(3)解決は思考による
1.普通は、感情内で、解決するのはムズカシイ。
2.普通は、感情問題を解決できるのは思考でしかない
しかし、その解決とは何か

(4)思考による解決とは何か
1.事前に感情をコントロールしたり、感情を抑圧することではない。(できないから)
2.感情に「含まれる」意味を明らかにすることしかできない。
「含み」を徹底的に明らかにすることによって、結果的に自然に感情をコントロールできるようになっていく
3.しかし、この作業は、無意識な部分を意識化することになり、深刻な問題を明らかにすることにもなる。深刻な内的な葛藤をも引き起こす。
自分に向き合う辛さがある。
したがって、それをどこまで進めるかは、最終的には本人次第である。
本人の主体性を尊重するしかないし、踏み込む範囲や迫り方には慎重でありたい。
4.以上をわきまえながら、「含み」について話し合い、相互に理解し合い、尊重し合い、前に進みたい。
  5.今後、感情的なことが起こった場合、それを指摘し、その理由(「含み」)を考えるようにする

※感情の「含み」を明らかにしていく中で、感情にも「浅い」ものと「深い」ものの違いがあること、問題があるものとないもの、「含み」の自覚を進めるものとそうでないもの、などの区別が見えてくるだろう。感情内にも矛盾があり、それが「含み」をつくり、その意味を明らかにしているのだ。

11月 26

対等な関係における意見交換、相互批判の原則 その2

夏の合宿以降、ゼミ生相互の信頼感が急速に深まってきたようだ。一部にではあるが、活発な意見交換、相互批判が行われるようになった。

しかしそうした中で問題も出てきた。批判の言葉に傷ついたり、感情的になったりすることが起こってきたのだ。このことは当然予測されたことだ。一つ上のレベルへ高まろうとする限り不可避のことでもある。

師弟関係は上下関係だが、ゼミ生間は対等な関係だ。そこにはこれまでとは別の原則が必要になるのだ。

この10月に、その原則について話し合いをした。私は一般的な原則と感情的になることについての対策の2つを中心に提案をした。そのレジュメをここに3回にわけて発表する。

なお、いつものことだが、私の考えは牧野紀之氏の考えを前提としている。今回も、一原理論の(1)「能力の不平等と、人格の平等の矛盾」の定式や、(3)「人間の相互理解」の基本は牧野氏から借りている。

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◇◆ 仲間内でのアドバイスや批判をどう考えるか 中井浩一 ◆◇

          2010年10月23日
一 原理論
(1)「能力の不平等と、人格の平等の矛盾」(牧野紀之より)をどう考えるか
1.この矛盾は、民主主義社会の一般的な問題。
みなが能力を高めあって、みなが高い能力で生きることが解決
それがムズカシイ
2.師弟関係は、能力の上下関係を確認し、それを認め、能力を高めることを目的とした関係だから、人格の問題が基本的には解決されている
3.私のゼミの横の関係では、前提があるから、一般社会よりは、少し簡単
同じ目標(真っ当な生き方、考え方をしたい。自分の可能性を最大限に発揮したい)のもとに、同じ先生を選んでいる。
そこから生まれる信頼関係がある。

(2)何が問題なのか。→ (1)の原則の自覚のなさと認識能力の低さ
  1.内容の問題。認識能力の低さゆえに内容に間違いがおこる
   相手の発展段階の理解と、自分自身の発展段階の理解を踏まえたものにならないと的確な内容を言えない。
言う、言わない、の判断ができない。(言わないという判断もありうる)
→ これには「自己理解と他者理解の統一」を倫理として出している
しかしそれだけではなく、認識能力の低さの問題こそが大きい
  →しかし、能力は、使わないと高まらない。失敗は覚悟すべき
2.形式の問題。(1)の原則の自覚のなさゆえに相手の人格の尊重を軽視する
言うにしても言い方が問題になる。相手の人格を尊重しなければならない
無礼も、慇懃無礼もある。
 →しかし、萎縮して何も言えなくなるのは避けたい。失敗は覚悟すべき
  
(3)注釈 人間の相互理解(牧野紀之より)
1.相互にすべてを理解し合うことは不可能だし、その必要もない →誤解は不可避
 ※「不可能」というと消極的だが、ここにはもっと積極的な意味がある。
  それは人間の尊厳性の根拠ではないか。例えば夫婦でも踏み込んではいけない領域があるし、秘密はあっていいし、あるべきではないか。
2.それを自覚した上で、誤解の確認と解決への道筋があればよい

(4)対策
1.多くの人は、最初は自分のことで精一杯で、他者のことまで考える余裕がない。
自分を第一にしながら、言える範囲で他者について発言すれば十分
  2.余裕が出てきた段階では、仲間内での意見交換は積極的に行われるのが望ましい。しかし、相手のことが最初はよくわからないから、
内容も形式も問題が多い発言になる。
   失敗を重ね、反省を重ね、少しずつ相互理解を深め、能力を高めていく以外にない
    → 言うべきか否かで迷うぐらいなら、言った方がよい
3.言い方や相手への配慮は必要だが、それにあまりにエネルギーをさくのは不毛。
「わざと」でなければ、結果的に傷つけることは不可避であり、しかたがない。
それを許し合い、認め合って、前に進みたい。
  4.問題が起こったと気づいた人は、それを指摘し、みなで話し合う
こじれそうで、自分では解決できなそうなら早めに中井に相談する