8月 21

昨年の秋から、読書会では東日本大震災関連の本を読んできました。
これは、今回の東日本大震災で明らかになった
私たちの社会の構造的な問題を考えたいと思っているからです。

今年3月には
『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』(幻冬舎2012/2/25)を取り上げました。
その読書会の記録を掲載します。

私(中井)は、本書の主人公の秋冨さんにこの7月に実際にあって、話を伺ってきました。
それをふまえて、ラストに補足を中井が書きました。

■ 全体の目次 ■

「迫られる自立」
 3月の読書会(『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』河原れん著)の記録
  記録者 掛 泰輔

1、はじめに
2、参加者の読後感想
3、中井の問題提起
(1)この本は何をテーマにした本なのか
(2)県の災害対策本部、医療班の活動のルポはこれでよいのか
(3)秋冨さんの震災までの動き
(4)災害時における原則
 →ここまで本日(21日)

4、DAY1の検討
5、DAY2?DAY9の検討
 →ここまで22日

6、参加者の感想(読書会を終えて)
7、記録者の感想
8、中井による補足
 →ここまで23日

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■ 本日の目次 ■

「迫られる自立」(その1)
 3月の読書会(『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』河原れん著)の記録
  記録者 掛 泰輔

1、はじめに
2、参加者の読後感想
3、中井の問題提起
(1)この本は何をテーマにした本なのか
(2)県の災害対策本部、医療班の活動のルポはこれでよいのか
(3)秋冨さんの震災までの動き
(4)災害時における原則

========================================

1、はじめに

○日時   2012年3月24日 午後4時から6時
○参加者  中井、社会人3名、大学生2名、就職活動性1名、高校生1名
○テキスト 『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』(幻冬舎2012/2/25)
○著者    河原れん(著)

今回検討する『ナインデイズ』は医療の後方支援の、しかも県庁という行政の中の
医療班の闘いの記録である。

主人公の秋富医師は2008年に、地震の起こる確率が高いと言われていた岩手県の、
岩手大学病院に赴任する。ここで実績を作って、行政の中に医療班を配置して行う
「災害医療」(危機管理システム)を日本に広めようと考えていたからだ。

赴任直後の「岩手宮城内陸地震」、「岩手県沿岸北部地震」によって行政に反省が
生まれたこともあり、その後、秋富医師は県庁の中に「医療班」を配置させ、
そこの責任者になった。

また中井さんは岩手県総合防災室室長の小山氏に取材を行っていたので、
そこでの話も聞くことができた。

2、参加者の読後感想

○中央と現場の乖離具合に問題があると思った。

リアルな現場の判断と全員を助けたいというジレンマに秋富さんの
 問題意識を感じた。(大学生)

○自衛隊について本来の役割を知らなかったが、書かれている自衛隊の
 活動を読むと消防隊と役割が変わらないのではないのかと思った。

 行政、警察、自衛隊、がバラバラで駄目だと思ったが、秋富さんは
 管轄を超えた役割をしていて凄いと思った。(高校生)

○情報がほとんどない中で二つの対立する選択を迫られたときに、
 秋富さんたちは守りではなく攻めの選択をしている点が凄いと思った。

 なぜ災害医療が東北のような災害が頻発する地域でこれまでなかったのか
 疑問に思った。

 人が本気になった時には、現場にいる人に限るが、自分の持ち場とか
 建前的な役割を軽く超えていくものだなと思った。

 p32で岩手にだけの独自の危機対応システムができた、とあるが、
 これは2008年に岩手で起こった二回の地震で意識が変わったからだ
 と思う。
 宮城県は岩手と違いDMAT(災害派遣医療チーム)を二日で帰してしまうが、
 平時における準備の差がこういうところに表れているのではないかと思った。

 p116でドクターヘリが患者を救いたい一心で、県庁の医療班の許可なしに
 着陸してしまったが、善意や感情で最後に動くのは実はとても未熟なのではないか
 と思った。ここが一番リアルに感じた。(大学生)

○普段わからない自衛隊の役割が見えてすごいとおもった。(社会人)
 

3、中井の問題提起

(1)この本は何をテーマにした本なのか

○この著者のやりたいことが見えない
・医療の現場の本は既に出ているし、石巻の病院の本も既に出ている。
 そのような最前線を描いたものに対して、県の災害対策本部(医療班)の
 前提的な指揮、後方支援については誰も触れていないのでそれを描いた
 のだと思う。
 そこで医療班のトップであった秋冨さんを主人公に設定している。

○自衛隊、警察、消防をとりしきる県の災害対策本部が何を考え、何をやったか
 に私は興味がある
・国の話は詳しく報道されているが、県レベルの対策がどうだったかを
 明らかにする本がない。
 この本はそれを明らかにする本ではないが、それへの一歩にはなる。

○医療班の動きがわからない
・秋富さんのいる医療班の動きと、本部の動きが立体的な形で整理されて
 書かれていない。

・秋冨さんの全体的な構想、指揮の様子が具体的に書かれていないので、
 状況がよくわからない。秋富さんが医療班をどう動かしたのか、
 大学病院と医師会の対立をどうまとめたのか、まとめられなかったのか、
 がわからない。

(2)県の災害対策本部、医療班の活動のルポはこれでよいのか

○「組織」という観点の弱さ。
・これだけ大きな問題を扱っているのに、著者自身に「組織とは何か、
 組織運営はいかにあるべきか」という視点がとても弱い。

・医療の問題を扱っているにもかかわらず、日本医師会と大学病院の対立、
 縦割り行政の問題という極めて基本的な問題が、十分に捉えられていない。

・秋冨さんの個人的な活躍と内面的な葛藤が主になっている。医療班の全体の動き、
 その班内部の葛藤や激論、そのトップとしての秋冨さんの動きが見えにくい。

○トップのすべきことや葛藤、苦しさが書かれていない。
・行政を描くなら最終的に責任者がどの段階でそういう決断をしたかの積み重ね
 だと思う。そこが十分に書かれてない。秋富さんはサブで最終決定者ではない。

 最終決定者は小山室長や自衛隊上がりの越野氏。
 組織運営の専門家であり、組織を動かしてきた彼らのトップとしての
 葛藤が知りたい。

(3)秋冨さんの震災までの動き

○秋富さんのスゴさは震災前の動きの中に、すでに現れている。
 それによって、今回の災害対策も決まってくる。

・2005年の福知山線の事故で滋賀県から要請もされないのに、出ていって、
 危険だから引き揚げろと言うのに留まり、最前線で仕事をしたことから
 彼の災害医療が始まった。

・この一年後に彼の上司が自殺していることも秋富さんにとって
 決定的だったのではないか。

・彼は災害医療を日本で確立するために31歳で2008年に滋賀県から
 岩手医大に赴任する。
 次の地震が岩手で最も起こりやすいと言われていたから。
 このあたりも素晴らしい。

・2008年の岩手・宮城内陸地震のときにはまったくの押しかけで県庁に
 飛び込んだが、けんもほろろ。
 しかし2ヶ月後の岩手県沿岸北部地震のときには県の職員のたった一人の
 味方をうまくつかって 県庁に入り、役人に顔を覚えてもらって、
 県議会に災害医療の必要性を訴えた。

・30歳の人間がたったひとりの闘いをこういうふうにやっている。
 私(中井)だったらこここそを中心にした小説にする。

・彼は30を前にして自分のテーマをつかみ、全力でぶつかっていった。
 その意味で彼の前半生は、若い人にとっての「良い人生」のモデル。

(4)災害時における原則

○この本は「原則」がわかりにくい。
・原則とは「守りではなく、攻め」、「まずは自分を救う、守る」、
 「救うことは切り捨てること」、「普段の延長でしかない」など。

・また医療者の自立の問題が問われていない。

・タブーとなっている避難所などの性犯罪の問題に触れている点は他の本にはないし、
 本書の意義。こういうことはしっかりアナウンスされるべき。

7月 05

7月3日に、盛岡で、高校における表現指導をテーマに講演をしました。

「第一学習社」の「小論文事業部」主催の講演会で
岩手、青森の高校の先生方が五〇人ほど集まっていただきました。
国語科だけではなく、理科・社会、英語、家庭などの先生方も参加されました。

「聞き書きから小論文へ」とのタイトルで
今の高校生が、テーマや問題意識を持って、たくましく生きていけるような表現指導を提案しました。

第一部の講演後、
第二部の座談会があり、
二〇人近くの方が参加されました。

その方々は
私の『脱マニュアル小論文』『日本語論理トレーニング』、大修館書店の教科書「国語総合」につけた論理トレーニング本の読者の方々のようでした。

それぞれの方々が置かれた学校の現状や課題、表現指導の悩みなどを語り合いました。

「読者」と直接に語り合えたことで

私のやっていることが、どのように現場で受け止めてもらっているかがわかったように思います。

目の前の高校生の成長を心から願い、学内の指導体制の問題に悩みながらも、少しでもまっとうな指導をやろうとしている方々です。

こうした方々の力になれるような仕事を、これからもしていこうと強く思いました。

6月 26

7月のゼミの日程

7月のゼミの日程が変更になっています。

以下ですが、注意してください。

7月7日
午後5時より「文ゼミ」
その後、「現実と闘う時間」

7月14日
午後4時より読書会
午後6時より「現実と闘う時間」

読書会のテキストは『痴呆を生きるということ』(岩波新書847)です

6月 09

海外向けの多言語情報発信サイト『nippon.com』に、寄稿しました。

タイトルは
「学力低下」論争と「ゆとり」教育を検証する

以下で読むことができます。
外国の知人にも紹介してください。

日本語
http://nippon.com/ja/in-depth/a00601/

英語
http://nippon.com/en/in-depth/a00601/

フランス語
http://nippon.com/fr/in-depth/a00601/

スペイン語
http://nippon.com/es/in-depth/a00601/

中国語版
簡体字
http://nippon.com/cn/in-depth/a00601/

繁体字
http://nippon.com/hk/in-depth/a00601/

多言語発信サイト『nippon.com』を運営している一般財団法人ニッポンドットコムについて、
以下、ニッポンドットコム自身による説明を引用します。

一般財団法人ニッポンドットコムは、海外向けの多言語情報発信を専門とする組織として、平成22年12 月に設立されました。民間による対外広報活動として、日本財団からの助成を受けて本年10 月に対日理解を促進するための多言語発信サイト『nippon.com』をスタートしました。
当サイトでは、日本に関心を持つ海外の有識者層を中心に、大学生以上の幅広い読者層に向けて、日本の文化、社会、政治、経済、外交、科学技術など幅広い分野にわたるオピニオンや、日本の現状を掘り下げて伝える記事を、日本語、英語、中国語、仏語、西語(順次アラビア語、ロシア語も加わります)で掲載していきます。
36 年間、日本の知識層の真実の声を海外に伝えてきた英文誌『JAPAN ECHO』誌の精神を継承し、ありのままの日本の姿をグローバルに発信していきます。
■対応言語
日本語、英語、中国語(簡体字・繁体字)、フランス語、スペイン語
■ウエブサイト開設
2011 年10 月3 日
■編集委員会
編集主幹 谷内正太郎 外務省顧問
編集長 白石隆 政策研究大学院大学学長
副編集長 宮一穂 京都精華大学教授、元『中央公論』編集長

〒100-0011
東京都千代田区内幸町2-2-1
日本プレスセンタービル

6月 03

「自己否定」から発展が始まる(その4)
(ベン・シャーン著「ある絵の伝記」の読書会の記録) 記録者 小堀陽子

 ■ 目次 ■

2.読書会
(3)テキストの検討
 <2>「異端について」
 <3>「現代的な評価」
(4)質疑応答
(5)読書会を終えて ─ 参加者の感想

3.記録者の感想
(1)記録を書いて
(2)他人との関わり
(3)自己否定の違い
(4)表現の違い

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2.読書会
(3)テキストの検討

 <2>「異端について」
 〈芸術家と社会の関係〉
 ・110、111p
 → 芸術家は社会と一体になっていたら表現はできないが、
  社会から切り離されて遊離しても表現はできないという、
  矛盾を生きている。

  実はあらゆる人がそう。
  それを極端に最も激しくやらなければ芸術家の仕事はできない。

  これがただの分裂にならないあり方というのはどういうあり方なのか。
 
 ・116pの後ろから2行目
 → この人は保守主義者を否定しない。自分の中に位置づけている。
  最後の行「そういう人の重要性を小さく見積るつもりはない。」
  なぜか。

  過去の芸術を僕たちが今美術館で見ることができるのは、
  まさに保守主義者がそれを守ってきたからだ、という捉え方。

  しかし、どうしても保守主義者は過去の作品が素晴らしいとなって、
  いま生まれている作品は苦手。
  今、生まれているもののどれが本当の芸術か、ということは難しい。

 <3>「現代的な評価」
 〈芸術家と民衆の関係〉
 ・145pから146p
 → 民衆に支持されてたくさん売れるのが良い絵なのか。それとも
  民衆から見向きもされないものこそが良いのか、という問い。
  この人はどちらでない、と例の調子。

 ・145p後ろから2行目?146p6行目
 ≪私も、多くの芸術家と同様に、民衆の賞賛を芸術の評価の標準に
  適用することには大反対である。

  しかし、それと同様に、今述べたような民衆に嫌われることを
  直ちによい作品の標準とする奇妙に逆転した考え方にも、
  私は大反対である。

  民衆の知性がどんなに堕落していようと、また民衆の眼が
  どんなに汚されていようと、民衆こそはわれわれの文化の
  現実性にほかならない。≫

 → ここで現実性という言葉が出ているのはヘーゲルばり。
  民衆こそがわれわれの文化の現実性だと言っている。ただし、
  それは民衆の評価がそのまま正しいということではない。

 ・146p7?15行目
 ≪民衆は、そこに白百合の種子を播くべき沃土である。

  芸術家たる以上は、この現実の縁飾の上に存在をたもつか、
  あるいは、その重要な一部分になるのがわれわれの努めである。

  芸術の民衆に対する価値を構成するものは、
  芸術の基本的な意図であり、責任感である。≫

 → 民衆と芸術家または民衆と政治的指導者、こういう関係は
  いかにあるべきか。
  これは永遠のテーマだが、この人はこういうスタンスで、
  僕も勿論同じだが、それを実現させるのが難しい。

(4)質疑応答

 (社会人)リルケの詩のところで、記憶を忘れてもう一度戻って
   くることを、ヘーゲルとの関連で説明したが、どういうことを
   ヘーゲルは言っているのか。

  →(中井)僕たちは、いろいろな経験をする中で自分を作っていく。
    普通は、経験そのものから次の一歩が出てくると考える。
 
    リルケは違う。この経験を忘れろと。忘れて、それと自分が
    一つになるまでにならなければ、結局次の一歩は出てこない
    と言っている。

    ヘーゲルは、次の一歩が出てくるというのは、一歩前に出る
    と同時に一歩自分の中に入ることだと言っている。

    過去に本当に何があったかが先に進めたこの一歩でわかる。
    その一歩を出す何かがここに十分出来上がった時、前に出る
    と言う。

    更にヘーゲルはこうやって一つ一つ出て行くのは、
    過去の一つ一つに何があったかがわかるという形で、前進即後ろ
    と捉えて、その全体が絶えずその中で明らかになっていく、
    という世界観。

    リルケの捉えようとしていることはヘーゲルと同じだと思う。
    こういう詩人が本物の詩人だと思う。
    このレベルの詩人が日本にいるだろうか。

(5)読書会を終えて ─ 参加者の感想

 (小堀)一人の画家の人の作品を一遍に展示している展覧会を
   初めて見た。学芸員の人の話が面白かった。

   シャーンは1930年代にたくさん写真を撮ったが、それは
   ニューディール政策(中井解説:社会主義的な政策)の仕事だった。
   その時、貧しい農村を撮って来い、必ず子供を撮れとか、
   素足の足を撮れとか、貧しさが強調されるように撮れという
   具体的な指示があった。

   シャーンもその指示に従っているが、あまり悲惨な写真に
   なっていない。ベン・シャーンが相手の人とのコンタクトによって
   一人一人を撮ろうとするのが写真に出ているのが面白いという
   話だった。

   そして実際に写真を見たら、一人一人がとても柔らかい表情を
   していた。そして、文章も人間が存在するような文章は、
   深く人と関われる人でなければ書けないと思った。

  →(中井)表情がいい。(図録46,47pなど)これは全部
    貧しい最下層の人たちだけれど、表情が全部豊か。
    彼の言う「社会から個人に」という方法が写真でも出ている。

 (就職活動生)「解放」という絵を、空虚な絵に描いているのが
   面白かった。自分の場合は就職活動が終わったとき解放されたが、
   その途端に自分になにもないのが明らかになった感じがある。
   そこは自分とつながっていると感じた。

 (社会人)最初言った通りで、特に加えることはない。

 (社会人)私は絵画を理解するのはその人の発展史を共に理解した方が
   いいのかと疑問を持った。固定された概念で見てしまうと、
   作品そのもの自体に迫ることができなくなるとも思う。
   けれど今日は、シャーンの問題意識の変化から作品に違いが
   出来てきたということが納得できた。

 (中井)絵はその一枚の絵で勝負するべきだし、一枚の絵で
  勝負できないものはダメな絵だと思う。

  ただ、ベン・シャーンという人間がやってきたことの全体がわかれば、
  自分が感動した絵の後ろ側にどれだけのものがあったかをわかるから、
  それによってその絵の理解が深まることはある。

  ただ、最初にカス絵だと思ったものが背景を知ったことによって、
  評価がカス絵ではないと変わることはないと思う。

  ベン・シャーンの中にもダメなものもあるが、心に届いてくるものも
  あるから、その意味は考えたい。

  今回は今日話したことをベン・シャーンで考えたが、これは自分自身の
  問題でもある。

  ベン・シャーンは圧倒的にアメリカの民衆に支持された画家。それは
  一つにはわかりやすい。漫画みたいな絵を彼は自分の方法として選んで生きた。

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3.記録者の感想

(1)記録を書いて

   テキストに目を通して、ベン・シャーンの絵が見たくなって
  展覧会に行った。なにか感じるものがあったから絵を見たいと思った
  はずだが、それは言葉にならなかった。

  読書会の最初に読後感想をもとめられた時、私には話すことがなかった。
  テキストに書いてある内容がわからなかったからだ。読書会で他の
  参加者の感想や中井さんの話を聴いてもよくわからなかった。

  記録を残すために、録音を繰り返し聴き、テキストを読み直して、
  やっと自分の感想が言葉になってきた。

(2)他人との関わり

   ベン・シャーン展で彼の撮った写真を見て強く印象に残ったのは、
  被写体のひとたちが、とても柔らかい表情をしていたことだった。
  ベン・シャーンが相手と積極的に関わったことが想像できた。
  そして、こんな表情を見せてくれるまでに、どんな会話がされたの
  だろうと知りたくなった。そして、文章表現にも同じ面があると思った。

  私は学生時代に、小説や随筆を好んで読んでいた。
  自分の心に残った作品は、文章に「ひと」の存在が感じられる
  ものだった。ベン・シャーンの作品は、そういう書き手の文章に
  重なるものがあった。

  今回のテキストで、ベン・シャーンが被写体と向き合う方法論を
  読み、実際にその結果が形になった写真を見た。
  文章表現も同じで、他人との関わりがそのまま表われるのだと思った。

  だから、他人との関わりを避けてきた私には「ひと」を書くことは
  できない、と思う。

(3)自己否定の違い

   大学、大学院で日本文学を専攻していた私は、仕事を始めてから
  小説を読まなくなった。実際に時間や気持ちに余裕がなくなったこと
  もあったが、意識的に読むのを避けた面があった。それは、
  大学院時代の自分を否定する気持ちが文学に関わることを
  拒絶させたからだった。

  全くの親がかりで生きてきた私は、その時期が終わった時、
  自分が大学院で一生懸命していたことは「空っぽな勉強」で、
  実際は「遊び」だったのだと思った。
  「大学院でやっていた文学」は金持ちの遊びに過ぎない、
  私にはもう縁のない世界だと思い、関わることを禁じた。

  勿論「大学院の文学」を否定することは、「本来の文学」の否定には
  つながらないはずだ。けれど私は、今でも文学が存在する意味が
  わからなくなったままだ。

  ベン・シャーンが、パリに学んだ自分を強く否定した中から
  自分独自の方法を作っていく過程を書いていた。
  それについて中井さんが、否定された自分も踏まえて前に進んでいく
  という話をした。否定は、否定した対象を自分の中に位置づけることだと。

  比べてみると、自分の否定は、過去の自分や「文学」を抹殺しようと
  していて、ベン・シャーンの否定とは大きく違うと思った。
  今は、抹殺する否定のあり方は間違いだとなんとなくわかる。
  けれど、過去の自分を抹殺しようという動きが自分の中にはある。

(4)表現の違い

   ベン・シャーンには表現したいものがある。例えば「恐怖をリアルに
  表現したい」という思いがあって、絵を構成していく。目的があるから
  そこに向かって作戦をたてて形にしていく。

  自分が時々書く文章との違いを考えた。
  私の書く文章は表現したいものがはっきりして組み立てて行く文章ではない。

  私が書く時は、自分の中のかたまりを、言葉にすることで、ほぐしている
  という感じがする。絡み合った糸をひとつひとつほぐすようなもので、
  書いていると自分の内側が静かになっていく。
  そしてその作業が今の自分には必要な気がする。(了)