10月 05

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ (その2)  中井 浩一

■ 目次 ■

第2節 『生物の世界』から学ぶ
1.一元的世界と生物の主体性
2.無生物から生物の生成
3.環境の主体化はつねに主体の環境化である

なお本稿での『生物の世界』からの引用は「 」で示し、
講談社文庫判のページ数を付した。
引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけ、
中井が補った箇所は〔 〕で示した。

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第2節 『生物の世界』から学ぶ

1.一元的世界と生物の主体性

 今西の学問の本質を『生物の世界』で考えてみたい。
まずその凄みだが、それは物事をその根源から考えようとする姿勢から
生まれていると思う。その根源的思考は、地球上のすべてが、もとは
1つのものから分化した。この原理からすべてを導出していることから生まれる。

「この地球の変化を、〈単なる変化〉と見ないで、やはり一種の
〈生長とか、発展〉とかいうように見たいのである」。
「この世界を構成しているいろいろなものが(中略)
〈もとは一つのものから分化し、生成したものである〉。
その意味で無生物といい生物というも、あるいは動物といい植物というも、
その〈もとをただせばみな同じ1つのものに由来する〉というところに、
それらのものの間の根本関係を認めようというのである」。(13,14ページ)

これは壮大な一元論である。それは内在的であり、中心を持った発展を考えている。
そこには主体性が働き、個別性がある。ヘーゲルと非常に近い立場であることに驚く。
(しかし、今西は「単なる変化」と「発展」の違いと同一について突き詰めていない
と思う。この点は後述。また今西はヘーゲルは読んでいないようで、
西田幾多郎からこうした考え方を学んだようである。)

その徹底した一元論にも驚くが、私が感嘆するのは、その原理を
生物の世界の発展に応用してみせる手さばきの見事さである。
今西が借り物の思想を使っているのではなく、彼の血肉化した思想を
自由に駆使していることがわかる。だから文章はエッセイの様であり、
彼の肉声が響いている(他者からの引用が一切ないことには驚く)。

今西は生物の進化に生物の主体性を認める。それは生物の外界の認識、
同時にそれへの反応(行動)を認めることだ。今西はそれを生物の同化と
異化作用というもっとも根源的レベルで考える。

「〈認識する〉ということは単に認めるという以上に、すでにそのものを
なんらかの意味において自己のものとし、または自己の延長として感ずる
ことである」
「〔生物にとって〕食物とは体内にとり入れられなくとも、生物がそれを
食物として環境の中に発見したときにすでに食物なのであるからして、
生物が食物を食物として〈認めた〉ということはすでにそのものの生物化の
第一歩であり、同化の端緒であるともいえよう。こうして生物が生物化した
環境というものは、生物がみずからに同化した環境であり、したがって
それは生物の延長であるといい得るのである」。(62,63ページ)

これが今西の「認識」という理解であり、「汗が出ること」(74ページ)、
「痛いところをなめること」(68ページ)も生物の外界の認識であり、
同時にそれへの反応(行動)である。こうした根源的なとらえ方は、
ヘーゲルが目的論という人間だけの活動領域を、すべての生物に共通の
「衝動・欲求」というレベルから説き起こすことを想起させる。

今西は、こうした理解から、次のように言う。
「生物にとって生活に必要な範囲の外界はつねに認識され同化されており、
それ以外の外界は存在しないのにも等しいということは、その
〈認識され同化された範囲内がすなわちその生物の世界〉
〔いわゆる環境であり、生態系のこと〕であり、
〈その世界の中ではその生物がその世界の支配者〉であるということ
でなかろうか」(62ページ)。

今西は、ここから生物の生活(生態)と生物の肉体(その形)が
一体であることを示す。つまり分類学(死物の学)は生態学(生物の学)
に止揚される。これが分類学(死物の学)と生態学(生物の学)の関係という、
当時の生態学の課題の1つへの回答だったろう。

そこには壮大な一元論が展開することになる。
「生活するものにとって、主観と客観とか、あるいは自己と外界とかいった
二元的な区別はもともとわれわれの考えるほどに重要性をもたない
のではなかろうか」。(62,63ページ)

2.無生物から生物の生成

 こうした一元的な発展論のためには、地球の発展から生物が生まれたこと、
無生物から生物が生まれたことを説明する必要がある。今西は生物の成長の
現象にも、死んだ後の解体の現象にも同じ構造を示すことで、その説明をしている。

「それ〔死〕は確かに生物としての構造の破壊であり、その機能の消滅を
意味する。しかしそれによって生物が生物でなくなるということがただちに
構造そのものの消失、機能そのものの消失ではない。解体が行なわれると
いうのはすなわち〈生物的構造が無生物的構造に変る〉ことであり、
〈生物的機能が無生物的機能に変る〉ことである。生物として存在するときには
それでよかったが、無生物ということになってしまうと
〈無生物的存在として安定であるような構造なり機能なりが得られるところまで、
解体が進み変化が生ずる〉ものと考えられる」。

つまり「生物の生長という現象も、この構造自身が絶えず変化し更新して
行くゆえに構造的即機能的であるといい得るものならば、
解体の場合だってやはりその構造自身が絶えず変化して行くゆえに、
それは構造的即機能的現象なのではなかろうか」。(45,46ページ)

生物は死後には無生物的存在に戻っていくことが示されるが、
それが逆に、無生物から生物が生成した証明でもあるのだ。
ここにはヘーゲルの「止揚」と同じ考え方が展開されている。

ヘーゲルならこう言うだろう。
「無機物の真理が有機物であり、生命(細胞)である。
その生命の真理は植物であり、また動物であり、さらには人間である。
したがって人間の中には、動物が、植物が、物が止揚されている。
それは人間が壊れていく過程で明らかになる。
人間は、自意識を失えば動物に戻り、次には植物人間となり、
最後は物に戻る」と。

生物の進化の過程はその肉体によく現れている。今西はこう言う。
「生物というものは、その〈身体を唯一の道具とし、また手段として
生きて行かねばならない〉ということである。しかもその身体と
いうものは親譲りの身体であり、その〈身体のうちに、彼の祖先たちが
経験してきた歴史のすべてが象徴されている〉ともいえよう」
(143ページ)。

「個体発生は系統発生を繰り返す」とは有名なテーゼだが、
生物の個々の肉体にも系統発生の過程が刻印されているのだ。

3.環境の主体化はつねに主体の環境化である

 こうしてすべてが物=無生物から生まれたとなれば、これは唯物論であり、
唯物史観になっていくだろう。だから今西を読んでいると、
ヘーゲルと同時に、マルクスが想起されることが多い。

「環境の主体化はつねに主体の環境化であった。身体の環境化であった」
(143ページ)。
これはマルクスの労働過程論を彷彿とさせる。
そしてこの「環境の主体化=主体の環境化」という原理を具体的に展開した
のが、今西の生物社会論なのだ。

今西は、進化を「世界の不平等」から説き起こす。「不平等」とは、
地球上の状態がどこも違うことだ。
「われわれの世界というものは根本的に不平等な世界であり、
不平等はわれわれの世界が担っている一つの宿命的性格であるともいえる」
(100ページ)。
「しかし私はこの不平等さのゆえに、かくも多種類の生物がこの地球上に
繁栄し得ているのだといいたいのである。すると問題は生物がこの不平等さを
どのようにして彼らの生活内容にまで取り込んでいったかということになるで
あろう」(101ページ)

今西はこの問いへの回答を出すために、次の3つのレベルを想定する。
個体と種、同位社会、同位複合社会である。そしてそれぞれのレベルと
その関係性を解明する。

個体と種の関係は
「〔個々の〕生物が〈いたずらな摩擦〉をさけ、〈衝突〉を嫌って、
〈摩擦や衝突の起らぬ平衡状態〉を求める結果が、必然的に
同種の個体の集まりをつくらせた」(88ページ)。これが「種」だと言う。

「種の分化が進まないで、どこまでも相似た生活形をもち、どこまでも
相似た要求を満たそうとするもの同士(類縁の近しい間柄)が同一地域に
共存し、しかもその共存によってお互い同士の間の平衡を保ち得る途
というのはただ一つよりない。それはお互い同士が同じ生活形をとり、
その生活に対して同じ要求をもつようになることである、すなわちそれは
〈同種の個体となってそこに種の社会を形成する〉ことにほかならない」。
(102ページ)

こうした種の内部の個々の生物の間では分業はないと今西はいう。
したがって、これは「未発展」「未完結」のものと今西は言う。

 これに対して、種の分化、分裂が起こり、その両者が
「お互いに相容れぬものであったならば(中略)同じ傾向をもったもの同士が
相集まるようになる」。「そうすることによって〈無益な摩擦をさけ、
よりよき平衡状態を求めよう〉というのが、生物のもった基本的性格の
一つの現われでなければならない」(102,103ページ)

「この二つの社会はその〈地域内を棲み分ける〉ことによって、
〈相対立しながらしかも両立する〉ことを許されるにいたるであろう」
(103ページ)。
これが今西の「棲み分け理論」であり、その結果生まれるのが
「同位社会」である。

同位社会は種社会が分裂して複雑化したものだが、平面的な棲み分けに
とどまり、分化や分業の観点では未発達で未完結だと今西は言う。

 ある地域内の複数の同位社会の間にさまざまな分業が行われ、
その結果「共存」「平衡」が実現した状態を、今西は「同位複合社会」
と呼ぶ。その分業の中で大きなものが「食うもの食われる物の関係」だ。
それは「支配階級と被支配階級」の関係でもある。「食い方の違い」に
よる分業もある。

同位複合社会はさらに大きな地域を全体とする同位複合社会を形成して、
発展していく。それは地球規模に至って完結する。

これが今西の考えだ。これは結局は、進化とは棲み分けの密度化であり、
「多種類の生物がこの地球上に繁栄する」ことだと言っているのだろうか。
どうもそうらしい。

 進化をめぐる、ヘーゲルやマルクスと今西との違いは、生物内部の
対立や矛盾の位置づけにある。

ヘーゲルやマルクスは、対立・矛盾から生まれる運動にこそ、
発展の核心を見ようとする。対立・矛盾から生まれる運動が発展を
引き起こす。この立場なら、研究・調査の中心は対立・矛盾の運動に
焦点化されるだろう。

今西も対立・矛盾を認めるのだが、そうした断絶よりも、その結果
生まれる平衡を重視しているように見える。その時、研究・調査の中心は
対立・矛盾が止揚された後の状態に焦点化されるだろう。
ここが大きな違いだ。

今西は対立や矛盾を見ないのではない。しかし、「いたずらな摩擦をさけ」
とか「無益な摩擦をさけ」とか言う時の、「いたずら」か否か、
「無益」か否かの客観的な基準は示されない。

ただし、今西は「甘ったれた」エコロジストではない。たとえば、
今西は「食うもの食われる物の関係」を同じ類縁内に見る。
ある生物の種が繁栄し、高い繁殖率を維持して飽和状態になろうとするとき、
どうするか。

今西は言う。「もとのままの繁殖率をつづける場合には、この世が
いわゆる生存競争の修羅場と化するだけであって、それも
〈無益な抗争を好まぬ〉生物にとってはふさわしからぬことであろう。
だからこの矛盾の、生物らしい円満な解決というのは、その生物社会が
食うものと食われるものとの分業に発展することによって、
繁殖率を減退させずともその飽和状態を持続すむことにあるだろう」
(118ページ)

今西の言うところの「無益な抗争」を避けるためには、
共食いも辞さないのだ。そうした厳しい社会の中での「平衡」を
今西は考えている。
 

10月 04

今年の5月の読書会で今西錦司著『生物の世界』(講談社文庫)を読んだ。
私(中井)が京大の学生だったときに、今西グループの文化人類学者・米山俊直から
強く勧められ、ぱらぱら読んだ記憶がある。そのときは、あまりわからなかったと思う。

 しかし、当時の私は今西の高弟である梅棹忠夫のファンだったから、当然
その親分である今西についてもいろいろと知ることになり、すごい人らしい
とは思っていた。1974年から刊行された全集も2冊購入している。
しかしそれらは積読で終わっていた。ただ気にはなっていた。

今回、鶏鳴学園の中学生クラスのテキストとして検討したいという理由から
読んでみたのだが、圧倒的なすごみと面白さを感じた。

 それは現在読んでいるヘーゲルの目的論、マルクスの労働過程論と、
あまりにも強く響き合ったからだ。それらを考えている今、読んだのでなければ、
またずいぶん違った印象になったかもしれない。

 なお本稿での『生物の世界』からの引用は「 」で示し、
講談社文庫判のページ数を付した。
 引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけ、中井が補った箇所は〔 〕で示した。

■ 全体の目次 ■

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ    中井 浩一

第1節 今西錦司と『生物の世界』
1.『生物の世界』の凄さ
2.登山と探検と学問 今西錦司の経歴 

第2節 『生物の世界』から学ぶ
1.一元的世界と生物の主体性
2.無生物から生物の生成
3.環境の主体化はつねに主体の環境化である
4.「支配階級」の交代
5.人類の誕生
6.相対主義への転落
7.仲間や師弟関係の問題

第3節 高度経済成長と今西の仲間たち
1.逆転
2.桑原武夫の功績
3.文明論の大家・梅棹忠夫
4.大衆社会の到来
5.時代の代弁者たち

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■ 本日の目次 ■

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ (その1)   中井 浩一

第1節 今西錦司と『生物の世界』
1.『生物の世界』の凄さ
2.登山と探検と学問 今西錦司の経歴 
===================================

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ 
             中井 浩一

第1節 今西錦司と『生物の世界』

1.『生物の世界』の凄さ

 これは凄い本である。この本のどこがすごいのか。それを簡潔に説明する。

 まず、物事の本質を根本から、根源的に考えている。したがって、
ヘーゲルやマルクスと非常に近いところにいることがわかる。
もちろん、突き詰めていけば、その違いもまた明確で、今西のあいまいさや
中途半端さも見えてくる。しかし、それにも関わらず、その根源に迫ろうとする
迫力は大変なものだし、生物学、生態学の分野でヘーゲルやマルクスの理論を
具体化している点からは学ぶべきものが多い。これについては第2節にまとめる。

 しかし、こうした点だけならば、著者が西欧人だったとしても同じことが
言える。ここで、今西が日本人であることを思ってみる時、その凄みは一層
明確になるだろう。

 明治以降の後進国日本は、西欧からの先進的な学術や技術の輸入に追われてきた。
したがって、そこにはいつも夏目漱石の言う「他者本位」と「自己本位」の
矛盾の問題があった。「依存」と「自立」の葛藤である。日本の学者のほとんどは、
西欧研究者の「猿まね」であり、その翻訳者であるにすぎなかった。
そうした中にあって、今西は屹立している。その自前の思想のレベルは、
当時の世界水準を大きく超えていただろうと推測する。

 その自立性、その強烈な主体性は、本書の「序」によく出ている。
本書の刊行は1941年(昭和16年)。今西は、太平洋戦争への
出兵を目前にして、遺書のような思いで本書を書いたようだ。
「私はせめてこの国の一隅に、こんな生物学者も存在していたということを、
なにかの形で残したいと願った」(3ページ)。
本書には他者からの引用が一切ない。すべてが自分の言葉で書かれている。
だからこそ、今西はこうした学術書を「私の自画像」(3ページ)と
呼べるのだ。まさに「私」の自画像なのだ。
彼にとって、学問と自分は一体なのだろう。
彼の生き方とその学問は1つなのだ。
そうサラッと言える人がどれだけいることだろう。

 事実、この本は彼自身の人生の危機を前にした遺書であると同時に、
生態学そのものの危機を前にした提言書でもあるようだ。
「生態学という、実に広い未開拓の野に踏み込んで(中略)
差し迫った問題に関連して」(4ページ)書かれている。
だから本書では問いが沸き立っている。答えが噴き出している。
当時の生物界の抱えていた問いはもちろん、誰も疑問を待たないで
見過ごしていることに今西独自の問いが次々に立てられ、それに
片っ端から答えていく。その答えは、それぞれ面白く、納得できる。

 やはり、本書は大変な本である。重厚で圧倒的な迫力がある。

 それにしても驚くのは、当時の日本で、自前の学問をつくりあげ、
そのレベルが当時の世界水準を大きく超えていたような人がいたことだ。
それはなぜ可能だったのか。

2.登山と探検と学問 今西錦司の経歴 

 今西 錦司(いまにし きんじ、1902年?1992年)は、京都西陣の有名な織元
「錦屋」の長男として生まれ、京都という千年の都で、由緒ある商家の
ボンボンとして育った。旧制京都一中、三高、京大と進学したのはエリートコース。
その一中以来の親友が第一次南極越冬隊副隊長を務めた西堀栄三郎。
その三高以来の親友が桑原武夫〔第3節の2で説明する〕。
3人は三高で山岳部を立ち上げ、その後京大学士山岳会を創設し、
ヒマラヤ登山など日本の山岳史上に大きな実績を残した。

 今西を考えるときには、大きく2つの側面を考えるべきだ。

 1つは登山家、探検家としての側面、もう1つは学者・研究者としての側面だ。

 今西のユニークさは、登山家・探検家の面の方こそが中心であり、
研究者の側面は副次的なものだった点だ。山=自然こそが主なのだ。
これが彼の学問のユニークさであり、当時にあっては(今も変わらない)
異端的な存在だった理由だろう。

 登山家、探検家としては、国内で多くの初登頂をなし、海外では
1932年、30歳の年に試みた南カラフト東北山脈の踏査を皮切りに、
36年の冬季白頭山の踏査、38年の内蒙古草原調査、
41年のポナペ島生態調査、42年の北部大興安嶺探検、
44年の内蒙古草原調査と続く。

 戦後も、その勢いは衰えるどころか加速する。
52年にマナスル登頂の準備のためにヒマラヤに初登山、
55年にはカラコルム・ヒンズークシ学術探検、
57年に東南アジアの生物学的調査、
58年以降にアフリカにおけるチンパンジーと狩猟民族の調査と続く。

 今西たちの登山、探検のレベルは世界水準のものであり、
そこに西欧コンプレックスが入る余地はない。彼には第1級のレベルの
仲間たちがいたし、彼らを組織するリーダーとしての能力が鍛えられた。
それは現実と理想の間を強靭につなぐ力だ。
組織の運営と金の算段、海外での活動には国家規模での交渉が必要になる。
計画や戦略の立案と実現のための客観的な現状分析やそれを実現する
勇気や決断の能力だ。

 さて、今西にあってはこうした登山、探検がそのまま自らの
研究活動と重なり、その思想を鍛える現場になっている。そして、
彼の研究における仲間や弟子たちは、こうした登山や探検の仲間や
チームの一員であったことが特徴だ。
梅棹忠夫〔第3節の3で説明する〕、川喜田二郎、中尾佐助、吉良竜夫たちは、
みなこのチームから育ったのである。
逆に言えば、京大で長い間無給講師を続けていた今西には
規制の制度内での弟子はほとんどいない。

 研究者としての経歴は生態学者として始まるが、初期の日本アルプスに
おける森林帯の垂直分布、渓流の水生昆虫の生態の研究などは
すべて登山と結びついている。後者は住み分け理論の直接の基礎となった。

 その後の海外での探検の活動からは、生態学を越えて動物社会学、
動物社会から人間社会(遊牧社会)の研究へと進んでいく。
『生物の世界』はこうした過程での産物である。

 戦後はニホンザルの社会集団の存在を実証し、その構造や
文化的行動について明らかにした。その後アフリカの類人猿、
狩猟採集民の調査を通じ、これがサルから類人猿をへて
人類にいたる霊長類の進化の過程とそれぞれの社会構造を
テーマとする巨大な研究プロジェクトになっていった。
そこでは人間社会、人間家族の起源について研究までがおこなわれた。
この研究におけるチームの伊谷純一郎と河合雅雄、川村俊三などは
今西の長い無給講師時代の弟子として知られる。

 
 こう見てくると、今西の学問の特異性が良く理解できる。
それは、従来の日本のアカデミズムの狭い世界を大きくはみ出している。
狭く縦割りの専門分野、講座制という旧来の師弟関係、そうしたものと
無縁の経歴である。

 今西の学問は、世界中の現地調査によるフィールドワークを
基礎とするものである。それは観念論的な物の見方を壊し、
リアルな実証研究を根底に据えるものだ。しかし今西たちはそこに
とどまらず、共同討議を基礎にして、未知なる広大な領域、
巨大な思想領域にまで踏み込んでいる。
それは当時の日本が生んだ数少ない、自前の自立した、
そして世界的基準の研究だった。

 全世界をまたにかけた探検から生まれた研究は、動物も人間社会も、
空間的社会学も時間的な進化論や社会発展をも視野に入れている。
それは今西のように理系の自然科学を基底に置くが、
人文社会科学や思想の領域をも含んだ総合的な研究となる。

 登山や探検では目的を共有したチームとしての組織的な活動が基本になる。
そこから生まれる研究は、個々の研究者が孤独に取り組むものではなく、
集団的な討議が中心の共同研究になる。また、今西の仲間や弟子たちは
大学や学会と言った既成の枠組みとは無縁のところに形成されており、
登山や探検という生死を共にするような強固な仲間意識でつながれている。
それだけに強烈な師弟関係、盟友関係があったことがうかがわれる。
彼らをまとめて今西学派、今西グループなどと呼ぶらしい。

 私はそこに、もう一つ、京都という文化的背景があったと推測する。
京都の文化的サロン、そうした自由な討議の伝統だ。
彼らは京都の町衆の後裔としてのエリート集団だったのではないか。

7月 05

昨年の秋に、マルクスの労働過程論(『資本論』の第3篇第5章第1節)を
丁寧に読んで、労働価値説と唯物史観について考えてみました。

 今回考えたことをまとめ(「マルクスの労働過程論 ノート」)、
その考え方の根拠となる原文の読解とその批判(「マルクス「労働過程」論の訳注」)
を掲載します。

 ■ 全体の目次 ■

 1.マルクスの労働過程論 ノート
  A 全体への批判
  B 構成
  C 本来の構成(代案)

 2.マルクス「労働過程」論(『資本論』第1部第3篇第5章 第一節)の訳注                           
 
─────────────────────────────────────

 ■ 本日の目次 ■

  1.マルクスの労働過程論 ノート(その2)   中井 浩一
B マルクスの労働過程論の構成
C 本来の構成(代案)

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B マルクスの労働過程論の構成

(1)資本主義社会の資本家と賃金労働者の関係の話から、
     一般的な労働過程論へ    …1段落

(2)一般的労働過程の内部構造
    [1] 人間と自然の物質代謝が労働  …2段落
    [2] 人間は労働で人間のために自然を変えてきたが、
      同時に人間自身を変えてきた  …2段落
      ・人間はその潜在的能力を労働によって発展(開花)させてきた
    [3] 動物一般や昆虫と人間の労働との違い 思考=目的意識性
       …2段落
    [4] 労働過程の3要素  …3段落
       人間労働(合目的的活動)→直前の[3]にあたる
       労働対象 →次の[5]にあたる
       労働手段 →次の[6]にあたる
    [5] 労働対象  …4段落
    [6] 労働手段  …5段落
    [7] 傍流 空間が前提 …6段落
    [8] 労働過程の結果・成果、それを止揚したのが生産物
        …7段落

(3)生産物の立場からの、労働過程の検討
    [1] 生産物の立場からの労働過程を振り返る 「追考」の宣言
       …8段落
    [2] 過去の生産物から新たな生産物が生まれ、それが次の労働の条件になる
       …9段落
    [3] 人類史からの事実命題 人間は労働の蓄積で、世界を変えてきた
       …10段落
    [4] 大工場内部での労働の蓄積
      ・主原料と補助原料 …11段落
      ・1つの生産物が多様な原料になる …12段落
      ・1つの労働過程で、1つの生産物が、
       次の生産の労働手段にも労働対象にもなる …13段落
      ・中間生産物 …14段落
      ・全体の中での役割で、何になるかは決まる …15段落
      ・すべての過程を止揚したものが生産物 …16段落
        止揚されていないのは欠陥物

(4)生産と消費
    [1] 消費されない生産物は、使用価値が無になる
       …17、18段落
    [2] 生産=消費 …19段落
       2つの消費=2つの生産物=生産物と人間自身
    [3] 注釈 人間の労働によらない大地がある …20段落

(5)一般的な労働過程論のまとめ …21段落

(6)資本主義社会の労働過程の特色
    [1] 一般的な労働過程論から資本家と賃金労働者の関係にもどる
       …22段落
    [2] 資本主義社会の労働過程の2つの特色 …23段落
      ・労働も資本家のもの …24段落
      ・生産物も資本家の所有物 …25段落

    骨子は(2)労働過程内部、(3)その生産物から労働過程を振り返る、
   という2つ。この方針自体が、唯物史観をきっちり説明するには不十分。

    仮に、マルクスの大枠の方針を認めたとしても、本来は、
   (3)の[4]と(4)の[1]は、(2)の[6]の後に入れるべき。
   整理されていないので、読みにくい。

    マルクスがここで実際にやっていることは、労働関係の用語〔(3)の[4] 〕
   (原料、労働対象、労働手段、中間製品、など)を、全体の労働過程に
   位置づけることで、その用語の意味を確定すること。

    しかし、ここは本来は、そんなことをやる場所ではないはず。

C 本来の構成(代案)

      マルクスは労働過程論を、本来はどう書くべきだったのか。
     唯物史観の3要素はどこからどう導出されるべきなのか。
     以下に、私の代案を示す。

(1)資本主義社会の資本家と賃金労働者の話から、労働過程論へ

       資本主義社会の資本家と賃金労働者の関係が
      なぜ生まれたのか、
      そしてそもそも労働が価値であるとはどういうことなのかを
      理解するために、労働とは何か、人間労働が他の動物と
      何が違うのかを考えなければならない。

(2)労働における人間と動物の違い

    [1] 生物と自然の物質代謝が労働 
 
    [2] 動物一般や昆虫と人間の労働との違い 目的論
       目的意識性
      → 人間の思考(内的二分)
      → 対象世界をも二重化することを可能にした。

    [3] 自然への働きかけの変化 自然界を二重化した
       人間は、対象の自然を労働対象と労働手段に分け、
       労働手段で労働対象に働きかける方法に変わった。
       労働対象の説明
       労働手段の説明 →これが社会の生産力を規定する 

    [4] 人間は労働で、人間の社会を二重化した
       人間の現実の社会(存在)と、それを反映した法律、思想(当為)の世界
       これが生産関係と上部構造
       人間社会は対立分裂し、それによって発展する
       法律や思想もそれを反映する

    [5] 唯物史観 生産力を高め、発展するための発展
       労働手段を改良して生産力を高め
       人間の生産関係を発展させ
       法律や思想も発展させてきた。
       この3つの関係は相互関係であるが、従来は大きくは
       上が下を規定してきた。
       ヘーゲルの思想が生まれた以降は、思想が全体を指導する

(3)実体への反省 発展とは本質に反省する変化

      人間は労働過程を通して人間になってきた。
      自然も労働過程で本来の自然になってきた。
      可能性が現実化したと展開したのは、実体へ反省する準備で
      なければならない。
      人間の使命、自然が人類を生んだ意味を示す。
      自然の概念、人間の概念を説明する。

(4)唯物史観の立場からの人類史のスケッチ(人類史における労働過程)

      自然と人間の発展過程
      唯物史観による生産力、生産関係、上部構造の発展の過程

(5)資本主義段階の社会の簡潔な説明(その生産力、生産関係、上部構造)

7月 04

昨年の秋に、マルクスの労働過程論(『資本論』の第3篇第5章第1節)を
丁寧に読んで、労働価値説と唯物史観について考えてみました。

 今回考えたことをまとめ(「マルクスの労働過程論 ノート」)、
その考え方の根拠となる原文の読解とその批判(「マルクス「労働過程」論の訳注」)
を掲載します。

 ■ 全体の目次 ■

 1.マルクスの労働過程論 ノート
  A 全体への批判
  B 構成
  C 本来の構成(代案)

 2.マルクス「労働過程」論(『資本論』第1部第3篇第5章 第一節)の訳注                           
 
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■ 本日の目次 ■
1.マルクスの労働過程論 ノート(その1)
 A 全体への批判

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1.マルクスの労働過程論 ノート
                    2013年10月22日 中井浩一

  A 全体への批判

 (1)唯物史観の導出ができていない

     マルクスが『資本論』のここに労働過程論を入れたのは、
    労働価値説の証明と、唯物史観の導出のためである。

    ところが、2つともにできていない。

     唯物史観の導出ができていない点については、
    道具(労働手段)が生産力と関係することを言うだけで、
    生産関係や上部構造がどこから出てくるのか、
    またこの3者の関係はどうなっているのかを示せない。

     これは唯物史観を主張するマルクスにとって
    致命的な欠落だったのではないか。

     それは冒頭で、一般的な労働過程論を展開するとしたことで、
    避けられなくなった。資本主義社会といった特定の社会段階から
    切り離した、共通部分として書くと言う。
    抽象的悟性の立場、外的反省の立場に立ってしまった。
    しかし、資本主義社会から切り離して論ずることは実際にはできない。
    そこで、資本主義社会のことが、無原則に労働過程の本質論に入り込む。

     当初は「人間」論のはずが、2段落以降で「労働者」が主語に
    なってしまう。「資本家」は労働していないかのような仮象を
    与えている。

     人間は労働によって、自分たちの都合のよいように、この世界を
    変えてきた。しかし、同時に、自分自身をも変えてきた。
 
    思考、目的にあった労働形態を作るために、
    つまり生産力を高めるために、道具などの生産手段を生みだし、
    それにふさわしいように自分自身の能力(肉体的にも精神的=思考にも)
    を高め、さらには人間の生産関係を変えてきた。

    この点を言えなかったのは、唯物史観の創始者にとって致命的だった。

     ある思想の創始者には、創始者としての責任がある。
    この資本論の労働過程論は、人間の本質を明らかにし、
    唯物史観の意味を鮮明に描き出すべきところだった。
    それがまるでできていない。

 (2)「実体」への反省が不十分

    (1)の結果に終わったのは、「実体」への反省が不十分だからだ。
    構成上は、次の B「構成」で示す「(3)生産物の立場からの、
    労働過程の検討」の中で、結果論的な考察(Nachdenken)、つまり
    「実体」への反省がなされなければならなかった。

     そして、人間の使命、自然が人類を生んだ意味を導出する
    べきだった。
    人間はなぜ労働をするのか。自然と人間はどういう関係なのか。
    自然の概念、人間の概念、労働の概念とは何か。
    そうしたすべてが明らかにされないままに終わっている。

     つまり本来の結果論的な考察(Nachdenken)になっていない。
    そこで、許万元が『ヘーゲルの現実性と概念的把握の論理』で
    マルクスの代わりにそれを実行した。
    しかし許は、マルクスの批判は行わない。

 (3)マルクスのこの文章ならびにその構成はかなりひどい。
    点数をつければ30点ほど。

 100点満点でのもの。
    以前はマルクス大先生の文章は常に80?90点ほどだと
    買いかぶっていたが、今回はそのひどさに愕然とした。

     この文章の目的、ねらいは何か。
    そのために、何をどういう順番に書くべきなのか。
 
    それを十分に考えて、全体の構成を練り上げてから
    執筆するべきだった。
    ところが、マルクスはそれが不十分なままに、出たとこ勝負で、
    行き当たりばったりで執筆しているように思う。

     本来の目的を見失い、本当に書くべきことが書かれていない。
    これでマイナス30点。
    全体の構成の練り上げが不十分で、必然的な構成ではなく、
    行き当たりばったりの個所が多い。これでマイナス30点。
    また、傍流が多く読みにくい。これでマイナス10点。

    以上の結果、総合評価は30点である。

 
 (4)この(1)から(3)の問題点について、いまだ誰も批判を
    していない

    せいぜい牧野紀之の批判的な言及があるだけだ。

3月 24

10のテキストへの批評  10 才子は才に倒れ、策士は策に溺れる(「『である』ことと『する』こと」丸山真男)

■ 全体の目次 ■

1 ペットが新たな共同体を作る(「家族化するペット」山田昌弘)
2 消えた手の魅力(「ミロのヴィーナス」清岡卓行)
3 琴線に触れる書き方とは(「こころは見える?」鷲田清一)
4 昆虫少年の感性(「自然に学ぶ」養老孟司)
5 「裂け目」や「ほころび」の社会学(「システムとしてのセルフサービス」長谷川一)
6 「退化」か「発展」かを見分ける力(「人口の自然─科学技術時代の今を生きるために」坂村健)
7「サルの解剖は人間の解剖のための鍵である」か?(「分かち合う社会」山極寿一)
8 わかりやすいはわかりにくい(「猫は後悔するか」野矢茂樹)
9「調和」と「狎れあい」(「和の思想、間の文化」長谷川櫂))
10 才子は才に倒れ、策士は策に溺れる(「『である』ことと『する』こと」丸山真男)

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10 才子は才に倒れ、策士は策に溺れる(「『である』ことと『する』こと」丸山真男)

丸山真男の本テキストは1958年に行なわれた講演記録で、61年刊行の『日本の思想』(岩波新書)に収録されている。講演が行われ、本として刊行されてからすでに50年以上が過ぎている。本テキストは50年間読まれ続けてきた「永遠のロングセラー」であり、中でも「『である』ことと『する』こと」は今も多数の教科書に採用されている。凄いことである。時代を超えた「古典」になったといえる。
丸山は日本の敗戦後の混乱の中で、新しい民主的な日本社会を作るために働いた。「進歩的文化人」を代表する1人で、反戦・平和・民主主義の運動の思想的拠り所となっていた。60年の安保闘争時には、市民運動や学生運動に大きな影響を与えた。本テキストはまさにこの時点の講演であり、当時の市民運動の理論を代表するものである。
しかし60年安保は「挫折」し、その十分な総括ができないままに時代は流れた。60年代後半の学生紛争やベトナム反戦運動や新左翼の革命運動の盛り上がりのなかで丸山理論はすでに指導理念ではなかった。学生紛争時には新左翼などから丸山は批判される側になっていた。
60年の安保闘争の「挫折」とその総括ができなかったこと、組合運動や市民運動が大きく成長できなかったことの一因は、丸山理論の弱さにもあったのではないか。一方で、丸山を批判する側も、丸山の根本的な欠陥を見抜き、それを克服するような理論を提示できたわけではない。それゆえに、70年代の革命運動や市民運動も成功せず、成熟することができないままに流れてきたように思う。
丸山が今も読まれていることは、丸山が50年前に問題としたことが今も未解決のママであり、今もそこに考えるべきことがあるからに他ならない。そして、今もなお、丸山を越える思想を私たちが持っていないことを示してもいるだろう。

丸山理論を克服するためには、まずは、丸山の凄味、このテキストの何がそんなにすごいのか、それを明らかにしなければならない。
丸山の凄さは、日本社会の根本問題を正面から取り上げ、その問題をこれ以上ないほどにシンプルにわかりやすく説明し、その解決策を示したことだ。
その問題とは、近代化において西欧に大きく遅れた後進国・日本の問題だ。アジアの国が近代化=西欧化を進めようとする際の根本矛盾であり、夏目が「私の個人主義」で問題にした「他者本位」の問題である。一言でいえば、後進国の「自立」が如何にして可能かの問題だ。丸山は、特に政治(民主主義)における前近代的な考え方、意識の問題を徹底的に追及する。一方でラストでは文化・学問の問題を出して、政治と学問の両者の解決を示して終わる。
一般に、多くの学者は自分の専門とする「タコツボ」(これも丸山の用語だ)の中に閉じこもり、大きな問題には立ち向かおうとしない。そうした中にあって、丸山の姿勢は突出している。こうした根源的な大テーマに対して発言すること自体、蛮勇がなければできないことだ。
丸山の凄みは、日本社会の根源的な問題に正面から挑んだことにあるだけではない。その問題を、これ以上ないほどにシンプルにわかりやすく説明してみせた。何しろ「である」ことと「する」ことの2つのキーワードだけで、すべての問題を快刀乱麻、一挙に解明して見せたのだから恐れ入る。こんな学者はかつていなかったし、今もいない。
しかもそれは乱暴で粗雑な議論ではない。丸山は論理の大家であり、論理を完璧なまでに駆使できる圧倒的な能力を持っていた。当時の文化人における最高のレベルだったのではないかと思う。それは本テキストで確認できる。そうした能力による分析による究極の単純化が「である」ことと「する」ことだったのであり、その威力はすさまじかった。すべてがこの2語で粉砕できた。おそらく向かうところ敵なしであったことだろう。しかし好事魔多し。丸山にとって不幸だったことは、丸山を批判できる相手がいなかったことである。才子は才に倒れ、策士は策に溺れる。それが丸山にも当てはまる。
 
 丸山の何が間違いだったのかを考えよう。丸山は、前近代社会と近代社会を「である」原理と「する」原理という反対概念でとらえる。身分制社会と自由・平等の社会の比較としては、それにはある一定の正しさがあり、限定された範囲では有効な分析だ。特定の局面を分析する際の、有効な「比喩」としてならそれほどの問題はない。しかし、「である」と「する」で、前近代と近代の本質をとらえようとするのは無理である。そのために大きな混乱をもたらした。
例えば、丸山は「○○らしさ」や「分をわきまえる」こと(これは本テキストでは省略されている)を求めること自体を前近代的として退ける。しかし、本当はこうした考え方には何も問題が無いどころか、いつの時代にも必要なことなのだ。
 丸山のこの2分法の破綻は、経済と政治では「する」を求め、文化では正反対の「である」を求めるという矛盾によく現れている。しかも、この矛盾を詳しく説明するどころか、最後のわずか10行ほどで両者の逆説的融合を示して講演は終わる。最後のどんでん返しと、一挙の大団円。
これはあざやかではあるが「手品」でしかない。丸山はこうしたアクロバティックな藝が好きなようだ。ここに無理を感じない方がどうかしているのだが、丸山ファンは、かえってそこに喝采したのではないか。
私はこのラストを読んで、あまりにもびっくりして腰が抜けた。「あれ?っ」。もしかして、この後に、丸山が「な?んちゃって」と言って舌を出したのではないか、と邪推したぐらいだ。丸山は「本気」だったのか、冗談を言ったのか、何だったのだろうか。

 丸山の破綻を、本来はどう解決すべきなのか。解決は「である」と「する」を一体のものと考えることによって可能になる。説明しよう。
人がどう生きるか、何を「する」か(当為=使命)は、常にその人がどう「である」か、何「である」か(存在=本質)によって決まるのだ。これを「存在が当為(=使命)を決める」と言う。つまり「である」が「する」を決めるのだ。その意味で両者は一体であり、このことは時代によって変わらない。何時の時代でも、私たちはそのように考えて生きてきたし、今後もそうするしかない。岐路に立ったとき、私たちは「自分とは何か」を問うことで、選択するしかない。その時、私たちは人間の本質、家族の本質、社会の本質などを考えることになる。これを深めたものが「学問」だ。だから丸山も、学問・文化では「である」が重要だとするのだ。
では、前近代と近代の違いはどこに現れるのか。それは、「存在が当為を決める」時の「存在」のあり方の違いに現れる。前近代では生まれ(出自)によって決まる。つまり地縁・血縁関係で決まる。これは当人の自由意思では変えられない。例えば「武士」「長男」「女性」という生まれがその人の人生を決めてしまう。身分制度があり、職業は身分と一体であり、結婚も家制度の枠組みの中で行われていた。
 一方、近代では、本人の自由意思で選択した仕事や人間関係が本質を作る。身分制度はなくなり、職業の自由が保障され、結婚は個人の契約になった。そこでは個人の自由な選択が決定的で、それゆえに、自己責任が問われる。
 丸山が前半で、「である」と「する」で表現しているのは、この「存在」のあり方の内部での違いでしかないのだ。もちろん近代では、「自分とは何か」に対する答えが一層ムズカシクなっている。社会が複雑になり、多様な役割関係の中で、どの役割を「本質」と考えるか、役割の相互関係をどう考えるかでは、人によって大きな違いが生まれてきている。
 しかし、「分をわきまえる」ことや、「○○らしさ」を求めることが間違いなのではない。むしろ近代になって初めて「人間らしさ」が真に問われるようになったのであり、種々の役割を果たす社会になったからこそ、それぞれの役割の「分をわきまえる」ことが問題になるのだ。
例えば、女性に「女らしさ」を求めることに問題があるのではないだろう。他の多様な役割相互の関係を無視して、それだけを社会的な比重以上に大きく求めることが間違いなだけだ。ただし、「女らしさ」という言葉は、女性が社会で働くことが許されず、家庭の主婦や家族労働の狭い範囲の生活に限定されていた時の意味合いを濃厚に持っている。それが嫌われるというのはよくわかる。現代の多様な社会関係の中で、改めて「女らしさ」「男らしさ」が問われるべきなのだ。
 先に述べたように、丸山は論理を完璧なまでに駆使できる圧倒的な能力を持っていた。当時の最高レベルであり、ライバルもおらず、根本的批判を受けることもなかったのだろう。しかしそのレベルは、絶対的な意味では低いものだったのだ。私は丸山のような頭の良さを「小頭」と呼ぶことにしている。「大頭」こそ目指したいものだ。